大前研一創設「一新塾」森嶋代表理事インタビュー「レアジョブ」代表など卒業生からのコメントも!
多数の社会起業家を生み出し続ける一新塾の森嶋代表理事に独占インタビュー
(2016/9/14更新)
大前研一氏が創設した「一新塾」という政治・社会・起業の分野で人材を多数輩出している学校をご存じでしょうか?実は創業手帳の代表も一新塾出身で、社会起業家の一大養成機関です。
元マッキンゼー日本支社長で、日本の経営コンサルの草分け的存在である大前研一氏の著作を愛読しているビジネスパーソン・起業家は多いです。
「一新塾」は大前研一氏が創設し、政策学校・社会起業家の養成学校として20年活動を続け、4300人の卒業生を送り出してきました。
政策学校というと、パナソニック創業者の松下幸之助氏が創設した「松下政経塾」が有名ですが、創業手帳で調査したところ、一新塾出身の市長など地方自治体首長は松下政経塾を上回っており意外な一大勢力となっています。
政治家だけでなく、膨大な社会起業家、NPOを生み出しています。
政治家として、史上最年少の31歳で千葉市長に当選した熊谷俊人市長、山口県初の女性市長である久保田后子市長、起業家としてはオンライン英会話事業で最近上場したレアジョブ加藤代表、みやじ豚・農家のこせがれネットワークの宮治社長、創業手帳代表の大久保も一新塾出身で、政策学校だけでなく起業家、特に社会貢献の要素を含んだ社会起業家を多く生み出し続けています。
代表理事・事務局長の森嶋伸夫氏に、社会起業など一新塾についてのお話を伺いました。
一新塾代表理事・事務局長 森嶋伸夫
88 年慶應義塾大学卒、大手住宅メーカーに入社。市民と地域コミュニティの重要性を感じ「一新塾」へ入塾。97年、政策学校一新塾へ転職。2003年NPO法人一新塾代表理事・事務局長。一新塾で4300人の卒業生を送り出し、800の社会貢献プロジェクトを生み出している。一新塾の運営だけでなく、卒業生やプロジェクトのメンターとしても活躍している。一新塾体験セミナーは全国で1000回開催し、10000人が受講。一新塾の詳細一新塾HPはコチラ
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ビジョンの力は理屈を超える
森嶋:19年前に一新塾と出会い塾生となり人生のレールを乗り換えることになりました。それまで住宅メーカーの都市開発部門で9年間くらい仕事をしていました。まちづくりに憧れて、一人ひとりの人生と生活を後押ししたい、という理想がありました。
ただ、実際に自分が思い描いていたまちづくりの仕事と、民間企業におけるまちづくりの仕事に、年を重ねるごとに違和感を感じるようになったのがこの頃です。
そんな時、企画責任者として携わったマンション事業。宅地開発の場合、住民の同意書が必要となります。
ある時、30名以上の方から反対されて、同意書がもらえないと事業がストップになってしまうという時がありました。
一か月間、毎日、何度も門前払いされながらも、全員の方、一軒一軒回り続けました。
期限もあるし「もう駄目だ!」という時に、私は「申し訳ありません。でも、このまちに、こんな生活の舞台を作りたいんです!お互いの人生と生活を支援しあう地域コミュニティを創造したいんです!」と一生懸命ビジョンを語っている自分がいました。
最終的には、30数名の全員の方々から同意書をいただけて、しかも隣接して迷惑をかけてしまう住民の方から「おめでとう。そこまで建てたいなら応援したくなったわ」というお言葉に驚きました。
「ここに建つんだったら引っ越しちゃうよ」とおっしゃっていた大反対の方からも、笑顔で祝福の言葉をいただくことなど夢にも思わなかったからです。
私はその時を境に大きく人間観が変わりました。
理屈で言えば、同意する理由はないんです。
でも「ビジョンの力は理屈を超える」という体験をさせていただきました。
私は、会社を通じて専門スキルを学ばせていただきましたが、市民の人たちから「人はどう生きるべきか?」「社会はどうあるべきか?」に真摯に向きあわせていただきました。
その時に、企業から見たまちづくりでは見えなかった部分が、市民の視点の中に見出せるのではないかなと思いました。
まちづくりを市民の視点で向き合いたい、と思った時に、一新塾との出会いがあったんです。
その時は一新塾が創設された直後。
一新塾に入ってみたら、塾生が地域や業界に風穴を開けようという続々と挑戦している。
そのとき、大きな可能性を直感しました。
個人のひとりひとりの行動が社会を変える原動力になると思いました。
腑に落ちた瞬間でした。
ちょうど、市民の挑戦の後押しをする仕事をやらないか、という話があり一新塾の事務局に入りました。
今19年目になりましたが、塾生の閉塞状況を打ち破る活動が毎年積みあがる中で、当初の直感は、いま、確信になっています。
森嶋:ルーツは大前研一さんの「平成維新の会」ですね。ゼロベースで、日本を「生活者主権の国」にすることを目指した政策提言型の市民運動でしたが、その精神を引き継いで、政策学校という形態で、形を変えてネクストリーダーの人材を育成をしています。
2002年まで、一新塾は、大前塾長による経営でしたが、BBT(ビジネスブレイクスルー)が、上場する時に、大前さんのグループから独立してNPO法人としての一新塾がスタートしました。
世界で活躍する卒塾生たち!
森嶋:一新塾のプログラムは、最初の段階では、社会を広く深く学ぶということをやっています。
一新塾に来る方は、モヤモヤを抱えている方も多いです。言い換えれば「自分の人生と社会との違和感」とも言えるかもしれません。そして、心の奥では、志のうずきのようなものがあり、行動を起こしたいが、最初はどう一歩を踏み出せばいいのかわからない。
そこで、社会を広く深く学びます。多様なバックグラウンドの塾生との議論によって、新しい広い世界が開かれていく。そうした視野を広げるための学びと気づきの講義が用意されています。
その次に、志を生きるロールモデルの講師から学びます。
ロールモデルになる社会を変える先駆者の講師の志を貫く人生に数多く触れます。
そうすると、「こんな生き方もあったのか!」と、自分の狭い世界のタコツボに亀裂が入って、ミッション・ビジョンが垣間見えてきます。
入塾後の3か月間は、全員が自らのミッション・ビジョンの軸を打ち立て、社会問題の分析をしながら、社会を変えるプロジェクトの構想を描く期間です。3か月目に、志が響きあう仲間とチームを組んでプロジェクトを立ち上げます。
そこでは、「政策提言」「社会起業」「市民活動」といったプロジェクト・プランニングの手法を学びながら、豊富なケーススタディーやワークショップとともに、現場で実験しながら1年間続けていきます。
毎週一回の講義で、社会起業家や政治の世界での先駆者の生の話を聞いて、触れ合いながら、プロジェクトを進めていく。ここで生まれた社会を変えるプロジェクトは、すでに800を超えています。
一新塾のコミュニティは今4,300人くらいになり、卒塾後もお互い横の連携も図りながら、年を経るごとにどんどん大きくなっています。
森嶋:当時31歳で、全国の市長として最年少で当選された、千葉市の熊谷市長は、もともとビジネスマン時代、一新塾に通われていました。
政治の道に行くかどうかを自ら問うという期間だったと思います。それで決意されて、卒塾の一ヵ月前に千葉市議となり、その後、千葉市長となって大活躍されています。
政治の道にチャレンジする方では、一新塾出身の現職の国会議員が7名、自治体首長10名、地方議員も100名います。多くが、地盤、看板、鞄なしの、志一本で挑んだ方々です。
最近、やはり一番多いのは、社会起業家を目指す方で、すでに190名を超える一新塾出身の社会起業家が誕生しています。社会の問題解決を自らのミッションに従って、ビジネスのスキルでもって挑戦しています。
例えば、創業手帳のインタビューにも出られていた、みやじ豚の社長の宮治勇輔さん。一新塾で実家に戻って起業するかどうか、最終的な覚悟を問うタイミングに一新塾に入塾され、自分の人生の根っこを掘り下げることもされていました。
つい先週、一新塾で講義してもらいましたが、レアジョブ代表の加藤智久さん。
スカイプ英会話でフィリピンの大学生の講師と日本の受講者をつなげるという仕事です。129円で25分くらい。彼は高校3年生の時に、塾生だったんですが、一新塾で起業家の話を聞いて、起業という道を思い描いて実現されています。
民間企業や公務員などサラリーマンの方など、仕事とは別に、自分の興味のあるテーマで、社会と直接交わりながら、自分自身のいろんな可能性を発揮したいという方が多いです。
例えば週末起業や、NPOを立ち上げたりとか、仕事をしながら、ライフワークとして、もう一つの地域活動をしていく方も増えています。
『政策提言コース』、『社会起業コース』、『市民プロジェクト』という3つのコースがあり、様々なバックグラウンドの人がここに来られます。そして、いろいろ実験しながら、自分の歩む道を定めていきます。
日本社会は、組織の縦割りが現場の隅々までいってますけど、垣根を越えての協働が続々と生まれているのもこの場の特徴です。
市民、ビジネス、公共。
それらを縦横無尽に自ら行き来したり、あるいは、その垣根を越えたところの仲間がいますから、どんどんその垣根を越えてつながることが、新しいイノベーションを起こす原動力になっていると思います。
一新塾で学ばれた方が、どんどん起業家として成長して、先輩として知恵をフィードバックしてくれています。
宮治勇輔さん、加藤智久さんや、医療の世界でイノベーションを起こしている武藤真祐さん。石巻でも新しい在宅医療の取り組みをされており、今はシンガポールに法人を立ち上げて展開されています。
市長や地方議員になった方では、千葉市長の熊谷さん、宇部市長の久保田さん、金沢市長の山野さん、氷見市長の本川さん、柏市長の秋山さん、上峰町長の武広さん、随時、一新塾にお越し頂いて知恵をいただいています。
時代を創る最前線へ!!
森嶋:そうですね。経営的には責任を任せていただいていますが、随時、大前さんには一新塾で起こったことや塾生の活動をお伝えしています。
卒塾生の中でも特に活躍している人は、大前さんも知恵を出して後押しして頂くこともあります。塾全体をいつも見守ってもらっていますし、随時アドバイスしていただく関係はずっと続いてます。
森嶋:そうですね。もともと大前さん自身も都知事選に立候補して、飛び込んでいった経験がありましたが、その後は、人材を育成すると。
森嶋:最も、主体的な生き方は、起業だと思うんです。
本当に自由に自分の、突き抜けたワクワクするビジョンを描いて、仲間と、自分のやりたい形で自由に作っていける。
既存の枠組みでは限界があるかもしれないですが、起業は自分で時代を作っていく。最先端に立てるということです。
小さなモデルでも一石を投じられます。
共感した輪がどんどん連鎖して、創業手帳のように、爆発的な勢いで展開していく。
日本で起業する人がたくさん増えて欲しいとの思いは一新塾も同じです。
森嶋:私自身がサラリーマン時代に、ビジネスやスキル、考え方など、たくさん学ばさせて頂きました。
でも自分の志を、少し埋もれさせてモヤモヤしていた時期もありました。
仕事しながらでも、市民の顔を持つことで、週末だけでもありのままの自分のミッション・ビジョンを生きられます。
一新塾に、私が出会った時に、週末に市民としてミッションを生きることで世界が2倍になったんです。
そうなると、その自分が会社にフィードバックして、会社の中でもいろんな形で社内がより活性化し、社内を変えていく実感がありました。
その意味では今ここに来る人は、ビジネスどっぷりでも、実はもっと、根っこに何かもやもやしたものがあれば、そのミッションを発揮できるといいですね。今の仕事との両立も可能ですし。
あと、志に120%全力投球したいという人は、それは思い切って起業すると、そこにはもう全く違う世界が、可能性が、広がっていくと思います。
市民を生きることで志に目覚め救われた自分が、少しでも恩返しというか、自分の感じたことを、次に続く人たちにお伝えをさせていただきたいというのが、自分の一新塾でのモチベーションの源です。
- 「一新塾」について
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一新塾は、創業手帳やレアジョブなど数々の社会起業家や地方首長を生み出しており、入塾生を募集中。一新塾のプログラムや詳細は下記をチェックしてほしい。
一新塾ホームページ
一新塾生からコメントをご紹介します!
2000年卒・一新塾4・5・6期 深田智之さん
深田智之さん
<創業時期>
2001年 株式会社リゾート・コンベンション企画
2005年 株式会社くつろぎ宿
2014年 株式会社せせらぎ宿
――深田さんのご経歴を教えてください。
元々、都銀系のシンクタンクで大規模公共施設のコンサルティングに携わっていました。
あるとき、毎年7000万円の赤字を出していた高知県須崎市のグリーンピア土佐横浪(大規模年金保養基地)と出会い、一念発起。株式会社リゾート・コンベンション企画を起業し、運営を受託しました。2年目で黒字を達成し、利用者数の3割増や地域振興も実現しました。
次に取り組んだのは、会津東山温泉にある3つの旅館の同時再生です。地域再生ファンドを活用して行いました。徹底的なコスト削減を図り、3館の特色を色分けし、1年半で黒字を達成、3年余りで再生を完了させました。
さらに、2014年7月には、秋田県鹿角市の湯瀬ホテルの譲渡も受け、事業再生に取り組んでいます。
――一新塾に入ろうと思ったのは、なぜですか。
私は、サラリーマン時代に収益の改善提案を仕事にしていました。当時のグリーンピアの13ケ所データをもらって、それを分析・考察して処方箋を書いていました。
あとは誰が責任をもって覚悟をもってやるかという話でした。誰もいないなら、そこがビジネスチャンスだろうなと。
しかも、ハコモノの再生に関しては、グリーンピア以外にもいろんなものがあるので、一つでも成功事例を創れば自分でも横展開できるなと夢を描いていました。地域のいいものを組み合わせて頑張っている人とやりとりできれば、ハコモノ再生をきっかけに地域再生まで発展しますし、日本はもっと可能性があって楽しくてすごいことができると。
でも責任の所在ははっきりしないし、誰もやらないし、しくみがそうなってないし。そういうことで「やってみたい」と思って、当時はまだ若かったので飛び込んで行きました。
――深田さんが一新塾で学んだことはなんでしょうか。
一新塾ではいろんな講師の方がいて、自分は井の中の蛙だったということを自覚したということが一番の学びでした。そして何より、ここでの仲間との出会いで起業することへの勇気が持て「飛び込んでやろう」と思えたことです。それが塾に入ってよかったなと思うことです。
2000年卒・一新塾5・6期 加藤智久さん
加藤智久さん
<創業時期>
2007年 株式会社レアジョブ
――加藤さんが創業された「レアジョブ」について教えてください。
レアジョブはマンツーマンの英会話レッスンをパソコンやスマホを通して提供するオンライン英会話サービス「レアジョブ英会話」を提供してます。フィリピンにいるフィリピン人講師が日本のお客様とSkypeを使って繋がることができて、日本人に欠けている「英語を話す機会」を大量に安く提供しています。
現在、ユーザー数は40万人、講師数4000人、提供レッスン数は1日に14000回まで成長しました。4歳ぐらいの幼児の方から70歳以上の方まで幅広い方に使っていただいています。
――一新塾に入られた理由は何ですか?
私は、高校生の時に一新塾に入りました。その理由は、学校に自分の居場所がないように思ったからです。いじめられていたとかではなく、高校で自分は一体何のために勉強してるんだろうとわからなくなったんですね。
友達に聞いて回ったんですが、「いい会社に入っていい大学に入って」という答え。「いい大学っていい会社って何?」って聞いたんですが、特に答えは返ってきませんでした。よくわからないもののために、一日の時間の大半を割いて受験勉強するっていうのがすごく恐ろしくて。恐怖感と同時に、みんなと同じように頑張れない自分が情けないという「自分を低く見る気持ち」も生まれました。
学校の勉強をする気はなかったんですが、他に何かしようと思って、本をたくさん読みました。落合信彦さんとか、本多勝一さんとか。そして大前研一さんの本に行き当たり、すごく面白いなと思ったんですね。「平成維新」「企業参謀」とか読んでファンになっていきました。ある時、大前さんがやっている一新塾という塾があると聞いて、高校3年生の時に受験勉強の塾には行かずに入りました。
――一新塾では、どのようなことを学びましたか?
一新塾では、バラエティに富んだ講師の方の話を聞きました。映画監督、画家、音楽監督、政治家、起業家、NPOの方…様々な人の話を週一で聞いていくと、分かってきたことがありました。それは、「敷かれたレールを歩く人生」と「自分でレールを敷く人生」の二通りがあるんだなということ。同時に、「なぜ?」って考えてしまう自分は、「敷かれたレールの上を歩く人生」ではないんだなということにも気づきました。
だとすると、自分は講師の方たちみたいに「自分でレールを敷く人生」を歩んでゆくしかないんだろうなと考えました。でもリスクは高いし、そもそも、どうやってレールを敷いていくかが分かりません。
そこで、毎回講師に同じ質問をしました。「なぜ、あなたはそのような人生を歩めたのですか?何が出発点だったんですか?」と。聞いていくうちに、みなさんに共通点があることに気づきました。それは、「20歳前後に原体験を味わっていて、それが人生の進路を決めた」ということです。そして私は、その経験をするために大学に入ることにしたのです。
2004年卒・一新塾13期 宮治勇輔さん
宮治勇輔さん
<創業時期>
2006年 株式会社みやじ豚
2009年 特定非営利活動法人農家のこせがれネットワーク
――宮治さんのご経歴を教えてください。
私は、サラリーマンを辞めて藤沢の実家に戻ってから、家業の養豚農家を継いで10年になります。
親父の代にはどう流通して誰が食べているのかわからなかった豚を「みやじ豚」とブランド化し、直販できる仕組みを構築して顧客づくりのためにバーベキューを始めました。
父と弟が生産、私と妻と母で販売を担当し、多くの飲食店と取引させて頂いてます。
百貨店の銀座松屋さんのお肉屋さんではみやじ豚が購入できますし、ネット販売も行っています。
みやじ豚は2008年農林水産大臣賞をいただいたんですよ。
その一方、「NPO法人農家のこせがれネットワーク」を立ち上げました。これは、実家を出てサラリーマンになった
「こせがれ」を実家に戻して農業を継いでいただく活動で、情報交換する仲間は全国に広がっています。
様々な取り組みを行ってきた結果、農業界最大の課題を「事業承継」と設定しました。そこで2015年9月より、家族経営の素晴らしさと事業承継を円滑に行う手法を学ぶ「農家のファミリービジネス研究会」を主宰しています。
――一新塾に入ったのはどうしてですか?
いつかは起業と思って、社会人になってからも毎朝早く起きて色々な本で勉強していました。
社会人2年目の夏、「そろそろ始めよう」と決意。人脈を拡げ、起業のために勉強しようとビジネススクールに通うことを検討し始めました。
ところが、なかなかしっくりくるビジネススクールに出会えませんでした。そんな中で、「これだ!」と思ったビジネススクールがこの一新塾だったのです。
一新塾は当時NPO法人になったばかりでしたが、大前研一氏の実践哲学に基づくアクションありきの学びができると思い、入塾しました。
――宮治さんが一新塾で学んだことはなんでしょうか。
実は、一新塾に入塾して3ケ月で大阪に転勤が決まってしまったんです。
でも、その時に一新塾「大阪」地域科の立ち上げを任されました。
起業の実践力がつき、大阪でも人脈がたくさんできました。よく考えれば、この経験がその後の活動に大きく貢献していますね。
実家に帰ってバーベキューを始める時も、一新塾での経験が生き、バーベキューの参加者を募るときにも役立ちました。
「一次産業を、かっこくよくて・感動があって・稼げる3K産業に。」の理念が閃いて、実家に帰ることを決めて一新塾に出会いました。
そこから実際に会社を辞めるまで、1年10ケ月かかりましたが、覚悟を決めるために必要な時間だったと思います。
(取材協力:一新塾/森嶋伸夫)
(編集:創業手帳編集部)