コロナ禍の影響を受けるも、日々アップデートを目指す宿。ゲストハウスVoketto三高 菖吉氏にインタビュー
肩書きを外して本来の自分に立ち返る場所を提供。そのような宿を目指す理由とは。
コロナで影響を受けている観光・宿泊業。
しかし、そんな中、着実に事業をじわじわ伸ばしているのがゲストハウス“ゆる宿Voketto”の三高 菖吉さん。
クラウドファンディングを行うなど様々な工夫をしてきました。そんな三高さんに、ゲストハウス立ち上げの経緯を聞きました。
静岡県浜松市出身大学生時代一年間休学し、ギター片手に世界一周をする。訪れた国はおよそ25カ国。2017年川根本町に移住し、自身でリノベーションしたバル併設のゲストハウス”ゆる宿Voketto”を経営する傍ら、フラメンコギタリストとしての音楽活動も行っているほか、クラシックギター、三線、二胡など様々な弦楽器の魅力を伝えている。また、リバーテーブルの製作やハンドメイド木工、大工など小さなものから大きなものまで作るクラフトマンとしての仕事もしている。
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計250万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら
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この記事の目次
普段の自分でもお客様でもなく、本来のままの自分でいられる場所
三高:良い意味で、ゲストの方をお客さん扱いしない雰囲気がVokettoの特徴だと思います。掃除を手伝ってもらったり、一緒にお酒を飲んだり、仲良くなったお客さんに声をかけて家の改修を手伝ってもらうことも。普段はできない経験ができる場所、また来たくなるような場所というのが強みだと思います。そういった雰囲気の中、お客さんも普段の肩書きを外して素の自分をさらけ出してくれて、「自分は何がやりたいのかな」とか「こういったことが好きなんだな」と本来の自分の気持ちに気が付けるんだそうです。
三高:そうですね。また、Vokettoは川根本町というところにあります。川根本町は、静岡の中でも特に品質が良いとされる川根茶が昔から有名な土地です。ただ、お茶や自然だけでなく、住民が圧倒的に個性的で面白いところがここの魅力だと思います。黄金比やフィボナッチ数を研究している大学教授や、ヒノキのかんなくずでジャケットを作ってしまう大工さん、ユンボ(重機)を乗り回す中華料理屋のおばちゃんなどいろんな人がいます。中山間地域にある人口6300人ほどの小さな町に、どうしてこんなにも個性の強い人たちがいるんでしょうね。Vokettoを訪れたゲストの方にも、そんな面白い住民たちや田舎暮らしの魅力が伝わればいいなと思っています。
三高:そういった地元の人たちをはじめ、旅行者同士、ホストなどさまざまな人たちが一つの空間に集まって交流し、そこから新しいモノやコトが産み出されていくところもこのゲストハウスの面白いところです。業としては旅館業や飲食業を行っていますが、本質的には「良い空間」や「良い時間」「特別な体験」を提供することを目指しています。
起業から今日までの経緯は。アップデートを続けながら目指す宿の形は。
自分自身が住もうと物件を気に入ったところからゲストハウス立ち上げが始まった
三高:「起業するぞ!」という感覚は、最初はあまりありませんでした。DIYやセルフリノベーションをやってみたくて、自分が住んでリノベーションができる物件を探していたときに、とても素晴らしい古民家にたまたま出会えたんです。はじめは「このかっこいい梁(はり)の家に住みたい!」という気持ちから、家全体を見てみるうちに「意外と広いからゲストハウスでもやろうかな」くらいの感覚で起業を決めました。
三高:そうです。その後ゲストハウスの収入源を考えたとき、地元で活動するNPOのことが思い浮かびました。そのNPOは、中国や台湾など、アジアの国々の小学生から高校生を対象にした農村体験やホームステイの受け入れを地元の農家民宿とチームになって進めていました。「まだまだ受け入れ先が足りない」という話をNPOの方から聞いていたので、ゲストハウスでも受け入れられれば、しばらくはやっていけそうかなと考えました。そういった話が進んで、結果的に起業していたというような経緯です。
三高:立ち上げは、大学時代にクラシックギターのクラブで知り合った友人と一緒に行ったのですが、その友人が川根本町に移住してくるまでは、首都圏や近郊のゲストハウスに泊まりに行ったり、ゲストハウスの開業セミナーなどに顔を出していました。しかし、そこで見聞きしたノウハウは、あまりにも都会的なものであまり参考にはなりませんでした。そこで次に、地元で民宿をやっている人や、同じように田舎でゲストハウスや商売をしている人のところに行きました。特に、成功体験よりも、失敗体験や「これだけはやっちゃいけない」という話をよく聞くようにしました。
三高:そうなんです。そういったことをしているうちに、このゲストハウスをどういう場所にしたいのか、最終形、理想形はどのような形かといったイメージが具体的になっていきました。どの許可を取得するかを決めて、その結果、今の簡易宿所と飲食店営業という形になりました。
1ヶ月分の予約がすべてゼロに。どう乗り越えたか
三高:体力的には、オープン前の1ヶ月が大変でした。改装やら申請やらとにかく忙しかったです。友人に声をかけて掃除や軽作業を手伝ってもらい、あとは気合と根性で乗り切りました。
三高:そうですね。精神的には、2020年の年末から年始にかけて、東京を中心に感染者が増大したことで年始の予約がすべてキャンセルになったことです。一般の予約が1ヶ月分ゼロになってしまい、先行きがとても不安でした。
三高:「住宅のサブスク」「他拠点居住サービス」などと言われているADDressというサービスとちょうど提携できたため、そこから入る家賃収入と、会員さんが飲食をしてくれる収入でなんとか乗り切れました。あとは、地元の人が泊まりにきてお酒を飲んでくれたことも本当に助かりました。
また、そもそも田舎は都市部と比べて圧倒的にランニングコストが低いので、そういう意味では、イレギュラーな事態にも耐えられるよう元々リスクを減らせていたとも言えますね。
資金調達ではクラウドファンディングにも挑戦。地域からの手助けも大きな力に
三高:思ったよりも集まらなかったですね(笑)。「このぐらいの金額なら楽勝かな」と思っていましたが、世の中そんなに甘くありませんでした。しかし、町内外への宣伝効果はあったと思います。クラウドファンディングでの援助ではなくご祝儀という形でくださった方も多かったです。
クラウドファンディングは、商品(リターン)に客観的な魅力がある、すでにファンを作っているところに資金が集まりやすいイメージがあります。ファンドのコンセプトや社会的意義といったところも支援者にとってはもちろん大事ですが、クラウドファンディング自体、良くも悪くもマーケティング的な要素が強いのではないでしょうか。
三高:一番効果を感じたのは、口コミです。インターネットが発展してきた現代だからこそ、生の声というのは効果が大きいです。2020年4月に一回目の緊急事態宣言が東京で発令する直前までは、リピーターと地元の方、またそういった方々の紹介によって稼働率が90%を超えていました。口コミ以外には、単純に集客チャネルを増やすことも有効だと感じました。
三高:いくつか活用しました。
- 川根本町の浄化槽補助金(川根本町合併処理浄化槽設置整備事業費補助金)
- 空き家バンク補助金
- 川根本町新規事業者補助金
- 静岡県新規事業者補助金
コロナに関連しては、給付金も使いました。
- 持続化給付金
- 川根本町休業給付金
町で長く商売をやっている人や移住してきて起業した人、町役場の商工課、商工会などの人と話をしている中で、「こんな補助金があるよ」というのを教えてもらいました。
三高:自分がやったことに対して値段を決めて、対価を受け取る訓練です。ちっちゃなことでいいと思います。
私の場合、親兄弟や親戚に公務員や教員が多かったせいか、人からお金をもらうという行為に対して申し訳なさというか罪悪感がありました。「本当にこの値段でいいんだろうか」「自分がやっていることは本当に価値があるのか」というネガティブな思考が強く、原価計算をしたり、周りの民宿やゲストハウスの相場などから自分で妥当だと思える料金を設定しても、本当に納得して報酬をもらえるようになるまでには時間がかかりました。自分の商品やサービスに値段の価値を決めること、受け取ることに慣れておけば良かったなと思います。
バックパッカーとして見てきた「長く居たくなる宿」を目指し、今もアップデートし続ける
三高:私は学生時代にバックパッカーをやっていて、世界中のさまざまな良い宿、長く居たくなるような宿を訪れました。バックパッカー用語で、意図せず長居してしまうことは「沈没」、そういった宿は「沈没宿」と呼ばれています。反対に、二度と行きたくないような宿もあって、両方の特徴を肌で感じていました。その経験から、人が集まる宿の条件は「水回りがきれい」「本が置いてある」「地元の人が利用する」の3つだと思い、そういった空間・サービス作りを目指しました。
改装したり、新しくサービスを始めたり、反対にあまり利用のないサービスは止めたり。今でもアップデートしているところで、来るたびに進化を感じてもらえることを意識しています。今後の状況によっては、旅館業や飲食業でなくてもいいと思っています。
人々の観光の形は「生活の中にある旅」に変化していく。
三高:人口減少は、ここ川根本町に限らず、日本の社会全体が抱える大きな課題の一つです。そこで、人口減少を前提に社会の仕組みを作り替えることができるかが大事だと思います。話が大きくなってしまうので川根本町について言いますと、今この町は自然減少、社会減少を合わせて毎月10〜20人ずつ人口が減っています。「たった10人?」と思うかもしれませんが、現在6300人のまちから年間に約200人がいなくなることを考えますと、かなり深刻な問題です。同時に、これはこの町だけでなく日本全体で起こっていることです。人口が減少することが確実であるのに移住者を増やすことを目的とするのは、ただ人が増えた町と減った町が生まれるだけで、本質的な解決にはなりません。
三高:ではどうしたらいいかを考えたとき、関係人口・交流人口を増やすことが今はベターなのではないかと思います。特に、人口が減少してもそこそこコミュニティが機能するためには、関係人口を増やすことが重要ではないでしょうか。
三高:観光業界では、所得水準が上昇するにつれて、団体旅行から個人旅行、そして体験型の旅行に変化していくことが分かっています。では「体験型の旅行の先は?」という話になったときに、気に入った場所に長く滞在し、その土地の食事や文化慣習について知りたいという知的好奇心を満たす旅行になっていくんじゃないかと思います。それはもはや旅行ではなく、移住または他拠点居住ですね。
今後、旅をするように生活する、あるいは生活の中に旅があるというように変化していく中で、人々のライフスタイルをどう捉え、観光業、宿泊業としてどのようなポジションをとるかが鍵になるだろうと考えています。
三高:10年くらいかけて、今のゲストハウスを「泊まって食べて飲んで遊べるエンターテインメント施設」にしていきたいです。そして、ここにきてくれた人たちが田舎や川根本町の魅力を感じて、拠点にしてくれたり、さらには移住してくれたらいいなと思っています。そして、ゲストハウスだけでなくシェアハウスや別の事業も展開していきたいです。
三高:そうしていきたいですね。さらには、川根本町内だけでなく他の地域や事業者と連携して、新しいネットワークやコミュニティ、サービスも作っていきたいと思っています。最後に私個人としては、百の姓(ナリワイ)を持つ者として百姓を目指していますので、大工や木工、畑仕事などさまざまな経験を積んでいきたいというのが今後の目標ですね。