チャンスメーカー 平林満|印刷屋からノベルティ製造販売に業態転換!インターネットを活用した地方企業の成功戦略
スキルの標準化で組織力強化!福井を代表し地方創生にも貢献する地方企業の成功要因に迫る
企業がプロモーション活動を行う際に使用するノベルティグッズ。文具やトートバッグ、Tシャツなど多彩な種類から選ぶことができ、自社のブランドや製品の認知拡大を目的に顧客や一般消費者に配布するなど、日本のビジネスシーンに欠かせない存在となっています。
このノベルティ市場において、福井県に本拠を置きながら全国展開に成功した地方企業として脚光を浴びているのがチャンスメーカーです。
同社は福井の印刷会社として創業し、ノベルティ製造販売に業態転換。現在では福井と東京に拠点を設け、販路拡大に対面営業とインターネットを活用し大きく業績を伸ばしています。
今回は代表取締役CEOを務める平林さんの代表に就任するまでの経緯や、地元福井で地方創生にも貢献しながら全国展開に成功した要因について、創業手帳代表の大久保がインタビューしました。
チャンスメーカー株式会社 代表取締役CEO
1970年生まれ。福井県吉田郡永平寺町出身。専門学校卒業後、大阪の印刷会社での営業の経験を経て、1993年、平林印刷株式会社に入社。2003年、代表取締役に就任。2005年に業界先駆けとなる、BtoBの販促専門のECサイトを立ち上げる。その後、東京営業所を立ち上げ、市場開拓と売上拡大に大きく貢献。2019年、チャンスメーカー株式会社に社名を改称。
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計250万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら
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この記事の目次
小学生時代に家業を継ぐと決断。印刷専門学校・大阪の印刷会社を経て事業承継
大久保:御社はお父様の代まで“街の印刷屋さん”として平林印刷を営んでいらっしゃいました。平林さんは福井県で3番目に古い、歴史ある会社を受け継がれたんですね。
平林:弊社の前身は、1910年に曾祖父の平林弥一が創業した印刷会社です。祖父が二代目、父が三代目で、私は四代目ですね。
大久保:幼い頃から家業を継ぐと決めていらっしゃったそうですね。
平林:双子の弟がいるのですが、幼少期から「家業は継ぐものだよ」と両親や親戚に言われて育ちました。
ちょうど小学生のときに私と弟のどちらが継ぐのかと親に聞かれ、弟は「継ぎたくない」と答えたんです。それで自然と「じゃあ長男の俺が継ぐか」と決めました。
大久保:英才教育のような環境だったんですね。外部できちんと修行もされたと伺っています。
平林:父の勧めで東京の印刷専門学校に通い、2年間基礎からすべて学んだあと、大阪の印刷会社の営業部門に所属させていただきました。
周囲は大卒ばかりでしたので、「大卒には負けないぞ!」という反骨心を持ちながらがむしゃらに仕事をしましたね。3年間働かせていただいたのですが、おかげさまでトップセールスとして経験を積むことができました。
大久保:それからご実家に戻られたんですね。当初は悪戦苦闘の連続だったと伺っています。詳しくお聞かせください。
平林:平林印刷に入社したのは1992年でしたが、「このままでは会社の存続が危うくなる。なんとかしなければ」と強い危機意識を抱きました。
理由はいくつかあるのですが、なかでも最も大きかったのが年間の経常利益が300万程度だったことです。
売上が約9,000万あって、対する利益は約300万。車1台分ほどの金額です。黒字だったものの「車を破損させたら終わってしまうような会社なんだ」と愕然としたことを今でもよく覚えています。
当時の従業員は約10名。ほとんどが定年を過ぎていましたので、まずは採用に力を入れて若手を増やしたり、高いモチベーションを維持しながら仕事に邁進できるよう創意工夫したりと、とにかく毎日無我夢中でした。
私が入社してから売上はおよそ倍の約2億に到達したのですが、そこから3億まで10年かかっています。「なんとか経常利益を増やそう」「従業員が最高のパフォーマンスを発揮しながら楽しく働いてもらえるようにしよう」と必死でしたね。
大久保:その甲斐あって、売上3億から一気に飛躍されたんですね。
平林:おかげさまで3億到達以降は順調に伸ばすことができました。
時期が前後しますが、2003年4月に代表取締役に就任しています。2019年10月には「お客様のチャンスメーカーでありたい」という願いを込めて、チャンスメーカーに社名変更しました。
ノベルティ製造販売業に業態転換し、インターネットを活用して全国展開に成功
大久保:御社では販促品やノベルティグッズを取り扱う通販サイト「販促花子」を運営されています。代表取締役へのご就任後にローンチされたんですよね。
平林:はい、「販促花子」の開設は2005年4月です。
大久保:インターネットを活用し、福井に本拠を置きながら全国展開に成功された素晴らしいサービスですね。「販促花子」のサービス構想に至ったきっかけについてお聞かせください。
平林:大きくわけて2つあります。
1つ目は、印刷業からノベルティ製造販売業への業態転換を進めたことです。
そのまま印刷業を営んでいても先細りが見えていましたし、営業利益率が低いこともネックになっていました。
一方、ノベルティは利益率が高いんですね。加えて、弊社ではそれぞれ得意分野が異なる多彩な外注先とお取引を継続していましたので、「お客様の細かなニーズに合わせてサービス展開するノベルティ通販サイトに対応できる」と決断することができました。
大久保:顧客の希望を汲んで最適な外注先に発注できるのは御社の強みのひとつですね。続いて2つ目についてもお願いします。
平林:2つ目は、営業の負担を減らすために規格商品の製造を決めたことです。
印刷業は商品ありきではないため、都度お客様にヒアリングを行い、的確にニーズを掴みながら形にしていく必要があります。非常に高いスキルが不可欠ですので、能力が足りないとお客様から相手にしてもらえないことも少なくありません。
その結果、入社1年〜2年目の従業員が落ち込んで自信をなくし、すぐに辞めてしまうことが続きました。先ほどお話しした若手を増やしても、離職者が後を絶たなかったんです。
そんなとき、知人の保険外交員が既存の複数の保険プランを組み合わせて自作のチラシで商品化し、その内容をすべての顧客にご案内する手法により高成績を収めていることを知りました。詳しく話を聞かせていただき「これだ!」と。
この手法をヒントに「ノベルティ業界でも同じことができるはずだ」とサービスの構想を固め、対面販売の商品を製造していきました。
そして対面販売以外の販路開拓として始めたのが「販促花子」です。
大久保:入社から日の浅い営業でも対応しやすいノベルティの規格商品に切り替えたことで、スキルの標準化に成功されたんですね。
平林:おっしゃる通りです。業態転換が転機となり、離職率を改善できただけでなく、「販促花子」との相乗効果もあり大幅に業績を伸ばすことができました。
売上3億から63億に飛躍。大幅に業績を伸ばした「高い目標設定」の重要性
大久保:御社はインターネットを活用した「販促花子」により全国展開を実現されました。地方に拠点を置きながら販路拡大に成功された地方企業の代表的存在だと思います。業績を伸ばしたコツについてお教えいただけますか。
平林:最も重視してきたのは「高い目標を設定する」ということです。
先ほど「売上を2億から3億に到達させるのに10年かかった」とお話ししましたが、この3億を達成したときに「いずれ必ず売上100億を実現する」と明確に宣言しました。
もちろん誰もが「無理だよ!」と口にしていましたが、昨年度の弊社の売上は63億で、「来年度は100億を目指そう!」というところまでたどり着くことができました。なぜなら目標をずっと掲げ、諦めずに走り続けてきたからです。
普通に考えたら、3億から100億というのは無理難題ですよね。それでも私はずっと従業員にも外部のお取引先などにも、繰り返し「絶対にやる!」と言い続けてきました。
3億から10億の達成でも上出来だと思いますが、そうではなくて「100億を実現する」と目標設定したからこそ現在があると実感しています。
大久保:揺るがぬ強い意思を持ち続けるためにも高い目標設定が重要で、高い目標設定をするからこそ意思が揺るぎにくくなる効果もありますよね。
平林:はい。目標があるからチャレンジできますし、諦めそうになったときにも「絶対にがんばるんだ!」と踏ん張ることができます。
低い目標を設定してしまうと考え方も変わりませんし、チャレンジもしなくなります。だから私は従業員にも「高い目標設定をしてチャレンジしようね」と伝え続けていますね。
地元への恩返し。福井の地方創生への取り組みと、販路拡大を目的とした東京進出
大久保:平林さんが福井を拠点とすることにこだわっていらっしゃる理由についてお聞かせください。
平林:やはり出身県であることが一番大きいです。地元に対する愛着がありますからね。もし他都道府県に生まれていたら、その土地のためにがんばりたいと考えていたと思います。
大久保:福井県のバックアップも手厚いそうですね。
平林:福井には「企業を育てよう」という土壌がありますので、あらゆる面でサポートしていただいています。弊社はもちろんですが、福井で事業を営む多くの企業がこのサポート体制に感謝していて「恩返しをしていこう」と考えているんです。
じゃあ私たちができることはなにか?と模索したときに、今すぐできるのは福井で事業を行い業績を伸ばしていくことだなと。
こうした背景もあり、福井に本拠を置く企業はどんどん前向きに事業展開し、積極的に地方創生に取り組んでいます。
大久保:福井で業績を伸ばしていくためにも、東京をはじめとする全国展開が必須だったわけですね。
平林:はい。市場規模を考えると、やはり東京は外せませんからね。
弊社では「販促花子」での全国展開だけでなく、東京に営業本部を置いています。現在約40名体制ですが、もう少し規模を拡大させて100名くらいにしようと計画しているところです。
2023年6月に大手町への移転を控えているのですが、さらなる人材確保を狙っているからなんですね。移転と同時に本社機能を分散させ、福井本社と東京本社の2本社制にする予定です。
大久保:東京に営業本部を構えた理由についてお聞かせください。
平林:弊社はBtoB事業を展開していますので「営業組織は顧客に最も近い場所に置いたほうがいい」と考えたからです。そこで顧客が集中している東京に営業本部を設置し、採用も強化しました。
一方、福井のほうがあらゆる面でコストを抑えることができますので、営業本部以外の物流センターやデジタルファクトリーなどはすべて福井に構えています。
このように弊社では福井と東京の利点をそれぞれ活かしながら会社運営を行っていることも特長です。
地方企業が東京進出を成功させるために欠かせないインターネットでの営業活動
大久保:地方企業が東京に営業拠点を設け、販路拡大を実現するのは言うほど簡単なことではないと思います。同じように東京進出を目指す企業へのアドバイスとして、御社が成功された秘訣についてお教えください。
平林:やはり「販促花子」を浸透させていたことが大きかったです。
実は最初の頃、ダイレクトに東京に出向き営業展開を試みたのですが、人脈もなにもつくらずに飛び込んだため非常に苦労しました。
BtoC事業なら地方のみの営業でも広げられると思うんです。一方、弊社のようなBtoB事業は市場規模を考えても、やはり対面での顧客接点を設けられる東京進出は不可欠でした。
そのためにはWEBだなと。そこで「販促花子」を軸にインターネットでの営業活動を強化していきました。
大久保:確かにWEBサイトでサービスを提供すれば、全国どこからでも目を通してもらえますし、名刺代わりになりますよね。
平林:おっしゃる通りです。ですから東京に進出して営業拠点をつくりたいのであれば、インターネットを活用するのが効果的ではないかなと思います。
業種によって違いはありますが、しっかりとしたWEBサイトを構築しておけば商業ベースで考えても突破口になるのではないでしょうか。
目標達成の秘訣は「必ず実現できる」と信じ、試行錯誤しながらやり続けること
大久保:最後に、起業家や事業を承継された方々に向けてメッセージをいただけますか。
平林:起業家や事業を承継された皆さんは、誰もが目標を持って会社運営をされていらっしゃると思います。
先ほどもお話ししましたが、私は「目標は必ず実現できる」と信じているんです。その過程で挫折することもありますし、実現できるタイミングがずれることもあるかもしれませんが、それでも諦めずに試行錯誤しながらやり続ければ実現は可能だと思っています。
ぜひ皆さんも、がんばって事業を続けていただきたいと願っています。私も経営者の仲間として、これからも共に研鑽していきたいです。
大久保の感想
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(取材協力:
チャンスメーカー株式会社 代表取締役CEO 平林 満)
(編集: 創業手帳編集部)
高齢化した10名程度の地方の印刷会社で、守りに入る経営者が普通だろう。しかし平林さんは果敢に新しい領域に打って出た。
インタビューで話してくれたように10年ほど伸び悩んだ時期もあったが、受け継いだときから100倍もの売上(年商が9000万円から目標の100億円)にしつつある。福井に本社を置き、全国に販路を広げて大成功を収めている。地元への貢献度は計り知れないし、また地方の古い会社でもネットを使って全国区で大成功している事例として、多くの経営者に勇気とヒントを与えるのではないだろうか。
大久保が感じたチャンスメーカー平林さんの成功のポイントのまとめは下記の通りだ。
チャンスメーカー平林さんの成功のポイント
1. 売るのは全国や東京。作る本社は地方
高くて大きい市場で売り、地の利とコスト競争力のある地元に仕事を創出する、という構造だ。ネットで広げ、同時に東京の市場も営業で攻略する相乗効果だ。
2. 新しい業態にチャレンジした
縮小傾向・過当競争の印刷市場から販促品という、ひとひねりした市場に参入した。近い業態だが、チャレンジする会社が減り難易度が少し上がる分、競合が減り、付加価値の分利益率が上がりやすい。
3. 個人技から組織の成果にシフトした
多くの社長に参考になると思うのが、個人スキルから仕組みで売る形式への転換だ。どうしても社長やエースのマネができず、それ以上組織が伸びないということが成長途上では起こりやすい。そこを普通の社員でも頑張ればできるパッケージ化・通販化で仕組みにしたのがスケールした要因だ。
4. 大きな目標を掲げた
まだ規模が小さいときから、人に笑われても100億円という大きな目標を常に掲げていた平林社長。言い続け、考え、協力者を増やして、本当に目標を達成しつつある。斜陽産業かつ大きくない商圏の会社を受け継いで100倍もの規模にしたのは福井の奇跡と言って良さそうだが、決して成功したのは偶然ではない。大きな目標は、やはり目標設定して公言しないことには到達しない。恐れずに言い続けやり続けた平林さんの粘り勝ちだ。
自分も取材していて「なるほど、それでここまで成長したのか」と納得する言葉が多かったです。平林さんの成功のポイントが皆様のヒントになれば幸いです。