しるし 長井 秀興|「ブランドDX」の専門家が語る起業家に必要なブランド戦略

創業手帳
※このインタビュー内容は2022年08月に行われた取材時点のものです。

ブランド専門家集団P&G出身起業家が語る「ブランドDX」とは?


日常のあらゆるところに浸透しているブランド。そのブランドマーケティングの専門家集団として名高い企業がP&Gです。P&Gのマーケティング部門出身者には、日本を代表するようなマーケターがたくさんいます。

今回取材した、しるし株式会社代表の長井秀興氏もP&G出身。P&G出身者に多い王道ルートのプロフェッショナルサラリーマンではなく、あえて困難の多い起業家としての道を選ばれたのはなぜなのでしょうか。また、しるしが標榜している「ブランドDX」とは一体どういう概念なのでしょう。

起業家に必要なブランド戦略なども含めて、創業手帳の大久保が聞きました。

長井 秀興(ながい ひでおき)
しるし株式会社 代表取締役
慶應義塾大学理工学部、東京大学大学院(薬学系研究科修士課程)卒業。
2016年に新卒でP&G Japanのマーケティング部に入社。ファブリーズのブランドマネジメント、ブランドマーケティングを経験。その後、HR系ベンチャー企業で事業責任者を経て独立。その後、下田陽志郎氏(現取締役)とともに、しるし株式会社を起業。
売上100億円を超える有名ブランドなどに、テクノロジーを活用したEC/CRMの運用やブランド毀損を防ぐ転売模倣品対策、ECのマーケットやレビューデータを活用した新商品開発コンサルティングなどのサービスを展開している。また、ブランド毀損を防ぐ転売検知などの技術で特許も取得している。

インタビュアー 大久保幸世
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計200万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら

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新卒でP&Gのマーケティング部門に入社

大久保:簡単にご経歴をお伺いできますでしょうか。

長井:大学院時代までは有機合成化学の研究者を目指していましたが、新卒でP&Gのマーケティング部門に入社しました。P&Gのマーケティング部門では入社するといずれかのブランドに配属されます。私はファブリーズのブランドマネジメントを担当していました。

ファブリーズというブランドは、APACの中でも日本のマーケットが注目されていていました。つまり、日本でのマーケティングの重要性が非常に高いブランドです。そのファブリーズブランドを新卒でいきなり担当したのは私が歴代でも初めてだったと聞いています。

大久保:なるほど。それでは、最初から比較的重要なブランドを担当していた、ということなんですね。

長井:はい。それはもう、恵まれたチームでした。
一緒にファブリーズを担当していた人には能力が高い人が多く、最近P&Gを卒業した際に書いたnote「【1時間で分かる】P&G流マーケティングの教科書」がバズったMarketing Demo株式会社代表取締役の石井賢介さんも同じチームにいました。また、当時の私の直属の上司はP&G出身の著名マーケターが集まっている株式会社刀で働いています。マーケターとして成長するには絶好の環境がありました。

大久保:P&Gは数あるメーカーのなかでも、とくにマーケティングに力を入れていますよね。

長井:そうですね。P&Gは人材の育成に非常に注力している企業です。新卒採用で採用した人材を一流の職能を持った人材に育て上げる。特にマーケティング部出身の方は、卒業された後も、有名な大企業のボードメンバーとして活躍している方が多い印象です。

僕が担当していたファブリーズは消費財なので比較的ローカライズされている商品です。ブランドによって、日本のマーケットへの注力具合がことなるのですが、ファブリーズでは日本に特化したCMを作ったり、日本向けマーケティングプランを作ったりしていました。

大久保:そもそも、ファブリーズは日本でできた商品ではないですよね。

長井:アメリカで作られた商品です。生活必需品ではないため、主に先進国を対象とした商品になります。APAC(アジア・太平洋地域)の中でも日本はとくに消臭の習慣が根付いているため、注目されているマーケットでした。

プロサラリーマンか起業家か

大久保:P&Gでそのまま出世していく道もあったかと思われますが、なぜお辞めになってしまったのでしょうか。

長井:P&Gを辞めた理由は大きく2つありました。まず、3年後の先輩を見ると、私の3年後も想像できたんですね。その姿にワクワクできなかったこと。

大久保:確かに、会社である程度働いていると先が見えてしまいますからね。

長井:もう1つの理由をお話しする前に、私の学生時代の話に戻りたいと思います。

もともと研究者を目指していたとお伝えしましたが、就職活動を始めてビジネスの世界に方向転換したときに、シンプルに「社長になりたい」と思いました。

社長になるにしても、創業社長なのか、それともプロサラリーマンとして会社で出世していくのか、そのときに考えました。学生時代には起業の経験もなかったですし、自分が起業するイメージもつかめなかったので、まずはプロサラリーマンの道を進むことに決めました。

そして、プロサラリーマンになるのであれば、マッキンゼーかP&Gのマーケティング担当であろう、と思い、最終的にP&Gに入社することにしたんです。

大久保:なるほど。最初から社長になりたかったんですね。

長井:はい。でも比較的出世が早いP&G出身者であっても、プロサラリーマンとして有名企業の要職に就くのは40代になってからです。20年という月日の経験が必要になるじゃないですか。私にとっては、それでは時間軸が合わないと思ったんです。
もっと早く社長という経験をしたかった。そうでないと、本当にやりたいことかどうかわからない。それが2つ目の理由です。

だから事業も組織も自分で作って社長になる、起業家の道を選ぶことになりました。プロサラリーマンではできないですからね。

大久保:P&Gからすぐに独立されたんですか。

長井:いえ、一度HRベンチャーにジョインし、事業統括をしたり、M&Aした事業のPMIをやったり、新規事業開発をやったりと、いろいろと経験させていただきました。2年実績を積んだ後で、「いよいよ自分でやらないと」ということで、2019年6月に独立、2021年の3月にしるしを設立しました。

ブランド体験を最適化したい

大久保:しるしでは、ブランド体験(※1)コンサルティングや売上100億円を超える有名ブランドなどに、テクノロジーを活用したEC/CRMのワンストップ運用代行などを提供されています。この領域で起業しようと思われた理由は何ですか。

※1 ブランド体験(Brand Experience)…消費者がブランドと接する機会。ブランドの世界観を体感してもらうことで認知と消費につなげる。

長井:共同創業者で、もともとEC事業歴が長かった下田と出会ったのがきっかけで、EC領域で事業を始めようと思い至りました。
そこでブランド体験を最適化するという話は非常に大きな話だと気づいたんです。とくに、いわゆる知名度のあるBtoBtoC(※2)ビジネスのブランド体験ですね。

※2 BtoBtoC…BtoBtoCは「Business to Business to Consumer」の略称。企業が個人の消費者相手にビジネスをするのを手助けするビジネスをしているビジネスのこと。例えば、コンビニや商社などはBtoBtoCのビジネス。

BtoCの通販会社などが普通にできていることであっても、BtoBtoCの会社ではそれができていない。とくに、デジタル・EC上でのブランド体験が詰め切れておらず、そこにチャンスがあると感じました。

大久保:なるほど。実店舗はできていても、デジタルでのブランド設計ができていなかったんですね。

長井:我々はそこに目をつけています。Amazon、楽天に関して、課題を分析します。その上で、適切なブランド体験、および、売上利益の最大化、という軸で、ご提案させていただきます。
LPを作ったり広告を運用するだけではなく、PLの可視化、成長戦略の立案、コスト最適化(販促費や物流費など)やCRMなども実施します。そのような総合的な視点から、デジタルやECに知見がさほどない企業に対してソリューションを提案できるのが弊社の強みです。

大久保:大企業とベンチャーでは、できることが違うのではないでしょうか。

長井:はい。やはりスピード感が違うので、弊社のようなベンチャー企業だからこそできることもありますね。弊社が提供しているサービスも、局所的な「How」に対する解像度の高さと圧倒的なスピードが優位性になっています。

例えば、大企業のマーケティングでは、「TikTokって流行っているよね」と聞いてからTikTok運用に手を出し始めるじゃないですか。
それが我々の場合ですと、「話題になりそうだな」という段階でスピーディーにトライできる。だからこそ、優位性を作れるんです。

大久保:スピードの面では、大企業はベンチャー企業に勝てませんからね。

長井:デジタル以前の常識では、全国の店頭の棚を押さえ、広告費をマスメディアに投下する、というやり方がメジャーでした。消費者のほとんどが、店頭の棚に並べられる商品を買っていましたし、卸を通じて小売店に配下される参入障壁は高いですからね。

しかしデジタル時代になってその状況が一変しました。ECサイトには誰でも出品できるので、売っている人たち同士で熾烈な競争が繰り広げられることになりました。その競争に大企業はついてこれていない状況です

確かに、大企業の売上の9割以上がリアル店舗からの売上なので、まだそこまで重要度が高くないのは事実です。日本全体のEC化率は8%しかありませんから。しかし、ECはメディアとしての機能も兼ねます。EC店舗もやっていかないと、今後伸びていかないことは明らかです。

大久保:それはそうですよね。だからこそみんなDXに取り組んでいるわけですからね。

長井ベンチャーでありながらも、我々のように大企業の論理も理解している会社はなかなかありません。弊社は大企業のやり方を理解した上で、そこにあわせてリアル店舗と相乗効果を生み出せるようなECの使い方をご提案させていただいています。そこは我々の強みです。

大久保:ECに特化するわけではないんですね。

長井:特化するわけではありません。あくまでブランド全体の戦略に則った、リアル店舗との相乗効果を狙うためのEC戦略です。

コロナ禍で起こった変化

大久保:コロナ禍で市場は変化しましたか。

長井:コロナ禍では大きく2つの変化が起きたと考えています。

まずは消費者の購買行動がオンライン中心にシフトしたことです。もう一つの変化は、売れるカテゴリー、売れないカテゴリーが変わったこと。これら2つの変化によって、ECにおける競争の激化が始まりました。
今まではAmazonや楽天などのモールなどそれほど重要視していなかったブランドも、参入せざるを得ない状況になってきた、ということです。

これらの領域に有名ブランドが乗り込んでくると、そこでブランドを転売したり、模倣品を売ろうとするプレイヤーが出てきます。それを放っておくと、ブランド毀損してしまいます。そうしたときに、しるしのような存在がサポートする必要があります。

大久保:なるほど。ブランド毀損の問題もありますからね。

長井:そうです。価値を高めるだけではなく、毀損しないようにする。そうした総合的なプロデュースができるのが、しるしの強みです。

起業家はブランドとどう付き合うか

大久保:起業家は自分のブランドをどう作っていけばいいのでしょうか。

長井:私自身も模索しているところです(笑)。ただ基本的には、この人はどういう人なのか、この会社はどういう会社なのかということを認知してもらう必要がある、ということです。例えばしるしであれば、「ブランドDXの会社」というように。

大久保:「〇〇といえば、〇〇」という感じですね。

長井:そうそう。そういうことです。起業家の場合は、何を信じてビジネスをするか、ということもブランドにつながっていくのではないかな、と思っています。

私自身は、ブランドによって人々の生活を豊かにしていきたいし、豊かに感じる瞬間をたくさん作っていきたいです。

例えば、スターバックスというカフェがありますよね。私の脳内では、「スタバに行けば、座れば集中して仕事ができる。友人と行けば、快適に会話も弾む場所」として意味付けされています。他のカフェは逆に、集中して仕事できる環境なのか、気を使わずに会話できる環境なのかどうわからない。だからスタバを見つけると無意識に入店してしまいます。
これがスターバックスの意味付け、つまりはブランドですよね。

ブランドは意味です。そうした意味を裏切らないよう、ブランドがブランドとして守られながら広まっていく世界を私は作りたいと思っています。

大久保:どうやってブランドを守るのでしょうか。

長井:ブランドは、お客さんの脳内に形成されるものなので、どのようにブランドが認識されているかを理解し、それをコントロールします。

MOT(モーメントオブトゥルース)という考え方があります。顧客との接点を表現する言葉ですね。MOTを分けると3つの接点があり、その3つの接点はZMOT/FMOT/SMOTと呼ばれています。

Zはゼロモーメントオブトゥルース(広告や口コミなど)、Fはファーストモーメントオブトゥルース(店舗やECサイトなど)、Sはセカンドモーメントオブトゥルース(商品を使った瞬間のこと)です。
それぞれの瞬間に起こることに一貫性を持たせることで、ブランドをコントロールすることが重要です。それは私のような専門家だけではなく、すべての起業家が実践しなければならないことであるとも思います。

ブランドまで目配りできる経営者はあまりいないかもしれませんが、いい起業家の方であれば、必ず気を配っているポイントなのではないでしょうか。

最初は失敗ばかり。でも続けられたワケ

大久保:創業されてからは順調に成長してきているのですか。

長井:いえ、最初は失敗ばかりでした。独立したばかりのころは個人でコンサルティングなどをしていたのですが、4〜5個のプロジェクトをやってすべて失敗しました。そうやってうまくいかない時期が1年半〜2年くらいありましたね。

大久保:それは意外でした。

長井:そんな時期は、「やっぱり企業の会社員に戻ろうかな」とか、「ベンチャー企業に転職してそこで役員になろうかな」などと頭をよぎったこともありました。でもそこで「自分は起業家として成功するんだ」という強い気持ちを持ち続けて、今に至ります。その時期が一番辛かったですね。

大久保:起業してよかったと思われますか。

長井:起業してよかったですね。会社の掲げているミッションと私のやりたいことが一致しているので、とても楽しいです。賛同してくれる仲間が増えることも、サービスに喜んでくれるエンドユーザーが増えることも、すべてがうれしく感じます。

上手くいかないときに後戻りする選択肢もあったのでしょうが、そこでこだわり、粘り続けられるかどうかは、起業家として重要な資質なのではないでしょうか。

大久保:大切にしている習慣などあれば教えてください。

長井:P&G時代から、ドラッグストアや家電量販店、本屋さんなどに立ち寄って、誰に対して、何を売ろうとして、どういうプロモーションをしているのかなど見て回ることですね。お客さんが何と何の買い物で迷っているのか、傍観しながら推理したりもしています(笑)。

大久保:なるほど。そうやってマーケティングの感覚を研ぎ澄まされているのですね。貴重なお話を伺えました。

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(取材協力: しるし株式会社 代表取締役 長井 秀興
(編集: 創業手帳編集部)



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