クロスシー 田中祐介|インターネットの黎明期からモバイル事業の根幹を手掛け、次なる挑戦はインバウンドビジネスへ

創業手帳
※このインタビュー内容は2024年05月に行われた取材時点のものです。

「電脳隊」創業者の進化し続けるビジネスの旅路に迫る

2023年の訪日外国人旅行消費額が過去最高額を更新するほど盛り上がりを見せていますが、最近では爆買いのような「モノ消費」から経験や医療などの「コト消費」へと需要が変化しつつあります。

そんななか、いち早く「コト消費」に目をつけ、事業を展開しているのが株式会社クロスシー代表取締役の田中祐介さんです。

田中さんはインターネット黎明期にモバイル事業の先駆けとなった電脳隊を創設し、その後もフラクタリストの創設やY!mobile事業の立ち上げなど、モバイル・インターネット分野の根幹部分を多く手掛けていらっしゃいます。

今回は、田中さんのこれまでのご経歴や起業された経緯、クロスシーの今後の展開などを創業手帳の大久保がお聞きしました。

田中 祐介(たなか ゆうすけ)
株式会社クロスシー 代表取締役
1996年に(有)電脳隊を創業し代表取締役就任。モバイルインターネットの市場黎明期の先駆的ベンチャーとして事業展開のち、ヤフー株式会社へ売却。2000年、モバイルマーケティング事業の(株)フラクタリストを創業し、2006年に上場。 2003年に中国子会社として飛拓無限信息技術(北京)股份有限公司(FRACTALIST CHINA)を設立、チャイナモバイルとの提携などを通じ中国におけるモバイルマーケティングの現地上場企業へと成長させた。2010年 当社を設立し代表取締役(現任)。​

インタビュアー 大久保幸世
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計200万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら

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祖父母から商売の基礎を学び、大学時代に仲間と「電脳隊」を創設

大久保:田中さんの子どもの頃のことやご家庭について、教えていただけますか?

田中:東京都世田谷区の普通のサラリーマン家庭で、普通の区立の学校に通って育ちました。

あえて、他の家庭と少し違うところを挙げるとすれば、祖父が伊豆の下田で温泉旅館をやっていたことですかね。

もともとは曽祖父の代までは地方銀行をやっていたんですけど昭和の大恐慌で苦労し、「これからは旅行業だ」ということで、旅館にシフトチェンジしました。

祖父や親族は私に祖父のやっていた温泉旅館を継いでほしいと思っていたんです。その思いを受け、高校・大学の頃は休みの度に祖父の温泉旅館でアルバイトをしていました。

温泉旅館のレセプションから、布団を畳んだり、しまったり、掃除をしたり。その過程で祖父・祖母から商売の仕方を学べたのが大きかったのかな、と感じています。

大久保:インターネット黎明期であった当時、電脳隊の事業を立ち上げていらっしゃいますが、どのような経緯だったのでしょうか。

田中:温泉旅館でのアルバイトをしつつも、大学時代にはインターネットの面白さに魅せられていました。

雑誌や新聞など、従来の4マスと呼ばれるメディアは、権力や資本力がないと事業ができない。まさにテレビは、国から認められている企業でないとできない事業でした。

一方でインターネットは、面白いコンテンツを持っていれば、一個人でも世界中に情報発信ができる。

私が通っていた慶応の湘南藤沢キャンパスでは、たまたまインターネットが使えるインフラが整備されていて、インターネットに触れてはいたんです。面白いコンテンツを届けるのが大事だと思っていたから、「せっかくなら面白いやつと組んだほうがいいだろう」と考えていました。

そんな時に、後に一緒に創業をする川邊(編集部注:現LINEヤフー株式会社代表取締役会長 川邊健太郎氏)が私の大学を訪ねてきたんです。当時青学に通っていた彼が「青学のメンバーだけではインターネットの技術面が分からないから、一緒にやらないか?」と。

そして、1996年12月に電脳隊を創業しました。

「インターネットはもの好きがやるもの」そんな世界観の中、未知数のビジネスに挑戦


大久保:1996〜2000年って今ほどネットが当たり前でない時代ですよね?

田中:そうですね、そもそもビジネスになるかが分からなかったですね。
Yahoo! JAPANが1996年に登場して、電通とソフトバンクがCCIを作って、広告商売ができるようになりました。つまり、メディアを作って広告を売るという世界観ができたんです。

それまでのインターネットには、個人が情報発信できる新しいインフラとしてのポテンシャルはみなさんも感じていたものの、それがビジネスになるっていうところは未知数でしたね。

そもそもパソコンでしかインターネットができないうえにパソコンが高かったんで、誰でもインターネットが使えるかというとハードルが高かった。

当時はインターネットに繋げている間、電話代が従量課金されてしまうので高額になり親に怒られたりしていました。

電話の従量課金ほどは高くない手段でインターネットにアクセスできるようになったのが、1999年に出てきたiモードです。

これが世の中に出てくるまでは、インターネットが今みたいに水のように流れてアクセスできるっていうのからは程遠かったかな、と。

その前はインターネットは物好きな人たちがやってるという世界観だったと思います。

ヤフーに事業売却し、新たなチャレンジを決意。フラクタリストを創設


大久保:電脳隊をヤフーに売却されて、フラクタリストを創業された経緯もお伺いできますか?

田中:携帯上でのインターネットアクセスや、ヤフーのポータルサイトがそんなに充実してなかったので、そこのスピードを急速に上げて行きたいという理由でヤフーから電脳隊の買収の話をいただきました。

電脳隊は学生の間で面白いと思ったメンバーが集まってできた組織です。

学生なりに、モバイルインターネットの黎明期に色々チャレンジして評価いただいたものの、自分たちで単独上場するほど高尚なビジネススキルや考えを持っていなかったんです。自分たちの想像を超える価格で会社を買ってくれるっていうのはいい話だな、と思いました。

それと、自分たちでやってきたことを日本のトップであったヤフーに買ってもらえるっていうのは、ただお金のために終了させるというよりは、発展的昇華になるというか。

モバイルを早くからチャレンジしてきたことを、ヤフーのようなトップの会社に活かしてもらえる形になるので、そういう売却なら前向きな話かなと思ったんです。

そして電脳隊の売却時、私は24歳でした。せっかく腹を括って起業したので、会社に就職するというよりは、それまでやってきた経験を活かしながら、自分のベンチャーを起業したかった。

なので、会社は売るけど、ヤフーには入社しないというのをご理解いただいて、フラクタリストを創業したという経緯です。

大久保:フラクタリストでは、中国移動通信と提携してビジネスを成功させていますが、中国のマーケットは日本以上に大変だったのではないですか?

田中:難しいことは多々ありましたが、97年くらいからモバイルにフォーカスしたインターネット業界の仕事をして、たまたま日本で、それが最先端になったわけですよね。

まだ中国はモバイルインターネットが普及しきってなかったものの、携帯の使用人口で世界一になるっていうのは明らかでした。そこにビジネスを仕掛ければ、チャンスがあるんじゃないかな、という非常に安易な判断で中国に乗り込んでいきました。

実際に、現地の市場で日本のモバイルサイトを案内すると、お偉いさんも話を聞いてくれます。日本で先に経験していて、それをタイムマシンで持っていくという感覚です。おかげで非常に意味のあるポジションが取れたかなと思います。

大変な点は数え切れないぐらいあるんですけど、当時は中国自体が資本主義化していく黎明期で、制度変更が激しいっていうのは大変でしたね。

例えば、中国でインターネットサービスを提供するにはライセンスが必要で、許認可事業なんですよね。そのためライセンスを取得して、中国で会社を作ったんです。

だけど創業半年ぐらいの時期に、課金コンテンツで問題を起こすインターネットベンチャーが出てきて、「資本金が小さい会社は怪しいことをするから、資本金の額が最低で一千万人民元(当時の為替レートで日本円換算すると約1.5億円)ない会社はライセンスを剥奪します」と中国政府が言い出しました。しかも2週間以内に増資しないといけなくて…。なかなか日本では考えられない制度変更のスピードでしたね。

その際は、日本側の事業の運転資金として銀行融資を受けて、それを中国に送って増資をする、みたいな。綱渡りみたいなことをして、なんとかライセンスを剥奪されずに継続しました。そこは、本当に苦労したところですね。

大久保:フラクタリストは株式上場もされてますよね?

田中:そうですね。日本の方は2006年に。ライブドア事件の直後だったんで、マザーズが完全にクローズしてしまっていたんですが、少なくとも先行市場への上場というのは果たせたかな、と。

モバイルの黎明期に仕組みを作ったのは電脳隊だとすると、フラクタリストは、マーケティングやビジネスアプリケーションとしてインターネットを利用していく、というところに一役買えたのかなと思っています。

加えて、中国のフラクタリストも上場でき、日中共にモバイルマーケティングというテーマで上場できました。

クロスシーとY!mobileを立ち上げ。単価の高い通信ビジネスに改革を

大久保:そして、いよいよ2010年にクロスシーを創業されると。これは、どのような経緯で創業されたんですか?

田中:日本のフラクタリストが上場した後、業績が苦しい時もあったんですが、NGIグループとの資本提携やIoT領域の研究開発事業の撤退など業態の転換を進めて黒字回復まで持っていったんで、創業者としてやりきったと感じました。

そんな時、ちょうど2007~2008年にiphoneが出てきました。スマートフォンっていう概念が徐々に出てきている中でデバイスのトレンドが変わると、アプリケーションやビジネスのトレンドも変わるし、入れ替わっていく。

その中で、フラクタリストをやるのか、スマホという新しいものをやるのか、どっちをしようかって考えたんです。そして、ガラケーの時代の、モバイル広告とマーケティングの世界観の中で自分がやるべきことはやったかな、と。起業家としての役目は果たしたかなと思いました。
2010年にフラクタリストジャパンからは卒業したので、クロスシーを設立した、というところですね。

そんな中、ヤフーの社長が宮坂さん(編集部注:現東京都副知事 宮坂学氏)に代わり、一緒に電脳隊を創業した川邊が副社長になったんです。川邊からYahooの新体制でのベンチャー経営者の経験を活かす参画を期待されて、「兼業でもいいから入らない?」と誘われました。

もともとサラリーマン経験もしてみたいと思っていたし、新しいチャレンジもできるから、クロスシーとの兼業の許可を得て2012年にヤフーに入社しました。

大久保:面白いですね。起業しながら、ヤフーにも関わりながら。

田中:ヤフーに入って間もない頃は、精力的にやらないとと思っていて、特に2014年のY!mobileの立ち上げの時は、担当役員もやっていました。

なので、本格的にクロスシーの事業が動き出すのは2014年ぐらいからですね。

大久保:ヤフーの通信事業の立ち上げや、Yahoo! BBなどはすごく大変だったとお伺いしたことがあるのですが、そこにいらっしゃったんですよね?

田中:いや、私はその時はフラクタリストにいたので、やってないんですよ。

私がやったことで言うと、Y!mobileを2014年に立ち上げたのですが、その時のヤフー側の責任者をしていました。ドコモ・au・ソフトバンクっていう単価の高い通信ビジネスの価格帯をもっと下げて、ヤフーのブランドをつけてどうにか提供できないか考えました。

結果、現在では1,000万人くらいの会員がいて、スマホの通信サービスブランドでいうと、トップ水準の利用者数になっています。

それを立ち上げたのは自分のやりがいにもなったし、実績にもなったかな、と思っています。

大久保:何かがあると声が掛かるような立ち位置にいらっしゃるのかな、と思ったんですけど、どうですか?

田中:ダウントレンドだったり課題があるビジネス領域について起業家スピリットでターンアラウンドできるんじゃないかって期待をいだき、担務に振られることありましたね。

ガラケー時代に月額課金のビジネスは経験があるので、そのようなビジネスモデルに関しては、総じて自分が巻き取るって言う感じでやってきました。

まあ、それが結局、Yahoo!プレミアム会員やGYAO!、LINE MUSIC、LINE GAMEなどを立て直したり、整理したりということに繋がっている気がしますね。

インバウンド需要はモノ消費からコト消費へ変化

大久保:クロスシーではインバウンド系なども手掛けられていると思いますが、コロナ前後でのご状況はいかがですか?

田中:そうですね、とにかく日本のいいものを中国の方々に届ける、ということを自分がライフワークとしてやりたいっていうのが、2003年から中国で起業したFarctalistChinaを創業した私のビジネスの思いであり、根幹になります。

コロナ中は中国の方が日本に来れず、インバウンドが成り立たないので、非常に厳しい時期を迎えました。主力のインバウンドの集客にお金を使うデパートも空港もなくなっちゃったので。

中国のショート動画SNSを通じて、日本のいいものを売ろうってことはトライアルしてきているんですけど、日本のブランドが中国のブランドに比べて競争力を持っているとは限りません。

昔は「安心安全のメイドインジャパン」のブランド力があったんですけど、今となっては、中国のブランドの方が魅力的なケースもあるので。

ただ、やっとアフターコロナでインバウンドの観光客も増えてきて、ようやくチャンスを迎えてきているかなという感じはあります。

大久保:中国で消費というと、爆買いみたいなイメージがありました。今はイベントやサービスなどの「コト消費」が進んでいるという話も聞くのですが、いかがですか?

田中:まさにおっしゃる通りで、「モノ消費」は2020〜2022年のコロナ禍に起こり、ゼロコロナ政策で家に篭った中国人が買いまくったんです。なので、家がモノで溢れかえって、新しく買う気が下がってしまいました。

今の中国は景気が後退しているので、不要不急のモノを買うことは明らかに減っています。モノ消費はより競争が厳しくなっていて、コロナ前ほど回復していない。そもそも中国人があまり日本にきていないんです。

その中で、景気が悪くなっても日本に来れるような余裕のある富裕層がいて。そういう方々は既にモノはたくさん持っているから、「日本じゃないとできない体験がしたいよね」とか、明らかにそういう「コト消費」に移ってきています。

メディカルツールや高度医療機器が整っている日本では、中国で体験できないことがたくさんあります。例えば、中国の富裕層が健康診断を1回やるのに50〜100万円くらい払うとか。あるいは、再生医療とか美容医療とか。

自己診療でもお金を払って良い体験をしたいという方々に、適切な情報で有用な体験をしていただきたいという思いで、美容医療や再生医療などの情報発信をしたり、中国からの集客を支援したりしています。

健康美容に限らず、日本の質の高いサービス体験を広げていきたい

大久保:日本の美容や医療は、中国から見ても進んでいるんですか?

田中:内容によるんですけど、やっぱり「安心・安全」であったり、健康診断の制度っていうのは、中国より進んでいる部分があります。

日本に比べて、アメリカの方が人間ドッグとかは進んでいるんですが、遠いじゃないですか。飛行機で時間もお金もかけてアメリカに行くより、日本で受けておくというニーズはすごいニーズがあるな、と感じています。

特に再生医療は発展途上の技術なので、より安心安全を気にしますよね。自己幹細胞の注入は、日本では法律で許されているんですけど、中国では禁止されているんです。

アンチエイジングや再生医療を自己検査でやりたいというニーズに関しては、日本に来ないとできないという事情もあって、その需要には対応していきたいなと思っています。

大久保:御社の今後の展望を教えてください。

田中:引き続き、富裕層を中心に中国の方々へ日本でのサービス体験を広げていきたいですね。

健康美容のみならず、コト消費は広がっていくと思うので、日本でしか体験できない質の高いものを紹介していく事業にチャレンジしていきたいです。

大久保:創業手帳の読者に向けて、一言メッセージをいただけますか。

田中:私が起業をした30年前に比べて、今は圧倒的に追い風だと思います。私も引き続き起業家として頑張っていきたいと思っています。初めて起業される方や、これからチャレンジされる方は、30年前では考えられないようなチャンスが広がっているかと思いますので、一緒に未来を作っていきましょう。

人々が笑顔で楽しめる社会を作るために、一緒に切磋琢磨してやっていけたらいいなと思います。

創業手帳(冊子版)では、さまざまな起業家のインタビューを掲載しています。無料での配布になりますので、ぜひお気軽にお問い合わせください。

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(取材協力: 株式会社クロスシー 代表取締役 田中祐介
(編集: 創業手帳編集部)



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