Wunderbar 長尾慶人|中小企業や地方でもタレント起用を可能に。Sketttでタレントと企業の可能性を広げる

創業手帳
※このインタビュー内容は2024年04月に行われた取材時点のものです。

累計相談数は4,000件以上。コロナ禍のタレントを助けたいという思いで事業をスタート


株式会社Wunderbarは、有名タレントの宣伝素材提供をはじめとする、IP活用視点でのマーケティング支援を行うスタートアップです。

同社が2022年1月より提供を開始した「Skettt(スケット)」は現在、交渉可能タレント800名以上、累計相談数は4,000件を超えるサービスにまで成長しています。

今回は代表の長尾さんに、起業に至るまでの波瀾万丈な経歴や、Sketttを生み出すことになった経緯、今後の展望についてお伺いしました。

長尾 慶人(ながお けいと)
株式会社Wunderbar 代表取締役
15歳の頃にジュノンボーイコンテストにて上位入賞後、某大手芸能事務所に所属するも挫折。その後、家庭の事情で16歳の頃に高校を一年で中退し、札幌&福岡で光通信系会社の立ち上げ→上京し色々ありカプセルホテル生活→GMOインターネット→ディーエヌエー→Recustomer(旧ANVIE共同創業)→Wunderbar立ち上げと波瀾万丈な経歴。
「自らを超越し、世界を沸かせ」という強いミッションを掲げ、「IPの可能性を広げ、人々に衝撃と感動を」という中期ビジョンに向かってIP×テクノロジーという文脈で挑戦。

インタビュアー 大久保幸世
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計250万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら

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初めてのオーディションで諦めた芸能界


大久保:長尾さんは15歳でジュノンボーイのコンテストで入賞されています。なぜコンテストを受けられたのでしょうか?

長尾:僕は幼少のころから「場を盛り上げるタイプ」でした。人の笑顔を見て生きていきたいと思っていましたね。

そんな僕を見た母親が、コンテストを勧めてくれたんです。当時はスマホもインターネットも普及していなかったので、「誰かを笑顔にしたいなら、テレビに出たらいいんじゃない?」と。

大久保:芸能界に入ってみていかがでしたか?

長尾:芸能のジャンルが広くて大変でしたね。

僕が目指していたのは「タレント」というカテゴリーでしたが、しゃべれるだけではダメなんですよ。話すのがうまいだけでなく、歌も演技もバラエティもできるような方が重宝されるからです。

僕がジュノンボーイに入賞して入った事務所は特にその傾向が強くて、タレント志向で入ったのに演技のオーディションのレッスンがたくさんありました。やりたくもない演技のためにセリフを大量に暗記するのは、本当に辛かったですね。

辞める決定打になったのは、テニスの王子様の舞台オーディションでした。アクロバットな舞台ですから、当然のようにバク転などのスキルを求められたんです。

なにも知らずにオーディションに行った僕は、受かるのは到底無理だと諦めました。それが人生最初で最後のオーディションになりましたね。

大久保:最初のオーディションで極端なところにあたってしまったんですね。

長尾:今振り返るとそうですね。でも、表に立たずに裏で誰かを支えるのが性に合っていたので、あれでよかったのかもしれません。

父の生き方に影響され「16歳で就職」を決意

大久保:芸能界を辞めた後は、営業会社の立ち上げをされていますよね。何歳から仕事をされているんでしょうか?

長尾:仕事を始めたのは16歳の頃です。その直前までは芸能系を志していたので。

大久保:16歳とは若いですね。仕事をしようと思われたきっかけがあったのでしょうか?

長尾:父が亡くなったのがきっかけでした。

実は、朝6時に出て夜中の12時過ぎに帰ってくるような仕事マンの父とは、喋った記憶がほとんどありません。ですが、そんな父の葬式で大きな衝撃を受けました。地元札幌の7階建ての建物が参列者で埋まったからです。

大久保:お父様は何をされている方だったんでしょうか?

長尾:父は大きな会社の役員でした。

葬式で初めてその事実を知った僕は、「彼は家族との時間を取ることはなかったけれど、世の中のためにできることに全力投球していたんだな」「だから、こんなに多くの人から惜しまれる存在になったんだな」と思いましたね。

それから、僕もこうしてはいられないと思い高校を中退したんです。

大久保:お父様と同じように「世の中のためにできることをしたい」と思われたのですか?

長尾:そうですね。でも当時は16歳だったので、持っていたのは気合いと情熱だけです。それでも面接に通った「光通信系の営業」が、僕の仕事人生のスタートになりました。

大久保:その頃は、まだ札幌にいらっしゃったのですか?

長尾:札幌でした。その後、同じ会社の福岡支社の立ち上げで福岡にいきました。

大久保:最初に入った会社の影響は大きいと思うのですが、光通信系の営業はいかがでしたか?

長尾:「IT領域の商材」だったのも良かったですし、営業の経験を積めた点でも感謝しています。どこへいっても、「あの営業に勝るところはない」と思える営業活動を経験できました。

未来を見据えて転職し上京


大久保:その後上京されたのはなぜでしょうか?

長尾:福岡支社の立ち上げが落ち着いたら北海道に帰る予定だったのですが、当時の僕には刺激が足りなくて。

ちょうど同世代が大学受験をするタイミングで、「どこの大学に行く」「なにを勉強する」という話をよく聞いていました。だから「そろそろ僕も、未来を見つめて仕事をしたいな」と思ったんですよね。

ITの領域で、学歴がなくてもこれまでの営業経験が活かせる場所はどこだろうと考えて、東京で見つけたGMOに入社しました。

大久保:GMOは、学歴ではなく可能性がある人を選ぶ会社だったわけですね。

長尾:たまたま僕が入った部門がSEOのコンサルティングの領域だったので、持っているスキルよりも学ぶ意欲があるかどうかが重要だったんだと思います。

当時、上席にいたマネージャーや部長が、気合いで登ってくる人を好む傾向があったのも影響していたのではないでしょうか。本当に巡り合わせだなと思いますね。

大久保:それからDeNAにいかれたということですが、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

長尾:GMOに4年くらい在籍して自分の中で区切りがついたので、1回フリーランスになったんです。

SEOのコンサルティングという仕事自体がフリーで食べていけるような職種だったので、自分を試す意味でもフリーを選びました。

ただ、フリーになって1年たたないくらいで、結婚や妻の出産がありました。家族に心配をかけないためにも、企業に所属しようとDeNAにお世話になることを決めました。

大久保:DeNAでは何をされていたのでしょうか?

長尾:キュレーションメディアのプロデューサーです。

最初の会社はエンジニアと共同創業

大久保:その後、起業されたんですよね。

長尾:DeNAでキュレーションメディアを閉鎖する状況になり、元々札幌で一緒に仕事をしていた柴田と共同創業でANVIE(現Recustomer)を立ち上げました。

ANVIEは、僕がフリーのときに実現できなかったことをしたくて創業しました。1人じゃ限界があることも、エンジニアの柴田とであればできると考えたからです。当初は受託事業で生計を立てていました。

大久保:ANVIE創業後に今の会社を立ち上げられていますが、その経緯も教えていただけますか?

長尾:ANVIEの受託事業が順調に伸びてきて、次の事業を考えるフェーズに入ったのが創業から3、4年くらいたったときでした。

しかし、そこでやってきたのがコロナ禍です。僕にはサンミュージックの頃の芸能の繋がりもありましたから、エンターテイメント領域にいる方々がとんでもない打撃を受けているのを目の当たりにしました。

僕自身は16歳でエンタメを諦めて10年間ぐらい遠ざかっていたものの、目の前で苦しんでる人たちを見て、これまでの知見を活かして芸能業界で何かしたいと考え始めたんです。

そして立ち上げたのが株式会社Wunderbarでした。

コロナ禍で苦しむタレントを救うためにWunderbarを起業


大久保:芸能業界に新しいサービスが入るのは難しいのではないでしょうか?

長尾:現在僕たちが展開しているSketttは、有名タレントの宣材素材とデータ活用を通して、企業のIPマーケティングを支援するサービスです。

今では多くの方から、「よくこれだけの芸能事務所を集められたね」と言っていただくまでになりましたが、それはコロナ禍とIPの流通比率が変わったことが理由だと考えています。

大久保:IPの流通比率が変わった、とはどういうことでしょうか?

長尾:ひと昔前まで、広告といえばタレントでしたよね。

ところが、インフルエンサーが登場し、ユーチューバーが流行り始め、TikTokまで出てきましたから、企業が出すお金の行き先がどんどん分散されています。つまり、何もしなくてもタレントに仕事が来る時代は終わったんですね。

コロナによる環境変化と、そのようなIP関連の環境変化が重なった瞬間だったからこそ、Sketttが受け入れられたのだと思います。

Sketttと他社の違い


大久保:「有名タレントの宣材素材とデータ活用」のサービスは、競合もたくさんいますよね。

長尾:僕らが始めた当時よりは競争が緩やかになっていると感じますが、もちろん今でも少なくありません。

大久保:御社の特徴をお伺いできますか?

長尾:弊社の特徴は、「IP側(タレントさん側)を助けたい」という思想でスタートしている点です。

タレントさんたちが稼ぐ手段、生き残る手段を作りたくて始めたサービスなので、タレントさんたちが参加しやすいようなプラットフォームにしています。

限られたタレントさんが所属し、「アンバサダー」となって企業に素材を提供する形態とは異なるんです。

大久保:では、御社の素材を活用する場合、タレントをアンバサダーとして起用する必要はないのでしょうか。

長尾:おっしゃる通りです。弊社の場合は、タレントの素材を活用いただく際に「アンバサダー」と入れる必要はありません。通常のアンバサダーのように年間契約ではないので、1か月単位で使ってもらえるんです。

さらに、衣装の色やポージングの変更、合成もできるなど自由度が高いので、撮影代がかからず単価を抑えられるのも強みですね。

大久保:短期間のIP活用の需要はいかがですか?

長尾:代理店からも、月に100社以上から問い合わせをいただいています。クイックにタレントを切り替えられる点が、「企画の1つにはめ込みやすい」と重宝されているようです。

ターゲットはまだ市場にいないお客さん

大久保:ターゲットは主にどのような客層でしょうか?

長尾:国内IP活用の市場は1.4兆円あると言われています。そのうちWeb広告でのIP活用は半分の7,000億円程度です。

ですが僕たちがターゲットだと考えているのは、その7,000億円に属しているお客さんではありません。今契約してくれている半分以上のお客さんは、「IP活用をしたことがなかった」方たちだからです。

つまり、まだIP活用市場に出てきていない中小企業や地方企業がターゲットだと考えています。

IP活用のコツは「獲得目的」か「認知目的」かが分かれ目


大久保:では、これまではマーケティングにタレント活用を考えられなかったスタートアップ企業もターゲットになりますよね。おすすめのIP活用法を教えてもらえますか?

長尾:まずは、獲得目的か認知目的かで大きく分かれます。

スタートアップでいうと、例えばシリーズAぐらいまでの、まだPMFしてない規模の会社さんは、売り上げや数字に目が向いてると思います。

その段階では、短期間の企画にタレントを使って、クイックに検証していくのが良い使い方だと思います。

反対に、すでにPMFをしていて一定市場で戦える事業をお持ちの会社さんは、他社と差別化を図るため、企業ブランディングとしてタレントさんの起用を考え始めるといいのではないでしょうか。

大久保:獲得目的なら企画の1つとして短期間で活用し、認知目的なら長期間のタレント活用を考えると良いのですね。

長尾:ただ、認知目的段階でも「月に1億円規模の予算はかけられない」という場合も少なくありませんよね。そのような規模の会社さんでは、社内でPRのチームを組んでいることが多いと思います。

そういった会社さんにはタレントの素材を提供をするだけでなく、IP活用で効果を出すところまで伴走支援もしています。

手足を動かし続けたから今がある


大久保:Sketttを拝見していると起業からここまで順調な印象ですが、大変だった時期はありましたか?

長尾:ありましたね。特に大変だったのは、Sketttの前身であるVOM(ヴォム)を展開していた時期です。

VOMは「有名人からのサプライズ動画メッセージを依頼できるサービス」です。同じようなサービスを展開するアメリカの会社がユニコーン企業にまで成長していたため、その日本版として作ったんです。

ところが、2021年の7月にローンチして、12月の段階でお金がないという事態に陥ってしまいました。

大久保:VOMはなぜうまくいかなかったのでしょうか?

長尾:原因は明確で、アメリカはエージェント制で、日本はマネジメント制だからです。

タレント自身が「このサービスに参加するかどうか」を決められるアメリカに対して、日本はタレントの事務局が仕事を受けるかどうかを決めるんですよね。

もちろんそれも含めてうまくいく算段を立てていたつもりだったのですが、あまりにも事務所の壁が大きかったわけです。その結果、社内のメンバー5名の給料も払えないところまでいきました。あのころは、味噌汁も喉を通らないくらいしんどかったですね。

大久保:でも、そこで諦めなかったから今があるんですよね。

長尾:そうですね。VOMがうまくいかなかったのはなぜなのか、なぜタレント側からOKが出なかったのか、細かく分析をしました。そして、VOMでダメだったことを1つずつひっくり返してできたのが「Skettt」なんです。

Sketttの初めての案件で1,000万円取ることができて、生き残ることができました。その後は順調に追加の案件も決まるようになり、今に至ります。

大久保:大変だったとは思いますが、VOMがあったからこそ今があるわけですね。逆に、これはやっておいて良かったなと思うことはありますか?

長尾:良かったなと思うのは、足と手を動かし続けたことでしょうか。

VOMがうまくいかず一番大変だった時期を乗り越えられたのは、とにかく動いてありとあらゆる可能性を探ったからだと思います。

大久保:お金がなくなる体験をした起業家は、異常な集中力がついて、大抵のことには耐えられるようになると聞きます。

長尾:そうかもしれません。あとは成功しないビジネスと、うまくいくビジネスの感覚を知れたと思います。VOMのときにはまったくなかった問い合わせが、今では「日本にはこんなに企業があったのか」と驚くくらいきますから。

「このビジネスが当たるかどうか」の判断基準は、感覚として持てている気がしています。

IPの領域で、誰よりも早く、誰よりもいいものを提供したい


大久保:今後の展望をお伺いできますか?

長尾:今は人の肖像だけの提供ですが、今後はキャラクターやマスコットも提供したいという思いがあります。

僕は札幌の出身なので、自分のサービスを地方に広げていきたい気持ちが強いんです。

スポーツと地方は結びつきが強いので、地元の商店街のPRなどでスポーツチームのマスコットを使えるようにしたいなと考えています。それ以外にも、まだまだ広告に起用する発想すらないようなIPが世の中にはあると思うので、今後はそういったところにも展開していきたいですね。

大久保:海外進出もお考えですか?

長尾:先日、フィリピンでのSkettt提供を開始しました。

国境を超えたメンバーで事業をしているので、グローバル目線での新規事業はどんどん進めていきたいと考えています。

大久保:個人として目指されていることはありますか?

長尾:僕自身は中卒ですから、「学歴とかにコンプレックスがある人でも、めげずに頑張れば大きなことができるよ」と社会に示したいですね。

例えば、1960年代はGMOの熊谷さん、1970年代はGMOペパボの家入さん、1980年代はアドウェイズの岡村さんが、中卒でありながら上場社長になられていますよね。

でも、1990年代には中卒の上場社長がいないんですよ。だから、各世代に必ず1人はいる偉大な方々に肩を並べたいという目標があります。

そのためにも、IPの価値を最大化できるよう、社会から要求されたタイミングで、誰よりも早く誰よりも良いものを提供できる体制作りを、これからも頑張りたいと思います。

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(取材協力: 株式会社Wunderbar 代表取締役 長尾慶人
(編集: 創業手帳編集部)



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