若新 雄純/わかしん。| ニートを集めてNEET株式会社を作ったら地獄だった。その先に見えたもの

創業手帳
※このインタビュー内容は2022年10月に行われた取材時点のものです。

※このインタビュー内容は2022年9月に行われた取材時点のものです。

ニートを集めてみよう。ニートを集めたら地獄だった。尖った挑戦をし続ける男の告白


全国から集まってきたニートが全員取締役を務めるNEET株式会社や、地元の女子高生を集めてまちづくりに取り組む地方自治体で行ったJK課など、数々の実験的プロジェクトを手掛けているのが、株式会社NEWYOUTH代表でプロデューサーの若新雄純(愛称「わかしん。」)さん。

20歳で初めて会社を設立し、後に東証プライム上場企業になった会社の共同創業者兼副社長でもありました。感性のままに走り地獄を見るような経験もしながら、誰も踏み込まないディープな領域まで攻め続ける若新さんに聞きました。

若新 雄純(わかしん ゆうじゅん)/わかしん。
株式会社NEWYOUTH 代表取締役
福井県若狭町出身。 慶應義塾大学学院修了、修士(政策・メディア)。
「今も思春期」を自称する。慶應義塾大学特任准教授、株式会社NEWYOUTH代表取締役。諸事情で各種役職を退任する方向

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NEET株式会社という壮絶な実験

ー若新さんといえば、NEET株式会社のイメージが強いですよね。どういう狙いで設立されたのでしょうか。

若新:もう10年くらい前の話ですけどね。一言で言うと、実験したかったんですよね。

検証したい仮説がたくさんあって、そのイメージを実装したいという思いとか、自分では想像できない範囲のことも実験して確かめてみたかったんです。

ーなるほど。実験だったんですね。

若新:それまで僕は、今でいうところのいわゆる「フリーランス」的な働き方を続けてきていました。パソコンと携帯1台だけでいろいろな仕事をして、それだけでそこそこ食べれるようになっていた時期でした。時間も自由だし、大学でも研究をしていて、タワマンにも住んでいました。

20歳くらいの頃からの、「独立してこういう仕事の仕方をしたい」という夢が叶った時期だったんです。

そこで、「これからの仕事は、今までの仕事の延長線上よりも、何か世間に問う仕事がしたいな」と思ったんです。そういう思いの中で企画した仕事の1つが、NEET株式会社でした。

ー実験!?どういう視点で実験をしたかったのでしょうか。

若新:大学院では人間のモチベーションの研究をしていたのですが、その頃から人の動機付けに興味がありました。その延長で、社会からはみ出たニートのような人が、どのような要因で動機付けられるのかに興味がありました。

あとは、新しい「居場所」「村」的な場所に関心があったりとか、はみ出した人たちが寄り添うことができるのかとか、異質な人が集まるとどうなるかとか、そうしたさまざまな直感や仮説をまとめて実験したくて、NEET株式会社を作りました。

ー実験してみた結果、どうでしたか。

若新やっぱり、人間同士がつながることって、想像以上に難しいんだなと思いました。ニートの皆さんって、いい意味でも悪い意味でも人間らしくって、上下関係とか制度とかそういうものが通用しない人たちなので、本当に難しかった。その後もいろいろな場所作りをしてきましたが、いまだにNEET株式会社のコミュニティ以上に難しいものはありませんでした。まあ地獄のような人間の恐ろしい面を見た感じでしたね。自分にとっては修行のようなものでした。

企画者・プロデューサーという立ち位置

ー若新さんは大学でもお仕事をされていますが、研究者とお呼びしたほうがいいのでしょうか。

若新:僕自身は、自分のことを学者だとは思っていないんですよね。博士号も持っていないし、大学の先生として専任とか常勤で働いているわけでもない。学者と堂々と言えるかというかは際どいですね。研究者の端くれくらいです。

それよりも、僕は自分のことを「企画する人」「プロデューサー」と位置付けています。やりたいことを考えて予算を組んでチームを作って。そういうことをする人です。

ー確かにNEET株式会社もプロデューサーの立場ですよね。

若新:抽象的なことを説明することが好きで、得意なんです。世界観をまとめることや、どこに面白さを見出して世間に問うのか・何をポイントとして物事を動かすかなどを考えて設計するのも得意です。

どんなプロジェクトや仕事も、究極的には人間関係で上手くいくかどうかが決まると思っているので、そこを重視しています。

ー人間関係にご興味がおありなんですね。

若新:そうですね。僕個人としては、集団行動はもともと好きではありません。部活も途中で辞めたりしてきましたし。組織に適応するのは得意ではないのですが、自分にとって心地いい人間関係を作り直すことをずっとやってきたんです。最近になってそれがようやく上手くできるようになってきました。

大学での僕の立ち位置も珍しいかなと思っていて。ラボの運営をしているんですね。企業から研究資金や寄付金を集めて、他の先生のところの優秀な学生を雇ってお金を払って、仕事をしてもらっています。ラボのプロデューサーですよね。

だから僕は、プレイヤーもしますけど、本業はプロデュース業だと思っています。

「JK課」と「青春」のまちづくり

ー若新さんといえば、NEET株式会社ともう1つ、地方自治体で行ったJK課ですよね。これも尖ってますよね。

若新:地元の女子高生を市役所に集めてまちづくりをする。それがJK課です。

ただ、僕が一番やりたかったのは、学校の先生が推薦するような優等生ではなくて、どこの街にもいる多数派の女子高生を市役所に呼ぶことです。それこそ、校則も守っていないような。そういう女子高生って、街の多数派だと思うんですね。そういう意見を入れることで、より街が面白くなるんじゃないかと思ったんです。

もともとまちづくりって、正解がないものを実験することじゃないですか。その答えのなさを楽しむために、偶発性を取り入れるために、大人たちが扱いにくい女子高生をJK課に呼び込むことに注力していました。

ーJK課の活動は今も続けられているのでしょうか。

若新:今はもう引退しています。

でも地方自治体でJK課をやったことで実験的な企画を自治体と一緒に進めるノウハウができたので、最近でもいろいろな街で活動しています。

最近力を入れているのが、高校生が「青春」だとみなせる場所を作ることです。大人たちが正解を決められない点が、「青春」のいいところです。

実際に富山のある街で、予算1,000万円を高校生たちに渡して、彼らが「青春」だと思えるような企画を作って実行してもらう、ということを毎年やっています。

ー1,000万円というと高校生にとってはすごい金額ですね。

若新:でもその1,000万円は彼らがどう使ってもいいんですよ。失敗してもいい。とにかく彼らがそれを使ったことで、「青春だった」と思えれば成功。

ー高校生にとっては非常にいい経験になりますね。

若新:そうなんですよ。活動を通して「いい時間を過ごしたな」と思えれば成功。実際に、JK課を経験した多くの子たちも、地元に残ってくれています。

ー若新さんの言う「青春」とは何でしょう。

若新:不確かだけれど忘れられないもの、ですかね。

同じように、「遊び」も大事だと考えています。遊ぶことで、経験値が増えていく。それが人生を豊かにすると思うんですね。そういう不確かな経験こそが面白い。

確かに、僕も日本の教育を受けて育ってきたので、貯金もするし、肩書きも揃える。そのような「目に見えるもの」に価値を見出すこともあります。

しかしその一方で、そうした「目に見えるもの」だけで人生を評価されるのは苦しいじゃないですか。どれだけ稼いでも上には上がいますし。肩書きだってそうです。

それよりも、過去の思い出とか経験、そうしたプロセスこそが面白いんじゃないですか。そういう「遊び」の中で面白いことを見つけたいと僕も思っています。

ープロセスこそが面白いということですね。

若新:そういう意味で、僕は地元も大事にしています。最近では、地元福井に数年かけて基盤を作ってきました。会社も作って、地元から役割も与えてもらって。地元でも活動しながら、より自分の人生を面白くしたいと思っています。

ー福井県のいいところを育てたい、ということでしょうか。

若新:というよりも、何もない、日本有数の田舎だからこそいいんだ、と思っているんです。安心できるし、いい意味で諦めがつく。そういう故郷を持ち続けておくことは、いろいろとチャレンジして面白い人生を歩むためにも、重要だと思うんです。帰る場所があることが。

苦手なことは人に任せる

ーどういう基準で仕事をしているのでしょう?

若新向き・不向きはすごく考えてきました。自分にとって苦手なことは極力減らして、得意なことに集中することが、僕の仕事の仕方のベースとなっています。

得意なことは大変になっても自分でやればいいですが、苦手なことは他の得意な人に任せる。そうすると、そこにリスペクトが生まれるじゃないですか。僕のようなズボラで他人に気遣いできないような人は、そうやってリスペクトして周りの人に動いてもらうしかないんですよ。

ーまあ、しれしかないですよね。

若新:人に任せるのが下手な人が多いですよね。自分のコピーを作るとか、自分もできることを人に任せるとか。マネジメントはそういうことではないと思う。下手な組織の作り方ですね。もっと、みんなが得意なことに集中したほうがいい。

どんな場所でもそうですが、偉くなる人は欲張りな人だと考えています。もちろん、僕も含めてですね。欲を満たしていく過程で偉くなる。

一方で、他人の欲を満たしてあげることに価値を感じる人もいる。そういう人と持ちつ持たれつでいいチームを組めた人が、上手くいくと思うんです。僕は欲張りなので、そういう人と上手くやるためにも、人一倍リスペクトを持っていたい。他人に頼りながらね。そうして自分のことに集中してきた結果、今があるという感じですね。

人と人をつなぐのは「文化」

ー若新さんの考える組織で大事なことは?

若新大事なのは仕組みを超える「文化」のようなものですね。バラバラな人間同士をつなぎあわせることができる「文化」です。

大企業からベンチャーまで、さまざまな組織作りをお手伝いしていますが、「文化」という切り口で支援しているプレイヤーは僕くらいではないでしょうか。だからこそ、「若新さんだからお願いしたい」とバイネームでお仕事をいただけることも多いです。

ー急がば回れで、「文化」を最初に粘り強く作っておけば、結果としてその後の事業成長スピードが速くなるんですね。

若新:そうなんです。そういうことを、今まで体験してきました。

「そういう文化だから」というと、人は納得しやすいんですよね。でも「文化」が固定されてもよくないので、絶えず「文化」を更新し続けられる組織作りも意識しています。

「文化」が先にあって、その後に仕組みを作るのがいいと思っています。仕組みが先ではありません。

「地味な奇人」のすごさを直感で見抜く

ー若新さんは上場したベンチャーの共同創業者でもありますよね。

若新:大学の先輩と二人で創業しました。誰が大物になるかを見抜く目利き力には昔から自信があるのですが、「この人は大物になるな」とその人と出会ってすぐにわかりました。

その方を一言で言うと、「地味な奇人」。大学でもあまり有名ではなかったのですが、ビジネスを作ることにかけては本質をついていた。彼は当時、友達も少なかったので、会社を始めるときに「一緒にやろうよ」と数少ない後輩のうちの1人である僕に声をかけてきた。僕も就職するつもりがなかったし、信用していたので、「例え失敗に終わっても、いい経験にはなるだろう」と思って一緒に創業しました。彼は創業当時から「これは上場するビジネスになる」と言っていて、僕もそれを信じていました。周囲の人たちはそれを聞いて笑っていましたね。

ー創業当時はどんなことをされていたのでしょうか。

若新:彼の考えていることとか、やろうとしていることを言語化することをメインにやっていました。組織がすぐに大きくなっていったので、僕のそのような仕事が役に立つフェーズはすぐに終わってしまったのですが。僕はあくまで、0を0.1にすることをした程度ですね。最終的には上場し、株も持っていたので、彼を信じてついていったおかげで人生の早い段階で大きなボーナスをもらえることにもなりました。それは僕の目利き力・感性に対してのボーナスでもあったのかな、と思っています。

直感を信じて面白い方を選ぶ

ー若新さんは今までにいろいろなお仕事をされてきていますが、どのような基準でお仕事を選ばれてきたのでしょう。

若新基本的には直感、感性です。
選んだほうが面白そうなものに、積極的に関わっていくのが僕のスタイルです。
ベンチャーも、「やろうよ」と言われて、「いいな」と直感的に思ったことがきっかけでした。

ーこれからは、どのようなお仕事をされていくのでしょう。

若新:何かを成し遂げたいとか、どこかに辿り着きたいとかはないですね。ただ、常に感性を磨き続けてきたし、それはこれからも続けていきたいと思っています。

組織作りのお仕事もそうですし、プロデュースのお仕事も含めて、さまざまなことを経験して、感性を磨き続けてきたし、それをまだ続けたい。

ー感性を磨くことで、事業感が磨かれるというイメージですかね。

若新:いえ、感性が磨かれればビジネスパーソンとしてのレベルが上がる・人生がよくなる、というわけでもないと思っています。ただ、すべてのプロセスが深まる、というイメージですね。

結局最後はみんな死ぬわけじゃないですか。人生一回きりだし、死が待っているわけだから、それまでのプロセスをどう楽しむかでしかないのかな、って思っています。

ーそのプロセスの中で、起業というものをどう捉えますか。

若新起業とは、自分の人生をシナリオライティングできることだと思っています。

思い通りにならなくても、少なくとも、起業することで自分の人生のオーナーにはなれる。自分の人生の物語を、主体的に生きていけるようになるんですね。その中で、勝手に仲間や環境ができていくこともある。

僕が最初に会社を作ったのは20歳のときです。やることも決まっていなくて、ただ会社を登記して社長の名刺を作っただけ。みんなからは笑われていましたが、結局その後、「若新らしい人生になったね」と周りから言われるような人生を歩めてきました。「自分の人生の舵を握ろう」と思って会社を登記したときに、僕のストーリーが始まったんだと思います。

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