監督 谷津 賢二|65万人以上の命を救った医師でありながら用水路を作った中村哲 氏を20年以上に渡り撮影(前編)

創業手帳

20年以上に渡り撮影した約1,000時間の映像素材を元に1本のドキュメンタリー映画を制作

©︎日本電波ニュース社

アフガニスタンに必要なのは「百の診療所より一本の用水路」と語り、約65万人以上の命を救った医師でありながら、白衣を脱ぎ、自ら重機に乗って用水路を作った中村医師。その生き様を20年以上追い続け、約1,000時間の映像素材を元にドキュメンタリー映画「劇場版 荒野に希望の灯を灯す」を制作したのが、映画監督の谷津 賢二さんです。

谷津監督と創業手帳の大久保が対談し、前編・中編・後編の3編に亘り、ドキュメンタリー映画の制作、中村医師の功績、中村医師の生き様から学ぶリーダーシップ論についてお聞きしました。

記事の前編では、ドキュメンタリー映画「劇場版 荒野に希望の灯をともす」の制作に至った経緯や背景についてのインタビューをお届けします。

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中村 哲(なかむら てつ)
医師/ペシャワール会現地代表/ピース・ジャパン・メディカル・サービス総院長
1946年福岡市生まれ。1973年に九州大学医学部を卒業後、国内の病院勤務を経て、1984年にパキスタン北西辺境州の州都ペシャワールのミッション病院に赴任。以来、貧困層に多いハンセン病や腸管感染症などの治療に始まり、難民キャンプや山岳地域での診療へと活動を広げた。さらにアフガニスタンで頻発する干ばつに対処するために、約1,600本の井戸を掘り、クナール川から全長25.5kmの灌漑用水路を建設した。約17年間かけ建設した用水路群の水で65万人以上の命が支えられている。2019年12月4日にアフガニスタンのジャラーラーバードにて銃撃され死去。

谷津 賢二(やつ けんじ)
映画監督/カメラマン
1961年栃木県足利市生まれ。立教大学社会学部卒業後、テレビニュース業界で働く。94年に日本電波ニュース社入社。95年から98年まで日本電波ニュース社ハノイ支局長。登山経験を活かし、ヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、タクラマカン砂漠など、辺境取材を多数経験。1998年~2019年アフガニスタン・パキスタンで中村哲医師の活動を記録。これまで世界70か国以上で取材。

インタビュアー 大久保幸世
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計200万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら

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ドキュメンタリー映画「劇場版 荒野に希望の灯をともす」を制作したきっかけは1冊の本との出会い

大久保:今回、谷津監督に取材させていただいた理由は、ドキュメンタリー映画「劇場版 荒野に希望の灯をともす」で取り上げられている中村医師がやられていたことは、究極の「起業」であり「事業」であると思ったからです。そこを紐解き、起業家の参考になるお話を伺いたいと考えました。

まずは、中村医師のドキュメンタリー映画を撮ることになったきっかけを教えてください。

谷津:1998年の年初、会社の先輩からの勧めで『中村 哲著 – ダラエ・ヌールへの道(石風社)』を読みました。私自身、高校・大学と登山をやっていたため、辺境の地には興味があり、カメラマンとして働き始めてからも取材で頻繁に行っていました。

その本は、アフガニスタンを舞台とした本で、何気なく読んだにも関わらず、ものすごく強いインパクトを受けました。

大久保:『ダラエ・ヌールへの道(石風社)』のどのような内容にインパクトを感じましたか?

谷津:内容としては、中村医師が井戸や用水路を掘る前のことについての本です。

医師としてアジアの辺境の地で、医療行為を無償で提供する凄さと、それを端的な文章力で書かれていることが衝撃的で、カメラマンの私に強く響き、本能として「中村医師を取材したい」と感じました。

大久保:中村医師へはどのようにコンタクトを取りましたか?

谷津:中村医師を支援するNGOに取材申請をしました。

中村医師は本来取材を好まれる方ではないと言われましたが、たまたま帰国予定があり、日本では福岡に滞在することが多い中村医師が、たまたま東京に行く予定があるとのことで、面談をセッティングしていただけることになりました。

このようなきっかけで、ある喫茶店でお会いすることになりました。

取材を好まない中村医師に「ドキュメンタリー映画を撮りたい」と直談判

<©日本電波ニュース社>

大久保:中村医師と最初にお会いした時は、どのような印象でしたか?

谷津:書籍に認められている硬質な文章と、アフガニスタンで行われていることの凄さから、雄雄しいドクターが現れると思ってましたが、実際に現れた中村医師は、想像よりも小柄でボソボソと喋る印象でした。

大久保:ドキュメンタリー映画を撮ることになったのは、どのような経緯ですか?

谷津:その面談の中で、ヒンズークシュ山脈で行われている巡回診療に同行取材して、ドキュメンタリー映画を撮らせてくださいと率直にお願いしました。

すると福岡弁で「よかですよ。いつ来ますか?」とすんなりと承諾を頂けたのです。

中村医師は取材を好まないとお聞きしていたので、本当に行っていいのか?と多少不安になりながら、パキスタンへ向かったというのが取材のきっかけとなります。

大久保:谷津監督が所属されている会社としては、情勢が不安定なアフガニスタンやパキスタンへ取材に行くことは問題ありませんでしたか?

谷津:私が所属しているのは少数精鋭の会社ですが、元々はベトナム戦争の取材をするためにNHK出身のメンバー数名が立ち上げた会社です。

他のメンバーも各国の辺境の地に取材に行っていたため、パキスタンへの取材も止められることはありませんでした。

大手のメディアなどでは、取材先の情勢が不安定な場合は、取材へ行くことを許可しない会社もあります。だからこそ、弊社のような小規模な会社が生き残っているのだと思います。

治安が不安定な場所をテーマにしたドキュメンタリー映画制作の難しさ

<©日本電波ニュース社>

大久保:アフガニスタンやパキスタンでの現地取材を主軸にしたドキュメンタリー映画を作り上げて行く中で、苦労されたことを教えてください。

谷津:本来、ドキュメンタリー映画の撮影を始める際には、撮影対象の方の事業計画があり、その事業が大きく変化するタイミングを狙って取材することが一般的です。

中村医師の事業で言うと、用水路の建設に着手するタイミングや、用水路に水を流すタイミングを狙って取材に行けると、監督やカメラマンがドキュメンタリー映画に盛り込みたい理想的な映像を撮影できます。

しかし、アフガニスタンやパキスタンは治安が不安定な地域が多く、今回のドキュメンタリー映画の撮影は、中村医師が「今なら来ても良い」と判断してくれた時にしか現地取材に行けませんでした。

そのため、現地に行けたタイミングで中村医師がやっていることを撮る、というスタイルでしか撮影ができなかったため、ドキュメンタリー映画の素材を撮影したというよりも「映像記録」を撮っていたというのに近いのです。

大久保:現地に行ってみないとどんな映像が撮れるかわからないので、ドキュメンタリー映画の構成を作るのが大変だったのですね。

谷津:今回のドキュメンタリー映画「劇場版 荒野に希望の灯をともす」では、1998年4月に初めて取材に行き、2019年5月が最後の取材でした。

この約21年間にアフガニスタンやパキスタンへ渡航したのは25回で、合計滞在日数は約450日にもなり、中村医師と共に働くアフガニスタン人を撮影した映像は約1,000時間もありました。

プロデューサーたちと話した結果、この映像記録を素材にして「中村医師の言葉に導かれて進む映画」にしようと決めました。そのため、約1,000時間の映像の中から、中村医師の言葉に繋がる映像を探して構成を作り上げたので、ある意味では今までにない特殊なドキュメンタリー映画になったと思います。

中村医師の倫理観の形成に影響したご家族の存在

大久保:約1,000時間の映像を1本の映画に編集されたのですね。

谷津:「劇場版 荒野に希望の灯をともす」の映画を作る前にも、中村医師を取材した映像記録から4本ほど映像作品を制作しました。

その最初の作品は、俳優の「菅原文太さん」にナレーションを読んでいただきました。

菅原文太さんは銀幕のスターで、この依頼を受けていただけるのか自信はありませんでした。しかし、中村医師のことを敬愛していると事前に伺っていたため、知り合い伝てに連絡をしてみると、二つ返事で「中村哲さんのためならなんでもやる」と承諾していただけました。

大久保:菅原文太さんがナレーションとはすごいですね。

谷津:実は中村医師と銀幕スターは、全く関係がないわけでもないのです。

中村医師の母方の祖父は「玉井金五郎さん」という方で「花と竜」という小説の主人公なのです。

これは実話を元にした小説で、高倉健さん、萬屋錦之介さん、渡哲也さんなど、錚々たる銀幕スターたちで映画化もされました。

大久保:「花と竜」はどのような内容ですか?

谷津:福岡県北九州市の若松という地区で、石炭を運ぶ港湾労働者を束ねる組の一つの組頭だった玉井金五郎さんのお話です。

当時はそこに、社会的に低く見られている方々が集められ、過酷な環境で労働をさせられていました。その方々の不平等な扱いを改善するために、玉井金五郎さんは最低賃金を上げるように財閥と交渉をしました。

大久保:玉井金五郎さんと中村医師には、似たような人間性を感じますね。

谷津:中村医師の祖父である玉井金五郎さんは、労働者の働く環境を整備しようと取り組んだ方です。さらに、その奥様も女丈夫な方で「どんな命も平等で、絶対に弱いいじめをしてはいけない」という話を、幼い頃の中村医師に聞かせていたとのことです。

大久保:中村医師の倫理観はご家族の影響も大きかったのですね。

谷津:中村医師はご自身で「自分の倫理観は祖母が育ててくれたかもしれない」とおっしゃっていました。

なめくじの命も、猫の命も、犬の命も、人間の命も同じで、どんな命も大切にしろ、という考えを受け継いでいました。

そのような環境で育っているので、中村医師は汗を流して働く人が大好きで、ご自身も働くことが好きだったようです。

働く人へのリスペクトや弱いものいじめをしない、仲間で助け合う、という考え方を持っていらっしゃいました。

冊子版創業手帳では、多くの社会課題の解決に取り組む起業家のインタビューを掲載しています。web版と合わせて、ぜひご覧ください。

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(取材揚力: 映画監督 谷津賢二)
(編集: 創業手帳編集部)

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