【第一回】「なぜ経産省を辞めて起業したのか?」リモノ伊藤社長の挑戦

創業手帳
※このインタビュー内容は2015年05月に行われた取材時点のものです。

株式会社rimOnO(リモノ) 代表取締役社長 伊藤慎介氏インタビュー(1/4)

元経済産業省の官僚という異例の経歴をもつ伊藤慎介社長は、なぜ15年というキャリアを捨てて起業の道を選んだでしょうか。そこには、国の未来に対する強い思いと、官僚ができることの限界がありました。「官僚もどんどん起業すればいいんですよ」。そう語る彼の目に、日本の未来はどう見えているのでしょうか。そして自動車はどう変わるべきでしょうか。お話を伺いました。(全四回)

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伊藤 慎介(いとう・しんすけ)
京都大学大学院修了後、通商産業省(現経済産業省)に入省。自動車、IT、航空機、などに関連する業務に従事。その後、省内でできることの限界や電気自動車の可能性を感じ、15年の勤務を経て同省を退官。2014年9月、工業デザイナーの根津孝太氏とともに株式会社rimOnO(リモノ)を設立。代表取締役社長に就き、新しいコンセプトの電気自動車開発に尽力している。

電気自動車の可能性を求めて

ーご経歴を教えてください。

伊藤:経済産業省の官僚を15年間やっていました。その間に通商産業省から経済産業省へと名前が変わりましたが、いろんな政策立案に携わりましたね。

分野的には、エコカーや次世代自動車戦略が最初の体験でしたが、IT分野を担当し、電気自動車をシステム全般に取り込んだ日本版スマートグリッド構想を立案しました。

その後は、クールジャパンや航空機などを経験した上で、2014年の夏に退官しました。

ーリモノはどういう経緯で設立されたのですか?

伊藤:原点は、電気自動車やスマートグリッドを担当していた頃に遡ります。電気自動車の可能性を昔から考えていて、これで何かイノベーションを起こせるんじゃないかと思っていたんです。

もう1つは「バッテリー技術」です。電気自動車は蓄電池、つまりバッテリーに充電した電気で動く車ですが、そのバッテリーがエネルギーシステムを変えていく、というところに可能性を感じたんです。

電気というのは貯められないものの典型なのですが、それを貯められるバッテリーが主役になることで起こせるイノベーションがあると思い、国家プロジェクトを立ち上げました。

しかし、実際に国のプロジェクトを立ち上げてからわかったことは、最初にプロジェクトを立案したのは私であっても、私自身が実行することができないということです。

結局、主体的に実行することができるのは、私の後に担当部署に異動してきた人やプロジェクトに参加している企業の人たちなんです。その企業の人たちが代わらなければ問題がないのですが、プロジェクトを立案した私が異動し、思いを共有していた企業の人たちが異動してしまう。

そうやって、プロジェクトを一緒に作ろうと立ち上がった人たちが変わってしまうと、当初の思いが受け継がれなくなっていって、結果的に「世の中で面白いことを起こそう」と言っていた気分みたいなものがだんだんしぼんでいくんですね。

そういった悔しさというのを肌身で感じながら、何か別のアプローチがとれないかなということを3年から5年くらいですね、悶々と悩んでいたんです。

そんなことを悩んでいた中、ちょうど2年半くらい前に、一緒に会社を立ち上げた「根津(根津 孝太『有限会社 znug design (ツナグ デザイン)』代表)」と出会ったんです。

彼は当時、電動バイクのzecOO(ゼクウ)を日本の中小企業と組んで開発していました。「自分が欲しいと思うものを作ると、世界中で1人ぐらい欲しがる人もいるだろう」っていう、大胆な仮説に基づく挑戦に挑んでいたんです。

それをテレビで見た瞬間からメチャクチャ面白いなと思いました。どうやれば彼に会えるだろうかと悶々としていたら、たまたま経産省の同僚が彼のコンタクト先を知っていて、2年半くらい前に会うことができました。

当初は電動バイクのzecOOを少しでも手伝えないかという思いで彼と会っていましたが、何度か会ううちに彼が携わっていた『Camatte(カマッテ)』というコンセプトカーに乗りに行く機会ができたんです。根津が古巣のトヨタと共同で開発したコンセプトカーです。

このクルマに乗った瞬間に「こういうクルマなら自分も欲しいし、世の中の人もそう思うのではないか」と思ったんですね。

その後、電動バイクもいいけど小さいクルマも捨てがたいですね、みたいなことを何度か言っていたら、「やるなら本気でやりましょう」という話になって、リモノという会社を一緒に立ち上げることになりました。それが今からちょうど1年くらい前ですね。

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「起業してからのほうが“100倍”楽しい」

ー経産省での15年のキャリアを捨て、新たな一歩を踏み出すことはものすごく大きな決断だったと思うのですが、いかがでしょうか?

伊藤:もし私が50代後半で、既に大事なポストに就いていて、近いうちにまとまった金額の退職金をもらえることが目に見えていれば、「辞めた後どうなるだろう?」とか、「家族を路頭に迷わせるんじゃないか?」とか、「老後にお金がなくなるんじゃないか?」とか考えたかもしれません。

でも、私はまだ41歳です。将来のポストが確実に保障されているわけではないんです。もちろん公務員だから年金はもらえるのでしょうが、それよりも60~65歳で定年退職した先の自分の未来がどうなっているかのほうが不安だと思いました。

このタイミングで飛び出すリスクと、悶々と思い悩んで月並な退職金をもらって、そのあと「これからの人生どうしよう」と路頭に迷うリスクを天秤にかけた結果、早めに決めたほうがむしろリスクはないのではないかというのが決断した理由ですね。

実は、辞める決断自体は前から腹を決めていましたので、大した苦労はありませんでした。それよりも苦労したのは「誰と一緒に起業するのか」というチームビルディングですね。

結果的には根津と一緒に起業することになりましたが、今だから言うと、過去には根津以外にも一緒にビジネスができないかと考えた人はたくさんいます。

ただ、一緒に人生をかけて新しいことにチャレンジするとなると、相手との仲がよければいいってわけではないんですよね。お互いに信頼できるという前提があった上で、それぞれが自分で考え行動しながら同じベクトルに向かって進んでいける仲間を見つけることのほうが大変でした。

官僚を辞めてからの最初の苦労はキャッシュフローでした。

昨年の秋頃は、実際に収入が目減りして貯金を切り崩していくような状態になりましたが、そのときは流石に不安になりましたね。おかげさまで、その後に少しずつお仕事をいただくようになって、今では最低限生活できるくらいにはなりました。

チームビルディングとかキャッシュフローとか苦労することはありましたが、申し上げたいことは起業することも結婚することと同じような部分があるということです。

結婚する前に、いつ頃に子供を産んで、いつ家を買って、どうやって老後を過ごすかという人生計画をすべて作ってから結婚するような人はほとんどいないと思います。

その時の勢いで、この人と結婚したいとか、一緒に結婚しようという話になるケースの方が多いのではないでしょうか? 家を買うとか、子供をどうするといった話は、結婚した後に起きたことがきっかけで判断していくはずです。

起業もそれに似たところがあります。今から1年くらい前に衝動的に「起業しよう」と決断したのですが、その際に1年後、2年後のことなど全く計画していませんでした。今だって、1年後がどうなるかなんて分からないことだらけですから。

そういう先の見えない人生が始まったので不安だろうと思う人がいるかもしれませんが、後悔していることはひとつもないですね。むしろ、起業してからのほうが100倍くらい楽しいです。

ーそれは自由度が増したからでしょうか?

伊藤:自分の時間を自由に使えるようになったのは楽しいことの一つではありますが、それよりもあらゆることに関与して実際に行動に移せるようになったことが大きいですね。

官僚をやっていると毎日いろんな人と会って、数多くの情報に触れることができます。でも、残念なのはそれだけ多くの人や情報に触れながら、実際に自分が行動できる部分って、ものすごく少ないんです。

国家プロジェクトを1つ立ち上げるとか、法律を変えるとか、補助金をつけるとか、そういうことはできるんですけれども、世の中ってもっときめ細かいところまで関与していかないと動いていかないことがいっぱいあって、そういうことをやるための時間も自由度も官僚には十分に与えられていないんですよね。

そうなると「消化不良」になります。

つまり、おもしろい話や素晴らしいアイデアを持っている人たちがいて、この人たちとチームを組んで何かやれたらおもしろいなと思ったとしても、官僚として公式にできることは限られているし、自分の担当分野でないとできることも限られてしまう。

助言やおせっかいも色々としましたが、助言は助言であって、実際にその通りにやってみると新たに直面する問題が出てきたりするので、言うほど簡単ではないんです。

でも、起業すると、自分の会社のことをちゃんとやった上で、他の人がやろうとしていることにもある程度深く関与できる。これはすごい喜びですね。

消化不良が相当減って、ちゃんと消化されるようになる。人間の体と同じですよね。消化不良があると体調は良くないですが、ちゃんと消化されるようになると元気になるんですよ。

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「伊藤くんはいつ席にいるの?」

ー大学時代からそういった「起業家精神」をお持ちだったのでしょうか?

伊藤:私はもともと帰国子女で、子供の時に6年間米国に住んでいたので、アメリカでは一番できる人は自分でリスクとって会社をやる人なんだ、という感覚を植え付けられました。必ずしもそういう人が近くにいたわけじゃないですけどね。

経産省に入る前にも、シリコンバレーに赴任していた経産官僚の人に案内してもらって当時のIT企業を何社か訪問させてもらいました。

インターネットブラウザの「ネットスケープ」がちょうど台頭していた頃でしたので、ネットスケープ社に行ったときは興奮しました。

シリコンバレーには「こんなにすごい会社がいっぱいあるんだ!」ということを肌で感じたので、そういう経験もいずれ起業したいと思う気持ちにつながったんでしょうね。

ー経産省に入ろうと思った理由も、そうした気持ちと関係ありますか?

伊藤:経産省に入ろうと思った理由は、それとはちょっと違います。

米国に6年住んでいた経験が影響している点は同じですが、日本を離れてアメリカから日本を見つめなおしたときに、日本はもっと評価される国になれるはずだと思ったことがきっかけですね。

私がアメリカに滞在していた時はちょうど日本のバブル期でしたので、日本人は「エコノミックアニマル」と呼ばれていました。

でも、日本人の私としては日本の強みは決して経済力だけではないと言いたかったですね。技術だって思想だって文化だって、日本にはいろいろ優れたものがあるわけで、そういうものをパッケージにすれば、世界からもっと評価される国になれるのではないかと思うようになりました。

実際に「日本のために働きたい」と思うようになったのは大学生の終わりごろですね。

就職活動をしながら自分のやりたいこと、やれることを真剣に考え始めたのがきっかけです。その時に、工学部出身者でも中央省庁に進める道として通産省という役所があることを知って、最終的に入省したのです。

自分の親元におべっかを使うつもりはありませんが、通産省に入ったことは本当に最高の選択だったと思いますね。何よりも個人の意思を尊重して自由にやらせてくれる組織というのが最高でした。

官僚の時は、「伊藤くんはいつ席にいるの?」と上司や周りの人たちによく言われましたね。それくらい役所の中でも外でも頻繁に人に会っていました。

2年前に航空機産業を担当していたときも、航空機を作っているメーカーの人たちだけではなく、エアライン業界、金融業界、自動車業界、中小企業など航空機に少しでも関係しそうな会社であれば、どんどん出かけて行って話を聞いてました。そうやっていろんなことを見聞きしないと全体像を把握することができないんですよね。

逆にいろんな業界の話を聞いていると、航空機に直接関係しない業界の話が航空機に生かされることもあるんです。

たとえば自動車業界の生産システムは航空機業界よりもずっと先に進んでいます。一方で、航空機業界では自動車や電機よりもITが浸透している部分があったりするので、そういうことをお互いの業界の人に共有すると良い気付きになるわけです。

担当分野の壁を越えて多くの業界の人たちと自由に関わらせてもらえたということを思い返すと、経産省での15年間は非常に充実していたと思いますね。

ただ、この先を考えると、そのまま官僚としてのキャリアを進んでいくよりは、むしろ新しいことにチャレンジするほうが、自分のためにも世の中のためにもなるんじゃないかと思って飛びました。

「良い公平」と「悪い公平」

ーそれだけ自由な経産省でも、「イノベーションを起こす」プロジェクトとか、あるいはプロジェクトを通じた「イノベーション」には結びつかないものなのでしょうか?

伊藤:それは私も織り込みながら活動していましたが、そこで問題になるのが「公平性」の問題なんですね。

税金を使っていることもあって役所は公平じゃないといけないことになっているわけですよ。でも、公平には“良い公平”と“悪い公平”があって、問題なのは“悪い公平”なんですね。残念ながらやる気や能力に欠けていたとしても、その会社が関わりたいと言ってきたらプロジェクトに入れない訳にはいかないんですね

どうしてそういうことになっているかというと、かつて役所で不祥事があったからだと思います。役所と特定の会社が随意契約といって他の企業に参入するチャンスを与えない形で契約を結んだ結果、中には悪いことをする人間が出てきたからなんだと思います。

全ての企業に公平に機会を与えることで癒着のようなことが起きやすい状況は失われたのかもしれませんが、一方で、尖った人たちをまとめて革新的なプロジェクトを立ち上げることがやれなくなりました。尖った人と尖ってない人が一緒になると、革新的な取り組みではなくなり、全体としてスピードもモチベーションも落ちるのは目に見えていますよね。

でも、ビジネスの世界はそうではない。残念ながら同じペースでついて来られない人がいれば、「申し訳ないけどあなたとは一緒にはできない」と言って、前に進めるパートナーとだけ一緒にやることができるんですから。

やっぱり、そういうやり方じゃないとイノベーションは起きないんですよ。公平性には悪平等の弊害があるということを世の中の多くの人に知ってもらった上で、国はどういう形で税金を使っていくべきかをちゃんと議論してもらわなければならないと思います。

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【第二回】元官僚の起業家が描く未来の自動車社会 「今の自動車社会では高齢化時代に対応できない」

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(創業手帳編集部)

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