RAROMA マイ ホアイ ジャン|ベトナムと日本を”シクロ”で繋ぐ。来日14年女性が目指す「自分の命よりも長く生きる文化」の創造

創業手帳woman
※このインタビュー内容は2018年07月に行われた取材時点のものです。

RAROMA 株式会社 代表取締役 マイ ホアイ ジャン インタビュー

raroma

(2018/07/27更新)

2020年の東京オリンピック開催を控え、訪日外国人の数が年々増えています。
そんななか、一人のベトナム人女性が、ベトナムの乗り物である「シクロ」を使った日本初の事業を始め、ラジオ・新聞など様々な媒体に取り上げられています。
彼女の名前は、マイ ホアイ ジャン。来日14年の彼女が、なぜシクロを使った事業で起業することになったのでしょうか?
そんな疑問をぶつけた時に見えてきたのは、彼女が持っている日本とベトナムの文化に対する、深い愛情でした。

マイ ホアイ ジャン
RAROMA 株式会社 代表取締役
2004年に来日。立命館アジア太平洋大学・国際関係科を卒業後、9年間日本企業に勤め、海外営業・現地管理を担当していた。2017年に夢を持って独立。

母親の影響で幼い頃から日本とベトナムの架け橋として勤め、両国の友好関係と共成長に貢献したいと考えていた。日本語、ベトナム語、英語、中国語の4ヶ国語を話し、国際管理の豊富な経験も生かしながら、日々精進し、夢実現に挑む。

母から受け継いだ日本への想い

ーまずは、ご自身の経歴について教えてくれますか?

マイ:私は2004年に来日しまして、立命館アジア太平洋大学(APU)に入学しました。卒業後は一般企業で働いて、今から1年ほど前に今の事業を始めました。気づいたら、日本に来てもう14年ほど経ちましたね。

ーそうなんですね。日本に興味を持ったきっかけはなんでしたか?

マイ母の影響が大きいと思います。
母が小さいころ、ベトナムは戦時中だったのですが、その時にとある日本人歌手が歌っていた反戦の歌を聞いたそうなんです。それから、日本に対する気持ちが強くなったと言っていました。

その後、母は日本語を学んで、自宅で日本語学校を始めました。おかげで、私は小さい頃から日本文化に触れる機会が多く、どんどん日本が好きになっていきました。

そういった経緯があって、高校を卒業した後は留学したいと考えていました。
留学先を探していた時に出会ったのが、APUだったんです。APUは日本にある国際大学ですが、様々な国から学生が集まるので、大好きな日本で様々な文化に触れることができることに魅力を感じました。それが決め手でしたね。

異国の地での留学なので、やはり寂しさがありましたが、ここで出会えた人たちとの日々は本当に楽しかったですね。ちなみに、主人と出会ったのもAPUです(笑)。

日本初のシクロ事業

日本初のシクロ事業である「シクロリムジン」

ー本当に様々な出会いがあったんですね。では、現在行なっているサービスについて教えてください。

マイ日本初の「シクロリムジン」という事業をやっています。ベトナムの乗り物である「シクロ」をお客様に貸し出して、街中を巡るサービスです。
日本で言えば、人力車のようなものですね。

誕生日や思い出づくり、何気ない時間の記録に、写真撮影サービス付きの「シクロカップルデート」、街中でも注目度が高いシクロリムジンを広告ツールとしてPRの活動を提案する「法人向けサービス」、ドライバーがついて運転してくれる「個人向けサービス」に分かれています。

特に「シクロカップルデート」は、訪日外国人の方に人気です。ちなみに、私はシクロを自転車で追いかけながら、カメラマンとして動いています(笑)。

ーなるほど。旅の思い出と企業の広告、どちらの面もあるんですね。ちなみに、このビジネスを始めたきっかけは何ですか?

マイ:日本とベトナムの関係は本当に良好だと思います。「アオザイ」や「フォー」など、日本でもベトナムのものが増えて来たなかで、ふと、「そういえば、シクロってまだ無い!」っていうことに気づいたんです。それなら、持って来てみよう!と思ったのがきっかけです。

実は今、ベトナムでもシクロが走れるところが少なくなってきました。首都であるハノイの中心部と、観光地として有名なフエ、リゾート地のホイアンぐらいです。ですが、ベトナムで生まれた私にとって、シクロは小さい時から身近にあり、特別な存在でした。

ちなみに、シクロはフランス生まれの乗り物で、1940年代にベトナムに来ました。そこから独自の文化がつくられていったのですが、そんなシクロを日本に持ってくることによって、新しい文化を創りたいと思っています。

ーシクロが、日本とベトナムをつなぐものになるということですね。

マイ:そうですね。文化の架け橋のシンボルとして、この事業をやっていければと思っています。

「自分の命よりも長くこの世に生きるもの」を創りたい

ー異国の起業ということに迷いは無かったですか?

マイ:正直、大学を卒業したときは、起業するとは思っていませんでした。
ですが、卒業して初めて企業で働いた時に、「自分がどんな人間で、何ができるのか」がわかってきました。自分で何かを創り出して、それを広めていくほうが性に合っていたんです。そういった自分の能力をフルで活用していくためには、起業という選択肢が一番合っていました。

人生は一度きりなので、「自分の命より長くこの世に生きるもの」を創り出すことに意味がある。そう思ったら、迷いは無かったです。

ー起業する際に、一番大変だったことはなんでしたか?また、それはどうやって乗り越えていきましたか?

マイ私は資金調達をしておらず、すべて自己資金でやりくりをしていました。
なので、黒字倒産を避けるために、手元に資金が残るように運営していくことは本当に大変でした。

ちなみに、「黒字倒産」という言葉は、創業手帳を読んで初めて知りました!
「こんな恐ろしいことがあるんだ・・・」と衝撃を受けましたね(笑)。

そういった事態を乗り越えていくことができたのも、創業手帳のおかげだと思います。創業手帳を読んで初めて知るようなこともありました。また、創業コンサルティングでアドバイスをもらいながら、書いてあることを一個ずつこなしていったことも大きいです。

やるべきことを地道にこなすことで、様々な方とも出会うことができ、今では様々な媒体に取り上げてもらえるようになりました。

「怖い」よりも「自分を信じる」気持ちを

ー創業手帳をそんなふうに活用してくれていたんですね!ありがとうございます!そういえば、シクロリムジンという事業を始めてから、嬉しかったエピソードはありますか?

マイ:今年の春に、先ほどお話しした「シクロカップルデート」を始めたのですが、SNSで告知をしたら、ある日イギリスから観光に来られるお客様が予約してくれました。

そのお客様は、「シクロに乗りながら、日本で桜を見たい!」とおっしゃっていたのですが、来られる時期が少し遅くなってしまい、見に行こうと思っていた中央区京橋付近の桜がすでに散っちゃっていました。

「どこか他に咲いているところはないか?」と探したところ、豊洲の方ならまだ咲いていることがわかりました。「江東区だし、さすがに遠いかな・・・」と思ったのですが、お客様に相談したら、「ぜひ行きたい!」と言ってくれて、シクロで豊洲まで向かいました。

なんとか着いた豊洲には、見事な桜が咲いていました。
それを見たお客様がものすごく喜んでくれたのが、印象的でしたね。

後日、お客様がSNSでこのことを取り上げてくれたのですが、その文中に感謝の言葉が綴られているのを見たときは、本当に嬉しかったです。

ー最後に、起業家へ向けてメッセージをお願いします。

マイ:起業って、人生において大きな挑戦のひとつ。もちろん、最初は「怖い」という気持ちがあると思います。
ですが、まずは勇気をだして一歩を踏み出してみましょう。自分がやりたいことを信じて進んでみましょう。

すると、その道の途中で様々な出会いがあります。自分のやりたいことに共感してくれる仲間が見つかります。そんな仲間を大切にしながら進んでいけば、きっとうまくいくと思います。

(取材協力:RAROMA株式会社/マイ ホアイ ジャン
(編集:創業手帳編集部)

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