【第4話】3つの法定帳簿と36協定を整備する -連続起業Web小説 「社労士、あなたに会えてよかった」-
(連載)独立起業前に読んで納得!労働者名簿・出勤簿・賃金台帳をつくり、36協定を締結する
-連続起業Web小説 「社労士、あなたに会えてよかった」-
【第1話】退職手続きと社会保険
【第2話】退職と会社設立、社会保険への加入
【第3話】はじめて社員を採用するときにやるべきこと
竹田 裕二(35) 起業家 (リンク・エデュケーション社長)
資格試験予備校「キャリアセミナー」の講師を経て、IT企業「イーデザイン」へ転職。現在は、オンラインスクール「リンク・エデュケーション」を起業するために奮闘している。
榊原 葵(32) 社会保険労務士(社労士) あおい労務管理事務所 代表
「トヨサン自動車」に勤務し、海外事業部や経営企画室など会社の中枢部門で活躍していたキャリアウーマンであったが、様々な仕事をこなしていく中で「企業は人なり」という言葉を実感し、社会保険労務士へ転進。持ち前のバイタリティで事務所経営を軌道にのせ、現在はスタッフ10名、顧問先200社を抱えている。
3つの法定帳簿
福川が入社して、リンク・エデュケーションの業務スピードは大幅に強化された。竹田は主に外回りをして営業活動や講師のスカウトに力を入れ、福川がオフィスを守り、電話や来客の対応、システムのメンテナンス、資金繰りの調整などを行うという分業体制が確立していった。
福川の社会保険や労働保険への加入手続も、榊原社労士の事務所がスムーズに代行してくれた。保険証がほどなく届き、福川もひと安心したようだ。
そんなある日、竹田は「あれっ、まだ何か忘れていたことがあったかもしれない」と気になり、手帳を取り出した。
榊原との打ち合わせた日のメモを読み返す。
記憶をたどると、榊原はこう言っていた。
「労働基準法には事業主が、1人でも社員を雇ったら作成・保管しなければならない帳簿類が規定されていて、これらのことを法定帳簿と呼んでいます。法定帳簿は、労働者名簿、出勤簿、賃金台帳の3種類があるので、俗に法定3帳簿とも言われています。」
労働者名簿・賃金台帳・出勤簿をつくる
労働者名簿と賃金台帳については様式自体任意だが、記載すべき事項は決まっていて、東京労働局のホームページにサンプルがあるらしい。
「なるほど、こういうものを作らなければならないのか」と、竹田は得心した。
労働者名簿
賃金台帳
一方で、出勤簿は方式が会社の任意だという。「タイムカード」、「エクセルの表に出退勤時間を入力していく」、「カレンダー形式の書式で出勤した日に押印していく」といった具合だ。ただし、近年はサービス残業訴訟なども頻発しているので、労働時間の管理は厳密に行うようにしなければならない」というのが榊原の話であった。
具体的な管理方法の例として、榊原は、タイムカードはあくまでも「出社」と「退社」の時間の記録という扱いにし、残業を行う場合は、別途「残業指示書」を所属長が発行して、指示した時間のみが残業時間としてカウントされる、という仕組みを作る方法を紹介してくれた。
もし、タイムカードでしか時間管理をしていなかったら、就業後に仲間内でダラダラしゃべっていたり、退社前にトイレで化粧直しをしていたりした時間まで、残業時間にカウントされてしまう恐れがあるらしい。
「実際労使トラブルで裁判になると、会社が反論できる証拠を出さない限り、タイムカードに記録された時間が、そのまま労働時間として認定される可能性が極めて高いです。」
竹田は、福川とこの話を共有し、「君と労働トラブルになることはないと思うが・・・」と、前置きした上で、今後社員が増えたときのことを考えて、時間を見つけて早いうちにリンク・エデュケーションの法定3帳簿を整備しておいてほしい旨を依頼した。
36協定を締結して労働基準監督署へ提出する
竹田と福川がそんな話をしていると、竹田の携帯が鳴った。
電話に出ると、滑舌のよい溌剌とした声。榊原からであった。
「突然で申し訳ありませんが、ちょうどリンク・エデュケーションさんのオフィスの近くまで来ているので、ご都合がよろしければ、これから顔を出しても大丈夫ですか?」と切り出した。竹田は、「いやぁ、榊原先生だったら24時間365日大歓迎ですよ」と軽口を叩き、30分後に榊原が事務所に来ることになった。
30分後榊原がやってきた。今日も凛々しい白のスーツスタイルだ。
「いやあ、わざわざお越し頂きありがとうございます。先生のお陰で福川の保険証もすぐに届きました。」とお礼を言いつつ、竹田は福川を榊原に紹介した。
榊原は、「竹田社長からとても優秀な社員が入社してくれたと伺っていますよ」と微笑みながら話す。福川もついはにかんでしまう。
社労士の榊原は今日、急遽ヒカリエに入居している顧問先を訪問する用事ができ、1日その顧問先で打ち合わせをするら予定だったが、思いのほか早く用件が終わったため、竹田の会社も同じ渋谷にあることを思い出し、訪問を思い立ったらしい。
榊原は、「社労士は相手の会社のことを良く知らなければならない」ということを信念にしていて、独立当初から、時間の許す限り客先を訪問している旨を竹田に話した。その会社に行けば、社員の雰囲気やオフィスの整理整頓の具合など、書類だけでは読み取れない情報も知ることができる。これは、榊原がトヨサン自動車で働いていた時代に「現場・現物主義」を叩き込まれた経験が元になっている。
榊原は、しばらく竹田や福川と談笑をしていたが、ふとオフィスを見渡すと、スケジュールボードに、19時や20時から始まる打ち合わせがたくさん入っていることに気がついた。
そこで榊原は、竹田に「ずいぶん遅い時間に打ち合わせをしているのですね」と問いかけた。
「自分は外回りが多く、福川も顧客対応やシステム対応があるので、どうしてもこういう時間になってしまうのです。でも、時間外手当はきちんと払っています。ね、福川くん。」
竹田は胸を張って応答した。
榊原は「それは素晴らしいですね。では、36協定も労基署に出していますか?」とさらに尋ねた。
「しまった!それはまだでしたね。」
竹田は前職で法務部門の責任者だったこともあり、労働基準法で定められた労働時間は1日8時間、1週間40時間までであり、それを超える場合は、「36協定」という労使協定(正式には「時間外労働・休日労働に関する協定届」)を、所轄の労働基準監督署に出さなければならないことは聞いたことがあった。
36協定書(時間外労働・休日労働に関する協定届)
榊原は、「社会保険や労働保険の適用をやらせていただいたので、御社のことはよく把握しておりますから、こちらも私のほうで作成や提出の代行をいたしましょうか」と申し出て、竹田は「是非宜しくお願いします。」と、これを快諾した。
36協定で延長する労働時間は?
竹田と榊原は、36協定で延長する労働時間について打ち合わせを始めた。
竹田は、「延長できる枠は長ければ長いほどいいので、先生にお任せしますよ。」と軽い気持ちで言ったのだが、これが榊原に火をつけた。
「竹田社長!経営者には社員に対する安全配慮義務があります。そういう投げやりなお考えでは困ります。長時間労働による疲労で、体調をくずしたり、メンタルの不調に陥ったりする社員が現にたくさんいるのです。そうなってしまっては、御社にとっても損失です!」
「厚生労働省が出している基準では、延長できる労働時間は、1ヶ月で45時間まで、1年では360時間まで、といったような限度が定められています。逆に、1ヶ月45時間を超える時間外労働が継続しているような場合は、脳や心臓疾患の危険性が高まるラインともされています。」
「ベンチャー企業なのでお忙しいことは理解しますが、社員の健康のためにも、できる限り長時間労働にならないよう、配慮してあげてください。」
- 期間 ⇒ 労働時間延長の限度時間
- 1週間 ⇒ 15時間(14時間)
- 2週間 ⇒ 27時間(25時間)
- 4週間 ⇒ 43時間(40時間)
- 1箇月 ⇒ 45時間(42時間)
- 2箇月 ⇒ 81時間(75時間)
- 3箇月 ⇒ 120時間(110時間)
- 1年間 ⇒ 360時間(320時間)
一呼吸して榊原は、「一方的にまくし立ててすみませんでした。」と謝罪したが、竹田は社員の労働時間の管理について軽く考えていた自分が恥ずかしかった。 榊原は、真剣にリンク・エデュケーションのことを心配してくれているからこそ怒ったのだろう。榊原に対して嫌悪感は全くなく、むしろ、感謝と信頼が大きくなったと感じた。
文句を言わずに付き合ってくれる福川に甘えていたかもしれないし、今後社員が増えたときのことも考えると、現在のようないい加減な労働時間の考え方では決して良くない。
結局、厚生労働省の基準に合わせて36協定を作成し、その上で、協定に「特別条項」を追記することで、1年のうち6ヶ月を上限に、やむを得ない事情がある場合には、厚生労働省の基準を超えて時間外労働をできるようにするという形にすることとした。
榊原は、「36協定が出来上がったら書類を郵送するので、労使の押印をして返送してください」と場をまとめ、仕事の話はこれで終了となった。
榊原は声を荒げたことをまだ恐縮していたが、竹田の「怒った榊原先生もカッコよかったですよ」の一言に、笑いが起こった。
ふと時計に目をやると、既に18時を回っている。
榊原は今日の仕事はこれで終わりであり、竹田や福川も幸い火急の仕事はなかったので、3人で食事に行くことになった。
竹田は渋谷マークシティに入居している「エクセルホテル東急」のフレンチレストラン、「アビエント」に榊原を誘った。渋谷駅直結の立地のよさ、地上100mの夜景の美しさ、料理の美味しさと3拍子揃って、料金も比較的手頃な穴場レストランである。
ほどなく料理も運ばれてきて、皆、赤ワインで一致したので、ピノ・ノワールで乾杯をした。
榊原に赤ワインの組み合わせはよく似合う。
竹田はつい見惚れてしまった。榊原が「私の顔に何か付いていますか?」と言うので、慌てて取り繕った。福川も竹田のように慌てている。同じようなことを考えていたのだろう。
3人の会話は弾んだ。この日の会食が、「リンク・エデュケーション」と、「あおい労務管理事務所」の正式な顧問契約のきっかけになった。
竹田は、起業する前から榊原に助けられ、勇気をもらったことに謝意を述べ、これからは福川と一緒に全力で会社を成長させることを誓った。榊原も、全力でサポートすることを伝えた。
フレンチのコース料理を口に運びながら、大人の夜はふけていく・・・と思いきや、2次会のカラオケでドンチャン騒ぎだったのは、また別の話である。
【第5話】正しい給与計算は依頼して本業に集中する -連続起業Web小説 「社労士、あなたに会えてよかった」-
(監修:あおいヒューマンリソースコンサルティング 代表 榊 裕葵)
(編集:創業手帳編集部)