オーダースーツSADA 佐田 展隆|借金25億円の会社を承継し、年商32億円企業へ。4代目経営者佐田氏に聞く修羅場の切り抜け方

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「迷ったら茨の道を行け」倒産寸前の企業を優良企業へ育てたオーダースーツ「SADA」社長のビジネス哲学

オーダースーツSADA 代表佐田氏
年商22億円企業の後継者と聞いたら、「ぜひなりたい」と考える方も多いのではないでしょうか。しかし、年商が22億円でも、有利子負債が25億円、保有しているキャッシュは0円と聞いたら、どうでしょう。ほとんどの方が、「そんな企業の後継者になるなんてありえない」と意見を変えるはずです。

株式会社オーダースーツSADA代表取締役社長の佐田展隆氏は、3代目経営者であったお父様から乞われ、当時勤めていた優良企業の東レを辞め、前身の株式会社佐田の社長に就任。「ひどい」状況とは聞かされていたものの、あえて火中の栗を拾いにいった佐田氏。しかし、「こんなにひどいとは思わなかった」とのこと。諦めずに努力するも虚しく、会社をファンドへ事業譲渡。お父様の自己破産も経験されました。

一旦会社を離れた佐田氏でしたが、東日本大震災後で売り上げの3分の1がなくなってしまった厳しい状況でまた再登板の声がかかり、2度目の社長就任。どん底だったものの、従来の卸売業から小売業への業態転換を図ることで、見事、オーダースーツ業界の雄へと企業を再成長させました。

類まれなるアントレプレナーシップで数々の修羅場を切り抜けてきた佐田氏のビジネス哲学について、創業手帳の大久保が聞きました。

佐田 展隆(さだ のぶたか)株式会社オーダースーツSADA 代表取締役社長
一橋大学経済学部卒。高校までサッカー部、大学時代はノルディック複合選手という体育会系。大学卒業後、東レ株式会社でテキスタイル営業。2003年、父に乞われ、株式会社佐田入社。2005年、代表取締役社長就任。バブル時代の大手取引先そごう倒産の傷跡が深く、破綻寸前の企業を黒字化するも、莫大な有利子負債は如何ともしがたく、2007年、金融機関の債権放棄と共に、会社を再生ファンドに譲渡。2008年、引継ぎを終え株式会社佐田を退社。しかしリーマンショックで再生ファンドが解散となり、会社の所有権は転々とする。そして東日本大震災で国内の仙台工場が被災し、会社の引き受け手が居なくなり、2011年7月に会社の再々生のため株式会社佐田に呼び戻される。2012年代表取締役社長復帰し、オーダースーツの工場直販事業強化を柱に企業改革を進め、3期連続増収増益を達成し会社業績を安定化。以後も売上の拡大を継続。現在では自社をオーダースーツチェーン店舗数日本一に成長させる。

自社オーダースーツPRの為、自社スーツを纏い、スキージャンプを飛ぶ、富士山頂から山スキーを滑る、東京マラソンを走る等のチャレンジを行い、動画をYouTubeにアップしている。

インタビュアー 大久保幸世
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計200万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら

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東レをやめて倒産寸前企業の後継者へ

東レをやめて倒産寸前企業の後継者へ

大久保:『カンブリア宮殿』などにも出演されたことのある佐田氏に本日はお越しいただきました。よろしくお願いします。

佐田:よろしくお願いします。

大久保:元々は東レでお勤めだったんですよね。お父様に口説かれて4代目の後継経営者になられたということですが、やっぱり最初は社内の人たちから反発を受けましたか。

佐田:そうですね。東レでも営業をやっていたのですが、所詮東レ時代の私は一プレイヤーに過ぎませんでした。そんな私がほぼ父と同年代の60代の営業幹部をいきなり部下にしたわけですから、もう全然話も聞いてくれませんでした。

「うるさい」とか「黙れ」とかそんな感じで。

大久保:それでもなんとか話をして。

佐田:そうです。会社が今どうやってお客様を獲得しているのか知らないと、改革のしようがありませんから。当時の営業パーソンに徹底的にヒアリングしました。実際の営業現場にもよく同行しましたね。

週に1回面談も必ず実施するようにしました。出張している営業パーソンにもなんとか電話して。それで会社の実情がわかってきました。

大久保:具体的にはどういった改革をしたのでしょうか。

佐田:ヒアリングしてみたところ、それまでの営業は「御用聞き」スタイルでした。スーツの卸売をやっていたのですが、卸先のテーラーの方々からクレームなどを営業が聞いて帰ってきて、社内では営業が鬼の首を取ったようにお客様からのクレームを工場現場に伝えるだけ。文句を言っているようなイメージでしたね。

大久保:なるほど。

佐田:それでは卸先も増えない。だから新規開拓などをするために「提案営業」スタイルを取り入れていったんです。そこから徐々に社員の意識も変わっていきました。

大久保:そこにも反発がありそうですが。

佐田:ありましたね。だからこそ、週に1回必ず面談をするなどしてコミュニケーションを徹底しました。

大久保:そもそも、借金はどれくらいあったんですか。

佐田:年商が22億円そこそこの会社であるにもかかわらず、25億円もの有利子負債がありました。キャッシュが0円で、毎年1億円以上の利息を払っている状況です。

大久保:キャッシュが0円なのに、払えていたのでしょうか。

佐田:それがわかりません(笑)

おそらくですが、弊社の信用もあって、待ってもらっていたのだと思います。従業員の給与の未払いや、取引先への未払いなど、もう大変でした。「よくこの会社まだ持っているな」みたいな感じで(笑)

大久保:最初からそんな状況で、よく諦めませんでしたね。

佐田「どうせ倒産するなら華々しく倒れよう」と思っていたんです。こんなに正直に話していいのかわからないのですが、「25億円の借金をきちんと返そう」なんて最初から思っていませんでした。

きっと、借金25億円から逆算して借金完済の道を考えたりなんかしていたら、気が狂っていたでしょう。それでも、そんな会社の社長に就任してしまったからには、最後まで諦めずにやり切ろうと思っていました。やり切れば、きっとその後も道があるのではないか、という予感もありました。

大久保:結果的に成功されましたしね。

佐田:それはまだまだなんですが(笑)

ある意味フラットな気持ちで仕事に没頭できていたので、やっぱり考え過ぎなかったのがよかったのだと思います。

営業改革の結果、利益が出てPLが改善したので、それをアピールしてファンドに入ってきてもらったんです。そこで「債権放棄しないと今すぐ倒産しますよ」と言われました。

色々あったんですが、結果として会社の生きている部分だけファンドに事業譲渡し、死んだ部分を父親に持たせ、父親には自己破産してもらいました。

大久保:大手術ですね。

佐田:はい。債務整理をやり終えるまで5年半くらいかかりました。私もそのタイミングで一度会社を離れたんです。

2度目の社長就任時の反発にもブレずに対応

大久保:また会社に戻られることになったんですよね。

佐田:はい。会社を事業譲渡したファンドも、リーマンショックの影響でなくなってしまって。それで「タダでくれるならオーナーやってもいいよ」ということで、かつての卸先の会社がオーナーになってくれました。

大久保:そこではまだ、佐田さんがオーナーになっていなかったんですね。

佐田:まだです。2011年に東日本大震災が起きたことで、宮城の工場が被災してしまいました。宮城の工場の近くにあるテーラーさんが主な卸先だったのですが、当然ながらテーラーさんの多くも被災してお客様がいなくなってしまったんです。

結果として、当時の売り上げの3分の1が突如として消滅しました。

大久保:本当に波乱万丈ですね。

佐田:オーナーだった会社も、自社の100%子会社が潰れてしまうと都合が悪いので、「もう縁を切らせてもらいたい」と言ってきて、株式会社佐田を手放したんです。

大久保:そこでまた再登板の話がきたんですね。

佐田:そうです。金融機関がオーナーを探すなかで、私に再度声がかかった形です。

大久保:お客様が消えてしまったところから、どうやって立て直したのでしょうか。

佐田:テーラーのほとんどがシニア世代だったので、もうこれから卸売が伸びることはないと思っていました。

そこで、自社が持っている工場などを生かして小売をやるしかない、と考えたんです。それしかなかったんですね。

大久保:この時も反発はありましたか。

佐田:はい。「小売業で食えるようになる」という方針を宣言したら、経営幹部3名がほぼ同時のタイミングで辞表を出してきました。

普通なら動揺するかもしれませんが、動じませんでしたね。すでに同じ状況を経験してましたから。

1回目の社長就任の際にも、経営幹部3名同時に辞表を出されました。そこで「若社長、あの人が辞めたらこの会社は終わります。だから引き止めてください」と若手社員に言われたのですが、父親は「辞表は受け取れ。お前でダメだったらもうこの会社はダメだから」と言うので、辞表を受け取ることにしたんです。

恐る恐るだったのですが、2ヶ月程度経ってから社員が「やっぱりあの人がいなくなったから会社がよくなりましたね」などと私に言ってきました。この経験から、辞表を出されて脅されても、動じてはいけないことを学びました。

2回目の際にも「私のクビをかけてでも止める」などと言われて辞表を出されたのですが、すぐに受け取りました。本人は「まさか本当に受け取るとは」と思っていたでしょうけど、社長が社員に脅されて方針転換しているようでは、示しがつきませんから。

そのような経緯があり、最初の1年くらいで経営幹部がごそっと入れ替わりました。辞表を出されてもブレない姿が社内への強烈なメッセージにもなり、そこからは社員もついてきてくれるようになりましたね。

大久保:確かに、社長が社員に脅されていては困りますよね。

佐田:はい。ブレないことが重要だと考えています。今まで私についてきてくれた社内の人間は「社長はわかりやすいから」と言ってくれる。つまり、ブレない部分を評価してついてきてくれているんですね。

逆に、辞めた人間はそのブレない方針に合わなかった。気にくわないので去っていったという形です。

大久保:卸売から小売への転換となると、お客様からの反発もあったのではないですか。

佐田:おっしゃる通りです。テーラーのお客様と競合してしまいますからね。しかし、私たちには小売業で生き残るしか道がなかったので、「私たちはあなたのお客様を取ろうとしているわけではありません」と説得して回るしかありませんでした。

大久保:なるほど。

佐田:新宿に一号店をオープンしたのですが、たまたまオープンセールから好評を博しました。

私も、新宿店がオープンする前の朝6時から新宿駅付近の通勤客にチラシを配っていましたね。あと、チラシを配っている時に看板も持っていったりして。

大久保:それで社内の空気も変わったんでしょうか。

佐田:はい。一号店の成功で「やっていけそうだ」という空気になりました。

小売は卸売と違いすぐにキャッシュが手元に入ってくるので、財務状況が一気に改善したのもその空気を後押ししました。

ダメもとでもとりあえず手数を打つ

ダメもとでもとりあえず手数を打つ

大久保:営業スタイルは「提案営業」が根付いていたのでしょうか。

佐田:いえ。また「御用聞き」スタイルに戻っていたので、「提案営業」スタイルに戻していきましたね。

大久保:ほかに取り組んできた施策についても教えてください。

佐田:幹部社員と飲んでいる際に「最近はYouTubeマーケティングが流行っている」、「自社製品を使って社長が変なことをするのがトレンド」と聞いたんです。

そこで早速、自社製品のスーツを着てスキージャンプをしたり、富士登山をしにいったりしました。その様子をYouTubeで配信したら、結構見てくれましたね。

大久保:スーツでスキージャンプは危ないですね(笑)

佐田:よさそうだなと思ったら、とりあえずやってみるんです。

「著名人の方にYouTubeに出てもらいたい」という話が出てきたので、人脈を使って何度か頼み込んでみました。一度目は断られましたが、何度か挑戦すると出てもらえる方も出てきたりして。

大久保:何度も挑戦するのが大事なんですね。

佐田:そうですね。まずは手数が重要です。著名人の方に出てもらえるようになると、近しい方にも出てもらえるようになって。

大久保:まずは手数。次に実績。ということですかね。

佐田:そうです。実績を作るには手数が大事ですよね。営業もそうですが、まずはとにかく何でもやってみるんです。手数をこなすんですね。

大久保:そうした数々の試行錯誤の結果、業績は回復していったんですよね。

佐田:はい。震災直後には17億円程度だった年商が、2020年度決算では32億円程度になりました。コロナ前の2019年度は38億円程度までいったんですけどね。10年近くで年商が約2倍成長しました。

社員数も300名増え、店舗数も50店舗までになりました。

経営でやってはいけないこと

大久保:今の会社の全身の株式会社佐田は、どうして借金が25億円にもなるまで追い込まれてしまったのでしょうか。

佐田:バブル崩壊が一番の原因ですね。

しかしながら、バブル崩壊のような事態に備えて、取引先を分散しておかなかったのも要因です。

大久保:なるほど。

佐田:当時は一つの取引先の下請けのようになっていたんです。リスク分散のために、取引先を分散させるのは基本ですね。

大久保:ほかにはありますか。

佐田:引き際を考えておかなかったことですね。

じつは、父親が婿養子に入ったことで後継者になった経緯もあり、義父への配慮から辞めるに辞められない事情もあったことを後で知りました。

大久保:そうだったんですね。

佐田:引き際を考えて、辞める時に辞めておけば周りの人も巻き込まないで済みますしね。

後継経営者はピボットするな

後継経営者はピボットするな

大久保:佐田さんのように、後継者として経営に携わるようになる人へアドバイスはありますか。

佐田今までやってきた事業を丸ごと捨てて、まったく新しい事業を始めるのはやめたほうがいいです。

大久保:それはなぜでしょうか。

佐田:たとえ今時点での売上や利益が低かったとしても、それでも存続しているということは、まだその会社の光る部分が残っているということです。今でも顧客がいるなら、事業を磨き上げたほうがいい。

私の講演会などではよく「お父さんは尊敬しなさい。今やっている事業を理解しなさい。磨き上げてみなさい」と伝えています。

大久保:「SADA」の事業にも当てはまりますよね。

佐田:はい。我々の場合は、前身の株式会社佐田時代から残っている自社工場があるからこそ、競争優位性のある製販一体のビジネスモデルを展開できています。

簡単にピボットするよりも、今あるリソースをどう生かすかを考えてみてください。

迷ったら茨の道を行け

大久保:これから「SADA」の事業をどう展開させていくご予定ですか。

佐田:まずは店舗を統合して1店舗あたりの売上を倍以上にしようと考えています。その倍以上の店舗を新しいスタンダードにして店舗網を拡大させます。

コロナ禍が明け次第、その方向に舵を切っていきます。

大久保:スーツ業界はコロナ禍の影響をモロに受けましたね。

佐田:はい。どの企業さんも痛手を負っています。しかしこれで業界がフラットになったので、私はチャンスと考えています。

大久保:なるほど。

佐田:「オーダースーツ業界」ではある程度の地位を確立できましたが、「スーツ業界」全体で見ると微々たるもの。

次は「スーツ業界で勝ち組になる」ことを目指しています。

大久保:険しい道になりそうですね。

佐田:はい。ただ、私の祖父がよく言っていた言葉に「迷ったら茨の道を行け」というものがあります。この言葉はじつは、私の書籍のタイトルでもあります。

これまでも、私は常に茨の道を歩んできました。一度茨の道ををくぐり抜けると大きく成長していた、ということを何度も繰り返してきた人生です。

だから次も「スーツ業界のNo.1を目指す」という茨道にあえて挑戦したいんです。

大久保:本日は普通の人なら諦めてしまいそうな壮絶な修羅場を何度もくぐり抜けてきた佐田さんに勇気をもらえるお話を伺えました。佐田さん、本当にありがとうございました。

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(取材協力: 株式会社オーダースーツSADA 代表取締役社長 佐田 展隆
(編集: 創業手帳編集部)

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