「あきらめたら、そこで終わり」 KLab真田社長の限界突破の条件<インタビュー前編>

創業手帳
※このインタビュー内容は2017年05月に行われた取材時点のものです。

若き日の失敗と逆転から学んだもの

(2017/5/10更新)

スマホゲーム事業を中心とし、急成長を遂げるKLab株式会社。その社長・真田哲弥氏は、学生時代からさまざまなビジネスを手がけて成功を収める一方、倒産という挫折も経験しています。そこからの「逆転」を狙い、33歳にて初めてのサラリーマン生活を経験、36歳にしてKLabを創業し、同社を東証一部上場企業に成長させました。

波乱万丈な起業家人生の背景には、どのような思いや苦労があったのでしょうか。今回は、若き真田社長の経験した大成功と暗転、そこからの大逆転についてお話いただきました。

真田 哲弥(さなだ てつや)
1964年、大阪府生まれ。関西学院大学在学中に、合宿制運転免許学校のあっせんビジネスを起業。大学中退後、ダイヤルQ2を利用した情報提供会社を設立し、短期に成長を遂げるも、事実上の倒産を経験。1997年に株式会社アクセス(現:株式会社ACCESS)に入社して会社員生活を経た後、1998年に堀主知ロバート氏らとともに株式会社サイバード(現:株式会社サイバードホールディングス)を設立し、取締役副社長CTOに就任。2000年に株式会社ケイ・ラボラトリー(現:KLab株式会社)を設立し、代表取締役社長 CEOに就任。モバイルゲーム分野に事業転換したことなどにより、急成長を果たし、2011年に東証マザーズ、翌年東証一部へ上場。現在は、ゲーム事業だけでなく、新規事業開発にも積極的に取り組んでいる。

「起業」は結果。やりたいことが目の前にあっただけ

-大久保:初めて起業した時のことを教えていただけますか?

真田:最初は学生の時。合宿制運転免許学校をあっせんするビジネスを手がけました。

-大久保:学生の頃から、起業について考えておられたのですか。

真田:当時は、今みたいに起業という風潮がなかったんです。そもそも、「起業」という単語も聞きませんでしたし、「ベンチャー」という言葉もなかったんじゃないかな。だから、起業しようと思ってしたというより、結果論として起業したという形ですね。

-大久保:合宿免許あっせんビジネスというのも、なりゆき的にスタートされたんでしょうか。

真田:いえいえ、そうじゃなくて、僕がやりたいと思ったことから始まっているんです。大学入学前の春休みに、スキーと免許取得の両方がやりたいなと思って、友だちに聞いたらみんな「行きたい」と言う。だから、「これはビジネスになるな」と思ってスタートしました

今の人は逆なんですよね。「やりたいことはなんですか?」と聞くと「起業」と答える。「何で起業するの?」と聞くと、「それがまだ見つからない」という順番なんです。僕は別に起業がしたかったわけではなくて、たまたま「これはビジネスにしたら面白い」と言うものを見つけたから、結果として起業したという順番。「起業したい」ではなく、「この企画を実現したい」という思いが先にあります。

-大久保:やりたいことが先にあるということですね。

真田:はい。最近の若い子は、先に起業がしたくて、起業のためのプランをそのために考えるという順番なので、全く逆です。

なりゆき起業、大成功と暗転

-大久保:大学を中退して、東京に出てきて※ダイヤルQ2のお仕事を始められたんですよね。最初は順調に事業が進んだと伺っています。

※ダイヤルQ2 とは:NTT東日本・西日本が提供していたサービス。「0990」で始まる番号に電話をかけることで、有料で各種番組(情報)を利用できた。1989年7月にサービス開始。この仕組を用いたインターネット接続サービスもあった。

真田:そうですね。2年目で年商40億に迫っていましたから。ものすごい勢いで伸びましたね。

-大久保:でも、そこでダイヤルQ2が社会的によくないという話になってしまって。

真田:はい。偽造テレホンカードが流通したことで、売上が大打撃を受けてしまいました。偽造グループが自分でダイヤルQ2の回線を引いて、そこに公衆電話からかけられるという仕組みで、紙幣の偽造に近いことをされたんです。私たちはそういう詐欺とは全く関係ないのに、ダイヤルQ2というサービスは公衆電話から切り離されました。

ところが、公衆電話からの売上が全体の40%近くを占めていたので、私たちはある日突然売上の4割を失うことになったのです

-大久保:それは経営的なダメージが大きいですね。

真田:根本的な問題は、私たちはベンチャーのくせに資本消費型のビジネスモデル、つまりインフラビジネスを手がけていたということ。よくコンテンツビジネスをやっていたと勘違いされるんですけど、当時はどちらかと言うとインフラ屋だったんです。

結局、当時は財務センスがなかったんですよね。資金が乏しいのに、リースなどを活用して全国にインフラを作っていましたから、常にキャッシュフローはカツカツ。成長すればするほど先行投資が必要というインフラビジネスでしたから。

今のインターネットの時代には理解されにくいんですけど、当時の電話システムは距離別料金制度で、距離が遠いほど料金も高騰していたんです。そんな中で、私たちは各都市にセンターを作って、その間を専用回線で結ぶという、普通の人間がやらないような工事を手がけていました。北海道から九州までの通信網をいち早く日本に作ったのも、私たち。完全にインフラビジネスです。

-大久保:なかなか、起業直後に手がけられるものではありませんよね。

真田:計画では、コンテンツを持っている人に乗ってもらって、※レベニューシェアを進めようと思っていました。売上が上がったら次の拠点を出して、先行投資をどんどん進める。順調に売上が拡大すれば、先行投資も続けられて、有名なコンテンツも私たちのところに一極集中する予定だったんです。それを前提に資金を集めていたときに、いきなり売上が40%ダウンした。

※レベニューシェア:提携形態のひとつ。パートナーとしてリスクを共有しながら、相互の協力で生み出した利益を、事前に決めておいた配分率で分け合うこと。

-大久保:それはかなりキツイですね…。

真田:もう、万事休すです。当時は※エクイティファイナンスやベンチャーキャピタルという存在がなかったので、資金は銀行借入れやリース、ローンで調達していました。そこで売上が急に下がると、返済キャッシュフローが狂い始めて、支払いができないから全額返済しろ!という事態が起こり始めて…。一気に逆回転です。

※エクイティファイナンス:株式・新株予約権・新株予約権付社債などの発行により資金調達を行う方法

-大久保:当時は、借入れ利息も高かったですよね。

真田:はい。今みたいな低金利ではなくて、僕らみたいな小規模事業者は4%、5%ですよ。

-大久保:今の2~3倍ですから、どこかでつまずくと大変ですね。

真田:計画が甘かったと言えばそれまでなんですけど。エクイティファイナンスで調達できていたら、まだなんとかなったと思うんですよね。当時は返済が毎月追いかけているモデルしかなかったので、万事休すでしたね。

だから、その次にサイバードを始めた時は、極力インフラは自分で持たずに、コンテンツだけで勝負しようと思いました。

借金返済に追われる日々に気づいた、”立ち上げのコツ”

-大久保:初期投資が必要なビジネスで逆回転を経験したことで、何か変わったことはありましたか?

真田:銀行の態度の変化ですね。支払いが滞ると、銀行マンが飛んできますよね。そこでもうダメだと判断されて、一気に回収モードに入られました。

-大久保:なるほど。その後、ダイヤルQ2から別の仕事に移られるわけですよね。

真田:とりあえず借金を返さなくてはならないので、いろんなビジネスをやりました。当時と今の決定的な違いは、「会社の借金を、全て代表取締役が連帯保証している」ということ。結局、会社の借金=個人の借金なんですよね。今でも零細はそうかもしれません。ただ、基本的には今の若い経営者は連帯保証をしていないから、会社がどうなってもあまり影響はないですよね。

でも、当時の私は違ったので、会社が倒産しても、その借金を返すためにいろんな商売をやりました。

-大久保:どのようなビジネスを行ったんですか?

真田:いろんな職種・いろんな商売をやりましたよ。一時期は、携帯電話販売で東京の上位を占めましたよ。多分最初に、いち早くはじめましたから。他にも、駐車場経営もやりました。ビジネスを育てて、売却しての繰り返し

多分、私には立ち上げの才能があったんでしょうね。半年くらいで軌道に乗せて、その状態で売却していきました。

-大久保:事業を立ち上げるコツとかはあるのでしょうか。

真田:何をやるかにもよりますけど。まずは、初期にどうやってキャッシュフローを黒字にするかという点に集中していました

復活を狙い、サラリーマンでIT修行

-大久保:その後、株式会社アクセス(現:株式会社ACCESS)に入社。33歳にして、一旦サラリーマンになられますよね。この段階で、ネットビジネスへの進出を考えられていたのでしょうか。

真田:そうですね。Windows 95が発売された1995年は、「インターネットが日本に入ってきた年」のイメージでもあります。そのあたりから、世界をインターネットが変えるぞという意識が高まっていったように思います。だから私も、97年くらいからインターネットで起業しようと考え始めていました。96年にはYahoo!JAPANが生まれ、97年には三木谷さんが楽天を創業。そういう時代でした。

ただ、インターネットで何かやろうと思っても、技術がよく分からない。サーバーを動かすのも、自分ではさっぱりできない。そんな中、他社との差別化はどうするかといろいろ考えているうちに、「一回修行しなきゃダメだ」ということで、技術の習得のためにアクセスに入社しました。

-大久保:起業しようという気持ちを持ちながら、修行で技術を身に付けようと思われたんですね。

真田:はい。例えば、起業しようと思ったらCTOを探す必要があるんですが、自分の周りにはインターネットの技術がある人は1人もいなくて。もちろん自分自身もわからない状態ですから、優秀な技術者がいる会社に就職して、自分も勉強しながら、知識を身につけようと考えていました。

-大久保:自ら経験することで分かることも多かったのではないでしょうか。

真田:やっぱり、世界に飛び込まないと分からないじゃないですか。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」の精神で、一旦就職して勉強・修行をして、そこからもう一度独立しようと思っていました

-大久保:アクセスを退社して、独立するにあたってのエピソードはありますか?

真田:サイバードを立ち上げることになるのですが、最初はアクセスの新規事業・コンテンツプロバイダーでもやろうかなとも半分は思っていたんです。でも、それはアクセスの社員という立場を利用して得た情報やノウハウを転用することになるので、いきなり辞めてこっそり始めるのはリスクが大きい。訴えられたら完全に負けますからね。

だから、まずは事業計画をアクセスの社長に話しました。当時の社長はエンジニアで、コンテンツビジネスはやらないと言われる自信があったので、そこでプレゼンをしました。案の定、「そんなのはやらない」と断られたので、「だったら、退社して自分でやりたいです」という流れを作ったんです。

-大久保:筋を通したというわけですね。

真田:はい。ただ、当時はお金がなくって…。クレジットカードすら使えない状況でしたから。社長が一緒にお金を探してくれていて、堀(堀主知ロバート氏。サイバードの設立メンバー。)が私の分も建て替えて出資してくれることになり、一緒にサイバードを立ち上げました。

「挑戦することのカッコよさ」を感じてもらいたい
話題沸騰中【SlushTokyo】代表アンティ氏が語る「成功する起業家の必要条件」(前編)

(取材協力:KLab株式会社/真田哲弥)
(編集:創業手帳編集部)

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