映画プロデューサー 奥山 和由|100本以上の映画を作ってきた奥山流「企画実現力」

創業手帳
※このインタビュー内容は2024年02月に行われた取材時点のものです。

カンヌ受賞「うなぎ」、国民的映画「ハチ公物語」、北野武監督デビュー作など数多くの映画を手掛け、今なお走り続ける日本を代表する映画プロデューサー奥山和由から企画の実現力を学ぶ


北野武(ビートたけし)の「ソナチネ」など映画デビュー三部作、松竹史上最大のヒット「ハチ公物語」、カンヌ国際映画祭パルムドール賞の「うなぎ」、他にも「いつかギラギラする日」、「GONIN」、「226」、「RAMPO」など世間に衝撃を与えるような作品も多い。こうした100本以上の映画を製作・プロデュースしたのが奥山和由さんだ。

日本を代表するプロデューサーだが自ら監督作品も手掛けている。

奥山さん本人の人生も映画の登場人物のように劇的だ。35歳で松竹の取締役に就任。1990年代は北野武や竹中直人など異分野の才能を監督としてデビューさせた。

夢である映画を手掛ける立場になり、大ヒット作を生み出したが、シネマジャパネスクという若手を育てるプロジェクトの途中で松竹取締役を解任、会社を追放されるという憂き目にあっている。しかし、その後すぐに浅野忠信主演の『地雷を踏んだらサヨウナラ』でロングラン記録を樹立し復活、いまだに映画を出し続けている。

起業家メディアの創業手帳がなぜ奥山さんにインタビューしたのか。それは映画プロデューサーと起業家は共通点が多いと感じたからだ。夢がありかつヒットを狙える企画を立てると同時に、お金や人間関係を含めた現実と折り合いをつける仕事は、まさにスタートアップ起業家の仕事そのものだ。

映画では監督と出演者が目立つ。しかし、プロデューサーが実は重要な役割を担っている。
プロデューサーは企画から人と資金集め、トラブル処理、プロモーション、そして細部のこだわりと同時にいかに予算内に収めるか、という役割だ。

企業と違うのは永続させるか、期間の決まったプロジェクトかということだが、100本以上の作品という0から1のプロジェクトを手掛けてきた奥山さんに映画業界以外の起業家、ビジネスパーソンも学べることは多いはずだ。奥山さんもまた最近、盛り上がっているスタートアップの経営者に注目しており、異色のインタビューが実現した。

奥山和由(おくやま かずよし)
映画プロデューサー・映画監督
1954年生まれ。愛媛県で生まれ東京都で育つ。都立戸山高校、学習院大学経済学部経済学科卒業。
松竹専務を経て、現在は株式会社チームオクヤマ代表取締役社長。株式会社祇園会館代表取締役社長。株式会社KATSU-doの代表取締役会長。吉本興業株式会社エグゼクティブプロデューサー。沖縄国際映画祭エグゼクティブディレクター。

インタビュアー 大久保幸世
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計200万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら

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映画プロデューサーと起業家は似ている!?


大久保:映画プロデューサーと今のスタートアップ起業家、ベンチャーキャピタルと奥山さんがやっていたファンドがなぜかそっくりだと思いました。数十年前から先駆けて手掛けてきた奥山さんの経験が今の起業家に役立つのではと思い、今回取材をお願いさせていただきました。

奥山:プロデューサーは現実のパズルの中で大きな絵を描いてやりたいことを実現していくという、俳優や監督よりも一段複雑な面白い立ち位置だと思う。

プロデューサーは金勘定や現実の制約との折り合いも必要だが、同時に「才能への奉仕」という側面もある。起業家もマネタイズや資金調達だけでなく、「何か」「情熱を持てるタネ」「測定しにくい人の要素」がないと上手く行かない気がします。

例えば映画においてクラファンでお金を集めている人なんかを見ても極端に集まらないものと極端に集まるものにはっきり分かれている。
どこかで見たようなプロジェクトだと集まらない。

みんな刺激を求めるんだと思います。わかりやすく「100人の新人監督を作ります」とか、驚きがあるものにお金が動くと思う。

スタートアップ企業もそうで「本当にできるの!?」とびっくりするサービスほど一気に資金が集まるでしょ。

社内で駄目なら外でやる!史上空前のヒット「ハチ公」は社外で生まれた


大久保:会社に属しながら、外でお金集めをされていたと思いますが、映画の「ハチ公物語」も渋谷と関わりの深い東急を巻き込んでますよね。

映画もビジネスも何かやりたければ大きいお金や組織を動かさないといけないと思いますが、人や組織を動かす勘所を教えてください。

奥山:『ハチ公物語』のアイデアは渋谷を歩いていたときに早慶戦の後で慶応の学生がハチ公の銅像に酔っ払らってまたがって騒いでいて、警察が「日本人の魂であるハチ公の上に乗っかって騒ぐとは何事だ」と言うので思いついたんだ。

松竹社内で企画を出したけれど却下されてしまった。

仕方なく外部の力を借りようと、尊敬していた東映の岡田茂さんのところに企画を持ち込んでみたところ、「東映でやったら松竹も立場がないだろう。東急がやるということにしたらいい」ということであの作品が誕生したんだ。

自分にとっては松竹の人間が東映の社長に頼み込んだのではなくて、この業界の中で映画を何とか盛り上げて作れるように相続させるんだと思っていたので、ある意味当然の行動だった。

「松竹でやらないと決まっちゃったんだけど、どうしてもハチ公の映画を作りたいので助けてくれませんか。絶対当たるコロンブスの卵のような企画なんです。あなたの助けが必要なんです」という風に、本気で相手のことを好きになって相手のことをリスペクトして話すことを大事にしていたんだ。

テクニックにしてはいけないと思っていたから、話は多分とんちんかん。ただ頭の中の奥の方では、例えばこの映画を作ったら誰が得をするのかというような、商売という視点での本能的な計算機を持っていたとは思う。

昔から松竹の社外で資金集めをしてきたので、ずいぶんいろいろな経営者の方々と会ってきたが、つくづく思うのは「儲かるかもしれないから資金を出す」というような人はわりと少ない。

ではなぜ出すかというと、自分の中で何か欠けているものを感じていて、それを埋めるのに映画というのがスポーンとはまる時がある。そういう時に会社として出す人もいれば、個人で出す人もいるんだ。

当時、資金を提供してくれたある方に制作発表の時に何を言えばいいかなと相談されたことがあった。「まったく金は返ってこなくてもこの映画を作りたいんだ」と言ったら株が上がりますよと提案したんですが「実業家としてその言葉は死んでも言えない」と拒否されたね。

映画人と実業家の違いなんだろうが、僕にはその感覚が理解できなかった。だけど「損してもやるんだ」って言っている人は、大体儲けているよね。

「絶対儲けてみせるぞ」と言って映画を作った人が儲かったという話を聞いたことがない(笑)。

あの宮崎駿ですら『となりのトトロ』と『火垂るの墓』の二本立てで1回目のロードショーをやったときには、惨憺たる配給収入だった。

本人も「ある時期まで『自分たちのかかわるアニメーションは経済的に成功しない』という自信を持っていた時期があります。それはそういうものだと思っただけで、自分たちの方針を変えたいとは思いませんでした」と言っているぐらいだからね。

でもその後、数々の映画賞を受賞してテレビで放映されるようになって大化けし、大人気作品となったわけだ。

どんな状況でも自分は映画作りを続けるという気持ちを持ちながら、ファンドに対してもスポンサーに対して向き合うという点は、自分もずっと意識していた。1本の映画が当たらなくても、継続してもう一回チャンスを狙うということが大事。継続していれば、いつかは必ずうまくいくと思う。

話題作「RAMPO」が封印された理由

大久保:奥山さんに会うので代表作の一つ「RAMPO」の動画やDVDを探したんです。日本の全ての著作物が揃っているはずの国会図書館まで行って探しましたが入手できませんでした。どこにも無いんですね。

奥山:「RAMPO」は物議を醸した作品なんだ。DVDを出せばそれなりに売れたはずだけど、業界の事なかれ主義的な姿勢もあってどこも触りたがらなかった。

「RAMPO」は途中から監督の黛(まゆずみ)さんと齟齬が生じてしまって、最終的に奥山バージョンと黛バージョンで2つのバージョンになってしまったんだ。自分のようなプロデューサーと、監督では視点や意見の食い違いは起こりやすい。しかし黛さんとの亀裂は修復できなかった。自分が70%撮り直して、結局2本別々のバージョンとして世の中に出ることになったんだ。

他にも、江戸川乱歩の世界観を表現するために、意識できないほど瞬間的に映像を入れるサブリミナル効果を試して、後で騒動になったりと批判もされた。

しかし海外でも評価が高くて、その後、ロバート・デ・ニーロとの話につながったきっかけになった作品もこのRAMPOなんだ。

ロバート・デ・ニーロのスタッフが海外の映画祭でRAMPOを見ていて、ロバート・デ・ニーロが日本に来た時にRAMPOの制作者ということで仲良くなった。向こうのロケにも行ったり親交を深めて行ったんだ。いずれお互いに一緒に映画を作ろうという関係になって、まずはニューヨークで一本映画を撮ったりもしてみた。しかし、ロバート・デ・ニーロとの約束を果たせないまま自分自身が松竹を追放されてしまったんだ。

資金が集まり若手が育つ仕組みを作りたかった


大久保追放された理由の一つがシネマジャパネスクですよね。映画とベンチャーは似ている面もありますが永続的か単発かという違いがあると思います。

しかし奥山さんは資金と人材が回る仕組みを作ろうとした。なんだか、今のベンチャーキャピタルやスタートアップのような考え方だなと思いました。

人材育成とファイナンスと海外販路を仕組み化しようとしたのがシネマジャパネスク(※)だったと思います。「フラワーズ・オブ・シャンハイ」を見ましたが、あの仕組みがもし続いていたらどうなっていたかというのは興味があるところです。「クリエイティブ・ファイナンス」の仕組みづくりに着眼した奥山さんの発想にスタートアップの起業家としては興味があります。

※1989年に映画ファンド(映画製作資金を投資家から調達し、興行成績に応じて配当するという仕組みの投資商品)の第一号となる『226』を公開した。またシネマスクジャパンでは、1億円前後の低予算で作った映画を、3~4館ほどのシネマジャパネスク専用上映館を基本に、作品規模やテイストに応じて上映館の数を臨機応変に変化させるプロジェクト。CS放送チャンネル「衛星劇場」のオリジナルコンテンツ製作という側面もあった。

奥山:「みんなが賛成するものが成功するとは思えない」ということは映画作りのような業界において往々にしてある。新しいことをやろうとするときに、自分が信じられる惚れ込みがあれば、それが一番金脈なんだと思うんだ。

シネマジャパネスクというブランディングの中で、ブランディングである以上は価値を担保しておかなきゃいけない。

経営やプロデュースも同じだと思うんだが、やっぱり過去のデータというのは重要だし、ちゃんとした方程式というものが細かく散らばっているわけだから、なるべくそれはかき集める。かき集めるんだけれども、最後の最後のところは「自分の直感を信じて動かないと結果は出てこない」というのが今までの経験を振り返っていえることだと思う。

どうしても作りたいというパッションから始まって、形は後からついてきたんだ。スタートアップ企業の創業者の方々というのは、きっともっと頭がよくて(笑)、そういう方から見れば僕なんかは後手に回ってバタバタと作っていっている。

でも、結果として当時全くなかった映画ファンドというものを作り、そしてその次に、ファンドをより巨大化していくためにシネマジャパネスクというプロジェクトがスタートした。ちょうどその頃にCS放送が始まったわけだが、今でいうサブスクだよね。「衛星劇場」の料金が月々1,200円と、ちょうど映画の入場料金と同じ金額だったんだよ。

前売り券のような感覚で、前もって払ってもらった入場料金で映画を作って、そして最終的にはここでオンエアするから、その映画が当たっていれば、また「衛星劇場」の会員が増える。

有望な若手監督による数多くの邦画が製作され、日本映画の中心を作るサービスだと自負していたんだけど、道半ばで思いもよらない事が起こったんだ。

突然の松竹追放

奥山:1998年1月取締役会の緊急動議で僕が松竹取締役を解任され、それにともなってプロジェクトも中止となってしまったんだ。

奥山の独断専行、シネマジャパネスクが赤字というのが表向きの解任理由だ。

人事の独断専行と言われても、そもそもプロデューサーは人を差配するのが仕事だし、シネマジャパネスクも短期間で力のある若手の映画も出て、これから回収というタイミングだったんだ。

実際の理由は、既得権を持っている人達との間に表には出せない暗闘があったんだ。お金の部分をきれいにしていくと都合が悪い人もいたりとかね。

表向きの解任理由とは関係ない部分で、社内政治でクーデターを仕掛けられてしまったというのが本当のところだね。

失脚直後に「地雷を踏んだらサヨウナラ 」のロングラン記録で復活。映画を作り続け100本以上に


大久保:松竹を追われてすぐに、浅野忠信主演の『地雷を踏んだらサヨウナラ』でロングラン記録を樹立していますよね。会社に依存しているとそこでだめになってしまうと思いますが、奥山さんの場合、ハチ公物語も社外の力を借りて作っているし、元々、会社に依存していないから独立しても映画ができるんですね。

奥山:松竹のクーデターの翌日には、ナムコの創業者である中村雅哉さんがウチで会社を作るからおいでよと言ってくださって、製作会社「チームオクヤマ」を作った。

東北新社と業務提携したり、吉本興業と業務提携したり。松竹を追われてしまった後でも、一緒に仕事をやろうとか声をかけてくれる人もいたんだ。

今でもフリーで映画が作れる状況になっていて色々な企画に挑戦しているよ。

世界を見よう!

大久保:カンヌなど海外での受賞作や、ロバート・デ・ニーロとの交友など日本の映画界の中では海外市場に目が向いていた珍しい存在だったと思います。国策のクールジャパンなどもありましたがパッとせず、逆に後発で人口も小さい韓国に日本の映画が追い抜かされたのはなぜでしょう? そこにも日本の映画業界や他の業界にも通じる課題や今後のヒントが隠れている気がします。

奥山:昔は韓国の映画界の人が日本の映画作りの現場に来て、教えて欲しいという時代もあった。映画の作り方を日本人が教えてもやっぱり一昔前の韓国映画の独特なクオリティになってしまったり。日本の方がはるか先を行っていた時代もあったんだ。

でも、その後「シュリ」あたりからハリウッド映画のように世界で売れる映画が出始めて、その後一気に抜かれてしまった。作る人の情熱もそうだが、お金の集め方、世界での広げ方もすごい。

自分もファンドで若手を育てながら世界を相手にできる作品を出して、資金が回ってまた若手が育つという循環する仕組みを作りたかった。でも日本の映画界は停滞し続け、いつの間にか韓国に遅れをとってしまったのは残念だね。

テクノロジーは映画を変えるのか?映画界の今後


大久保:映画(有料×リアル)が、テレビ(無料×広告×非リアル)になり、また一周してネットフリックス(有料×非リアル)で形態が変わってきています。

今後、映画やDVDに比べると、ネットと動画だと、レアなソフトを配信しやすくなったり、課金の仕方も多様になり新しいことができるのではないかと思いました。奥山さんが考える映画とネットの関係にも興味があります。

奥山:今の日本映画の置かれている状況というのは「アニメには資金を出すけど実写には出さないよ」という現実があるよね。実際に興行収入が発表されたのをアニメと実写とそれからインディーズと分けてみると、すごい数字となっている。実写がこんなに落ち込んじゃったのは衝撃だよね。

しかし、山登りの1発目のピッケルを刺すことができれば、あとはわりと楽に山を登っていけると思っているんだ。こっちも自信ができるし資金も人も集められるし、声もかかってくるから。そのために今は監督作品を作っているところなんだ。

新しいことへの挑戦と情熱の源泉

大久保:未だにテーマもスタイルも異なる新しいものを作り続けており、作品の幅も広く挑戦し続けている感じを受けました。奥山さんの仕事への情熱がどこから出てくるのかに興味があります。
また、今の情熱はどこに向いているのかに興味があります。

奥山:少し前から大久保さんみたいな方や若い人たちにどんどん会っていて、若いスタッフと仕事をしているとなるほどと思うことがいっぱいあるんだ。

考えが固まっている人と話してもつまらないし、得られるものも少ない。だからスタートアップとかインディー系の人とか新しい人に会って刺激をもらっている。

自分も、今まさに手掛けている作品があってそれを絶対成功させたい。
2つ同時に企画しているんだけど、一つは「竜二」っていう全力で映画を撮りきった後に、力尽きて監督が亡くなってしまった、という伝説の映画がある。その映画は作る過程も含めて熱狂的なファンが多い。その人が残したいい脚本があってそれを映画化しようとか、いつもやりたい企画があるんだ。

だから一緒にやってくれる仲間、それも自分とは違うバックグラウンドの若い人や起業家みたいな人とも関係を広げていきたいと思っている。

映画ができたら、スタートアップの人にも見て欲しい。
若い起業家の人でさらに踏み込んで一緒に映画を作りに関わりたい、出資から広げるところまで関わりたいという人がもしいたら、映画というものがもっと広がって嬉しいね。

成功すると話題作りでSNSでお金配りをする社長さんもいるよね。でも若い社長さんには映画作りみたいに皆で何かを一緒に文化や作品を作り上げることに関わって欲しいと思う。

昔から文化や芸術はその時代のお金持ちが育ててきたわけで、文化を一緒に作り出すというのが最高の名誉であり娯楽だと思っているんだ。そんな楽しみも起業家の方には知ってほしいと思う。映画作りを応援したい、関わりたいという人がいれば連絡をくれれば嬉しいですね。

大久保写真大久保の感想

取材では過去の貴重な話もしてくれましたが、いま手がけている次の企画を情熱的に語っていたのが印象的でした。

実績があっても安住せず、次のやりたいことに常にチャレンジしていき、巻き込めるものは何でも巻き込んでいこうという若いスタートアップ起業家のようなチャレンジングな姿勢に刺激を受けました。

また奥山さんから口癖のように出てくるのが「日本の映画界はこうあるべきだ」という視点。自ら手掛ける企画だけでなく、同時に日本や業界全体も考えるという姿勢は起業家がものを考えるときに学べる部分だと思います

スタートアップ起業家も自分の事業の範囲だけでなく日本や業界全体のような広い視野が加わるとよりスケールが大きくなるかもしれませんね。

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(取材協力: 映画監督 奥山和由
(編集: 創業手帳編集部)



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