KINS 下川穣|常在菌「マイクロバイオーム」で事業展開し世界の医療・健康に寄与
「歯科医✕マーケティング」掛け算のスキルを活かした先で出会ったマイクロバイオームは医療人としてのセンターピンに
株式会社KINS(キンズ)は、腸内細菌や皮膚常在菌などの常在細菌に関するプロダクトを提供する企業。代表者である下川穣さんは、歯科医師から起業した異色のキャリアの持ち主です。
医療人として下川さんが魅せられた、常在菌からなる細菌叢(さいきんそう)「マイクロバイオーム」の有用性について、日本の医療の展望、ビジネスにおけるスキルの掛け算など、菌を使った一歩先の医療からビジネスへの向き合い方まで、創業手帳の大久保がお話を伺いました。
株式会社KINS 代表取締役
岡山大学歯学部を卒業後、都内医療法人の理事長(任期4年3ヶ月)を務める。クリニック経営を任されながらも、2,500名以上の慢性疾患に対する根本治療を目指した生活習慣改善指導を行う。医療法人時代に、菌を取り入れることによって体質改善した原体験をきっかけに菌ケアによる根本治療の可能性を感じ、2018年12月に株式会社KINSを創立。現在はシンガポールに拠点を移し、アジアへの事業拡大を図る。
Instagram:https://www.instagram.com/yutaka411985/
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計250万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら
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この記事の目次
歯科医✕マーケティングのスキルで経営参画
大久保:下川さんは歯科医師としてキャリアをスタートされたのですよね。
下川:ええ、そうです。岡山大学歯学部を卒業し、歯科医師の道に進みました。ただ、もともと高校生ぐらいの時から、起業や社長として事業を運営することに関して非常に興味があったんです。堀江貴文さんなど若手の事業家が華々しく活躍し始めた時期と重なったこともあり、大学の長期休みには実家にも帰らず、大学の図書館でビジネス書を読みあさっている変わった歯科学生でした。
歯科医が事業をするとなると、普通はクリニックの開業です。20代前半は「いつかは自分も開業するのだろうな」と、歯科医としてクリニックに勤めるかたわら、自分で事業をしたりマーケティングやセールスを学んだりして、開業に備えていました。
そんな時、勤めていたクリニックのマーケティングを任せてもらえるチャンスがありました。医師として勤務もしつつ、売上を上げる戦略を立案しチャレンジしたところ、それが思いの外うまくいき、ずいぶん認めてもらえました。今は起業する医師も多い時代ですが、当時は医師業とは別にビジネスをしている医師は少なかったんです。特に地方都市の福岡でそんな人種はほぼいなかったこともあって、若手でしたがチャンスを与えていただけたのだと思います。
私はマーケティングのプロではありませんので、オーソドックスな取り組みをしただけなのですが、私の例のように、医師でありながらマーケティングの知識があるなど、既存の専門分野領域に新しい切り口を掛け合わせる「掛け算のスキル」を持った人材というのは、通常では出ないバリューが出るのだと実感しました。「こういうキャリアの進め方もある」と気づき、28歳頃に開業しようと思っていた計画を見送り、福岡から東京に出てきたのがひとつの転換点です。
大久保:なるほど。「掛け算のスキル」を活かしていく道をとられたのですね。
下川:そうなんです。次は歯科だけではなく、皮膚科や消化器内科、婦人科などを標榜するクリニックの理事長として本格的に経営に参画しました。非常にタフであり勉強になる経験でした。歯科だけではなく、全身のことが分からないと、マネジメントも事業戦略も描けないので、毎日必死で勉強しました。
また、雇われ理事長というのは最高位の中間管理職のようなところがあります。最大限の責任があるうえに、思ってもみないことをやらされることもあるといった状況の中で、経営の勘や決断力、切り抜ける力などは、好むと好まざるとにかかわらず磨かれていきました。当時は煩悶したこともありましたが、当時の経験値は起業の時に非常に役に立ちました。
30歳にして、雇われ理事長とはいえ、思い描いていた社長になることができ、しかもプレイヤーとして臨床現場に立ちながら、医院経営を行うチャンスをいただいたことは、本当に幸運だったのです。業界の中で掛け算が1回決まるごとに、視座がワンランク上がるように思います。若い時にそうやって視野を広げ、次へのチャレンジにつなげることができたのは大きな財産です。
疾患への新しい切り札マイクロバイオーム
大久保:なるほど。大きな転換点だったのですね。クリニックの理事長時代にマイクロバイオームに出会ったのでしょうか。
下川:そうです。総合的なクリニックの臨床現場に立つ中で、慢性疾患を診療することが多く、なにかいい診療法がないかと思案していました。大学と共同研究をする機会に恵まれて、深く知ったのがマイクロバイオームです。これは医療界のイノベーションになると、深く感銘を受けました。海外の論文を読み漁り、クリニックで研究に着手、共著で論文も書きました。
それまでは、プレイヤーであると同時にビジネスの目線でも医療を見ていたのですが、様々な医療に関する専門分野の中で、自分の「センターピン」を見つけた実感はありませんでした。しかしマイクロバイオームというテクノロジーは、私の医療人としてのあり方のど真ん中に入り込んできたのです。これを起点に事業を広げていきたいと思い、2018年に起業しました。
大久保:今一度、下川さんから、マイクロバイオーム創薬について教えていただけますか。
下川:特定の疾患や症状に対する効果が期待される、医薬品と認められるポテンシャルをもっている菌です。
例えば、アレルギーや便秘、睡眠の質の低下や鬱傾向などで困っている方は、腸内環境のバランスが乱れていることが多いです。いっぽうで、より原始的な狩猟採集の生活をしている民族の方は、毎日汗だくになって仕事をし、夜になるとしっかり眠ります。動物的にいい流れの生活をしているんですね。落ちているものや木の実などもたくさん食べます。これは我々の目線から見ると、腸内環境に非常にいい生活なんですね。ニキビや生活習慣病という言葉は彼らの辞書にはありません。
では、古代の生活がいいのかというとそうとも限りません。何千年も前、エジプト人の王様はフォアグラなどをたくさん食べていました。発掘調査した遺体からは、動脈硬化の痕跡がたくさん出てきます。動物学的な生き方に反すると、昔の時代でもそういうことは起こるということです。現代人の腸内では、王様でなくても同じことが起こっており、腸内環境の悪化によって慢性症状が引き起こされたりします。そこに積極的に介入し改善していくものが常在菌からなる細菌叢、マイクロバイオームに着目した創薬です。
大久保:そのマイクロバイオームは人間の体にどのくらいいるものなのですか。
下川:全身にだいたい300兆から1,000兆個ぐらいいます。彼らが色々な栄養源を取って代謝産物を出すことで、我々は健康に生きていることが分かってきました。たくさんいるのですが目には見えないので、従来は十分に研究が進んでいませんでした。マイクロバイオームは、解析技術の進化や低コスト化に伴って、ここ十数年で注目を浴びてきたテクノロジーなのですね。
大久保:すごくいいものを出す菌株と悪いものを出す菌株があるというイメージでしょうか。
下川:まさにそうです。個人によって菌のバランスが違います。それは太りやすかったり、ニキビができやすかったり、また認知機能やエイジングケア、生活習慣病といった悩みとつながっています。
腸内環境が悪いと、抗酸化や抗炎症の作用がうまく働かなくなります。菌の働きは複雑ですが、そこから肌荒れだけでなく、物忘れや認知症にまで影響することが分かってきています。「ある菌株によって特定の疾患が改善する」という作用機序が、様々な研究や臨床試験などを通じて徐々に明らかになってきているのです。
このように、マイクロバイオームに関しては創薬レベル、医薬品に認定されうる文脈まで来ており、そこがマイクロバイオームの楽しさであり可能性です。
マイクロバイオームで物販・ラボ・クリニックの3形態を
大久保:魅力的ですね。マイクロバイオームを事業にするに至る経緯について教えてください。
下川:通常、マイクロバイオーム周りはディープテックと言われるような形で、研究者が主体となって事業にすることが多いです。有用な菌株を何十年もの研究の中で勝ち得て特許を取り、そこからビジネスを広げていくというパターンです。
私の場合は創業時に何も菌株を持っていない状態でしたので、最初は売り上げで利益を上げつつ、会社を継続的にイノベーションを生んでいける装置にしたいという思いがありました。仮に有用な菌株を持っていたとしても、それ1つだけ握って漕ぎ出すのは怖いと感じました。それが本当に世の中に広がればよいのですが、うまくいくとは限りません。
マイクロバイオームはこれから確実に広がっていく業界ですが、そのピークはいつ来るか分かりません。マイクロバイオーム創薬も、アメリカやオーストラリアでは昨年及び今年に薬事承認された医薬品がありますが、日本では一部が先端医療として承認されつつ今後2026年を目標にルール整備のための動きが行われているのが現状です。私が起業した2018年の時点では、いつになるのやら分からない状態でした。ですから何回でもチャレンジできるよう、しっかり売り上げを上げ、ディープテックと通常のBtoCのハイブリッドのような設計でスタートしました。
最初はBtoCの物販事業、次に研究ラボ、3番目にクリニックという順番で立ち上げをしました。普通は、研究ラボを先に作って会社にすることが多いのですが、そうすると売上0で資金調達をしていかなければなりません。私たちの場合はそもそもの菌株を見つけるところからなので、最初に研究ラボは作れませんでした。クリニックは臨床研究ができる利点がありますが、これもある程度研究事例が揃っていないと、あまり意味がないと考えました。その点、先にBtoCを展開しておくと、ユーザーから菌を集めることもできます。
この3つの業態を掛け算し、起業してから丸5年経って新しい価値を生める状態がようやく出来上がったことになります。
大久保:今はシンガポールにも事業を広げているとのことですが、海外の方がチャレンジしやすい環境なのでしょうか。
下川:これからアジアが伸びることは明白なので、アジアの方に事業を広めていきたい思惑はありました。創業は日本ですが、2021年に台湾、2022年にシンガポールと海外事業を作っていきました。アジアでは現地の財閥企業が国の中で主要プレーヤーとなっていることが多いので、そういう方面と組んでいくとかなり効率的に事業を広げることができます。そういった人脈を作り同じフィールドで仕事をする感覚を養いたいと考え、居住地を移しました。
アジアに限らず新興国は発展するほど、医療と公衆衛生が改善されていきます。環境が綺麗になって医療が普及すると、慢性疾患が増えていく傾向があります。感染症はアフリカやアジアの一部など新興国に多く、日本やアメリカ、ヨーロッパなどの国々では少ない。しかし、先進国になるほど慢性疾患が増えていきます。これからアジアはまだまだ発展していくので、慢性疾患は増えていきます。ここにマイクロバイオームが貢献できる余地があります。市場が右肩上がりになっていく流れがある程度見えている点で、事業のしやすさはあると思っています。
大久保:医療的な環境について、日本とシンガポールはどう違うのでしょうか。
下川:マイクロバイオームを医薬品の観点から見ると、日本もシンガポールも、アメリカなどから比べると若干遅れています。しかし、シンガポールや台湾は、漢方のある中華圏文化なので、生きている菌を扱うことは生活に深く根付いています。一般の市民に、ビタミンCのサプリと〇〇菌のどちらがいいかを尋ねると、〇〇菌の方が印象がいいと感じます。西洋医学ではないもので体質を変えるという考え方が受け入れられやすいので、そういった点でマイクロバイオームの市場は大きいという印象です。
日本にも予防医療の波がやってくる
大久保:医療に関わる海外在住者の目線で、日本の医療業界はどう映りますか。
下川:色々な目線があるのですが、まず何より海外の医療費は非常に高額です。その点で患者サイドとしての第一印象は「日本って素晴らしい」というものでした。国民皆保険であまねく広く、誰もが医療を受けられるというのは非常に大きな利点です。
しかし、アメリカをはじめここシンガポールでも、医療費が非常に高額なので、一般の人々は皆、まず病気にならないようにという高い健康意識を持っています。日本では「病気になって困ったら病院に行けばいい」、なんなら「あまり困っていなくても気軽に病院にかかる」という風潮がありますが、こちらではその考え方は少ないです。
大久保:海外では、高額の医療費ゆえに予防医療が盛んであるとのことですが、日本にも程度の差こそあれ、予防医療の流れはやってくるでしょうね。
下川:そうですね。保険診療を維持するために、なんらかの負担が増える可能性はあると思いますし、今後、日本でも予防医療の重要性が増していくと思います。
大久保:今後の展望を教えてください。
下川:創業5年の節目が過ぎ、来年は6年目です。継続的に独自菌の候補を得られる環境も整ったので、新しい研究をどんどん生み出していきたいと思ってます。10月には大規模な資金調達も行いました。新しいシーズを使ったビジネスを、日本だけではなくグローバルで展開するチャンスに来ているので、新しい形で漕ぎ出していけるかなと思っています。
大久保:これからの起業家にはどんなことを伝えたいですか。
下川:起業家は世の中にないことを始める人ですから、手探りで進まなくてはいけない時期もあります。最初の光が当たるまでは、暗闇の中でひたすらジャブを打ちまくる辛い時期があると思います。しかしどこかで「今入ったな」という手ごたえが来て、一気に光が降り注いでくるタイミングが来るものです。腐らずにとにかく打ちまくる。泥臭いかもしれませんが、それが一番の近道だと思っています。
大久保の感想
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(取材協力:
株式会社KINS 代表取締役 下川穣)
(編集: 創業手帳編集部)
最近、弁護士や医師など従来スタートアップにいかなかった専門家が、テクノロジーを活かしてより多くの人を救いたいと起業する人が増えています。
キャリアと経験とリソースを戦略的に積み上げてきた下川さんの今後にも注目ですね。
予防医療ですが、今後海外のように自己負担を増やさざるえない業界構造があります。医療費がめちゃくちゃ高いアメリカでは例えばサプリにお金を使う、という構造があり、タイムマシン経営的な観点でいうと、このタイプの市場は自動的に伸びるので注目の市場だと思います。