アドビ 神谷知信|わくわくするような体験を通して日本のデジタル化の支援をしていく
起業家は最新のテクノロジーを味方につけ、素直さとオープンマインドを武器にしよう
2022年3月27日、アドビが日本に来てから30年が経ちました。米国で設立された企業であるアドビの、初めての海外支社が日本であり、質の高い製品を求めるクリエイターが多い日本はアドビにとっても重要な市場といえます。
この記事では、日本法人社長である神谷氏に、クリエイティブ分野でのサブスクリプション化やEコマースの強化を経て、マーケティング分野にもサービス内容を広げているアドビの今後の展望や、サブスクリプション化に際しての苦労、日本のデジタル化などについてお話をうかがいました。
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この記事の目次
アドビ株式会社 代表取締役社長
青山学院大学法学部国際私法学科を卒業。スタンフォード大学にてエグゼクティブプログラムを終了。デルジャパン(現デル・テクノロジーズ株式会社)にて、セールスなど複数の部門を牽引した後、エンタープライズマーケティング部門をリードし、同社にとってサーバー市場で初となる国内シェアの1位の獲得に貢献。その後日本Advance Micro Devices株式会社にて、マーケティングやセールスの要職を歴任した後、シンガポールに赴任し、ASEAN及びオセアニア地域のビジネスを統括した。アドビには2014年10月に入社し、製品及び販売戦略を含むデジタルメディア事業全体を統括してきた。売り切り型パッケージ販売モデルからクラウド、サブスクリプション化へとアドビのデジタルトランスフォーメーションを成功裏に導き、2021年に代表取締役社長に就任。趣味はマリーンスポーツ全般と旅行。
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計250万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら
社員もパートナー企業も参加することで自分ごとにする
大久保:これまでのキャリアについてお聞かせください。
神谷:大学を卒業した後、BtoC営業からスタートしました。その後転職してエンタープライズ向けの法人営業、プロダクトマーケティングなどを経て、日本Advance Micro Devices株式会社でシンガポールに赴任し、支社長的な役職につきました。ほぼ外資系の企業を経験してきまして、アジアパシフィックやグローバルを対象にした仕事が多かったですね。
大久保:そこからアドビに入社されたのはなぜだったのでしょうか。
神谷:当時アドビはデジタル化とサブスクリプションへの移行のまっただなかにあり、買い切り型が好まれる日本で苦戦しているところでした。そういった部分にチャレンジしたいという思いと、メンバーの人間性やカルチャーを見て、多様性に富んでいて能動的に仕事をしていく姿に魅かれて入社を決めました。
もうひとつの理由としては、アジアパシフィックのトップの仕事をしていると、週単位で国を渡り歩くような生活をしていまして、家に帰ってくるのは週末だけといった日々を8年ほど続けていました。シンガポールで生まれた長男が5才になるくらいの頃に、子どもと過ごす時間の少なさをなんとか改善したいという思いがあり、デジタルメディア事業の日本のトップということにも魅力を感じました。相変わらず出張はあるんですが、前よりは頻度は落ちましたね。
大久保:アドビというグローバルな企業において、多様性に富んだチームをリードする際にどんなことを大事にされていらっしゃいますか。
神谷:アドビには「Adobe for all(アドビフォーオール)」という理念がありまして、弊社ではD&I(ダイバーシティ&インクルージョン:人材の多様性を認め、受け入れて活かすこと)を大事にしています。
どの国出身で、どの国で働いていようと、会社と製品が好きでその会社に勤務しているはずです。そこには共通したパッションがあるわけで、それをベースにコミュニケーションするということを心がけていますね。
多国籍なメンバーがいると、宗教観なども関わってきますし、価値観が違うこともあります。その上で、共通したゴールを見据えて、人の話をきちんと聞く。リーダーが自らバイアスを捨てることが大事だと思っています。
これから起業される方も、業種にもよりますが、グローバルなチームになっていくというのは必然なのではないでしょうか。
大久保:バイアスを捨てる上で大事なことはなんでしょうか。
神谷:バイアスがない人は存在しないと思います。みんな何かしら自分の中に持っているものです。まず重要なのは、それを表に出すか出さないかです。また、自分自身のバイアスが何かを理解するのも大切なことですね。
アドビの創業者のインタビューで「アドビは人に嫌なことをしない会社」という言葉がありますが、まさにその通りで、相手に嫌なことをしなければみんな幸せになれると思うんです。マネジメントになると、メールひとつとっても気をつける必要がありますが、相手の気持ちを考えて、当たり前なことを当たり前にやっていれば問題はないと思っています。
大久保:どうやって買い切り型からサブスクリプションにシフトしていったのでしょうか。
神谷:最初は相当抵抗がありました。インパクトを見ながら部分的に変えていったという感じですね。ソフトウェア業界の同規模のメーカーでサブスクに切り替えた会社は当時なかったので、流通によってはもちろん疑念もあったと思います。
大久保:販売方法を変更するというのは相当な勇気がいると思いますが、重要な点はどこでしょうか?
神谷:こちらのビジョンに共感してくれて、信頼できるパートナー企業を数社作ることですね。パートナー企業は当時1000社近くありましたが、最初からすべての企業に信頼してもらえるわけではありません。一般的に「8:2の法則」といわれるように、2割の信頼できる人を探し、その人々と仕事を進めていれば、そのうち他のパートナーの方々も理解してくれるという気持ちでやっていました。
また、批判も当然あるので自分の信念を曲げないことも大事です。トップがぶれないということですね。
変革のプロセスの中にパートナー各社にも参加していただき、自分ごとにしてもらうことも意識していました。やらされたというのは社員もパートナーもいい気がしません。デジタルな世の中だからこそ、ユーザーやコミュニティを巻き込んで一緒に成長することが必要だと考えています。
大久保:製品を作る上でもそういった進め方をされているんでしょうか。
神谷:そうですね。ユーザーコミュニティから声を吸い上げる仕組みがあります。また、Adobe MAXというクリエイターの祭典イベントを毎年開催してユーザーコミュニティが会する場となっています。毎年人気のあるセッションAdobe MAX SneaksではAdobe Research(研究所)のエンジニアが最先端のテクノロジーを用いた機能を発表し、お客様の反応が大きかった機能については将来的に製品に反映されます。
大久保:サブスクへの転換時、社内からの風当たりはありましたか?
神谷:会社は経営者のものではなく、社員のものでありステークホルダー全体のものであると考えています。だから周りの意見を聞くことが大事であり、それをしていればあまり反発はありません。サブスクに切り替えるということも、トップだけで決めるのではなく、中長期的に見たときに将来どういう会社にしていきたいかということをみんなで議論して決定したという経緯があります。今の時代はチャットがすぐにできるツールなどもたくさんあり、周りの意見を聞くことは行いやすくなっていると感じます。
わくわくするようなデジタル体験を提供する
大久保:日本の企業のデジタル化に対しては、どのように考えていらっしゃいますか。
神谷:アドビが今までデジタル化してきた部分というのはクリエイティブな部分など限られた範囲で、日本自体が抱えているデジタルの遅れというのはもっと広義的な話だと考えています。ただ、コロナ禍でユーザー思考やデジタルコンテンツに触れる時間は飛躍的に変化しつつあります。アドビはデジタルコンテンツを「作る」だけではなく「届ける」の部分でのソリューションも多く持ちます。今後はアドビの存在感をより伝えられると感じています。
「IMD(世界デジタル競争力ランキング2022)」が9月末に発表されましたが、日本は前年よりも1ランクダウンの63ヵ国中29位という結果でした。残念なことに4年連続で順位を落としており、先進国に比べて人材教育などが遅れていることが数字に現れています。
アドビは現在必要とされているツールをたくさんもっていますので、それを通じて社会貢献していきたいと今強く感じています。
大久保:今後の展開や意気込みを教えてください。
神谷:アドビ日本法人は今年30周年を迎えます。アメリカで設立され、最初の支社が日本ですし、契約を最初に結んだのも日本の企業なので、日本はアドビにとって非常に重要かつ思い入れがある市場です。それを継続・継承するのが重要だと思っています。
また、この30年間で利用していただいた多くのユーザーの方を裏切らず、より良い製品を作っていきたいですね。4〜5年前と比べただけでも、規模も違いますしプロダクトの幅もどんどん広がって、お客様であるクリエイターの仕事自体に影響するようなプロダクトになってきていると感じるので、その責任をしっかりと果たしていきたいと感じています。
10年後のアドビジャパンはどうなっているか、日本の若手社員を集めてディスカッションした結果、グローバルとは別に、日本で理解されやすい目指すところが必要だよねということで「心、おどる、デジタル」というビジョンを昨年発表しました。
我々のツールは、老若男女関係なくデジタル体験をする人がわくわくするためのものでなければという思いがあります。そういった心がおどるようなデジタル体験を通して、社会的インパクトを与えていきたいと考えています。
また、「デジタルエコノミーの推進」「デジタルトラストの実現」「デジタル人材の育成」を3つの柱として掲げていますが、これらはビジネスに取り組む中で日本にとっての大きな課題と感じたものでもあります。
Eコマースが発達してきて、今や皆様実際に店頭でいきなり物を買うということはあまりなくて、インターネット上で調べてから買うことが多いと思うんですよね。
そういう風にデジタルエコノミーが今後より拡大していく中でセキュリティの問題は一層対策が必要とされる部分で、そのための人材が足りていないことが一番の課題だと感じています。アドビがこの3つの課題解決に向けて貢献できると感じています。
大久保:デジタル人材が足りていないとおっしゃいましたが、人材を育てるために行っていることはありますか。
神谷:もともとアドビのクリエイティブツールは学生に多く使っていただいています。若者はモバイル端末で作業をすることを好む傾向があるので、数年間かけてフォトショップやイラストレーターなどのipad版を出したり、学校現場で使いやすい料金体系を出したり、小学生むけのプログラミング教室など色々な活動を行ってきました。
さらに最近チャレンジしていることとしては、リスキリングをどのようにしていくかということがあります。人口が減少していく中でデジタル人材が欠如しているという現状がありますので、企業内、企業外問わず、一度子育てや定年などでリタイアされた方がITやクリエイティブのスキルを学び、デジタル人材として活躍されるための取り組みにトライしています。
また今後は幅広い層への教育として、学生だけではなく中小企業の中でもアドビのツールを使っていただける方を増やしたいと考えています。今ではSNSなどクリエイティブな発信ができる場所が多くあるので、企業のブランディングや企業収益、店舗収益を上げることにつながるのではという思いがあります。
教育現場でもITへの理解にばらつきがあると感じていて、学校でも積極的に使っているところとそうでないところがあるのが現状です。ここをどうまんべんなく整えるか、先生方のデジタルリテラシーという面でも課題があると思います。
大久保:3つのクラウド『Adobe Creative Cloud』『Adobe Document Cloud』『Adobe Experience Cloud』を打ち出していらっしゃいますが、日本と海外で、売り方に違いはありますか?
神谷:日本は海外に比べて流通が強いということがいえます。例えば先ほど言った、中小企業の中でアドビのツールを使う人材を増やすということを全国でやろうと思ったとき、弊社の社員数を考えると流通やパートナー企業の力が必要になってきます。ですからエコシステム(同じ領域で暮らす生物や植物が、お互いに依存しながら生態系を維持している仕組み、転じて製品、サービス、流通などが連携し、大きな利益構造を構成すること)を確立することが他の国より重要という感覚があります。
また、アドビのウェブサイトであるAdobe.comは製品の情報が集約されているだけではなく、そのままEコマースのページになっているので、内容をかなりローカライズして日本のカルチャーにあったコンテンツを出すようにしています。
そこから直接製品を買うお客さまも多く、日本人に沿ったサービスや売り方ができているか、常に確認して改善しています。
大久保:コロナ禍で働き方などは変わりましたか。
神谷:以前から柔軟な働き方をしていましたし、デジタル化も進んでいたので、社内ではそこまで変わっていないという印象です。新たに使うようになった情報共有ツールなどはあります。
デザイン業界の業務の進め方には非効率なところがありまして、昔は紙にプリントをして赤字を入れて郵送で送り返すということをしていたのを、どんどんデジタル化してきましたし、契約書などもAdobe Acrobat Signという電子署名ツールをもともと使っていました。
日本のデジタル化はコロナ禍で加速しましたが、アドビではその前から使っていたという自負はあります。ただパートナー企業やお客さまと仕事をしていく上で、周囲のデジタル化がぐっと進んだという実感はありますね。
デジタルなくしてスタートアップはない
大久保:起業家はアドビ製品をどのように使いこなしていけばいいでしょうか。
神谷:これからのスタートアップは、どんな業種にせよデジタルが必須になってくると思います。例えばレストランだったとしても、アプリなのかウェブサイトなのか、宣伝やユーザーとの接点においてデジタルが必要です。サイトトラフィックを分析してコンテンツを自動的に出し分けるといったところまで、アドビはフルパッケージで対応していますので、ぜひ活用してほしいですね。
BtoCのスタートアップなら、ユーザーがどうやって情報を集めるのかを考えたときに、UIやUXが非常に大事になってくると思います。プロセスやストーリー、UIやUXが魅力的ではないと商品やサービスをなかなか買ってもらえない時代だと思います。
「XD」というツールでは、WebサイトやモバイルアプリなどのUI、UXデザインからプロトタイプの作成、共有までを行うことができます。フリーランスのデザイナーにここはお願いする、フォトグラファーに写真はお願いするなど、部分的にアウトソーシングするとよりクオリティが高いものを作ることができるのでぜひ検討してほしいですね。体験版は無料ですので、試しにぜひ使っていただければと思います。
大久保:最後に、読者にメッセージをいただけますか。
神谷:海外と比較したときに、ベンチャー企業が日本には少ないと感じます。私は経営者ですが、元はサラリーマンですので、ビジネスをゼロから作る困難さや勇気といった点で、起業家の方々を尊敬しています。
より早くビジョンを達成するために、最先端のツールやテクノロジーをフルに使っていただきたいですね。日本の方は王道のアプリを好む傾向がありますが、知名度が低いアプリにも優れたものはたくさんあります。アドビが買収の意向を表明しているFigmaが提供するアプリはブラウザ上で共同編集できるデザインプラットフォームなのですが、UIデザインやワイヤーフレーム(ホームページの設計図)の作成に便利なすごいアプリです。
もっとオープンマインドになって、いろいろなアプリやサービスを利用してほしいですね。
大久保:時代を味方につけるということですかね。
神谷:そうですね。また、起業家の方は40才前後の方が多いと聞きますが、生まれたときからのデジタル世代ではないので、自分にないものを取り入れるために若手世代の声を聞くことも大事だと思います。
経営者は自分の弱みに対して素直になることが必要で、そこを補うことができる最高の人材を集めるというふうに考えていただきたいですね。プレッシャーもあり、大変だと思いますが、オープンマインドと素直さ、また最新のテクノロジーを味方につけて頑張ってほしいと思っています。応援しています!
(取材協力:
アドビ株式会社 代表取締役社長 神谷 知信)
(編集: 創業手帳編集部)