オープングループ 大角 暢之|前世は犬!?天性の「経営の嗅覚」で見抜く次世代のビジネスチャンスとは
ゼロから創る!逆境をチャンスに変える新規事業の立ち上げ方
時代の流れとともに急拡大する事業があれば、衰退したり大企業に吸収されたりする事業もあります。時にはたった1つの選択を誤ったことで、その後の企業の行く末を大きく左右することもあるでしょう。
バブル時代に広島から夢を抱いて東京へ挑戦し、数々の危機を乗り越え、その都度新しい事業の立ち上げを行ってきたオープングループの大角暢之さんは、新規事業立ち上げや地方を支える労働力提供の仕組みを構築してきました。
そこで今回の記事では、大角さんのこれまでの経緯や次に可能性を感じている事業領域について、創業手帳の大久保が聞きました。
オープングループ株式会社 創業者
1970年広島県生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、1995年にアンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア株式会社)に入社。1999年にソフトバンク株式会社に転職し、2000年にはオープンアソシエイツ株式会社を設立(後にRPAホールディングス、オープングループへと発展)。その後、2013年にビズロボジャパン株式会社を創業(後にRPAテクノロジーズ、オープンへと社名変更)。2016年には一般社団法人日本RPA協会の代表理事に就任し、日本のRPA業界を牽引する存在となる。2022年からはシャイン株式会社の社外取締役を務め、多方面で活躍している。
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計250万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら
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この記事の目次
バブル絶頂期に青春を過ごした広島から夢を抱き東京へ挑戦
大久保:これまでのご経歴から教えてください。
大角:1970年12月に広島で生まれ、今年54歳になります。
私はバブル絶頂期に思春期を過ごしました。当時は新技術が次々と登場し、テレビで見る東京の華やかさに刺激を受ける一方で、地方での生活に物足りなさを感じていました。
そして、自分もいずれ起業したいという思いで、大学への進学で東京に出てきました。当時は学生起業のブームが起こっており、大手企業から予算を与えられ、広告研究を行っている人もいました。
私も学生起業をして、起業のママゴトのようなことをしていました。
ただし事業は上手くいかず、生活のためにもお金を稼がなければいけなかったため、内定をいただいた大手コンサルティング企業で5年間、真剣に仕事しました。
2000年ごろにインターネットが普及し出し、ネットバブルの時代に入りました。
元々、成功したいという思いで東京に来たものですから、やるなら今だと沸々と思いを膨らませていました。
大手コンサル会社から金融系ベンチャー企業に転職
大角:当時知り合った方の中に、アメリカから会社を持ってきている方がいて、その方の誘いでその事業会社に移ることになりました。
そこでは、5人で1社のビジネスを回しているようなやり方で、海外からの事業にチャレンジして立ち上げることをやっていました。
その中で金融系セクターに加わり、今の会社の基盤となる会社を起業することとなります。
大久保:コンサルでは着実に実力を、そして起業でベンチャー文化を身につけていかれたのですね。
大角:徹底的にミッションをこなすために、何がなんでもやり切ることを叩き込まれました。
コンサル会社としても、他社は川上を攻めていくところが多いところ、我々は川下に進んだことで世界一になり、後に経営者になった人が多くいます。
インテリジェンスではなく、無知でも突っ込んでいくようなイメージの社風でした。
テレアポで「一流の企業から仕事を取る」というミッションで2回目の起業
大久保:その後、起業された後はいかがでしたか?
大角:マンションの1室で4人で起業したのですが、口だけ番長で仕事をしていたものですから、お金だけすぐに無くなり、結局は元の畑のコンサルの仕事を取って凌いでいました。
社外の兄貴分的な方にも相談していましたが、「何もない中で思いさえあれば価値は発揮できる」と言われ、テレアポで「一流の会社から一流の仕事を取る」ことをミッションに、改めてスタートしました。
当時、売るものはありませんでしたが、テレアポで商品開発と営業を同時に行っていました。
この時に0から1を生み出すことに必要なのは、夢と実行力だと気付かされました。
そして、普通は誰もやりたがらないことこそビジネスにできると思い、新規事業の立ち上げ屋を行っていきました。
実際、大手企業に新規事業が集まっている時代で、そこの仕事を担っている人と言えば、人事評価があまり良くない人たちでした。
そこに外部の我々がテストマーケティングの役割を担うという建て付けで拡大していき、30人規模の組織にまで成長したというのが、スタートのフェーズでした。
リーマンショックを機に立ち上げた3つの新規事業
大久保:その時はかなり順調に仕事が取れていたのですね。
大角:日本の新規事業の1%くらいは開拓できていたという自負はあります。
リーマンショックになってからは、仕事の8割がなくなってしまいました。
今となっては笑い話ですが、代表も「金庫に金がなくなった」と話していたほどです。
そのため、やはり他社をコンサルティングするだけでなく、自社サービスを育てないといけないと思い、新規事業を立ち上げていきました。
1つ目は、新規事業の立ち上げ部隊の営業代行をする部分を切り出して、リーグル株式会社を作りました。こちらは外資系ソフトウェアの事業を中心に、どんどん数字になっていきました。
2つ目は、新規事業の立ち上げで入らせていただいていた会社の中で、10億円くらいまで売り上げが上がっていたのにもかかわらず、リーマンショックの影響で事業を捨てるところがあり、そのまま事業を引き継ぎました。
3つ目は、コンサル時代にIT業界を攻めていくという思いから立ち上げた会社で、今でも続いているロボットを派遣する事業です。
2016年ごろには、RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)がブームになりましたが、当時日本でやっているのは我々だけでした。
そこから大波が来ることになり、ポジションを守っていくために、RPA協会やRPA BANKの立ち上げ、そして会社の名前もRPAに寄せて、上場を進めていきました。
会社名を現在の「オープングループ」に変えたきっかけ
大久保:波に合わせて、会社名も形も変えていくのがユニークで面白いと思いました。
大角:思いを軸に、いかに演出するかが大事です。
社名を変える時も、兄貴分の方に相談していて、検索した時に他社に取られてしまうことを防いだほうが良いし、元祖は俺たちなんだと誰が見ても明白なようにすべきと言われ、3時間後には社名を変更しました。
ですが、これをやっていなかったら、大手企業に潰されていたと思います。
とはいえRPAだけではなく、もっと先を見据えてやっていたこともあり、再度社名を変えることとなりました。我々は関与せず、次の世代の熱いメンバーに話し合ってもらい「オープングループ」という会社名になりました。
大久保:大角さんは、いろんな方の良いところを吸収していることがすごくわかりました。
大角:私、前世は犬だと確信しているんです。そして現世で初めて人間になったんだと思っています。
例えば、利害を考えるところで、私は関心を持てず、騙されたりすることも多いです。逆に、良い人にも出会ってきました。
私は部下に「営業は子犬になりきって行け」と教えています。
子犬を見るとみんな本性を出して、可愛がってくれる人と嫌悪感を表す人で感情が明らかなので、その方の人付き合いが一発でわかります。
大久保:運を引き寄せる力があるように思えます。
大角:そうではなくて、ずっとチャンスを探しているんです。
結果的に、地方で仕事をすることも増えて、感謝されたりするんですけど、バリューがあって良かったなと思います。
大久保:前世が犬だけに「経営の嗅覚」という感じですね。
この先の起業家が注視すべきポイント
大久保:次に嗅覚が働いている、興味あるポイントなどはあるのでしょうか?
大角:社会人として働き始めて35年が経って、もう嗅覚は底をついたと思っていました。
これまで戦後のレガシーの上にビジネスは成り立ってきましたが、そのレガシーがなくなったことで、次は論語を貫ける時代が来ると思っています。特にヘルスケア領域など、そろばんの世界ではなくなっていきます。
これからの10年、今の若い人には見ておいてほしい分野だと思っています。
そして「プロデュース バイ ジャパン」というのが1つの大きなキーワードです。
特にデジタル周りは、アメリカから輸入したものが日本法人を通して入ってきていますが、結局は日本という国にとっては赤字なんです。
そうではなく、日本の事業として作っていかなければいけません。そして、それが可能な時代になってきています。
もちろんサーバーなどはシリコンバレーの企業を使うのでもよいですが、その上に乗るビジネスは、日本がプライシングして日本にお金が落ちてくるようにしないといけません。
私もアメリカにいる10年来の付き合いのある仲間と日本にビジネスを持ってくるために、来年から本格的に動こうとしています。
起業家としての人生を充実させるコツは「愛情表現」
大久保:オープングループとしての今後の展望を教えてください
大角:オープングループとしては、来年25年目を迎えますので、次の四半世紀に向き合っていくことだと思っています。
我々は日本で唯一、労働力を提供している会社だと思っています。労働の量と質の能力には自信があります。
BizRobo!(業務自動化を実現するRPAツール)だけでも「5億時間分の労働力」を日本の地方に提供しているとも言えます。
そのため、これから3〜5年は、労働力が足りなくて事業の伸びが頭打ちになっている業界を支えていきたいと思っています。
もう一つは「共創開拓」で、私がメインでやっているところです。
私が犬のように全国を嗅ぎ回っている時にできた仲間たちがいるので、日本の現場の供給の問題を共創活動で解決していくことです。
例えば、国内に海外のスタートアップビジネスを持ってきて、日本全体にシフトしていくことを中長期的にやっていきます。
今、外資企業がどんどん日本に入ってきていますが、日本としては現場を回して、サスティナブルに継続していかなければなりません。
さらにその先、超長期的には日本のお母ちゃんを助けて、優秀な日本人を生み、海外からも人を呼び込んでいくことを実現したいです。
大久保:最後に起業家へメッセージをお願いいたします。
大角:一言だと難しいので、大事な考え方をお伝えします。
会社を作ろうが、商売をしようが、何をしようが、人間はどうせ死んでしまいます。
だからこそ、何のために自分は生きるんだろう、表現するんだろう、ということに向き合ったほうがいいです。
頭で考えるのではなく、自らのエネルギーとは何かにしっかり向き合うことが、1番重要なんじゃないかと思います。
大事なポイントとしては「愛情表現」です。自分のやりたいことをいかに表現していくか、しっかり考えてください。
(取材協力:
オープングループ株式会社 創業者 大角暢之)
(編集: 創業手帳編集部)