渋沢栄一の子孫から見たこれからのビジネス「必要なのは、『正しい答え』より『正しい問いかけ』」

創業手帳
※このインタビュー内容は2018年05月に行われた取材時点のものです。

コモンズ投信 取締役会長 渋澤 健インタビュー(後編)

(2018/05/30更新)

前編では、現代でも使える渋沢栄一の考え方について語っていただいた、コモンズ投信 会長の渋澤 健 氏。後編では、自身が起業したきっかけや、年代で感じる起業家の考え方の違い、さらにはこれからのビジネスに必要な考え方について、お話を伺いました。

渋澤 健(しぶさわ けん)
国際関係の財団法人から米国でMBAを得て金融業界へ転身。外資系金融機関で日本国債や為替オプションのディーリング、株式デリバティブのセールズ業務に携わり、米大手ヘッジファンドの日本代表を務める。2001年に独立。2007年に独立系(金融機関のグループに属さない)の投資信託会社であるコモンズ(株)を設立し、2008年にコモンズ投信会長に着任。

大きな組織じゃなくても、面白いことができる

大久保:渋澤さんは、外資系の金融業界を渡り歩いた後、起業されたと伺いました。会社員として金融業界にいた方が安定しているし保証も高いと思いますが、なぜあえて起業したのでしょうか?

渋澤:きっかけはふとした思いつきでした。僕はずっとアメリカで育ちまして、大学4年生の時に旅行で日本に来ました。その時に「日本って面白いな」と思って卒業後に再び日本に行きました。

特にやりたいことも無く、成り行きで国際関係のNGOに勤め始めたのですが、そこでビジネスのスイッチが入りました。「日本と海外との架け橋ができると面白いな」と感じて、まずはビジネスを知るため、MBAを取りにアメリカに戻りました。

その当時(1980年代半ば)、アメリカの証券会社や大手銀行が集中しているウォール街では、「MBAを持っている日本人ならようこそ!」という感じでした。引く手数多の状態で給料も良かったので、金融業界に入りました。その時はまさか自分が起業するなんて思ってもいなかったですね。

転機を迎えたのは30代後半。ヘッジファンド(※1)に転職したときでした。

それまで勤めていた企業はグローバルな大組織でしたが、転職して入社したヘッジファンドは強力なトップが率いる中小企業でした。彼の才覚と意思決定の速さによって大きな仕事ができていることを体感したので、「大きな組織でなくても面白いことができるんだ」と気づきました。

独立した2001年は長男が生まれたばかりでまだ金銭的な負担も少なかったし、多少の蓄えもあったので、「2年やってダメだったらまたどこか探そう」という気持ちで起業しました。何とか首がつながって、2007年には独立する前の収入を得ることができて、順風でした。

そのようなタイミングで現在のコモンズ投信株式会社を設立しました。日本の資本市場には長期的資本が欠落していて、本格的な長期投資を日本の個人の投資家に届ける選択肢が乏しいと思ってからです。

※1
ヘッジファンド:さまざまな取引手法を駆使して市場が上がっても下がっても利益を追求することを目的としたファンド。比較的自由な運用が可能で、先物取引や信用取引などを積極的に活用する運用を基本としている。

大久保:独立されていかがでしたか?

渋澤:改めて思ったことは、「いろんな人がいる」ということですね。会社勤めをしている時は同じような業界や生活の人と毎日話していて、それはごく一部の世界だったということを再確認しました。
もし、外資系の会社員を続けていたら間違いなく現在の収入も多かったでしょうが、それは当然会社の看板があってのこと。いかに自分で看板を立ち上げ続けていくことが大切で難しいかということを感じました。

大久保:ちなみに、なぜ投資信託会社を通じて社会起業家を支援しているのでしょうか?

渋澤:まず、コモンズ投信を立ち上げる前の2001年の時でした。シアトルからワシントンDCに移動する予定だったのですが、9.11が起きて一週間足止めになったんです。その時に一機の飛行機も飛んでいないシアトルの真っ青な空を見て「これはまずい」と思いました。

「平和って当たり前のようにあったけど、一人ひとりが意識を高めないとこんなふうに争いが起きてしまう。」そう感じたんです。

9.11発生直後、前職のヘッジファンドの創業者がすぐに自分のお金を出して、オフィスに近くあった消防署で亡くなった隊員の遺族のために基金を立ち上げました。その時に、利益やお金の循環ができる状況があるから、社会に対して即時に行動を起こせるんだと思いました。

一方で、日本はお金儲けをする側と社会活動に力を入れている側がアメリカよりも分かれていると感じていました。

2001年に立ち上げた事業は日本の機関投資家にヘッジファンド、ベンチャーキャピタルファンドやバイアウトファンドについて助言するアドバイザリー業務でした。日本の大きな組織からお金を預かって運用することになるので、当時協業していた西海岸の運用会社に成功報酬の一部で社会起業家を応援するプログラムを提案しました。当時のパートナーたちは即時に賛同してくれて、SEEDCap Japan (日本社会起業家育成プログラム)を立ち上げました。

ですが、2008年にリーマンショックが起きたことで、日本の機関投資家の全てが解約してしまったのです。「持続可能である事業にしなければいけない」と実感しました。それは、年度の計画、予算、会計、そして、忖度など余計なものが存在していない個人投資家からお預かりする長期的資金を社会起業家を支援する財源にすることが大事であると思いました。これが、現在のコモンズSEEDCap(社会起業家応援プログラム)です。

コモンズ投信株式会社の設立から10年が経ち、存在意義・ミッションを改めて言葉にすると、「一人ひとりの未来を信じる力を合わせて次の時代を共拓く」ということです。

一番の目的は、世の中に長期的な成長資金を循環させること。未来を信じる力がなければ長期投資はできません。未来とは、企業の株式投資から得られる経済的なリターンだけでなく、より良い世の中を作るために活動している人たちに出資(寄付)することから得られる社会的リターンも未来を信じることなんです。

起業は簡単。拡げていくためにどうするかがカギ

大久保:会社を運営し続けていくために必要なものはなんでしょうか?

渋澤「正しい答え」ではなく「正しい問いかけ」です。学校で学ぶ正否が明確な「正しい答え」をビジネスに置き換えると、売上や利益や株価というものになりますが、「なぜその答えになるのか?」を深読みする力がないとどこかでつまずいてしまうと思います。

今の世界は、変化していくことと独自のサービスが必要です。

例えば、金融は、お金が余っている人とお金を必要としている人を繋げるものです。ですが、今やテクノロジーが発達してその機能はプラットホーム化ができるので、たくさんの金融機関の存在感が問われる時代になりました。

そういう世界の中で、何が大切になるかというと、「なぜあなたと仕事をしたいのか」という感情の部分です。

例えば音楽において、楽曲の視聴方法がレコードからカセットテープになり、CDになり、ダウンロードになり、「機能」は変化しました。ですが、いつの時代も変わらないのは、ライブがすごく盛り上がるということです。スタジアムコンサートだろうが小さなライブハウスだろうが、音の良さよりも、この瞬間みんなと音楽を共有する体験はすごく盛り上がる。「意味」が大切なんですね。

機能はどんどん AI などのテクノロジーに置き換えられるけれど、最後に「それいいよね」と判断する感覚は人間だけのものです。
そのように判断されるために、時代に合わせて変化していきながら独自のサービスを突き詰めていけると良いですね。

大久保:なるほど。業界の変化だけでなく、投資家や起業家などの人材についても変化はあるのでしょうか?

渋澤:あります。90年代のITバブル期では、会社を立ち上げて上場して一儲けして、「いい車に乗りたい」「いい船を持ちたい」、じゃあ次は「上場かな」と言う起業家もいました。

その後の時代の2001年頃には「社会起業家」という言葉が出てきました。「何をきれいごと言っているんだ」という批判も特に上の世代から沸き上がりました。

ですが最近、私が主宰している「論語と算盤」経営塾に参加していた20代の女性が言いました。「社会起業家って意味がわかりません」と。「経済的に意義があることと社会的なことは同時にやることは当然なんだから、わざわざ『社会起業家』という言葉を使うことが理解できない」ということでした。

「社会的なことをして当たり前だ」という感覚はすごく興味深くて、三十代半ばを境に年齢の上下で起業家のカラーが違うなと感じていたんですよ。

上の世代は「利益を上げるにはどうするべきか」、「こうすれば商売が拡大する」といったことを話すのですが、若い世代は「起業して社会的にインパクトを与えたい。でも同時に稼ぎたい。」と自然と口にするんです。

大久保:そうなんですか。なぜ若い起業家は考え方が異なるのでしょうか?

渋澤:おそらく、漠然とした不安があるのではないでしょうか。

余裕はあるけれど、この豊かさがいつまでも続くという確信はない。かつての高度成長時代では余裕がなかったかもしれないけれど、自分の生活が確実に良くなっているという成長は感じていたと思います。今は成長が感じづらいので、儲けることだけではなく、社会的なインパクトも意識しているのかもしれないですね。

大久保:社会も企業も変化している今、渋澤さんはビジネスの行く末をどのように考えていますか?

渋澤:今はまだ終身雇用や年功序列の制度がまだ続いていますが、やはり正社員、非正規社員というあり方は古い時代のものです。平均寿命も伸びているので、人生にはセカンドライフ、サードライフというものが当たり前になってくるでしょう。

副業などについては、短期的に見るとマネジメントが大変かもしれませんが、社員が外の価値観を知ることは勉強になるし、社員が充実していれば生産性も高まるはずです。

また、最近では男性が育児休暇を取ることも増えてきました。職員が数週間すら休むことに難色を示す企業もありますが、長期投資家の立場からすると、ひとりの社員が一ヶ月抜けるだけで傾くような企業には投資したくありませんよ。欧米の銀行なんて、一ヶ月休みを取るなんて当たり前です。

世の中はどんどん変化しているので、会社は変化が必要です。起業することと会社を持続させ拡大させることは違うステージなので、常にアンテナを張って変化に対して柔軟でなければならないと思います。

簡単なことではありませんが、おそらく起業する人というのは、同じチャンスがあればもう一度起業をすると思うんです。ですから自分の行動を悔やむことなく、常に「今日よりも良い明日がある」と未来を信じる力を持つ起業家がどんどん出てくることを期待しています。

コモンズ投信 取締役会長 渋澤 健インタビュー(前編)
日本の有名企業500社以上を設立した男、渋沢栄一の子孫が語る「元祖起業家」の言葉

(取材協力:コモンズ投信株式会社/渋澤 健
(編集:創業手帳編集部)

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