ユーグレナ 出雲 充×監督 谷津 賢二|退路を断って社会課題の解決に取り組む「リーダーの共通点」とは
「ソーシャルビジネス」と「ボランティア」という異なる側面から取り組む社会貢献の形
世界中で解決が急がれる社会課題へ、ユーグレナの出雲さんは「ソーシャルビジネス」として取り組んでおり、中村医師は「ボランティア」として取り組み続けました。
お二人とも取り組むエリアや内容は異なりますが、退路を断って社会課題に取り組むリーダーとしての姿には多くの「共通点」があります。
そこで今回は、社会課題に取り組むリーダーの共通点や、大切にしている考え方について、ユーグレナの出雲さんと、中村医師を21年間も取材し続けたドキュメンタリー映画「劇場版 荒野に希望の灯を灯す」の谷津監督をお迎えし、創業手帳の大久保が鼎談しました。
株式会社ユーグレナ 代表取締役社長
1980年広島県生まれ。東京大学農学部卒業後、2002年東京三菱銀行(現 三菱UFJ銀行)入行。2005年株式会社ユーグレナを創業。世界初の微細藻類ユーグレナ(和名:ミドリムシ)食用屋外大量培養に成功。第1回日本ベンチャー大賞「内閣総理大臣賞」(2015)、第5回ジャパンSDGsアワード「SDGs推進本部長(内閣総理大臣)賞」(2021)受賞。著書に『僕はミドリムシで世界を救うことに決めた。』(小学館新書)『サステナブルビジネス』(PHP研究所)
映画監督/カメラマン
1961年栃木県足利市生まれ。立教大学社会学部卒業後、テレビニュース業界で働く。94年に日本電波ニュース社入社。95年から98年まで日本電波ニュース社ハノイ支局長。登山経験を活かし、ヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、タクラマカン砂漠など、辺境取材を多数経験。1998年~2019年アフガニスタン・パキスタンで中村哲医師の活動を記録。これまで世界70か国以上で取材。
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計250万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら
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この記事の目次
谷津監督が感じたユーグレナ出雲さんと中村医師に重なる考え方
大久保:中村医師は、アフガンで医療だけでなく用水路で食料と仕事を作る仕事をはじめ65万人もの命を救いました。谷津様は中村医師に触発されて20年間追い続け、ドキュメンタリー映画を制作されています。
出雲様も起業の経緯でムハマド・ユヌス氏が途上国の栄養不足の解決に取り組まれていることに触発されたというお話を伺いました。
今日はそんな途上国と食料、偉大な先人に触発されたというお二人にお話をお伺いしたいと思います。
谷津:出雲さんの書籍で、これまでのご経歴を読ませていただきましたが、中村医師の思索や行動し残されたことと、重なるところがありました。
出雲さんは、18歳の時に訪れたバングラデシュでの体験がきっかけで、社会課題を解決したいという思いを抱き、一直線に今の事業に向かってこられたと思います。
私が知っている中村医師もそういう方で、医者になって、人の命をどう救うか、ということに対して、非常に早い時期から一筋に目指してきた方です。
この「心に秘めたことを実現させた」という点が、中村医師と出雲さんの重なる部分だと感じました。
出雲:恐縮すぎて、言葉もありません。
私には2歳違いの弟がいますが、彼とは一度も喧嘩をしたことがありません。
そんな彼が高校生の時に「僻地医療をやりたい」と言い出し、そのまま医者になりました。
私は自分の血すら見ることができないため、ユーグレナ(和名:ミドリムシ)という小さいものしか扱えませんが、みなさまが健康になれるような事業を行っており、今ではバングラデシュでも仕事ができるようになりました。
中村医師の「谷津さんはジャーナリストじゃなかもんね」という言葉の真意
出雲:ドキュメンタリー嫌いと言われる中村医師に、どのようにして谷津監督が選ばれたのですか?
谷津:中村医師が所属されているNGOに連絡をして、取材依頼を相談していましたが、その場で判断することはできない、と保留返答をもらっていました。
中村医師は取材をあまり好まないと、NGOの方から聞いていたからです。
その直後、1998年1月に中村医師が帰国されたタイミングで、お会いすることができました。
そこで「谷津さんは何がしたいですか?」と中村医師から聞かれ、ストレートに「ドキュメンタリーを撮りたいです」と緊張しながらも応えました。
すると中村医師は「いいですよ。それではいつ取材に来ますか?」と受け入れていただいたのが始まりです。
出雲:そこで谷津監督は、ご自分が選ばれたことに対してしっくりきたのでしょうか?
谷津:想定していませんでした。
そして、なぜ受け入れられたのかという点に関しても、未だわかっていません。
ただし「中村医師は私の取材スタイルを認めてくれていたのか?」と感じる会話がありました。
2019年の4〜5月にかけて最後の取材を行った時に2人で食事をしていた際、急にこのようなことを言われました。
「谷津さんはジャーナリストじゃなかもんね。」
それを聞いた時は、簡単にしか返事ができませんでしたが、今になって思うことがあります。
通常のジャーナリストは、日々起こっていることを取材して提出していく業務ですが、「あなたは長く取材してくれたよね」ということを「ジャーナリストではない」と私を評価してくださったのかな、と解釈しています。もちろん中村医師はジャーナリストに敬意を持ってくださっていた方ですが。
21年間取材し続けて谷津監督が感じた「中村医師の人生観」
出雲:中村医師なりの褒め言葉だったのかもしれませんね。
谷津:もちろん私もドキュメンタリーカメラマンなので、様々な国、僻地や辺境、戦地などにも行っていますが、そのような中で、中村医師の活動だけは21年間続けて取材し続け、アフガンにも25回も入りました。
中村医師は、一つのことを長く続けることに対して、非常に重要視される方なのだと思いました。
出雲さんも一つのことをやっていらっしゃるというところは、中村医師と同じ考えにあるのではと思っています。
出雲:光栄です。
谷津:中村医師が、よくアフガン人に言っていた言葉があります。
「木の葉のように、あちらに流れ、こちらに流れ、というのも人生だが、
大きな岩のようになって、水の底にじっと止まって、同じことをするのも人生だ。」
それは中村医師の人生観だと思いますが、一つのことに専心して、真心をこめてやるということを自分に課していたんだと思います。
私がずっと取材したことを、中村医師にたまたま好んでいただけたのかもしれません。
出雲:中村医師の最後まで、21年も取材し続けたのは、谷津監督だけだと思いますので、すごいことだと思います。
谷津:中村医師はお世辞を言う方ではなく、ひたすらに仕事をする方でした。
そのため、最後の取材で言われた「ジャーナリストじゃなかもんね」という言葉が、宝物になっています。
中村医師も出雲さんもリーダーとして退路を断って走り続けた
谷津:出雲さんの書籍に、ユーグレナを立ち上げる前、退路を断って後戻りができない気持ちで臨んだと書いてありました。
中村医師が用水路を掘った時、その話が周辺地域へ一気に広がり、パキスタンから難民が帰って来たり、旱魃だったところに家を建て始めたりしていました。
こうした状況の中で、中村医師も失敗できないというプレッシャーは相当なものだったと思います。
出雲:そんなことがあったんですね。
谷津:取材中、リーダーはある意味孤独だというように思ったことがあります。
最終的な決断はリーダーが一人で責任を持ってしなければいけないと思うからです。
出雲さんも多くの社員さんを抱えられ、そこに家族がいて、万の単位の人間の生活を支えるということをリーダーとしてやってこられているかと思います。
これまで、どのようなプレッシャーがあって、どう乗り越えてきたか、お話を伺いたいです。
出雲:会社を立ち上げた頃は、仲間に対して大したお給料も払えず、自分も月給10万円でした。
3人でスタートした会社も、グループの仲間を含めると今では1000人以上の仲間がいます。
そして、我々の事業と研究のために株を買っていただいている株主様も11万人以上いて、弊社グループの商品を契約し、毎日飲んでいただいているお客様が72万人以上もいます。
組織のリーダーとして、当然プレッシャーではありますが、優秀な仲間たちが私の苦手なことをフォローしてくれて、逆に私は得意なことに集中することができています。
中村医師が大切にしていた「捨て身の楽天性」という言葉
谷津:中村医師が言っていた言葉ですごく好きなのが「捨て身の楽天性」です。
アフガン人は水も食べ物も不足し、更に戦火にさらされていますが、明るく生きようとする人が少なくありません。
辛い時、暗い顔をしていても明るい顔をしていても状況が変わらないのであれば、捨て身の覚悟で頑張り、その上で明るい顔をして生きていこうという考え方をするのがアフガン人なんです。
そういった点が、出雲さんが中村医師と重なる部分があります。
出雲:捨て身になって明るく振る舞うと、みんな集まってきます。
谷津:それは中村医師も同じですね。
取材後によく言われていたのが、一緒に働いてくれているアフガン人が主体だということをとにかく伝えてほしいとおっしゃっていました。
アフガン人たちが汗を流して働いたからこそ、用水路ができたんだと。
出雲:私は、会社を作った2005年8月9日から、ユーグレナの話をする時は「社員」という言葉を一生使わないと誓いました。
日本には約367万もの会社があります。
その中からユーグレナ・グループを選んで来てくれて、心から感謝しており、それを社員という言葉では到底説明できません。
そしてみなさんに注目してほしいのは、ユーグレナ・グループで頑張っている「仲間」です。
この仲間が幸せになってくれたら、これ以上良いことはありません。
そのためこれからも、仲間とその周りの大切な人達に還元できるために、なんでもしていきたいと考えています。
谷津:この映画ができるまでには様々な人が関わっています。
プロデューサー、編集マン、アシスタントも何人もいて、みんなで集まってできたものです。
たまたま私が長くアフガンにいたため、監督という名前をいただきましたが、私の後ろに仲間がいてみんなで作ったものがドキュメンタリー映画「劇場版 荒野に希望の灯を灯す」だと思っています。
働くことの本質は「他者のために働くこと」
谷津:出雲さんは、18歳の時に心に秘めた思いを今も持って実行されていると思いますが、今日においてはこんな考え方が重要なのではないかと思いながら映画を作りました。
今回の映画の再編集中に、コロナウイルスに苛まれ、ウクライナの戦火で軍靴の音が聞こえるような状況になってしまいました。
そういう中で中村医師の何を伝えられるかと考えた時に「他者とどう関わって生きていくか」という点に尽きると思いました。
さらに突き詰めると、他者のためにどう生きられるかということだと思います。
それは口で言えても、簡単ではありません。
つまり、働くことの本質は「他者のために働くこと」だということを、中村医師のそばにいて感じました。
出雲さんのやっていらっしゃることは、その側面を多分に持った生き方だと思いますが、その点はいかがお考えでしょうか?
出雲:私はアドラー「嫌われる勇気」が大好きです。
彼の言葉の中で、一番私を勇気づけてくれるのが「人は自分よりも大きなもののために貢献することで最高の満足を得られる。」です。
そして私のメンターである、グラミン銀行創設者のムハマド・ユヌス先生の言葉で、「自分に満足できない人は、他者に貢献できない。自分と家族と、会社、地域社会、国家、地球、宇宙にまで貢献すると、これはパヒネスを超えるスーパーハピネスになります。一度味わうと、人は絶対に元に戻れないから、君も自分よりも大きなものに貢献して、感謝されて幸せを感じることを味わっているから、ソーシャルアントレプレナーをやっていくんだね。」と言われています。
これらの言葉を思い返すと、中村医師が他者にフォーカスされていることが、腑に落ちます。
私はお医者さんみたいに、直接他者に関与しませんが、地元の人に貢献し、バングラデシュの役にも立っていきたいと考えています。
地球上にある様々な課題を解決するには「考え方を変える」必要がある
谷津:ユーグレナさんのような大きな会社さんが、その意識で動かれているというのは励みになります。
日本も大丈夫だというと安心感を感じます。
今の時代、自国・自民族ファーストでは生きていけません。
その自覚があれば、他者とどう関わって生きていくか、という点が命題になると思います。
それを出雲さんのような発信力のある方が言うということに、大きな意味を感じています。
出雲:他者・他国に身を投げ出して貢献したほうが、結局お互い幸せになると考えています。
・自分中心から、他者に貢献する
・性悪説から性善説に移行する
・今が良ければ良いという短期的思考から、子どもたち・孫たちを含めた、その先の世代の長期的思考で物事を考えて行動する
このように考え方のベースが変われば、あらゆる地球上の課題が解決すると思っています。
解決するためのテクノロジーとリソースは、今の人類社会で持ち合わせています。
リソースを抱えて自社のみでやろうとするのではなく、オープンイノベーションで考える。
そうしなければ、格差と地球環境の問題は絶対に解決しません。
そのためには、一人一人の生き様をシフトしていく必要があります。
他国を信じて協力するという点に関して、私の人生のテーマです。
谷津:中村医師の生き方と重なると思います。
出雲:谷津監督に言っていただけたことを嬉しく、心にしまわせていただきます。
谷津:起業家というのは、ソーシャルにどう還元するかということがあってのアントレプレナー、という側面はありますよね。
ユーグレナ全体に浸透している出雲さんの考え方
大久保:私が石垣島でユーグレナの社員さんとお話しした際、言葉の端々に出雲さんと同じことを口にしていることが、すごいと思いました。
使う言葉だけでなく、理念を持っているからこそ、対応もしっかりされていて、組織全体に考え方が浸透していることに驚きました。
出雲:弊社は「良いことをしたい」「他者に貢献したい」と言っても恥ずかしくない環境になっています。
それは私が会社で毎日のように、バングラデシュの栄養問題を解決しよう!ユーグレナのバイオ燃料「サステオ」で地球温暖化問題を解決しよう!と言っていますし、「人と地球を健康にする」ことが事業の目的なので、会社の仲間もそういうことを言うのが恥ずかしくなくなります。
谷津:これだけ大きい企業で、良いことをする考え方が浸透しているのはすごいことです。
中村医師も、著作や公演で「真心」「信頼」「希望」という言葉をよく使っていました。
やっていることの凄みとともに、この言葉に命を吹き込んできた方だと思います。
出雲さんのような自分で旗を掲げていくというリーダーが日本に必要なんだと思います。
出雲:私も最後は中村医師のようになりたいと思っています。
私が仲間と共有している言葉は「コモンセンス(共通の感覚)」や「ソーシャルビジネス(社会問題解決を目的とした事業)」です。
ですが、本日のお話を聞いて、私も中村医師と同じように「真心」「信頼」「希望」という言葉を違和感なく使えるところまで行きたいと思いました。
谷津:事業をしている方が、その気概でやることがすごく大切ですよね。
このお話を伺えて、希望を感じました。
出雲:私は根明な「希望」担当ですので、私も中村医師のように頑張ろう!と思いました。
冊子版創業手帳では、海外で活動する起業家の方々のインタビューを掲載しています。無料ですので、ぜひご覧ください。
(取材協力:監督 谷津 賢二)
(取材協力:株式会社ユーグレナ 代表取締役社長 出雲 充)
(編集:創業手帳編集部)