監督 谷津 賢二|65万人以上の命を救った中村医師の功績と信念(中編)

創業手帳

医師でありながら「井戸」や「用水路」建設の土木工事も自ら行いアフガニスタンに「健康と平和」をもたらす

©︎日本電波ニュース社

ハンセン病患者の治療、井戸や用水路の整備は誰かがやらないといけない課題でありながら、誰も率先して行おうとしなかった。このように誰もやらないことを積極的に行い、自ら現場で指揮を取り、パキスタンやアフガニスタンの復興に貢献されたのが「医師 中村 哲さん」です。

この中村医師を題材にしたドキュメンタリー映画「劇場版 荒野に希望の灯をともす」を制作された谷津監督と創業手帳の大久保が対談し、ドキュメンタリー映画の制作、中村医師の功績、中村医師の生き様から学ぶリーダーシップ論についてお聞きしました。

記事の中編では、中村医師が診療所だけでなく、井戸や用水路を建設された経緯や功績についてのインタビューをお届けします。

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中村 哲(なかむら てつ)
医師/ペシャワール会現地代表/ピース・ジャパン・メディカル・サービス総院長
1946年福岡市生まれ。1973年に九州大学医学部を卒業後、国内の病院勤務を経て、1984年にパキスタン北西辺境州の州都ペシャワールのミッション病院に赴任。以来、貧困層に多いハンセン病や腸管感染症などの治療に始まり、難民キャンプや山岳地域での診療へと活動を広げた。さらにアフガニスタンで頻発する干ばつに対処するために、約1,600本の井戸を掘り、クナール川から全長25.5kmの灌漑用水路を建設した。約17年間かけ建設した用水路群の水で65万人以上の命が支えられている。2019年12月4日にアフガニスタンのジャラーラーバードにて銃撃され死去。

谷津 賢二(やつ けんじ)
映画監督/カメラマン
1961年栃木県足利市生まれ。立教大学社会学部卒業後、テレビニュース業界で働く。94年に日本電波ニュース社入社。95年から98年まで日本電波ニュース社ハノイ支局長。登山経験を活かし、ヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、タクラマカン砂漠など、辺境取材を多数経験。1998年~2019年アフガニスタン・パキスタンで中村哲医師の活動を記録。これまで世界70か国以上で取材。

インタビュアー 大久保幸世
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計200万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら

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パキスタンのペシャワール・ミッション病院に赴任し「ハンセン病」を担当

<©日本電波ニュース社>

大久保:中村医師がパキスタンやアフガニスタンでやられていた事業について教えていただけますか。

谷津:中村医師が最初に赴任したのは、1984年にパキスタンのペシャワール・ミッション病院(以下、ミッション病院)でした。

当時、ペシャワール市内の病院には、失業するほど医師が多いのにも関わらず、ハンセン病診療に関わる医師は不足していました。そこで、中村医師にも病院から依頼あり、ハンセン病を担当することになったようです。

大久保:ハンセン病の医師が極端に足りていなかったのですね。

谷津:ハンセン病には様々な症状があるようですが、手足に感覚麻痺を起こすこともあるようです。当時のパキスタンには、壊れた履物を修理しながら使っている方が多く、足の怪我を避ける方が難しい過酷な環境だったようです。

足の感覚があれば、怪我をしたら治るまで安静にして、傷が癒えるのを待ちます。しかし、足の感覚がないと、患部を痛め続けて、最悪の場合は足を切断することもあったようです。

大久保:中村医師はそのことにどのように対処されたのですか。

谷津:この問題を解決するために、中村医師はミッション病院内にサンダル工場を作り、履物を配布しました。これが功を奏して、足を怪我する人が減り、切断手術も激減したそうです。

「ダラエヌール渓谷」にアフガニスタン国内診療所第一号を開設

大久保:中村医師はアフガニスタンでどのような医療行為をされましたか。

谷津:中村医師は「ハンセン病診療」と並行して「アフガニスタンの山村無医療地区におけるモデル診療体制の確立」を大目標に掲げられました。

内乱が下火になったのを見計らって、1992年にアフガニスタン国内診療所第一号がクナール河の支脈にある「ダラエヌール渓谷」に開設されました。

大久保:なぜ中村医師は「ダラエヌール渓谷」を選ばれたのでしょうか。

谷津:アフガニスタン人ハンセン病患者の約半数以上がクナール河沿いの住民だと言われており、その70〜80%は「ダラエピーチ」という場所でした。

ここに隣接するという理由もあり、「ダラエヌール渓谷」が選ばれたようです。

清潔な水があれば救える命が多いとわかり「井戸」と「用水路」を建設

<©日本電波ニュース社>

大久保:中村医師が井戸や用水路に着手されたきっかけは何ですか。

谷津2000年にアフガニスタンで大旱ばつが顕在化したことがきっかけだと聞いています。

ダラエヌール診療所の患者のほとんどが、「十分な食料」と「清潔な水」があれば防げるものだったようです。

そこで、村人を集めて井戸を掘る作業を始めたようです。

大久保:井戸を掘るだけではなく、用水路建設にも着手されたのはなぜでしょうか。

谷津井戸を掘り「飲料水」を確保するだけでは「農業」ができないからです。

大干ばつが起きる前は、多くのアフガニスタン人が自給自足をする農村で暮らしており、その農村で農業ができないのは致命的だったのです。

農村の回復こそがアフガニスタン人の「健康と平和」の基礎だと唱えられて、砂漠化した田畑の回復を目的とした「用水路建設」のプロジェクトが開始されました。

大久保:アフガニスタンの平和のためにも「水」が必要だったのですね。

谷津:強盗や泥棒は世界中どこにでもいます。しかし、アフガニスタンでそのような行為をする人の動機の多くは「子供がお腹減って家で待っているから」というものだと言われています。

そして、それを許すような風潮がアフガニスタンにはあるので、その方が健全ではないか、と中村医師はおっしゃってました。

現地で建設・修復がしやすいように江戸時代の治水設備「山田堰」の技法を採用

<©日本電波ニュース社>

大久保:建設機器も資材も限られた中で、中村医師は用水路建設はどのように進められていましたか。

谷津:中村医師は江戸時代に作られた治水設備「山田堰」を参考にして、アフガニスタンでの用水路建設に着手されました。

大久保:先進国の整った環境とは異なるため、あえて江戸時代の技法を参考にされたのですね。

谷津:おっしゃる通りで、中村医師は目先の成果だけでなく、持続可能な運用ができることを重視していました。

なので、設備が壊れた時に、アフガニスタンの方々が自分たちで、アフガニスタンで入手できる素材で修理できるやり方を採用していました。

もし大手ゼネコンが入って、近代的なやり方で作ったとしても、壊れたら放置されてしまうのです。

そのため、現地の人がわかるやり方で、手作業で設備を作り上げてきた彼の凄さがわかるかと思います。

大久保:今後、農業を回復させるという目的を考えても、自然と共生しやすい方法なのかもしれませんね。

谷津:自然から欲しいまま資源を取ると、限りなく黒に近いグレーしか残らないと言われていました。

「山田堰」が持っている発想は、一部を自然から恵んでいただいて、残りは全部自然に返すということなのです。

二百数十年前の江戸時代の技術は、図らずも現代の「持続可能社会」に通じる考え方のもとに生まれ、運用されていたのだと思います。

そんな発見があり、中村医師は日本の古の技術に大いに感心していました。

緑のある生活を取り戻した土地に起きた変化は「音」

大久保:実際に用水路が完成して、砂漠化した土地に農業用水を引いた結果、どのような変化がありましたか。

谷津:中村医師は、砂漠化していた土地に用水路を掘って水を引き入れ、かなり広い土地に緑を取り戻したのです。

2019年に私も撮影に行ったのですが、丘に登って土地の変化を眺めに行った際に、印象的だったことがあります。

その土地に緑が戻る前は、誰もそこで暮らしている人はいないので「生活の音」は全く聞こえませんでした。

しかし、緑を取り戻してから10年ほど経ち、少しずつその地に人が戻り始めて、子供の遊ぶ声、大人が誰かを呼ぶ声、鶏の鳴き声など、命の営みが音となって聞こえてきました。

人の生活が戻って「音が良いですね」と話すと、中村医師もニコッと笑っていました。

この音についての描写は、ドキュメンタリー映画「劇場版 荒野に希望の灯をともす」にも映像があるので、是非映画館で注目していただきたいです。

合計450日以上も同行して感じた中村医師の印象

大久保:間近で取材をされて、中村医師はどの様な印象でしたか?

谷津オンとオフがしっかりされている方で、オンの時の気迫はすごいものでした。特にオンの時の「目つき」は、オフの時とは全く違います。

また、「一つのことに捉われない」という印象もあります。

何かをやっていた時に、基本方針とは違うやり方をしなくてはいけないという時にも、ものすごいスピードで試していました。

大久保:映画の中でも中村医師の「目力」が特に印象的でした。

谷津:中村医師は、良い意味で「越境者」だと捉えており、何かの壁や線をすっと超えるところがあります。

国境を超えるということだけでなく、日本人でありながらアフガニスタン人の輪の中に飛び込んだり、医師でありながら土木技師のようなこともやったりと、その場で必要なことは行動に移す方です。

その時どうすることが最善なのかを多角的に判断し、実行されているように思います。

大久保:アフガニスタンを復興するためには何が必要ですか?

谷津アフガニスタンは40年以上も戦争状態にあったので、「自分たちで何かを作る喜び」を忘れかけている方が多いように感じます。

自国で食料を生産しづらくなっており、そこに大国が次々と援助をしていくため、「誰かが何かを持ってきてくれる」という悪循環になってしまっている恐れがあります。

そこで、中村医師は一方的に支援するのではなく、「アフガニスタン人と一緒にやる」という方針を徹底していました。

それがアフガニスタン人に「自分たちのことは自分たちでやっている」という誇りを感じさせたようです。

中村医師はそれを「民衆の自立性」とおっしゃってました。

「利他」の意識を持って働くことの重要性

大久保:持続的な成長には、現地の人たちが自分でできることを増やす必要がありますね。

谷津アフガニスタン人の気質として「自分たちのことは自分たちでやる」と思っているところが好きだと、中村医師はおっしゃっていました。

昔は日本でも、みんなで橋を掛ける時は「橋普請」と言って、利害関係抜きに人が集まり、みんなのために協力するということもやってました。

東京工業大学で研究機関を立ち上げ、利他とは何かを研究している、「ジャック・アタリ氏」という哲学者が「利他がないとこの世界では生きていけない」と提唱しています。

人間は何かしてもらったらお返しをしなくてはいけないと思ってしまうため、「一緒にやる」ということを一貫して行ってきた中村医師は、本能的に「利他」のことを理解していたように感じました。

大久保:谷津監督が今回の映画を通じて伝えたいメッセージがあれば教えていただけますか。

谷津:私が今回の映画を通じて伝えたいことは、中村医師の生き方から「他者とどう関わって生きていくか」「他者のためにどう生きていけるか」ということです。

全人類がコロナ禍に苛まれ、物理的にも精神的にも、「分断」や「孤立」という苦しみが露わになりました。働き方もリモートワークが増えて、誰と仕事をしているかわからない、という違和感を感じている方が増えています。

このような時代になったからこそ、「自分ファースト」では生きていけない時代になったと思います。

大久保:営利事業を行う企業が多い中で、「利他のことも考えなければ長続きしない」ということを私も感じています。

谷津:中村医師も「働く」ということは、誰かのために何かをしてあげることだと、おっしゃってました。

中村医師は、そういう意識を明確に持って、働かれていたのだと思います。

中村医師が掲げる「誰も行かないところに我々が行く」という方針

<©日本電波ニュース社>

大久保:中村医師の本に「誰もやらないから我々がやる」という好きな言葉が書いてありまして、それはスタートアップにも通ずる言葉だと感じております。

谷津:中村医師は「誰も行かないところに我々が行く、誰もやらないことを我々がやる」という方針を掲げています。

これはアメリカの女学校の先生、メリー・ライオンさんという方が遺した言葉で、内村鑑三が感銘を受け著書「後世への最大遺物」の中で紹介しています。

大久保:中村医師の生き方に強く反映されているように感じます。

谷津:中村医師は「企業の重要性」を理解されている方だったように思います。

内村鑑三氏の「後世の最大の遺物」には、「勇ましく高尚な人生こそが後世に遺すべきことで、皆ができること」だと記載されており、中村医師もまさに、これを強く意識した生き方だったと思います。

ドキュメンタリー映画「劇場版 荒野に希望の灯をともす」は、取材者としての私が受けた印象を伝えているので、映画を観ていただいた方々には、中村医師の著書もぜひ読んでいただき、中村医師の言葉を直接感じ取っていただきたいと思います。

冊子版創業手帳では、海外で活躍する起業家のインタビューを多数掲載しています。web版と合わせて、ぜひご覧ください。

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