弁護士 淵邊 善彦|起業家に必要な契約書には何がある?秘密保持契約(NDA)の注意点【淵邊氏連載その1】
「契約書どうするの?」起業家のための超契約書入門
ビジネスと契約書は切っても切れない関係です。従業員との間に結ぶ雇用契約をはじめ、売買契約や業務委託契約、秘密保持契約など、ビジネスにおける契約書の種類には枚挙にいとまがありません。そこで『契約書の見方・つくり方』や『起業ナビゲーター』などの著者であるベンチャーラボ法律事務所の淵邊善彦弁護士に、起業家が最低限知っておくべき契約書のイロハについてうかがいました。全6回の連載で、起業家のための「超契約書入門」をお届けします。
1987年東京大学法学部卒業。1989年弁護士登録、西村眞田法律事務所(現西村あさひ)勤務。1995年ロンドン大学法学修士。2000年よりTMI総合法律事務所にパートナーとして参画。2008年より中央大学ビジネススクール客員講師、2013年より同客員教授を務める。2016年より2018年まで東京大学大学院法学政治学研究科教授。2019年ベンチャーラボ法律事務所開設。主にベンチャー・スタートアップ支援、M&A、一般企業法務を取り扱う。ヘルスケアIoTコンソーシアム理事、日弁連中小企業の海外展開業務の法的支援に関するWG座長、日本CLO協会理事、アジア経営者連合会会員。著書に『トラブル事例でわかるアライアンス契約』『契約書の見方・つくり方』『企業買収の裏側~M&A入門~』、共著に『起業ナビゲーター』ほか多数。
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この記事の目次
起業家が最低限押さえておくべき契約書
──ビジネスで扱う契約書にはかなりの種類がありますが、起業家が最低限押さえておくべき契約書について教えてください。
淵邊:秘密保持契約(NDA)、売買契約、業務委託契約、雇用契約、消費貸借契約あたりが最低限抑えておくべき契約書です。あとは、出資系の契約書ですね。
──出資系の契約書にはどのようなものがありますか。
淵邊:出資契約書、あるいは株主間契約書ですね。もう少し会社の規模が大きくなってくるとM&Aや提携という話も出てきますが、初期的な段階ではその辺りが中心です。
──契約書全般において、起業家が間違いやすいポイントはどこでしょうか。
淵邊:まず相手方がどのような会社なのかということをしっかり把握せず、とりあえず契約書を作ってしまうというケースがありますが、これは非常に危険です。お金を払うのか、もらうのかによっても違いますが、もらう側の立場であれば当然相手にそれだけの支払い能力があるのかということを確認しなければなりません。
逆にこちらがお金を払って何かを作ってもらうのであれば、きちんとした製造能力があるかどうかを見る必要があります。どれだけ信頼できる会社なのか、高いパフォーマンスがある会社なのかなど、まず相手方を知るというのが契約の第一歩です。
──背景調査のようなことが大事だと。
淵邊:そうですね。相手の信用調査は必須です。まずは帝国データバンクなどの信用調査会社に当たってみて、そこにデータがあれば比較的低額の料金で情報を提供してもらえます。ただし小さな企業などはデータがないので、業界内の情報、それこそ経営者仲間なども含めたいろいろな情報ソースやインターネット等で調べるというやり方もあるでしょう。それでも分からなければ、重要な取引については調査会社に依頼することもあり得ます。
──契約する時はバラ色の未来を描いていて、あとで現実を見た時に違ったというケースがありそうですよね。そもそもメリットがあるから契約するわけですが、最悪のケースも見越して契約書を作っておかなければいけないのでしょうか。
淵邊:契約書というのは、ビジネスがうまくいっていればあまり必要ないものです。問題が発生した時に初めて契約書が重要になってくるので、どこにリスクがあるのか、どこが問題になり得るのかということを想定して、自社に有利な条項を契約に盛り込んでおく。そうしないと契約書の意味がなくなってしまいますよね。
ただ、日本の企業同士の契約書は、実際はそういった問題は素通りして、あまり細かく規定しないケースが多いので、それでは本当は役に立ちません。期間の満了時やどちらかが違反した時など、契約の終了する時が一番揉める時です。ですから、終了時のトラブルやお互いの権利義務を想定して、なるべく自分たちにとって有利な条項を入れておくということは大事です。
──結婚する時はバラ色の未来しか考えていないけれど、いつ離婚の危機に陥るか分からないから、契約時から離婚を想定しておきましょうということですね。
淵邊:そうですね(笑)。事前にリスクをどれだけ少なくして、早い段階で手を打つかですよね。そのためにはやはり契約自体ももちろん大事ですし、契約を結んだあとの日常のモニタリングも大事です。ベンチャー企業は訴訟をするだけの体力がないことが多いので、紛争にならないように対応すべきです。
それから、契約というのは取引の重要性やボリューム(金額)によっても作り込み方が変わってきます。どこまで細かく規定するか、ガチガチに交渉するかという度合いが変わってくるので、その取引の実態や全体的な位置づけを理解した上で契約書を作らなくてはいけません。
それは経営者であれば分かることですが、契約というのは必ずしも経営者自身が交渉するわけではありません。現場や弁護士に任せることもあるので、先ほど言ったビジネスの重要性、取引額、リスクの大きさをしっかりと認識共有して契約書を作らないと、実態と合わないものができてしまいます。
──これは重要なポイントですね。契約書は雛形を使っても問題ないのでしょうか。
淵邊:ベースとして使うことは問題ありませんが、前提として自分がどちら側に立っているかを考えないと、とんでもないことになります。たとえば共同開発をしたり将来的に出資をする場合などは、最初の段階で秘密保持契約(NDA)を交わしますが、秘密保持契約では重要な秘密を出す方と受け取る方がいるわけです。同じように、売買契約の場合は売り手と買い手で内容がまったく変わってきます。
──雛形を使うにしても、まずはきちんと目的と相手を見ましょうということですね。契約書というのは文言ひとつ誤っただけでそれが命取りになり、規約ひとつで事業展開が変わってしまったり、上場できなくなってしまうということもあり得ますからね。
淵邊:ええ。秘密保持契約を例にして言うと、何のためにその秘密を開示するのかということなんですよね。そこがいい加減に書かれていると、本来その目的にだけ使っていいはずの秘密情報なのに、目的の規定が曖昧であるがために本来の目的外に使われてしまう。そういった恐れもあるので、目的というのは非常に重要です。
目的と、開示する情報がどんなものなのかという対象をしっかりと定める。これも受け取る方か開示する方かによって真逆になります。受け取る側は幅広く情報を欲しいですし、開示する側はなるべく限定して出したい。そういう関係になりますよね。
契約書作成前の5つのポイント
──契約書を作成する際のポイントを教えてください。
淵邊:まず最初に、契約の対象となっている取引の実態が正しいかどうかを確認する必要があります。自社にとって不利なことが書かれていないかなど、契約書を隅々までしっかり見て内容を吟味してください。その上で、以下の5つのポイントをチェックしましょう。
- 契約に関わる商品(サービス)の内容が適切か
- 適切な取引額か
- 当事者間の力関係は適切か
- 相手の信用力
- 規制の有無
→対象となる商品がどのようなものなのか、品質、性能、数量などの特定が十分かを確認します。仮に扱う商品に欠陥があった場合、どのように処理し、その費用をどちらが負担するかということまで契約で決める必要があります。
→対象となる商品の取引額(単価、支払い時期・方法など)が適切かを確認します。継続的な取引の場合は、年間(月間)単位の取引額や最低購入量の有無などについても確認する必要があります。
→企業間の取引では、どちらかの当事者が一方的に強い立場で不当に有利な契約を締結すると、実際の取引は必ずしもうまくいきませんし、優越的地位の濫用として独占禁止法上問題になることもあります。それを念頭に置いた上で、互いに譲れる点と譲れない点を明確にした上で契約を結びましょう。
→会社の規模や売上・利益、財務状態、業界内における評判など、相手がどれだけ信用できる企業なのかを事前に調べ、契約で信用リスクをカバー(支払い方法、担保など)します。ここを徹底して調べるだけで、のちのトラブルが回避できる可能性が高まります。
→消費者契約法、独占禁止法、下請法、借地借家法などの法律で、契約内容に関して強行規定が定められています。これに反した場合は契約自体が無効になる恐れがあるので、事前にそのような規制がないかどうかも確認すべきポイントです。業界の自主ルールやレピュテーションリスク(企業に対するマイナスの評価・評判が広まることによる経営リスク)にも注意すべきです。
あらゆる取引に関わる秘密保持契約(NDA)
──ここからは、先ほど話に出た秘密保持契約について詳しく教えてください。
淵邊:秘密保持契約は、重要な技術情報や営業秘密が開示される可能性がある取引において、交渉が始まる前の段階で締結されるものです。M&Aや提携などの大規模な取引に限らず、秘密情報の開示を伴う取引においては最初の段階で結ぶべき契約です。
秘密保持契約は交渉の最初の段階で結ぶ契約であるため、標準的な書式に基づいて比較的安易に締結することが多いようですが、実際の取引においては検討すべきポイントが多々あります。たとえば双方が情報を開示しあう場合と、片方だけが開示する場合とでは、規定も異なります。各事業者が互いにどのような情報をどのように開示し、受領するかをよく検討し、実態に合った規定にしましょう。
──秘密情報の範囲を具体的に教えていただけますか?
淵邊:双方が開示しあうケースを想定してお話しすると、秘密情報の定義は、その取引において相手方から取得した技術上、営業上の情報について広く規定するのが一般的です。
ここで重要になってくるのが、目的外使用を禁止する意味で、目的を明確に規定するということです。開示者の立場から特に重要な情報内容や媒体を特定したり、受領者の立場から一定の除外事由(公知のもの、自ら開発したものなど)を規定することもよく行われています。
口頭で開示した情報については、一定期間内に書面で確認した場合にだけ秘密情報として扱うという規定も見かけますが、期間内に書面化するのを忘れてしまうと、秘密情報であることが否定されてしまう恐れがあります。開示者の立場からは、実務上適時に書面化することが可能かどうかを検討した上で規定すべきでしょう。
秘密保持契約を結ぶ上でのポイント
──秘密保持契約を結ぶ上でのポイントはありますか?
淵邊:秘密保持契約に関して言えば、契約を結ぶことは確かに大事ですが、一度秘密が漏れてしまったり目的外で使われてしまったら、その秘密を回収することはできません。もちろん書類で渡したものは回収できますが、データや口頭で伝えたものは頭の中に残ってしまいますよね。契約というのは大事なことですが、だからと言って本当に大事な情報を安易に開示してしまうと、後々法的に損害賠償請求や差し止め請求という形で救済を求めるのは非常に難しいわけです。
秘密保持契約は結べば安心だと思って何でも開示してしまう会社がありますが、非常に危険だということを分かっていただきたいと思います。秘密保持契約で得た情報で似たような商品を作られてしまったり、第三者に流出してしまったとしても、それを立証することは非常に難しい。仮に立証できたとしても、それによってどれだけ損害が発生したかという損害額を立証するのも難しいわけです。
つまり類似商品が現れたからといって、自分たちにとってそれがどれだけ損害になったかという因果関係は立証しづらいのです。後々裁判で損害を回復したり使わせないようにするというのはほぼ不可能に近いことなので、契約書を結んだからといって本当に大事な情報をおいそれと開示してしまうのは危険です。
実際そういった形で、ベンチャーが大企業に秘密情報を渡したところ、勝手に使われてしまっているケースもあるんですよね。共同開発しましょう、一緒に販売しましょうと言われて大事な情報を渡してしまったら、実際には契約まで至らずに情報だけ持って行かれてしまったと。
──それは昔からよく聞く話ですよね。秘密保持契約の個人情報に関しては、業務提携が終わったあとも保護されるという決まりがありますよね?
淵邊:個人情報の場合は永久に保護する、秘密にするという契約が多いと思います。秘密保持契約に関しては、価値がなくなる5年、10年で決めているケースが多いと思います。
個人情報というのはもちろん個人情報保護法に規定されていますが、そもそも個人情報の定義自体をあまり意識していない方もいらっしゃいます。たとえば個人情報を渡されているのにそれに気づかず契約を結んでいなかったり、あるいは結んでいてもきちんと管理していないケースもあります。特に今は個人情報の範囲が広がっていて、何かの要因に照合して特定できれば個人情報になってしまいます。その情報だけでは誰か個人を特定できなくても、何かと照合すれば分かるという場合でも個人情報になってくるわけです。
また、どんどん改正がありますので、気をつけておかないと知らないうちに個人情報を扱っているということもあり得ます。また、2017年5月までは5,000件を超える個人情報を扱っている会社にだけ義務が課されていましたが、今はどんなに小さな会社でも適用されるリスクがあります。
──ありがとうございました。次回は売買契約についてお話をうかがっていきます。
(次回へ続きます)
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(取材協力:
ベンチャーラボ法律事務所代表 淵邊善彦)
(編集: 創業手帳編集部)