CyberFight 高木 三四郎|プロレス団体の経営とサイバーエージェントグループ入りを決断をした理由【前編】
大手企業が手を出さないところを見つけて、そこを広げるというやり方が大事
2020年9月1日、ノア・グローバルエンタテイメント株式会社(以下、ノア)、株式会社DDTプロレスリング(以下、DDT)、株式会社DDTフーズの3社が経営統合をして株式会社CyberFightが誕生。サイバーエージェントグループ傘下のプロレス事業会社として始動しました。
ノア、DDTで代表を務めていた高木三四郎(本名:高木規)さんが、継続してCyberFightの代表を務めることが発表されました。各団体は事業部として運営されるため、ノア、DDTともにブランドは残ったまま、引き続き活動していきます。
その立役者であり、”大社長”と呼ばれる高木三四郎さんに、2017年にサイバーエージェントグループ入りを決断した理由や、アイデアを生み出す秘訣を創業手帳株式会社創業者の大久保が聞きました。
株式会社CyberFight 代表取締役社長
1970年1月13日生まれ。大阪府豊中市出身。株式会社CyberFight代表取締役社長であり、現役プロレスラー。文化系と言われるエンタメ性の高い興行で日本武道館や両国国技館での大会を成功させアイデアマンとして有名。2017年9月、サイバーエージェントグループに参画。
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計250万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら
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この記事の目次
資金繰りに苦労した時期も
大久保:高木さんは経営者としての顔と企画者としての顔、さらにはプロレスラーとしての顔があると思います。どのスタンスで仕事をすることが多いのでしょうか?
高木:僕は企画者のスタンスでやることが多いです。ただ、そのなかでどうしても経営的な部分もやらなくてはいけません。1997年にDDTを旗揚げして、2004年から自分で起業しまして、そこから経営者としてやっていくことになるんですけれども、「プロレス」という業態自体がなかなか融資を受けられにくい現実があります。
銀行を訪問して「融資をお願いしたいんです」と言っても、事業内容を伝えると「プロレスですか…」という感じでした。なんとか先が見えてきたのは、僕らが大きい舞台で勝負することが多くなった2010年くらいからですかね。それまでは本当に大変でしたよ。とにかく資金繰りと資金集めが大変でした。
いろいろなことにチャレンジして乗り越えていき、会社を大きくしきました。
サイバーエージェントのグループ入りを決断した理由
大久保:2017年にサイバーエージェントのグループ入りを決断しますが、理由はなんでしょうか?
高木:個人資本でやってきていて、限界のようなものを感じることがありました。そこで2017年にサイバーエージェントのグループ入りをする決断に至ります。サイバーエージェントがおこなっているインターネットテレビ局「ABEMA」の存在も大きいです。メディアへの露出量が増えれば知名度も上がりますから。
たまたまサイバーエージェントの藤田社長と会食する機会があり、そのときに路上プロレスの動画などをお見せして、プレゼンのようなことをしました。そこで藤田社長に興味を持ってもらえたんです。本当にタイミングと相性が良かったんだと思います。プロレス会社が上場企業のグループ入りすることは、なかなか難しいですから。DDTはベンチャーの気質があったので、そういうところで相性が良かったんだと思います。
大久保:DDTの興行にはたくさんのアイデアが詰まっていますが、アイデアはどのように生まれるのでしょうか?
高木:基本ひらめきですね。あとは他業種の面白いことや、流行っていることを取り入れるようにしています。以前、AKB48さんの総選挙をDDTでやったことがあるんですよ。AKB48さんがまだそれほど有名ではないときに、総選挙をやっているのを見て「これはプロレスに通じものがあるな」と思いました。それで総選挙をプロレスに持ち込んでみたんです。
プロレス関係者はプロレスのことばかり追っかけているケースが多いので、僕はあえてほかの業種に目を向けるようにしています。
大久保:異業種のものを、違う視点で取り入れるということですね。
高木:起業される方もそうだと思うんですけど、大手企業が手を出さないところを見つけて、そこを広げるというやり方です。
プロレス団体が飲食店経営を始めた理由
大久保:飲食店の経営もされていますが、始めたきっかけはなんだったのでしょうか?
高木:プロレスファンの方って、プロレスを見終わった後にお酒を飲んで語りたくなるものなんですよ。だから、そういう語れる場を作りたかったんです。DDTファンの方がDDTの興行を見に来て、DDTが経営しているバーや居酒屋でプロレスの話をする。そしてDDTの選手が時々試合後にフラッと現れる。そういう取り組みが面白そうだなと思ったのが、飲食店を始めたきっかけですね。
それに選手のセカンドキャリアの面でも、なにかできないかとも思っていました。選手個人が引退後に飲食店を経営しているケースはよくありますが、会社として経営しているのは珍しいと思います。
大久保:確かにお客さんはお店に行って選手と会えるのはうれしいですね。
高木:DDT所属のKUDOという選手に「エビスコ酒場」という店を任せているんですけど、以前にKUDOがチャンピオンになったことがあるんです。そのときに防衛戦がありました。防衛戦が終わった直後にKUDOが「社長、今日お店出ますんで」って言うんですよ。さすがにビッグマッチが終わった直後だから、休んだほうがいいんじゃないかと伝えたのですが、KUDOは「お客さん喜んでくれると思うんで」と言って、チャンピオンベルトを持ったまま、お店の厨房に立ってました。
それって最高のファンサービスでもあり、うちにしかできないサービスだと思うんですよね。
大久保:まさにエンターテイナーですね。高木さんは新しいものに目をつけて実践するのが早いと思うのですが、これは流行りそうだという直感のようなものはあるのでしょうか?
高木:ありますね。そういうのはね、なんとなくわかるんですよ。最近、Clubhouse(クラブハウス)という新しい音声型SNSが一気に流行しましたが、多分僕がプロレス界では一番早く始めたと思います。
いまって外に出られないし、会食することができないじゃないですか。さらにログを残すことができないという特徴もあったので、みんなリアルタイムで参加したくなる。これは流行るなとすぐに思いましたね。
mixiのときも同じような経験をしたんです。mixiも同じような招待制のSNSですよね。けれど、Clubhouseの拡散スピードは10倍くらい違いました。
プロモーションをするうえで必要なこと
大久保:以前はメディアというとテレビ一強という感じでしたが、いまはYouTubeやTwitter、Instagramなどたくさんのツールがあるので、プロモーションの面ではやりやすくなったのでしょうか?
高木:確かに、やりやすくはなりましたね。逆に言いかえると、そうした媒体に対応できずに取り残されたら終わってしまうという危機感はあります。
プロレス界ってそういう流行に疎い人が多いので、遅すぎるところがあるんです。まだまだプロレス界では全然やってない方が多いので、もったいないなと思います。うちの所属選手には「わからなくてもいいから、とにかく始めろ!」と言ってやらせるようにしています。
大久保:そうした考え方を聞いていると、高木さんはプロレス界では異色な存在だと思うのですが、高木さんの分身といえるような存在はいますか?
高木:20年間この業界に携わってきましたけど、正直いないですね。僕って、めちゃくちゃ強いわけでもないし、身体がすごく大きいというものもないんです。ただし、経営の部分やプロデュースの部分もそうですし、試合においても普通のことをやりません。「路上プロレス」というリングのないところで試合するプロレスがあるんですけど、あれは僕が第一人者だと思っています。
そういうことができる人が、この20年で出てきていないんですよ。別に出てきてほしいと思っているわけでもありませんが、ベンチャーな感じでやろうという人はちょっと少ないかもしれないですね。
大久保:それは、才能や思考の蓄積の部分で出てこないんですかね?
高木:歩んできた歴史かもしれないですね。結構デタラメなことばかりやっていましたから。
僕は大阪から上京してきて大学に入りました。当時、とにかく目立ちたがりでテレビに出たかったんです。入ったサークルがテレビに出演するようなサークルだったので、そこから少しずつテレビに出演していました。そうしたらテレビ局の人と仲良くなって、「君、大学生を集めてきてよ」って言われて、30人くらいを集めたんです。
それがきっかけで、ひとつのビジネスになったんです。テレビ局の番組観覧とか出演とかの人集めですね。そのあとに人集めを何かに活かせないかなと思って、クラブイベントやディスコなどのイベントをやっていました。
いまの話ってプロレス関係ないと思うじゃないですか。ただ人を集めて空間を作り出すことはプロレスと一緒で、僕はそれに長けていたんです。人集めのところから、集客ビジネスということでプロレスに繋がったんだと思っています。
こういう歴史を経験していないと、難しかっただろうなと思っています。
光る人材の見つけ方
大久保:高木さんの分身は難しいということですが、人材獲得は必要になると思います。この選手は人気が出そうだなというのはわかるものなんですか?
高木:わかりますね。うちの竹下幸之介と遠藤哲哉は、入ってきた当初からなにか光るものがありました。そういう選手は人とは違うなにかを持っているんですよね。
大久保:スーパー・ササダンゴ・マシン選手の煽りパワポも面白いですよね。
高木:彼は以前うちが持っていたテレビ番組のカメラマンでした。大学で映画研究会に入っていたらしいのですが、身体がデカかったので「プロレスやろうよ」と誘ったことがきっかけです。このように、違うキャリアを持っている人をスカウトすることもありますね。
できるだけ、いろいろな人に声をかけるようにしています。ただ、誰でも良いというわけではなくて、この人はリング上で面白い人生を見せてくれるだろうなという人をチョイスしています。
(後編に続きます)