オペラ歌手・声楽家 澤武紀行|富山銀行CMで話題の世界的オペラ歌手が“日本のアート”を語る

創業手帳

音楽界のメジャーリーグ・ベルリン歌劇場で活躍した歌手が見た日本のアートの現状と希望

森の中でテノール歌手が歌い、最後に富山銀行のロゴだけが出る異色のCMが富山で話題となっています。
その見事な歌唱力で注目されているテノール歌手は、渡欧当時、数少ないアジア人歌手として活躍してきた澤武紀行さんです。

欧州で活躍していた澤武さんですが、コロナ禍で劇場がクローズし、日本への帰国を余儀なくされています。帰ってきた日本で直面したのは、声楽家、クラシック音楽、オペラという舞台芸術の社会的な地位が低く、理解されないという壁でした。

精神的に追い詰められた澤武さんでしたが、地元の富山銀行がCMに起用し、反響が広がり、徐々に理解されつつあると語ります。

経営者や起業家でも成功すると、アートの収集やアーティストの支援に興味を持つ傾向があります。日本と海外のアート事情の違いや今までのあゆみについて、澤武さんに伺いました。

澤武 紀行(さわぶ のりゆき)
オペラ歌手・声楽家
富山県射水市出身。国際ロータリー財団親善奨学生として渡欧後、モーツァルテウム音楽大学在学中より演奏活動を開始。ベルリン国立歌劇場、リンツ州立劇場、ドイツ・フォアポンメルン州立劇場(専属歌手契約)、ハッレ歌劇場、ノイエオーパー・ウイーン等のヨーロッパ各地の劇場、音楽祭に出演。当たり役である、レハール作曲 喜歌劇「微笑みの国」の主役スーホン皇太子役でヨーロッパツアーに抜擢されるなど、日本とヨーロッパを行き来しながら演奏活動を展開中。

インタビュアー 大久保幸世
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計200万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら

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富山の尼寺で育った少年時代

大久保:ヨーロッパに行かれるまでの経緯を教えていただけますか。

澤武0才から小学校卒業まで、近くの尼寺で育ったんです。両親が夜の飲食店をやっていたので、子ども好きの尼僧の方が僕を預かってくれまして。最初はお店が終わったら迎えに来るということになっていたんですが、寝てるから起こすのも可哀想ということで、お昼に迎えにきたら? ということになり、結局小学校卒業まで尼寺で過ごしました。養女もいて、姉弟同様に育ちました。

庵主さんは大変近代的な考えを持っておられた方で、おおらかで自由な考え方の方でした。映画がとても好きでしたね。人格形成の大事な時期をそこで過ごしたので、人生哲学のようなものはそこで学びましたし、神仏という目に見えないものに頭を下げることを教えていただいたことに、非常に感謝しています。

音楽をやるうえで、宗教観って切っても切り離せないものなので、自分にとっては何物にも変え難い大切な時間となりました。

大久保:富山は何度か行ったことがありますが、山に囲まれていて他と違う風土ですよね。勤勉で真面目な県民性と聞いています。

澤武:そうですね。自分でもその影響はあると思っています。3才からピアノとエレクトーンを習い、小学校3年からサックスフォンを習いました。最初は、伴奏ピアニストになりたくて、ピアノを専攻しておりましたが、高校3年12月に声楽専攻に転科。大学から東京に出たんです。東京芸大の声楽科も受かっていたんですが、どうしても習いたい教授がおられたので、芸大を蹴って桐朋学園に進みました

音楽をやるには音楽大学もたくさんあって、いいライバルがいるであろう東京と思っていましたね。小さい時からいつかはヨーロッパに行きたいと思っていました。ピアノ専攻時は、ソリストになるよりも伴奏など、裏方のピアニストになりたいと思っていたんですが、声楽の点数が良かったために、学校側から勧められて高校3年のときの専攻を変更したんです。

大久保:そんなに昔からヨーロッパにフォーカスしていたんですね。何かきっかけがあったのでしょうか。

澤武:小学校の卒業文集に、既にヨーロッパで音楽をやりたいと書いていたんですよね。クラシック音楽はヨーロッパからきたものだというのはどこかで理解していて、やるからには本場で勝負をしたいと思っていたんです。自分の中ではそれが当たり前でした。

大久保:念願叶って、大学時代にヨーロッパに行かれたのですね。

澤武:はい。大学卒業後に、難関である国際ロータリー財団の奨学金をもらってヨーロッパに行きました。最初は違う大学に入ったのですが、教授が亡くなってしまい、ブルックナー音楽大学に編入したんです。

まず、ベルリッツという語学学校で国際レベルというのを取らないと、国際ロータリー財団の試験を受ける資格がないので、日本にいたときにドイツ語は完璧と言われるぐらいまで勉強しました。奨学生は語学学校に1か月缶詰にされ、食事のマナーから踊りのマナーまで教え込まれるわけですけど、最初はコミュニケーションが取れず、日本に帰りたくて仕方ない時期もありましたね。

ただ、一晩親に泣きながら電話したら、すかーっとしてね。次の日からはここで生きていくんだ、ここが自分の世界だと吹っ切れました。

大久保:ホームシックを乗り越えた後は、水を得た魚だったのですね。

澤武:そうなんです。ようやく目指してたところに来られたという思いが強かったですね。富山では、男が音楽をやるということだけでいじめられていたんです。クラシックや声楽は日本では異質なもので、趣味や道楽の一貫と思われていたので、音楽が市民権を得ているヨーロッパで、自分が堂々としていられるのがまず嬉しかったです。いじめというトラウマから開放され、本当にやりたかったことができることに対して、喜びしかなかったですね。

人との縁やコネクションも才能の一部

大久保:その後はどのようにキャリアを積まれたのですか。

澤武ヨーロッパ人は体格や声量など、見た目で我々日本人とは大きく違いますから、オーデイションではよく「こりゃ絶対ダメだな」と思いました(笑)。それでもドイツのフォアポンメルン州立劇場では専属歌手契約をさせてもらって、8年間歌っていました。なかなかヨーロッパの劇場で専属歌手になるというアジア人はいなくて、日本人男性として劇場専属契約を取るのは、本当に難しいことです。ベルリン国立歌劇場では、日本人男性歌手で、こんなに契約回数を重ねている人はいないでしょう! と言われましたね(笑)。

他にもベルリン国立歌劇場、リンツ州立劇場など、ヨーロッパ各地の劇場で歌ってきました。日本の大学の恩師のおかげですけど、ドイツ語は電話ではネイティブに間違われるほどにすごく褒めて頂けます(笑)コロラトゥーラといって、声を転がすような歌唱技法も高く評価していただいています。またただ歌うだけではなく、役柄に合わせて演技も必要なので、コミカルな役柄からシリアスな役柄まで、演技に関しても評価をいただくことが多いですね。

ただ、その後一時帰国して周囲と話をしても「歌でご飯を食べてるってどういうこと?」のような反応が多くて、日本では音楽家が社会的に職業として認められてないんだなと感じさせられました。

大久保:なるほど。起業家も似ているところがあるかもしれませんね。アメリカなどでは起業家の地位は高いですけど、日本だとあの人何やってる人なのかしらっていう扱いなところはあります(笑)。

澤武:今は僕も強くなって、「僕は芸術家だから」って言えるようになりましたけどね。例えばメジャーリーガーはホームランを打てば評価されますけど、歌手って人間の声なので、好きか嫌いかというこの一点になります。芸術家はどうしたら評価されるのかというのは難しい問題だなと感じます。

大久保:日本人は、海外という言葉や銀行などの権威に弱いですよね。本当の価値はなかなか理解されにくいかもしれません。ただ、富山銀行のCMに起用されたように、澤武さんを評価してくれる人々も一定数いるわけですよね。

澤武:そうですね。僕は人間的なご縁やコネクションも、才能の一部だと思っているんです。どこで誰に会うかもその人の宿命であり運命ですから。

その点、昔から助けて欲しいと思ったときに、ふと手を差し伸べて下さる方が必ず出てきてくださいました。人とのご縁は大切にしなくてはと思いますし、オペラ歌手だからと偉ぶったりしません。ヨーロッパ時代も周囲に助けられました。

尼寺で育てられたときから、日本人とかドイツ人とかではなく、文化の土台は違いますが、人種・国籍を超えて、やはり最後は人間対人間なんだと思います。

大久保:帰国されたきっかけはコロナだったのですか。

澤武:はい。契約していたベルリン国立歌劇場は、劇場が休業してしまい出演できなくなり、ニューヨークにありますカーネギーホールへの出演、ウィーンの楽友協会での演奏会にも出る予定でしたが、キャンセルになりました。バルセロナでデビューすることも決まっていたのが、これも直前にダメになってしまったんです。

コロナを機に、日本に拠点を移そうかと思い、日本に戻ってきました。おかげさまで、富山銀行CMを始め、地元の放送局でもラジオのパーソナリティーを務めさせて頂くなど、音楽を軸に色々な活動をさせていただいております。富山県では氷見市にあります、氷見第九の総監督を拝任して、地元では声楽のレッスンや合唱指導なども始めました。おかげさまで、今現在30名近くの生徒さんが来てくださっていますが、皆さん、本当に歌うことを楽しんでおられます。

小さいときに、学校の先生に「おまえは歌が下手だ」と言われたことをコンプレックスに生きてきたという生徒さんがいるんですが、今や寝ても覚めても歌のことしか考えていないそうで、「人生最後にこんな楽しいことを教えてくれてありがとう」と感謝されるんです。こちらからどれだけアプローチして扉をあけるかが大切だな、と実感しているところです。

ただ、ワールドワイドな視点は持っていたくて、日本を拠点にしてヨーロッパに仕事に行くというスタンスは持ち続けますこのご時世、もはや世界的な視野で活動しないといけない時代になったと思います。映画の世界、お芝居の世界にも挑戦したいと思いますし、具体的にいうとハリウッドにも興味があります。世界への興味はなくしたくないと思いますね。

ベルリンとケルンにエージェントがあるので、プロモーションのための映像を撮って送ることを今は考えています。

ヨーロッパと日本での芸術への理解の違い

大久保:コロナ前に初めてベルリンに行ったのですが、路上で絵を描いているアーティストなどがたくさんいて、ヨーロッパと芸術の結びつきの深さを感じました。

澤武:そうですね。ヨーロッパでは、政治経済芸術が三角形の関係性になっていることを感じるんですが、日本では政治経済は密接だけど、政治と芸術、経済と芸術の結びつきは弱いと感じます。芸術は生活になくても生きていけると現代の日本人は思っているんじゃないかな。

大久保:昔は歌舞伎や浮世絵があって、庶民が芸術を楽しんでいたので日本人に芸術を楽しむ土台はあると思いますが、今は効率的、合理的なものに偏ってしまっていますよね。

澤武:はい。例えばクラシック音楽だけじゃなくて、ポピュラー音楽が一切なくなったらやはり世の中の人々も潤いがなくなると思うんです。日本の方々にも、芸術や音楽は自分にまったく関係ないと思わずに、普段から芸術を楽しんでほしいですね。

ヨーロッパでも、企業がついていないとなかなか芸術家は有名になれないんです。昔から特にクラシックの音楽家、オペラ歌手はパトロンの世界でしたから。日本だと、有名にならないと企業がついてくださらない感じがします。

大久保:逆なんですね。

澤武力がある企業が、芸術とはこういうものなんですよって発信するといいですよね。その点、今回の富山銀行さんのCMは、ぼくの歌がお茶の間に流れていて、お茶の間に浸透できたという点では、とてもありがたかったです。

大久保:地銀というのは地元の経済界と一蓮托生なところがあって、今回は富山銀行ですが、地元の金融機関が地元の芸術家を支援したというのはとても良いことだと思います。
CMも澤武さんの歌が全面で、富山銀行は全面でずに、最後にロゴがちょっとだけ出る演出も秀逸でした。地方の大企業や金融機関も参考にしてほしいと思いました。
澤武さんはテレビのバラエティやラジオ番組もこれからどんどん増えてファンが増えそうですね。応援しています!

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(取材協力: オペラ歌手・声楽家 澤武紀行
(編集: 創業手帳編集部)

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