キョウエイ 河野誠⼆|売上50億を達成、人手不足の建設業でも社員ファーストな環境を作れば必ず伸びる

創業手帳

16歳で勘当され18歳で起業。どんなに失敗しても、次に活かせればいい方向に変えられる


高齢化や労働力人口の減少に直面する建設業界。こうした中で50億円の売り上げを達成し、成長を続けるのが株式会社キョウエイです。利益の2割を社員に還元して社員の給与を最大10%アップさせるなど、社員ファーストな企業としても注目されています。

現在代表取締役を務める河野誠二さんは、同社を18歳で起業。現在に至るまで多くの失敗やトラブルを経験したと言います。「16歳で親に勘当され、道を外れた時期もありましたし、起業後何度も危機がありました。ただどんなに失敗しても、次に活かせればいい失敗になります」と語ります。

今回は河野さんに起業のきっかけや企業の成長につながったポイント、社員ファーストの取り組みなどについて、創業手帳代表の大久保がインタビューしました。

河野誠二(かわの せいじ)
株式会社キョウエイ 代表取締役
1975年生まれ、大分県出身。大分私立大分高校特進中退後、父から勘当され名古屋の建設会社に就職。1年間勤務後に18歳で建設会社を創業、今年で30周年を迎える。現在はグループ4社で約56億の規模まで成長。

インタビュアー 大久保幸世
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計200万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら

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起業後は失敗の連続。でもオセロのように最後に白を打てれば、ひっくり返せる

大久保:16歳で勘当され18歳で起業されたとお聞きしました。どのような子ども時代だったのでしょうか?

河野:僕は4人兄弟の末っ子で、1番上の姉とは15歳離れています。ですから甘やかされて育ちまして、子どもの頃は自己中心的な考え方でしたね。中学生になってもそういう振る舞いだったので、周囲から完全に無視されてしまうようになりました。

それをきっかけに悪い仲間と付き合うようになって、高校も入学後数か月で辞めてしまったんです。それからぶらぶらしていたところ、父の経営する会社に入ることになりました。ただそこでも社長の息子ということで誰にも怒られないので、ますます生意気になってしまいまして。父から「大分を出ていけ」と言われ16歳で福岡に出ました。

最初は福岡で頑張ろうと思ったんですが、寂しくて帰ってしまうんですよね。福岡ですと2時間で大分に帰れてしまいますから。

父もあきれて、帰ってこられないところに飛ばしてやるという感じで名古屋に行かされました。ようやくそこで退路を断たれたことに気づき、「絶対父を見返してやる、父の会社を抜くような会社を作ってやる」という想いになりました。これが起業のきっかけです。

それから名古屋で1年必死に頑張って、18歳で会社を起業しました。起業と言っても最初は一人だけの個人事業で、翌月に友達を一人九州から呼びよせて社員になってもらいました。

大久保:起業後、ご実家には連絡したのですか?

河野:父に電話したところ「よく頑張ったな、たまには帰ってこい」と言ってくれましたね。父には本当に迷惑をかけたので、これから親孝行をしなければいけないなと感じました。やはり会社を大きくして、父の会社を抜くことが父の一番喜ぶことかと思い、そこを目指すようになりました。

勘当された時はどん底でしたが、今思うと愛情があったからこそ厳しい環境に追い込んでくれたのかなと思います。

大久保:起業された後は順調でしたか?

河野本当にたくさんの失敗をしました。仕事自体はわかっていましたが、打ち合わせもあまりしたことなかったですし、物の管理もよくわかっていなかったんです。

最初に受注したのは丸い床のタワー型の建物でしたが、発注元の社長からはさんざん怒られましたね。でも僕としてはたくさん失敗したから、次は何をすれば成功できるか一発で分かったんです。今回は丸い床だったから失敗したけど四角なら絶対できる、みたいな感じでした。

社長にもう1回チャンスをくださいとお願いしたところ、横浜の仕事を紹介してくれました。次の横浜の現場からは何をすればいいかわかっていたので、5日かかる仕事を3日で終わらせることができたんです。

そこから会社を大きくしようと思って、もう1人雇いました。当時僕が18歳で、あと2人も10代という今では考えられないようなチームですが。ただ、当時はバブルがはじけた頃で景気も良くなくて、結局仕事量を確保できず1人には頭を下げて3か月で退職してもらいました。これは本当に責任を感じましたね。

僕は当時すごく人気のあった日産のシーマに乗っていたのですが、そんな厳しい状況でしたから、ガソリンも満タンに入れることができなくなっていて。社員に十分な仕事も確保できない状況はまずいと気づき、シーマはローンが残っていましたが半年で手放しました。

その後は、気にせずハイオクを満タンに入れられるぐらいにならないといい車は買わない、絶対守っていけるようにならないと社員を雇わない、と決めました。そこから必死に頑張って、1年後に再度人を雇うことができました。

起業した時も現場で失敗したし、 人を雇った時も失敗したし、調子に乗って高級車を買って失敗しました。でも失敗をしたことで、次にどうすべきかわかるようになったんです。

そこから「失敗は良くないけれど、失敗をすることで早くわかることもある」と思うようになりました。失敗しても次に活かせればいい失敗になるんですよね。勘当されたことも大きな失敗でしたが、その経験のおかげでいろいろなことがわかりましたし、僕の原動力になりました。

僕はこれをオセロの法則と呼んでいます。最初はみんな白を打ちますが、嫌なこともありますから黒も打つ。人のせいにしていたらやはり黒しか打てません。でもいつか見返してやろうとか、次同じことをしないようにしようとか、そう思って白を打つ努力をする。そうすると最初に打ったのは白だから、黒を打っていても最後に白を打てば全部ひっくり返せるんです。そうすると黒歴史でも、「あれがあったから良かった」と肯定的に受け止められようになる。

僕はこれを体験しているので、どんなに失敗しても、最後にいい方向に変えられるという確信があります。だからどんなことでも前向きになれる。これを起業直後に学べたのは、すごく大きかったと思っています。

大久保:挫折経験がないと1回の失敗であきらめてしまいやすいですよね。とにかく白を打ち続けることが大事だというのは、すごくいいお話です。

社員の不祥事やリーマンショックを乗り越え、12期連続で増収増益できた理由とは


大久保:その後会社を実際に大きくされましたが、その中でターニングポイントになったことをお聞かせいただけますか?

河野:いくつかありますが、まず起業4年目に社員がニュースになるような事件を起こしてしまったことですね。当時13名くらい社員がいましたが、半数以上の8名を解雇せざるを得なくなりました。取引先からの信用もなくなり、頑張った4年間が全てダメになってしまったんです。

ただこういう素行の悪い人を雇ったのも、そういう人を更生できなかったのも、全部自分の責任だと思いました。今後はちゃんとした人を雇える会社にしなければいけないし、そのためには自分が変わらなければいけないと痛感しました。僕もかつては悪いことをたくさんしましたから。

それからは社員にきちんと指導するようになりましたし、教育システムも作りました。そういう意味で、この事件は大きなターニングポイントでしたね。

2つめのターニングポイントは、リーマンショックです。起業して15年目、法人化して9期目にリーマンショックが起こり、初めて倒産するという危機感を持ちました。

リーマンショックで、本当に何をしなければいけないかをよく考えるようになりましたね。社員は解雇したくなかったので、僕は社員に向けて、「仕事のあるところへ行こう!どんな仕事でもやろう!みんなでやれることをやろう!」と、全体会議でサバイバルプランとして発表したんです。

「まず僕の給料を限界まで下げる。それでもダメなら上の人から順番に給料を下げる。それでもダメなら一般社員の皆さんの給料を下げることになるけれど、そこまでしたくない。だから全員が1%努力すれば、1億の売り上げなら1%で100万円生まれる。100万円変われば、みんなの給料を上げることもできるかもしれない。だから些細なことでも拾っていこう」という話をしました。

そこから3年間は社員全員、もう必死でした。東京に仕事があるときは、夜行バスで移動して、マンションの1室を借りて14人くらいで寝泊まりしたこともありましたね。

その結果、社員を解雇せず、社員の給料も下げずに乗り切ることができました。僕自身はマイナスになりましたが。このおかげで、社員との結束力がものすごく強くなったと思います。

リーマンショックを乗り越えた後、僕としては頑張ってくれた社員に報いるために何ができるだろうと考えた時、利益をみんなに分配しようと思いました。そこで利益の2割を賞与というかたちで還元していくことにしたところ、社員もより頑張るようになって、そこからは12期連続で増収増益になっています。

一番のファンは社員。そう考えれば、できることはたくさんある

大久保:数年前に新社屋を建てたとお聞きしました。

河野:うちの会社では社員一人一人に1年、5年、10年、20年後のライフプランを立ててもらい、どんな仕事やプライベートを目指しているか書いてもらっています。その中では、どのくらい給料が欲しいかも書いてもらいます。そこから必要な利益を計算して、達成するための売り上げ目標を決めていきます

2020年頃に「5年後には売り上げを倍の50億円」という目標を掲げました。「これを達成するには間接部門を増やしてできることを増やさなければいけないよね、そのためには今の倉庫みたいな事務所では人を増やせないよね」という話になり、新社屋を建てることを決めました。

新社屋の効果は大きかったですね。3年間で20人ぐらい社員が増えて、僕たちも自分の仕事に専念できるようになってきました。おかげで5年後の目標だった売り上げを3年で達成できて、会社の成長が加速していると感じています。

大久保:お話のあったライフプランもそうですが、社員のキャリアアップについてもいろいろな取り組みをされているそうですね。

河野:そうですね。例えば社員のキャリアパスも、管理職コース・独立コース・技術を極めるコースなどを設けています。1つの道筋しかないのは良くないですから。みんなのライフプランを聞いていくといろんな人生の形があって、それぞれの幸せの形があります。

あとは若い社員が頑張れる環境も目指しています。僕自身かつて道を外れてしまいましたが、その時に手を差し伸べてくれた人もいました。そういう人のおかげで毎日が楽しくなりましたし、その人たちに認められたいと思って仕事も頑張れました。

そこで逆メンター制度というものを始めました。本来上司や先輩がメンターになりますが、この制度では新入社員や若手がメンターになります。

誰もが、入社時はやる気がありますよね。その後やる気がなくなるのは、本人の事情もあるかもしれませんが、会社の仕組みや上司に問題があるかもしれない。そこで若手が意見を言える環境を作って、その意見に耳を傾けて、理解するためにこの制度を設けました。それに今は世代間の格差も大きくなっていて、新入社員から僕たちが学ぶこともたくさんあります。

あとは社会貢献ですね。今は50億という売上規模ですが、今後100億を目指しています。そうなると全産業の中の1%に入れます。そこまでになると、社会的な責任も出てきます。現在は社内に陸上競技部を立ち上げて、アスリートを支援しながら社会貢献をするという活動を行っています。活動を通じて、社員に「社会に役立つことをやっている」という意識が生まれて、やりがいにつながったらいいなと思っています。

お客様も大切ですが、一番のファンは社員ということをしっかり理解することが大切ですよね。お客様に対してはできても、社員にはできていない会社は多いですから。一番のファンやお客様は社員と考えれば、できることはたくさんあると思います。

深刻な人手不足に直面する建設業界。でもそこにやりがいを感じる

大久保:建築業界は高齢化や労働人口減少という課題もあると思います。そのあたりはどのようにとらえていますか?

河野:確かに人手不足は深刻です。就業人口は450万人くらいまで減っていて、さらに今建設業界で働く人の35%以上が55歳以上なので、10年後には35%が退職してしまいます。

一方で仕事は絶対になくなりません。特に災害の多い日本では、建設業が担う責任は大きいと考えています。なくてはならない存在でありながら、働き手は少ない。こうした業界で、社員が満足できる環境を作り、働く人たちが増えていく仕組みを作れば、もっと伸ばせると思っています。

大変ですが僕たちができることをしっかりやっていけば、残存者利益ではないですが、価値が上がって給料も高くなるはずです。

実はバブルの頃、建設業はかなり人気があったんですよ。これは給料が高かったからです。つまりきつくても給料が良ければ、働き手は増える。でもリーマンショックの後、他の仕事とあまり変わらない給料になってしまいました。だから働く人が減るのは当然ですよね。

僕としては、今の給料の倍まで持っていきたいと思っています。そこまで上げられれば建設業で働きたい人は増やせる。そうやって建設業界を盛り上げていければいいですよね。そういう意味で、やりがいはすごくあります。

労働力不足は人口減少に比例しますから、建設業界以外でも大きな課題になると思います。だからこそ、これからの時代の人たちに合わせていくという柔軟な対応が、どの業界にとっても大事になってくるはずです。

大久保:業績を大きく伸ばしながら、社員の待遇まで気遣う会社はなかなかないと思います。あらためてうまくいったポイントは何だと思いますか?

河野応援されやすい人は成功しやすいと思うんですよ。応援されやすい人になるために何が必要かなと考えた時、常に初心を忘れずに謙虚でいて人を一つのモノサシで図らないこと、そしてみんなが共感できるビジョンが必要じゃないかなと思いました。

ですから、自分がいいなというだけではなくて、みんながいいなということを考えるようにしています。僕自身ではなく、みんなが求めていることは何か、どうしてほしいのか、そこをよく聞いて、考えて、実行してきました。その積み重ねだったと思います。社員だけではなく、お客様にもよく話していました。そうすると、いろいろな人がアドバイスをしてくれるんですよ。

社員やお客様、そういう周りの人たちが力を貸してくれたのが、ここまで会社が大きくなった1つの要因かなという気がしています。僕1人で何もかもができるわけではありませんから。いろいろな方にいろいろなことを教えていただきましたね。顧問になってくれたり、優秀な外注さんを紹介していただいたり。

ただいろいろな人に話を聞くだけではなくて、やりたいことや目標を可視化しました。きちんと見えるようにして発信したから、共感してもらえたのかなと思っています。

あとはいろいろな人に聞くだけではなくて、本もたくさん読みました。そうしないと、いろいろなアイデアは浮かんできませんから。視野を広げることも大切だと思います。

大久保写真大久保の感想

自ら起業して事業を大きくした河野さん。働きやすい会社と雇用機会など地元への貢献は計り知れないですね。

今後、こうした「古くて大きい業界」に新しいスタイルを持ち込む会社にチャンスがありそうですね。

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(取材協力: 株式会社キョウエイ 代表取締役 河野誠二
(編集: 創業手帳編集部)



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