【第1回】交渉の達人に聞け!元国連事務次長・明石康の「説得の極意」
元国連事務次長 明石康さん インタビュー
(2016/03/09更新)
創業すると交渉や説得の連続だ。人の採用、取引先やパートナーの開拓など全てが交渉といっても過言ではない。しかも創業期の紛争は大きな危機をはらむケースも多い。ハードな交渉を乗り切る極意は何か。「究極の交渉人に交渉の極意を聞こう!」という創業手帳編集部に、交渉でも考えうる限りの最高難易度の「国際紛争の調停人」の第一人者が応えてくれた。
日本人で国際紛争の調停人の第一人者といえば、国連事務次長を務めた明石康氏だろう。多くの出身国の職員からなる国連で、キャリアを一職員からスタートして国連事務次長まで上りつめた日本人は明石氏だけである。
国際機関の要職で明石氏は、利害、民族も宗教も違う戦争・国際紛争を裁いてきた。カンボジアや旧ユーゴにおける複雑に絡み合った戦争状態の中で、世界の元首、「独裁者」とも渡り合ってきた。
その難易度は創業後のゴタゴタの比ではない。その明石康氏に「人を説得する極意」を聞きに行った。
明石氏は、いまだに10もの要職を兼任し、次の世代の育成に情熱を燃やすバリバリの現役。理事長を務める六本木の国際文化会館で、明石氏は数多くの修羅場をくぐってきたとは思えないほど、優しい笑顔で創業者に役立つように語ってくれた。
秋田県出身。東大卒業後、アメリカ留学を経て、日本人初の国連職員に。1979年に国連事務次長に就任。その後も国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)代表などを務め、カンボジアや旧ユーゴスラビアの国際紛争の調停を行った。200万人もの国民の大量虐殺を行ったといわれるカンボジアのポル・ポト派など世界の「独裁者」達とも粘り強く交渉し和平の実現に尽力した。現在、国際文化会館理事長の他、新渡戸国際塾、明石塾など人材教育も行っている。
日本から出たら色々な世界が見えてくる
明石:日本人が国際的な交渉の場に立つと不便を感じ問題が多いと言われています。日本の政治家や外交官が交渉する場合は日本という国を背中に負って、いつも日の丸を意識しながら交渉する必要があります。
しかし、起業家というビジネスの場では自然体で、できるだけ人間対人間で率直に話し合うのがいいと思います。
私は、世界中の会議に参加しますが、国家間の問題、宗教とか民族とか文化の問題に直面します。先日もオランダのハーグで「スレブレニツァの悲劇20周年」という討論に参加しました。
20年前に旧ユーゴのスレブレニツァで8000人近いイスラム系のボスニア男性がセルビア人勢力に捕まり、無残に殺害されました。国連がPKO(平和維持活動)を展開している地域で行われたため国連の責任も問われたのです。
アメリカ、ロシア、イギリス、フランスの人達や、会議を開催したオランダの人達も国連PKOに参加していました。討論ではそれらの国々からの参加者が火花を散らすことがありました。
ハーグには、国連安保理事会が作った特別法廷がありムラジッチというセルビア人勢力の最高司令官の裁判が行われました。その場で、私は20年前の紛争の実態について、当時の国連責任者として私の見たままに証言しました。
多くの国が集まる国際的な会議の場では、当然背景や立場が異なると見方も異なってきます。日本人は日本にこもって、ガラパゴス的な世界で生きている人が多いようですが、日本的な枠からはみ出てみることによってもっと別の世界が見えてくるのです。
読者の方は創業者なので世界に出ていくことも当然にあると思います。世界の広い場で、気負いすぎずに、自分の立場から自然に振る舞えることが、非常に大事だと思います。
人を説得するのは英語力ではない。話の中身と人間力
明石:日本人の英語力はアジアの中でも残念ながら高くない。中身以前に、英語力のところで非常に損をしていると思います。
アカデミックな分野でも英語力の面でアジア各国に遅れを取っている。例えばハーバードに留学生する日本人は減り続けている。どうしたことかと海外で思われているわけです。
ただ、英語は重要ですが、単に英語をペラペラ喋ることができれば良いわけではない。実際に中身が無ければ意味はないですから。
英語力と、英語で話す中身、職業上の判断や人間力などすべてが実際は重要です。
日本人は英語ができないことで損をしているので勉強しないといけないですが、一方で話す中身、人間性が伴わないとそれだけでは通用しません。
明石:シンガポールやオランダのような小さい国は、国際国家として日本より動きも早い。情報力もある。日本には敏捷さが無いです。
日本の市場は、何とか飯を食っていける程度には広いけれども、中国とかアメリカのような巨大な市場ではない。シンガポールや韓国などは、大きな世界市場に出ていかざるをえない。
日本は非常に恵まれている分、世界に出ていかなくてもやっていける。だから内向きになってしまうと思います。
あるアメリカ人が「日本は大きなシンガポールを目指すべきだ」と言っています。
シンガポールの外交官や政治家の英語にはシンガポール訛りがしばしばありますが、日本人に比べればはるかに良い英語で、自分の意見をどしどし述べています。
亡くなったシンガポールを建国した元首相のリー・クアンユーさんのリーダーシップもありました。私は日本はとても恵まれた良い国だと思います。しかし良い国であるが故に外に出なくても何とかやっていけるという安住感がある。だから困るのです。
それから、少子化の影響で、親が子供を手放したくないという気持ちからか、留学する日本の青年は、中国に比べてもインドに比べても韓国に比べても明らかに数が少なくなっています。
アジアの他の国の人に比べて英語もそんなに下手ではないのに、間違いの無い英語を話さなければいけないと思い込んでいる。自意識過剰でシャイになってしまっている。日本人は完璧主義の人が多いのでしょう。これがとても残念です。
歴代の国連の事務総長は皆それぞれお国訛りの英語で仕事をしてきています。
例えば非常に尊敬されたダグ・ハマーショルド(第2代国連事務総長。コンゴ動乱の際に飛行機事故で亡くなった。)はスウェーデン出身でした。
前国連事務総長のコフィ・アナンはガーナ、今の潘基文は韓国出身です。それぞれ訛りがあるわけです。それでも、あまり気にしない。そこまで行ってしまえばしめたものなのです。
訛りのある英語でしゃべっていても、話している内容がしっかりしていて相手にアピールしているか、価値があるものかが肝心です。内容で勝負しているのだということを忘れてはならないのです。
相手は違う文化・宗教に属している。相手のバックグラウンドをきちんと尊重して気持ちを傷つけないようにする配慮は欠かせません。ただ、日本人は遠慮しすぎなので、もっと率直に自分の考えていることを言えばいいのです。
日本人の宗教は「武士道」!?
明石:でも日本で自分の友達と話すのと同じかというと相手は違う文化に属しているし、宗教も違うかもしれない。
日本人はあまり宗教信仰がないですね。だけど、イスラム系の人は小さい時から宗教信仰の中で育てられている場合が多い。
相手の持っている宗教はその人の文化の一部と考えて、それについて、わざわざ議論する必要は特にないけれど、相手の気持ちを傷つけないようにする特別の配慮は必要でしょうね。
明石:よく聞かれるのですが、新渡戸稲造の「武士道」という本には、日本人の宗教は何かと外国人に聞かれて、日本人の道徳・宗教にあたるのは、武家時代から引きずってきた武士道ではないか、ということが書かれています。
だから、日本人の場合は武士道が宗教に代わるものではないかと。しかしながら、新渡戸氏自身はクリスチャンなのです。
※「武士道」国際連合の前身の国際連盟の事務次長で、5000円札の肖像画で知られる新渡戸稲造が執筆。
海外で自分が無神論、無宗教ですと言うと、ちょっと特殊な人ではないかと思われがちです。海外のキリスト教やイスラムのような宗教に代わる道徳を日本人はちゃんと持っていることを新渡戸は伝えたかったわけです。
明石:日本人は悲しい事があるとお寺に行く、その時は仏教徒。めでたい事があると、神社に飛び込むから神道と、宗教を2つ持っていると思われる。そのこと自体、外国人にとっては理解のできないことです。
- 世界で通用するには
-
- 英語力が重要。
- 英語力以上に人間性や話の中身が重要。
- 英語は訛っていても良い。臆せずに自分の考えていることを言う。
- 気負いすぎないほうが良い。
(取材協力:明石康)
(編集:創業手帳編集部)