Chatwork山本敏行×創業手帳大久保対談(前編) 時代を先取りした“和製ビジネスチャットツール”開発秘話

創業手帳
※このインタビュー内容は2019年04月に行われた取材時点のものです。

創業手帳大久保が、山本敏行氏のこれまでを聞きました

(2019/04/22更新)

チャットツールはfacebook、Skype、LINE、slackなど外資の巨大企業を含めた大手のプロダクトがひしめく中、国産のツールとして普及しているのがChatwork。日本有数の会員を持つビジネス向けクラウドサービスです。

Chatworkは山本敏行氏・正喜氏兄弟が立ち上げ、事業面を兄の山本敏行氏が、製品面を現社長の正喜氏(CTOから代表へ)が育ててきました。敏行氏はアメリカに滞在しながらリモートで事業の指揮をとってきましたが、その後日本に帰国して、神戸にChatworkの本店登記を移しました。

現在敏行氏は代表を正喜氏に譲り、自らの知見をYouTube動画「戦略チャンネル」で配信したり、1日CSO(チーフストラテジーオフィサー、最高戦略責任者)などを展開しながら、日本の地域に密着した精力的な活動も行っています。

山本氏がこれまでどんな経緯で事業を立ち上げてきたのか、今後はどんな展望を考えているのかについて、山本氏の様々な活動を通じて関わってきた創業手帳代表の大久保幸世がインタビューしました。

山本 敏行(やまもと としゆき)
1979年3月21日、大阪府寝屋川市生まれ。 2000年、中央大学商学部在学中に、EC studioをロサンゼルスで起業。 2004年にEC studioを法人化し、2011年3月1日、クラウドベースのチャットツール「ChatWork」の販売を開始。 2012年、ChatWorkに社名を変更。米国法人をシリコンバレーに設立し、拠点を海外に移す。海外から戻りChatWorkのCEOとして活躍するも2018年6月社長を弟の正喜氏に譲り退任。現在は、1日CSOなどの活動を展開。

インタビュアー 大久保幸世
創業手帳 株式会社 代表取締役

大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計100万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。

インターネットとの衝撃的な出会い 時代を先取りしたリモートワーク

シリコンバレーと大阪の家業。世界と現実のはざ間で生まれたChatwork

大久保:まず、山本さんが、なぜ起業したのかから伺えますか?もともと社名はChatworkじゃなかったですよね。他の事業をやっていて、どうして、Chatworkが出来上がり、そして今に至ったのか知りたいです。

山本:もともと大阪の生まれで、両親が音楽スタジオを営む商売の家で育ったんです。現在ChatworkのCEOになった弟の正喜が2歳下で、昔からPCいじってゲームなんかを作っていました。PCを自分もいじったんですが、当時はインターネットも普及していない頃でしたから、パソコン通信で海外に住んでいる人とやり取りができることに衝撃を受けました。起業には自分を変えるような衝撃的な体験が必要だと思います。私の場合、この時の衝撃が他の体験と合わさって、後の起業につながっていきます。

パソコン通信の存在を知ってから、ネットで筋トレグッズを売ったり、翻訳の仕事をしたりとか、主婦でできる仕事のリストを売り始めました。これがビジネスの原点です。

起業する時にプログラミングスキルがなかったので、スロバキアのエンジニアにこうやってくれ、サーバー保守はインド、プログラマーはアメリカにいい人をみつけてとかやってました。

海外の人に強力を仰ぐにあたって、必然的にチャットで指示を出すようになっていきました。当時はICQ、MSメッセンジャー、とかを使っていました。これがChatworkの原点かもしれないですね。

Chatwork創業者・山本敏行の起業のルーツ

  • 家が音楽スタジオで経営が身近に
  • 弟、山本正喜氏が幼少期からPC利用に長けていた
  • PCに出会う。頭に雷が落ちるような衝撃
  • 海外とチャットでやり取り

大久保:ネットが普及してなかった時から、しかも学生時代にチャットを使っていたって、とても先進的ですね。学生生活が終わってからは、どんなルートを選んだんでしょう?

山本:大学を出た後、就職せずに自分の会社をやります、と言ったんですが、親に大阪に連れ戻されました。実家の音楽スタジオを継いでほしかったんですね。一時的に父親の会社で働くことになり、親の会社の仕事と、親の会社の近くに拠点を作って、EC studioという会社名で自分のビジネスを続けていました。これなら良いだろうということで。

時間が無い!から生まれたチャット活用

山本:音楽スタジオの仕事をやりながら自分の事業もするわけですから、時間がなくなりますよね。だから効率的にやる必要があった。連絡を取るにしてもメールだと遅いので、チャットでやる必要があったんです。

時間がなかったから効率化を考えた。

自分は普通のサラリーマンをしたことがないので常識がないと言えますが、逆に発想が絞られないという意味で、常識がないのが良かったと思っています。常識で考えたら、チャットを仕事の伝達手段のメインにするとか、考えられないですよね。当時はメールですら、企業では普及し始めですから。

弟の正喜が、大学を卒業してIT企業に就職し、そこでSEOとかプログラミングとかをやっていたんです。その後、彼をウチの会社に引っ張んたんですが、今から思うと、なんとしてもジョインしてもらおうと、無茶苦茶やりましたね。自分も社員も必死でした。

自分たちが欲しいツールを徹底的に作り込んだ結果、Chatworkが生まれた

自社製品に振り切る!

大久保:EC studioが後のChatworkになったんですよね。具体的にはどんなビジネスを行っていたのでしょうか

山本:会社は最初、業務効率事業をやっていましたが、方針転換をしてPCソフトを売り始めました。G suiteやセキュリティソフト、1ジャンル1ソフトを売り出すということをやっていました。G suiteを日本に広めて、有数の代理店になったり、けっこう儲かっていました。ただ、人が作ったものを売っていると物足りないんです。代理店として、他社の製品を扱っていると、メーカーの都合に振り回されることもあります。

うちはマーケティングの会社だけど技術力もある。自分たちで作れる!という気持ちが常にありました。
メーカーの都合で卸率を変えられるとか、求めていない機能がアップグレードでついて高くなりましたとか。そういう外部の都合で振り回されるのではなく、自分たちでできないかと。人のものではなく、本当に自分たちが満足する製品を作って、送り届けるということですね。

自分たちで自分たちが満足する製品を作り、自分たちで売る!

大久保:そういった思いが、Chatwork誕生につながったのですね。どんな問題を解決するつもりで作ったのか、リリース後の反響はどうだったかについても教えてほしいです。

山本:もともと我々は一般のチャットツールを使って事業を行っていました。その中で、既成のツールの限界を実感しました。個人向けのツールだったこともあって、社員が辞めてもデータが消せない、検索機能が弱い、など会社で使うには複数課題がありました。同じ機能を持ったビジネス用のツールを開発できないか、と思ったんです。

今でこそ働き方改革が注目されていますが、当時は、長く働けば良いという風潮でした。そんな時に、業務を凝縮して、効率的に働くためのツールを作ろうとしていたので、当時は社会的な背景や既成の概念からなかなか使ってもらえないのではないかという懸念がありました。

チャレンジングな自社製品・最悪社内ツールとして割り切る

大久保:浸透しないかもしれないという課題について、どんなスタンスだったんでしょう?

山本:Chatworkは、自分達が使いやすいものを作り、取引先とのコミュニケーションツールにして、外販もするということにしたんです。製品として上手く行かなくても、最悪社内ツールで良い、と割り切ったんですね

格言

上手く行かない場合の腹決めをした

社内がヘビーユーザーだから良いものができる

山本:開発は最初弟一人に任せたんですが、社員全員がチャットはどういうものか理解していたので、こんな機能があったらいい、という要望が社内から出てくる。ヘビーユーザーで知り尽くしているわけですよね。社内から不満噴出すると、開発も強制的にがんばらないといけない状況でした。こうして製品としての完成度が上がっていって、今でいう働き方改革、業務効率化のツールとして、動画配信サービスで紹介番組を配信したんです。

他社のチャットツールを使っているユーザーに、「実はChatworkを作って、超便利です、クラウドでできます」ということを伝えたら、ブワーッと、凄い勢いで盛り上がったんです。思ったより外のニーズが強いぞ、と確信を得て、最初から有料プランをリリースしました。グローバル展開も目指していましたね。

設立から15年目で、資金調達に動く

大久保:Chatworkは、当時かゆいところに手が届くツールの集大成だったんですね。事業の拡大についてはどんなイメージをもっていましたか?

山本:もともとグローバル展開を目指していたので、僕自身はChatworkの実証実験をするためにシリコンバレーに行くことにしました。実際にビジネスを立ち上げて実行し、成果を出しました。

もともと自己資本100%でやっていくというポリシーでしたが、思い切ってサービスとして跳ねるか、派手に散るかどちらかだという覚悟で、立ち上げから15年めで、資金調達活動を始めました。結果としてGMOさんはじめ、総額18億円を調達することができ、この資金で一気にChatworkをグロースさせる方向にかじを切りました。

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(編集:創業手帳編集部)



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