REBORN皆木 研二|自己資金のみで起業し3年でエグジットした起業家の戦略とは?
時代の変化を読み、自分で設計したものを形にしてくれる最適な作り手を探し出そう
27歳の時に動画広告会社のプルークスを創業し、3年後にKDDIグループに売却した皆木さん。子会社の社長を務めた後、ブランクを経てREBORNを第二創業。高級日本酒ブランドである「MINAKI」を立ち上げました。
またスタートアップ企業への出資も積極的に行っています。そんな皆木さんに、創業手帳代表の大久保が起業に至るまでの経緯やM&Aの際に気をつけること、会社が生き残るために必要な要素などについてお聞きしました。
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株式会社REBORN 代表取締役
Deloitteグループに新卒入社。2015年動画広告会社のプルークスを創業し、立ち上げ3年でKDDIグループのJCOMへ売却し、J:COMグループ会社の社長に就任。退任後、Bリーグのライジングゼファー福岡の共同クラブオーナー兼社外取締役として、クラブ運営や地方創生に従事。国内外の飲食業界を中心としたスタートアップ企業へ11社出資。
2021年にREBORNを創業し、日本酒ブランド事業「MINAKI」を運営。
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計250万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら
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この記事の目次
時代の変化とニーズを読むことの重要さ
大久保:皆木さんは第一創業でプルークスという動画広告の会社を立ち上げ、それを売却して現在は第二創業で日本酒の会社を経営されています。まず一社目の起業をされるまでの経緯を教えてください。
皆木:実家が会社を経営していたので、いつかは起業したいという思いは小さな頃からありました。
小学生から中学生にかけてカードゲームに熱中していたのですが、カードを安く仕入れてトレードすることによって自分のカードの価値を高めていくというプロセスを楽しんでいました。その際に大人と交渉したりコミュニケーションを取ることが多く、「ビジネスって面白いな」と感じたことから起業をより意識するようになりましたね。
大学に入り、2年生のときに「BNGパートナーズ」という会社が創業した直後にインターンとして参加させていただき、人材紹介の業務を担当しました。
大久保:少人数で立ち上げ直後ということで、学ぶ物は多かったですか。
皆木:そうですね。ビジョン経営、社長の考え方、仕事の獲得方法、商談、マネジメントなどを間近で学べたのは非常に勉強になりました。大学3年生まで合計2年間、人材紹介や求職者のキャリア面談、新規事業など、朝から晩までフルコミットしました。
起業する前に一度組織を見てみたいと思い「トーマツイノベーション」に就職。人事・経営コンサルタント案件の取得を担当しました。お客さまは社長が多く、具体的な仕事内容としては経営全般のコンサルティング、その中でも人事コンサルティングを支援していました。
大久保:トーマツさんはアグレッシブという印象があります。こちらでの体験は起業にどのように活きましたか。
皆木:大企業の組織の仕組みやビジョン経営を体感することができ、だいぶ自分が起業するイメージができましたね。
その後、27歳のときにプルークスを創業しました。
創業した2015年は「動画元年」といわれていて、動画の制作や広告が一気にデジタルにシフトしたんです。
従来のテレビ制作のやり方でウェブの動画を作ると、大規模すぎて小回りが効かず、うまくいっているとは言い難い状況でした。
ちょうどランサーズやクラウドワークスなどのクラウドソーシングが流行っていた時代で、クラウドソーシングと動画広告制作を組み合わせるというテーマで起業しました。
大久保:起業をしてみていかがでしたか?
皆木:自分たちだけでなく、周りのスタートアップも同じ業界に参入してきていて、数十億もの資金調達をしていた会社もありました。
ただ、「外部の資本を入れずに自己資本100%でやっていこう」という自分のポリシーがあったので、資金調達はせずに戦略を練りました。
広告は打てないし採用もできないので、まずはひとりで自宅で会社をスタートしました。他の会社は代理店の下請けで動画制作をしているところがほとんどでしたが、僕は電話で直接アポイントを取ることから始めました。
1日に100件ほど架電して、例えば5件アポイントが取れたら、直接お会いして案件を取ってきて、次にそれを作ってくれるフリーランスの方を探しました。
自分は営業と動画のクリエイティブの企画しかできないので、まずは検索して一件ずつメールして開拓をするところから始めました。そうするとかかる費用としてはほぼ僕の人件費しかありません。
売上げがどんどんプラスになっていき、クリエイターネットワークも数百名になりました。年間で500社以上と商談しましたが、年商1億までは社長は8割を営業に時間を割くべきです。
次のステップとして人材を採用し、広告費がかからない且つ良質な案件を獲得するためにSEO対策に力を入れました。半年で自社Webサイトが1ページ目に来るようになり、1年で「動画制作」「映像制作」「採用動画」などの動画まわりのキーワードで常に上位に表示されるようになりました。
そこからは月100件以上問い合わせが来るようになり、広告が不要になりました。社員もどんどん雇い、急拡大していきましたね。
大久保:限られたリソースの中でできることで勝負されているのが素晴らしいです。向こうからどんどん問い合わせが来るような仕組み作りに成功されたんですね。
皆木:人材やコンサルという他業界からきたので、かえっていろいろな部分がよく見えたということはあったかもしれないですね。制作会社って当時はSEO対策もしていなければ、サイトも古いし、自社で作った動画制作の実績を全然公開していなかったんです。
それではどんなクリエイティブを作ってもらえるか、お客さんはわからないですよね。逆に自分たちはポートフォリオを次々に公開していました。
大久保:クラウドソーシングが出てきて、動画がデジタルに変化してという時代の流れをうまくつかんだということですね。
皆木:そうですね。その変化に気づくためにも、業界に染まりすぎずに外から見る、客観的な目を持つということは大事にしています。
M&Aで会社を売却する際に気をつけることは?
大久保:そのプルークスをM&Aされていますが、それはどういった経緯だったのですか。
皆木:創業して3年ちょうどで売却したということになりますね。起業後2年半のタイミングで、J:COMさんからオファーをいただき、M&Aを考え始めました。
元々売却するという気持ちはなく、どこかのタイミングで上場はできたらと思っていましたが、お話をいただいてからM&Aに関する本を読んだり、起業家の友人に話を聞いたりして、条件が合えば進めてもいいかなという気持ちになりました。
その背景として、自社単独だとどうしても同業他社の中でトップになりにくいため、1番になるためにはどこかの力を借りることも必要と感じたからです。大きな資本力やアセットを使えることで、会社としてもっと伸びていくだろうなということで決断しました。
大久保:交渉はどのように進んだのですか。
皆木:価格交渉においては、ロジックをきちんと組んで妥当性をしっかり見てもらうことが肝心だと思います。先方の事業計画にぴったりハマったというのも大きかったですね。
こちらから売り込むとどうしても足元を見られてしまうので、先方にとって「買うことによってシナジーが生まれるから欲しい」という状態が望ましいです。
また、できたら1社単独ではなく、複数社比較して交渉をしていくのがポイントです。何事も競争させることは大事ですからね。
大久保:M&Aするという情報開示をした後に交渉に失敗して、やっぱり決裂した、となると困りますよね。
皆木:そうですね。一度M&Aに気持ちがスイッチしてしまうと、売れなかったときに気持ちが戻れなくなってしまうので、なんとか成功させなくてはという意味ではプレッシャーはありました。
株を創業メンバーに渡している場合など、役割分担できるならまだいいですが、創業者ひとりで交渉を進める場合はリソースが半分以上持っていかれるので、半年以上やってダメだったとなると売上げも下がるしメンタル的にもダメージがきていたと思います。
大久保:M&Aされたときはどのぐらいの規模だったのですか。M&Aの前に気をつけた点などあれば教えてください。
皆木:その時点で社員が15名ほどいました。もともと僕がいなくても仕事に支障がないようにしていましたが、M&Aの後はそれをより意識しましたね。「どのクリエイターの作品がいい」「このクリエイターにはいくらで発注した」などの情報は非常に属人性が高かったため、クリエイターデータベースを作り、過去の実績や依頼した金額、ポートフォリオなどの情報を全部システム化しました。その後はどのメンバーでも発注できるようになり、仕組み化して本当によかったと感じました。
大久保:気をつけているつもりでも細かい仕事は属人化しがちなので、仕組み作りは大切ですね。
皆木:起業後2年目ぐらいに、ある部署を部長に任せようとしたとき、僕の属人性をそのまま引き継いでもそれは彼の属人性になってしまうだけだと気づきました。
そのときから属人的な引き継ぎをするのではなく、システム化してどのスタッフでも使えるようにするということを意識するようになりました。
M&Aのときも「皆木さんが辞めたらどうなるんですか」ということを心配されたんですが、仕組みをしっかり作っているので仮に創業メンバーが離脱しても支障をきたさないことを説明し、理解していただけました。それもM&Aへの後押しになったと思っています。
大久保:M&Aの後はいかがでしたか。
皆木:社名は変更せず、働く場所もそのまま、親会社のオフィスへの出向も最低限でということをM&Aの際にお願いし、M&Aの前後でなるべく環境が変わらず社員が今まで通りに働くことができることを意識しました。
どうしても親会社と社風がまったく同じというわけではないので、反発もありましたし辞めていった創業メンバーもいましたが、ある程度は想定内でした。
メンバーが減ってからは親会社からもう少し出向を入れたいといわれて、人員を補強しつつ組織をどんどん作っていったという感じですね。
給与制度を整えて給与が上がるようにする、バックオフィスを整える、研修を実施するなど、M&Aでのメリットもメンバーに感じてもらえるように工夫しました。
M&A後2年半が経ち、売上げが順調に伸びていて、自分がいなくてもちゃんと仕事が回ってきたなと感じたタイミングで退任させてもらいました。
自分が好きで海外に誇れる文化である日本酒で第二創業
大久保:その後第2創業で現在のREBORNという会社を立ち上げ、「MINAKI」という日本酒ブランドを作ったのですよね。日本酒という分野を選んだのはなぜですか。
皆木:純粋に自分が好きで、マーケットの流行に関係なくずっと続けられるビジネスをしたいという気持ちがまずありました。
そこで日本が誇るべきものは何だろう?と考え、和食や日本酒がキーワードとして浮かびました。
日本酒は国内でのマーケットはシュリンクしていっていますが、逆に海外は伸びています。退任して1年ぐらいで国内外のさまざまな場所を旅し、地方の旅館・ホテルや全国の酒蔵やワイナリーを巡りました。
そこで気づいたのが、高級レストランやホテルに置いてあるワインやシャンパンは非常に高級なものがあるのに、日本酒となるとボトル2000円〜3000円のものしかないということです。ギフトなどにも最適な、特別な日本酒へのニーズがあると感じました。
「日本酒がその価値に対して安すぎる」という課題を解決し、日本酒の市場規模を拡大させるためにグローバルラグジュアリーブランドを目指して起業することを決めました。
大久保:日本酒というのは、どうやったらおいしいものが作れるんですか?
皆木:酒米の品質がまずひとつ、あとはお水やその酒蔵に常在している酵母の違いもありますが、作る人の腕や力量が大きいです。同じ材料でも作る人によって全然違う日本酒ができるんですよ。
現在は新規で製造免許を取得することができないので、新たに日本酒作りをしようと思ったらM&Aをして製造免許を獲得するか、海外で製造して逆輸入するかの2択になっています。我々はそのどちらでもなく、ファブレスという形態で信頼できる酒蔵に委託醸造するという方法をとっています。
まずは私が味や酒質の方向性を設計して全国を回り、最初に発売した純米大吟醸酒「極幻 GOKUGEN」は山形県鶴岡市、次に発売したドライスパークリング日本酒「珀彗 HAKUSUI」は青森県八戸市の杜氏さんにお願いして一緒に作っています。
ここは以前の仕事とつながるところなのですが、自分が設計をしたものを作ることができる最適な人を見つけ出し、その方にお願いすることが最も重要なポイントだと思っています。 その結果、日本酒に慣れていない方が飲んでも、日本酒のプロフェッショナルが飲んでも、思わず笑顔がこぼれるようなわかりやすさと奥深さを両立させることが、MINAKIの目指す「美味しさ」を実現することができました。
大久保:販路はどのように開拓しているのですか。
皆木:通常であれば、酒蔵が造ったお酒を酒屋さんがさまざまな小売店や飲食店に卸すのですが、高級日本酒となると通常の販路にはあまり期待できません。そこで飲食店やホテルに直接営業もしくはシェフやソムリエさんからのご紹介で開拓をしています。
ありがたいことに、ブランドを創設してから半年で6つの世界的品評会で高評価を得ており、既に国内外の100を超えるミシュラン星付きレストランや5つ星ホテルに導入していただいています。
ここでも仲介会社を通さずに直接お客さんとつながるということを大事にしていますね。
大久保:ファブレスメーカー(生産を行う施設を自社で持たない企業)なんですね。トレンドでいうと、どこでも売られているような日本酒と、入手が難しいものと二極化しているような印象があります。
皆木:認知でいうと、やはり多くの人がその名を知っているというのは強いですよね。例えばエルメスのバーキンやロレックスの時計のように、誰もが認知しているブランドを目指してはいます。しかし現在は非常に小さい酒蔵で醸造しているため、フラッグシップの極幻は年間1000本しか流通できていません。
我々としては認知や品質はもちろんですが、ラグジュアリーブランドとしてお客様に心を豊かにし、世界観やライフスタイルという価値を提供するブランドでありたいです。
大久保:今後の展望はありますか。
皆木:台湾やシンガポール、アメリカなど、海外からの問い合わせも増えてきているので、海外への輸出も強化していき、海外と国内での売上げ半々を目指します。
また、直近では世界的に人気を誇るウイスキーやシャンパンブランドとのコラボレーションも生まれているので、日本酒という枠に捉われない取り組みを積極的にしていきたいですね。
大久保:スタートアップに投資をされているとうかがいましたが、起業家が事業を拡大して、次の世代にお金を出すってすごくいいサイクルですよね。どういった思いで投資されているのですか。
皆木:一番大きいのは起業家が好きで、大きなビジョンを掲げながらも、人脈や実績のないスタートアップをバックアップしてあげたいという気持ちで出資しています。何か課題や問題が起きた時に、経験からフォローするように心がけています。
出資したスタートアップのミーティングに参加したりすることで他のアプローチの方法を学ぶことができ、自社の成長にも活かせます。
最近はビールや食のスタートアップに出資しました。ただ出資するだけではバリューは出せないので、やはり今自身のビジネスに関連する事業を中心に今は応援させていただいています。
大久保:最後に読者へのメッセージをお願いします。
皆木:2回目の創業で感じていることは、波が来そうなマーケットには多くの参入企業が現れるということです。でも現れた10社のうち、9社が撤退したり休眠状態になるケースを多く見てきました。
そこで生き残るために必要なのは、「絶対にやりきる」という創業者の覚悟や熱い思いがあり、それに共感して加わってくれる仲間がいること、そして自分の信じる道を進み続け、発信し続けることです。ホームランを狙わなくてもいい。日々の仕事の地道な積み上げがものをいいます。
大久保の感想
(取材協力:
株式会社REBORN 代表取締役 皆木 研二)
(編集: 創業手帳編集部)
皆木さんが凄いのが戦略的に起業とエグジットを組み立てていること。
そして参考になるのが、最初は圧倒的な行動量で流れを作り、その後、向こうから仕事が来る状況に切り替えることです。
最初は、自分で最初の種火を作らないといけないですが、いつまでも自分で営業しているとスケールしないわけですが、その後仕組みと信頼を作り待ちで仕事が来る状態にするという流れは勉強になりますね。
そして市場の成熟したタイミングでリソースのある大手にエグジット、やりたいビジネスをやるというキャリアの作り方は他の起業家にも参考になると思います。
重要だと思った3つのポイント
1. 最初は行動量でプッシュで突破、次に信頼と仕組みでプルに切り替え
2. M&Aはリソース・シナジーを活かせるかが重要
3. キャリアとビジネスを戦略的に組み立てやりたいことに早く到達