メタップスホールディングス 山﨑 祐一郎|スマホ事業で急成長したスタートアップが株式を非公開化した理由とは
起業後に大事なのは、事業に集中するための資金繰り。今はさまざまな資金調達の選択肢がある
起業家にとって大きな目標の1つともいえるIPO(新規株式上場)。事業を成長させるための資金調達手段としてIPOを目指す方も少なくありません。しかしデジタルマーケティングやフィンテック事業を手掛ける株式会社メタップス(現在の株式会社メタップスホールディングス)は、上場8年で株式を非公開化しました。
「新たなチャレンジに向けた決断です。今は第3の創業期だと考えています」と語るのは、株式会社メタップスホールディングスの代表取締役社長を務める山﨑祐一郎さんです。
2回の起業を経てメタップス社へ参画、その後は海外展開やファイナンスを手掛けてきた山﨑さん。今回は山﨑さんのキャリアとともに、株式の非公開化を決めた理由について創業手帳代表の大久保がインタビューしました。
株式会社メタップスホールディングス 代表取締役社長
2006年カリフォルニア大学バークレー校卒業後ドイツ証券株式会社に入社。投資銀行本部でテクノロジー業界におけるM&Aおよび資金調達業務に携わる。
ドイツ証券退職後、2009 年京都大学経営管理大学院へ入学。同時にAIスタートアップ企業を創業、代表取締役に就任。大学院修了後、2011年に取締役CFOとしてイーファクター社(現在のメタップス社)に参画。取締役副社長を経て2018年11月代表取締役社長に就任。2023年1月メタップスホールディングス(旧Odessa12(オデッサトゥエルブ))を設立。
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計250万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら
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この記事の目次
孫正義氏に憧れアメリカへ留学、その後2回の起業にチャレンジ
大久保:山﨑さんは高校生でアメリカへ行かれたとのことですが、どういう背景があったのでしょうか?
山﨑:ソフトバンクの孫正義さんに憧れていたんです。中学生の頃から孫さんの本を読み漁っていました。孫さんも高校生で渡米してアメリカの大学を卒業したということを知り、同じ道を歩めば近づける気がして孫さんと同じ大学に入りました。
大久保:中学生の頃から孫正義さんに関心を持っていたというのは、すごいですね。その後アメリカにいた時に起業されたそうですが、どんなビジネスをしていたのでしょうか?
山﨑:学生向けのSNSを作ろうとしていたんです。Facebookの日本版ですね。当時Facebookはアメリカの大学のメールアドレスがないと登録できなくて、その限定感が学生に受けていました。そこで同じような大学生限定のSNSを作ろうと考えたのですが、当時サーバー代だけで相当お金がかかることがわかり、途中で断念しました。
大久保:大学卒業後ドイツ証券に入ったそうですが、どのようなことをされていたのでしょうか?
山﨑:ドイツ証券ではIT企業のM&Aや株式の発行、IPOの支援などの業務を担当していました。当時注目されていたモバイルコンテンツ企業の上場や、中国の大手ITプラットフォーム企業の上場、半導体企業のM&Aなど多くの案件に関わりました。
大久保:まさにスタートアップに直結する仕事ですね。やはり外資系企業で規模の大きな案件に関わったご経験は、起業に役立ちましたか?
山﨑:そうですね。証券会社では扱う金額が何千億円や何兆円というレベルも多いので、そういうスケールに慣れることができたのはいい経験でした。
また起業すると、キャッシュフローを常に意識してお金を供給していかないと事業を継続できません。財務三表(BS・PL・CF)の分析なども証券会社で身についたと思います。
大久保:なるほど。その後2回目の起業をするまでの経緯を教えていただけますか?
山﨑:社会人4年目の時に起業しようと思ったのですが、ちょっと考える時間が欲しかったんです。ただ東京は誘惑も多く騒がしいので、地方にしばらく籠ろうと考えました。
たまたま当時の上司の知り合いに京都大学の教授がいたこともあって、京都大学の大学院で修士をとりながら起業することにしました。
起業してからは、AIのチャットボットを使って問い合わせに自動返信するというサービスを始めました。実際に何社かEC運営会社が導入してくれて、5,000万円ぐらい稼ぐことができましたね。ただスケールするには、相当時間がかかるという感じでした。
大久保:私もGMOメイクショップにいてECに関わっていたのでわかるのですが、当時のチャットボットはちょっと早すぎるという感じでしたよね。
山﨑:おっしゃる通りです。早すぎても遅すぎてもダメで、やはりタイミングはすごく大事ですね。その頃ちょうどスマートフォンが少しずつ普及し始めていて、すごくスマホの可能性を感じていたんです。そこでスマホ関連のビジネスをやりたいなと思うようになりました。
海外まで事業を拡大できたのは、タイミング良く3つの波に乗れたから
大久保:その後メタップス社へ参画されましたが、どんなきっかけがあったのでしょうか。
山﨑:2010年頃に、メタップスの創業者である佐藤(編集部注:佐藤航陽氏)と知り合ったんです。当時はイーファクターという社名でした。佐藤は学生起業家で、本当にゼロからガラケー事業を立ち上げた人です。学生起業家向けファンドから1,000万円調達して、ようやく黒字にしたという状況でした。
佐藤はグローバルでもっと大きな事業をやりたいと思っていたものの、大型の資金集めのノウハウもあまりなかったため、私がファイナンスと海外展開を見るというように役割分担するかたちで、一緒にやりましょうという話になりました。
その後大学院が終わるタイミングで私の会社は一旦休眠させて、イーファクターにジョインしました。
大久保:タイプが全く異なる2人が組めば強いですよね。山﨑さんが参画した後は、どのようなビジネスをしていたのでしょうか?
山﨑:実は佐藤がそれまでやってきた事業もその後すぐ売却しまして、その売却で得た1億円の資金をもとに、新たにスマホ向けのマーケティング事業を立ち上げたんです。
ガラケー向け事業を売却して、社名もメタップスに変更してスマホ向け事業を始めたという感じですね。当時iPhoneはまだ一部の人だけが使うものでしたが、私たちはもう全人類に普及する確信がありました。ですから、そこにオールインしようと思ったわけです。
そこからしばらくはスマホ向けのマーケティング事業にフォーカスして、世界8拠点まで広げました。ガラケーと違ってスマホは世界共通のプラットフォームなので、国内で作ったゲーム等のコンテンツをアプリとして海外に配信しやすいんです。そこを見据えて、海外にも拠点を作ったわけです。
当時は海外に配信したい国内のゲーム会社のプロモーション戦略を立てたり、海外のゲーム会社の日本向けプロモーションをサポートしたりと、アプリのトラッキング・分析支援を事業の柱にしていました。2019年頃には全体で200億円くらい売り上げがあって、その半分は海外でしたね。
大久保:私も少々経験があるのですが、海外に拠点を設けるというのはすごく大変ですよね。御社がうまくいったのはどんなところがポイントだったのでしょうか。
山﨑:海外展開がうまくいったポイントの1つは、現地の人を責任者として採用したことでしょうか。何度も面談を重ねて、現地の市場のことを把握していて、かつ日本のカルチャーもわかるような方を採用しました。例えば日本に留学した経験とか、日系企業で働いた経験のある人ですね。
当時は日本がスマホゲーム課金額で世界1位だったので、日本の会社というところは私たちの大きな強みだったんです。例えば中国のゲーム会社向けに「日本でどうすればゲームのパブリッシングが成功するのか」というテーマのセミナーを上海で頻繁に開催していました。
大久保:当時は手ごたえを感じていましたか?
山﨑:やはり小さなスタートアップが自社サービスで海外に出て、それなりの収益を作れたのはすごく達成感がありました。こういう事例は、日本のIT企業には少ないですから。
私たちの場合、うまく波に乗れたという感じです。スマホ普及の波とソーシャルゲームブームの波、あとはグローバル化の波。ここでもタイミングがすごく重要だと感じました。
急成長の中で大変だったのは、大きくなりすぎた組織のマネジメント
大久保:その後フィンテック事業に参入されました。これはどういうきっかけでしょうか?
山﨑:アプリの分析をしていると、最終的には課金のデータが重要になってきます。ただスマホアプリの場合、最終的な課金データはAppleとGoogleだけが持っています。
そこで自分たちで決済事業を作れば課金データを取れると考え、決済サービスを始めました。当時のビジネスモデルは決済手数料0%というフリーミアムモデルで、一定のトランザクションボリュームになると決済手数料が3%かかるというものでした。
その後2016年に決済会社をグループ会社化して、フィンテック事業の規模を大きくしていった感じです。売り上げとしてはマーケティングとフィンテックが半々ぐらいですが、利益ベースでは8割がフィンテック事業です。
大久保:山﨑さんは当初CFOでしたが、その後社長になられましたね。
山﨑:佐藤はBtoCにもチャレンジしたいとの意向がありました。BtoCは当たればものすごく大きいですから。もともと彼はゼロから事業を作るタイプですので、新規性の高いものは佐藤へ寄せて、それ以外のBtoBのビジネスは私が見るかたちになりました。
大久保:急成長を遂げる中で、やはり組織のマネジメントは大変でしたか?
山﨑:確かに世界の拠点とあわせて、グループ会社も多い時は20社くらいまで増えていました。そうなると、いろいろなトラブルが起こります。
特に海外拠点のグループ会社は、想定外でリスクが高めのチャレンジをするんです。ただ、そういうやんちゃなグループ会社の方が事業は成長しやすい。一方で真面目にコツコツやるグループ会社は指示通りのことはやってくれるものの、ポジティブサプライズがほとんど無く、収益力も弱かったですね。そういうジレンマを感じながら、どういうマネジメントがいいのか、当時はすごく悩んでいました。
大久保:やはり小さな組織の方がスピード感はありますよね。
山﨑:そうですね。例えば経営会議は最初私と佐藤の2人でやっていましたが、だんだん人が増えて、多い時は20人以上いました。そうなると決めたい方向で決まらないことも増えてきて、やはり意思決定のスピードが落ちていきます。
なるべく少ない決裁者で物事を進めるというのは、崩さない方がいいと思います。
第3の創業期として株式の非公開化を決断。理由は資金調達の多様化とピボットのしやすさ
大久保:今後はどのような事業をされていくのでしょうか?
実は2023年にMBO(編集部注:経営陣または従業員が自社株を買い取ること)をして、株式を非公開化しました。いわば「創業」「上場」という2つの創業期を経て、今は第3の創業期に入っている感じです。
第3の創業期として、これまでとは違うことにチャレンジしていきたいと思っています。現在はマーケティングとファイナンスという事業の他に、第3の柱としてDX支援事業に取り組んでいて、B向けのSaaSをいくつか始めています。
DX分野は今後も伸びると思っています。大手がやってきた会計や勤怠といったところだけではなく、もっとニッチな分野でSaaSの導入が進むのではないでしょうか。そういったサービスを作っていきたいですし、そういったサービスを手掛ける企業のM&Aも考えています。
大久保:株式の非公開化というのは、起業家にとって貴重な経験だと思います。そもそもスタートアップでIPOできる会社は少ないですし、さらに非公開化をするところはもっと少ないわけですから。決断した理由について、お話できる範囲で教えていただけますか?
山﨑:大きな理由のひとつは、上場していなくても資金調達しやすくなってきたということですね。そもそも上場の大きなメリットは、資金調達しやすいことです。基本的に上場企業は株式を発行すれば、お金を集めることができますから。実際に2015年に弊社がIPOした時も、VCの売り出しと同時に43億円の資金を市場から集めました。
ただ現在は、未上場スタートアップでも資金を集めやすい環境になってきています。今の時代、50億円くらいならVCや事業会社からも調達することができます。
1,000億円くらいの大きなIPOを目指さない限りは、上場するメリットはそれほど多くないと個人的には思っています。実際にアメリカでIPOする企業は1,000億円以上というケースがほとんどですから。弊社もそのくらいの規模になるまで、一旦非公開化して事業成長に集中しようという方針です。
また、上場したままでは事業を劇的にピボットすることが難しいというのも理由です。投資家との関係をゼロから作り上げる必要がありますので。
大久保:確かに株主が多くなると、意思決定に時間がかかりますよね。今後はピボットして、さらなる成長を目指しているということでしょうか?
山﨑:おっしゃる通りです。私としては未上場スタートアップとしてできるだけ長くやって、最終的に、本当に事業を大きくできた時にIPOを目指せば良いと思っています。
前回上場した際はフロー型ビジネスがメインで、大きな案件を獲得できれば売り上げは作れますが、売り切りモデルのため一旦そこでリセットされてしまい、安定的な収益を作るのに苦戦しました。
今後はこの数年注力してきたストック型ビジネスをさらに強化して、最低でも時価総額1,000億円以上で評価される事業を作っていきたいと考えています。
ただその規模の事業を作るには海外に出る必要がありますので、もう一度海外進出にチャレンジしたいですね。
大久保:最後に、読者である起業家の方々へアドバイスをお願いできますか?
山﨑:現実的な話ですが、私の場合起業した時はとにかく資金繰りを気にしていました。あと何ヶ月ぐらいランウェイがあって、それまでにどんな手を打つ必要があるかを経営者が認識して、先手、先手で動いていくことが重要だと思います。
キャッシュを絶やさなければ挽回するためにいくらでも打てる施策はありますが、キャッシュが底をつくと一旦ゲームオーバーなので。
資金繰りを考えながら新しい挑戦を続けるというのは、やはり難しいことです。とはいえ資金がなくなると何もできませんので、最低でも1年間は事業に集中できるだけのキャッシュを常に確保しておくことをおすすめします。
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(取材協力:
株式会社メタップスホールディングス 代表取締役社長 山﨑祐一郎)
(編集: 創業手帳編集部)