人形町今半 髙岡慎一郎|明治時代から続く老舗の社長に聞く。飲食店を成功させる秘訣と後継者問題の解決策

飲食開業手帳

経営は手放すことが大切。人形町今半社長が語る「多店舗展開のコツ」とは?


明治28年に「牛鍋屋」として創業し、今年創業127年を迎えた人形町今半。その5代目社長を務める髙岡さんは、「経営は手放すことが大事」であり、「売上が悪いときは他を見ないことが大切」だと語ります。

他社と比較しないことで売上を伸ばしていった髙岡さんに、飲食店を成功させるポイントや多店舗展開のコツ、後継者問題などについて、創業手帳代表の大久保がインタビューしました。

髙岡 慎一郎(たかおか しんいちろう)
株式会社人形町今半 代表取締役社長
1958年生まれ。玉川大学文学部卒業後、コンピュータ会社に就職し、営業として3年半のサラリーマン生活を送る。その後、27歳で家業である人形町今半に入社。仕入れや弁当の営業などの業務からスタートし、店長、総支配人、常務取締役を経て2021年6月より現職。座右の銘は『ゆっくり行くものは無事に行く。無事に行くものは遠くまで行く。』

インタビュアー 大久保幸世
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計100万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。

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120年以上人気が続く理由とは?


大久保:会社を継ぐまでの流れを教えていただけますか?

髙岡:幼少期から跡を継ぐよう言われていたので、継ぎたくないなという気持ちもありながらも、将来は跡を継ぐんだろうなと思っていました。
ただ、他の会社も経験してみたいと思い、大学卒業後はコンピューター会社に入社し、営業の仕事をしていました。3年を過ぎた辺りから「そろそろ家業を継ぐために戻ってきてほしい」という強い説得を受け、3年半ほどで退社し人形町今半に入りました。
戻ってきてからは、営業や築地での仕入れや新店舗の店長を経験後、本部で飲食部全体の統括を行い2001年6月に社長を承継しました。

大久保:明治28年創業とのことで非常に長い歴史がありますが、127年もの間、人気を継続されている理由は何だと思いますか?

髙岡:非常に難しい質問ですが、常にお客様に視線を向けていることだと思います。競合他社など他のことには目を向けず、いつも目の前のお客様を一生懸命見る風土が会社にあります。
そうすると、常にお客様の変化を感じられるので「もっとこうしてみよう」「こうすればお客様にもっと喜んでいただける」という提案をしやすくなるんです。

また、「良いものを提供しよう」という意識が根付いていることも理由の一つだと思います。
良いものをご提供するためには相応の料金をいただく必要があるのですが、そうするとお客様のご期待も非常に高くなるので、お客様に育てられるんです。お客様の期待値を上回るものをご提供するための良いループができあがります。

さらに、当時の仕入れ担当者が牛肉の仕入れにおいて非常に良い形を作ってくれたことも理由の一つです。
当時は、精肉店が東京芝浦市場に行って仕入れる時代ではなく、問屋で値段だけを見てあてがいの肉を買うシステムだったんです。でも彼は、実際に東京芝浦市場に行き、自分の目でしっかりと見極め、問屋に「この牛肉を買ってほしい」と言って、指導権を持って仕入れを行う形を作ってくれました。
彼が東京芝浦市場に行くと「どの肉を買うのか」と注目を浴びるほどだったそうです。そのこだわりもあり、決して安売りをせずに良いものを売り続けたというところが、人気を継続できている理由だと思います。

大久保:普通は問屋に任すところを、自ら足を運び、自分の目で見極めたことが競争を勝ち残れる一因となったのですね。

髙岡:そうだと思います。自分たちでイニシアチブを取ったことがよかったと思います。
他にも、明治時代になって牛鍋が広まったときには、浅草界隈で550店舗もの牛鍋屋ができたといわれています。
当時の牛鍋は、薄切り肉とネギだけなど、具材も少なく、七輪と鍋だけあれば簡単に商売を始められるような世界でした。ちょうど「肉を食べる」という文化がどんどん広がっていましたから、それに乗じて次々とお店ができたようです。

また、当時のメニュー表を見ると、牛鍋一人前よりもビールの方が高いくらいで、牛鍋は非常にリーズナブルで大衆的なものでした。
ところが関東大震災で下町は壊滅的状況になり、ほとんどの店が消えてしまいました。何とか生き残った弊社は、昭和3年に営業を再開いたしました。
その頃から徐々に景気も上がり始め、さらに上質な牛鍋を提供しようということで「すき焼」を始めたようです。
お手軽な牛鍋ではなく、良い肉を使い、野菜もネギだけではなく春菊や豆腐、しらたきなどバラエティ豊かにして高級感を出して販売していたところがよかったのかなと思います。

大久保:2000年代半ばにクラウドソーシングが当たったときに、新たに1,300~1,500社が参画してきたものの、残ったのは最初の2社だけだったといわれています。
牛鍋バブルで550店舗できたけれども「儲けたい」と便乗した店は途中で淘汰され、最初に始めた店や本当に追及している店だけが生き残るのは、昔からあったことなのですね。

髙岡:そうですね。明治時代に牛鍋屋として創業し、今も続いている店は数社です。
その共通点は、どこも高級店になっていることですね。価格の安さを訴求せず、良いものを出し続けている店が続いています

大久保:人形町今半では、長い歴史の中で積み重ねてきたものが多いと思いますが、同様に変化している部分も多いのでしょうか。

髙岡:多いですね。どんどん変わっています。一番のメインである味も変わっていますから。

大久保:そうなのですね!

髙岡:はい。やはり時代の流れに合わせて変えていかないとお客様に感動を与えることはできないですし、お客様の一歩先を目指していかないといけないと思っています。
特に、すき焼の味は、創業当時と今では全然違いますね。当時は非常に濃い割り下を使っていましたが、現在は非常に優しい味になっています。

当時と今では牛の育て方が違うことから、お肉の味が変わっていて、今は融点(牛の脂が解ける温度)が低く、口の中でふわっと解けるような雰囲気のお肉をご提供していますので、そういったお肉に合うような割り下に変えています。

「もう牛肉を諦めよう……」から思い直した訳


大久保:これまで経営されてきた中で、一番大変だったことは何ですか?

髙岡:私が代表になった3カ月後の2001年9月に、国内初となる食用牛のBSE感染が発生したことから、日本中が牛肉を食べなくなる事態に陥りました。
そのときは「もう牛肉は諦めよう」と思うぐらいの気持ちになりましたね。

大久保:やはりお客様が激減したのでしょうか。

髙岡:ひと月で約半分になりました。
テレビでは毎日のようにBSEの情報が流れていて、「この映像を見たら、誰も牛肉は食べたくなくなるだろうな」と思い、カニや豚など、牛肉以外のものをいろいろと取り入れてみたのですが、全然ダメでした。
試行錯誤していくうちに、「お客様はまだ半分もいる!この半分のお客様は、牛肉が大好きで、人形町今半が大好きなんだから、このお客様のために商売をやろう!」という気持ちに変わっていきました。

それから、徹底的に牛肉にこだわってやり続けたところ、年明けぐらいからまた収益が戻ってきました。
やはり、「人形町今半」というブランドに期待するものは「すき焼」ですから、「牛肉しかない!」と思い直したことがよかったのだと思います

大久保:今半=すき焼きですからね。牛肉に専念されたことがよかったのですね。

髙岡:うちは原点が牛鍋屋ですから、「原点回帰しよう!」という思いでやりました。
正解はないかもしれませんが、信じてやっていけば必ず成功すると思います。「うちは原点が牛鍋屋だから、牛肉にこだわるべきだ」と信じて貫いたのがよかったのだと思います。

大久保:BSE事件が起こった際、社員にはどのような話をされたのですか?

髙岡:最初はとにかく牛肉から逃げる戦略ばかりでしたが、考え方が変わってからは「原価率が悪くてもいいから、良い牛肉を出し続けよう!」「やり続けていれば、必ずお客様は戻ってくる」と発信し続けました。
現場からは「すごく楽になった」と言われましたね。やはり、現場は「商品を無駄にしちゃいけない」という思いが働くので、原価率のことをすごく気にするんですけど、「気にしなくてもいい」という発信により、会社として「良いものを提供する」という原点に立ち返ることができました。

また、以前は特選牛に近江牛を使っていたのですが、近江牛だけでは仕入れの量を賄えなくなったことから、BSE発生の1~2年ほど前に近江牛の看板を下ろし、日本中から仕入れるようにしたんです。
BSEの発生で食用牛の数が減ったことから、本気で日本中の仕入れ先を探すようになりました。牛肉は日本中に良い肉がありますので、「仕入れが非常に楽になった」という現場の声を多く聞いています。
今までのこだわりを捨て、仕入れ先を広げたことも良い結果に繋がりました

社長に必要なのは、信じて任せる力


大久保:飲食店を成功させるためのポイントがあれば教えてください。

髙岡:成功させるポイントは一つで、「働いている従業員を大事にすること」です。
飲食店で働きたいと思っている人は、「お客様に喜んでいただきたい」「おいしい料理を出したい」と思っています。
だから、従業員がやりたいことを自由にやらせてあげるようにすれば、飲食店は成功しやすいと思っています。接客業は、働いている人がイキイキしていないとお客様は嫌な気分になってしまうんです。
従業員が良いオーラを発信できる環境を整えることによって、お客様に「良い店だな」と感じてもらえるんだと考えています。

大久保:まずは従業員がイキイキと働ける仕組み作りが大切なのですね。

髙岡:そうですね。また、飲食店は、出店したらその場所でお客様を呼ばなくてはいけないのですが、自分の店の力だけつければよくて、競合店ができても実は全然関係ないんです
周りに多くの飲食店があった方が集客は良いですから、その中で選ばれる店になればいいので、他店が何をやっているかはあまり関係なくて、自分の店さえ磨き上げれば良いと考えています。

大久保:なるほど。ちなみに、組織作りにおいて最も大切なことは何でしょうか。

髙岡:「どういう店を作りたいのか」会社の方向性をしっかりと明確にし、従業員に発信することだと思います。そして、発信したら、現場を信じて任せることですね

大久保:髙岡さんは、どのような方法で社員に発信されているのですか?

髙岡:毎年、アルバイトも含めた全従業員に向けて、経営計画書を基にした方針発表を行っています。
どんな仕事でも、何のために行うのか理由や意図が理解できれば働きやすいのですが、理由も分からず、ただ「やって」と言われたことをやるだけでは、心が入らないんです。だから、方針を理解してもらえるように発信することで、方針を理解した上で「どう動くことがベストなのか」を自分で考えてくれるようになります。
それがしっかりできていれば、近隣に競合店ができても関係ないと考えています。

大久保:人形町今半は多店舗展開されていますが、「1店舗目は上手くいったのに、多店舗展開すると躓く」という声もよく聞きます。多店舗展開を成功させるコツがあれば教えてください。

髙岡:おそらく、私が料理も接客も経理も何もできなかったことが良かったのかなと思います。
一生懸命みんなにやってもらわなきゃいけないですから。そうすると、何店舗あっても大丈夫です。もし、オーナーシェフで、全部自分でやっているとしたら、2店舗目はNo.2の方に任せることになると思いますが、No.2のことが気になって「大丈夫か?」と常に顔を出していると育たなくなるんですよね。
ですから、仮にオーナーシェフが多店舗展開したいのなら、調理場から出て、調理場には一切顔を出さない覚悟で経営に専念しなければ難しいのかなと思います。

大久保:オーナーシェフから社長の仕事にシフトすることが大切なのですね。

髙岡:はい。やはり、現場を信じて任せることが大事です。
飲食店にありがちな例を挙げると、腕の良い料理人を引き抜いてきても、社長が「この塩加減は……」などと意見を挟めば、調理人は社長の意見に合うように味を変えてしまうので、結局、料理人自身の能力が発揮できず、普通の味になってしまうんですね。
それが「組織」というものではあるのですが、いかに手放すことができるかがポイントになると思っています。

会社経営は子育てと一緒


大久保:社長を継ぐ前と後で変わったことはありますか?

髙岡:父の姿を見て「私ならこうする!」と思っていたこともありましたが、社長になった当初は「トップだから、もっとしっかりやらなきゃいけない」「自分がなんとかしなくちゃいけない」という気持ちが強くて、緊張と過剰な責任感で正確な判断ができなくなっていました。
ただ、やっていくうちにそれではダメだということに気づきましたね。おそらく皆さんもそうだと思うのですが、最初はやりたいことがたくさんあって、それを全部自分でやらなきゃいけないと思っちゃうんですね。
もちろん、創業して間がなく、任せられる人がいない場合は仕方がないのですが、それをどこで手放せるかがカギになると思います。

子育てと一緒ですよね。子どもは、2歳頃にイヤイヤ期が始まり、小学校で軽い反抗期があり、中学2年生頃から本格的な反抗期が始まることが多いですが、なぜ反抗するかというと、親が手放さないからです。
親の囲いから出たくて仕方がないのに、いつまでも構っていると反抗がエスカレートしてしまいます。
意思を示したときに離してあげることで、本人はどんどん成長していきますので、その頃合いを見分けることが重要だと思います。

大久保:子育て同様、手放すことが重要なのですね。

髙岡:はい。創業当初は社長自身が現場でやっていく必要があると思いますが、ある程度会社が大きくなってきたときにポン!と手放し、現場に任せることで、現場の人間が成長できますし、それが上手く循環すると多店舗化もできると思います。

大久保:先代の影響も大きいと思いますが、組織運営についてどのように勉強されたのですか?

髙岡:やっていくうちに、だんだんと分かってきた部分もありますし、サラリーマン時代の経験から、「自分が従業員だったら、どういう気持ちだろう」と従業員の立場に立って考えることを大切にしています。

また、いろんな本に出会い、様々な方の話を聞いて考えを改めた部分も多いです。
昔は、ソフトバンクやユニクロなど、一代で築き上げた社長に憧れて、トップが常に先頭に立ってバリバリ働く方が良いのではないかと真似してみた時期もあったのですが、全然うまくいかなくて。
そんなときに、「経営者によってやり方は違うから、髙岡さんは髙岡さんのやり方でやればいいんだよ。高岡さんは孫さんにはなれないし、柳井さんにもなれないんだから」という言葉をかけてもらい、とても気持ちが楽になりました。

また、昔から経営者やビジネスパーソンは日経新聞を読むべきだといわれますが、私はバブルが崩壊したときに一旦読むのをやめました。
会社を大きくすることが善で、売上を落とすことが悪だと勘違いしてしまい、自分たちのやりたい本質が見えなくなってしまうと思い、当時は経営紙を見ないようにしていました。現場のことしか見ていないですね。
他の余計な情報を聞いちゃうと、それが気になってしまうので、一旦リセットして、気持ちを楽にして自分の本質を見ながら少しずつまた情報を得ることもありますが、面倒くさくなったり苦しくなったら全然読まないですね。読まなくても大丈夫だと思っています。

大久保:様々な本との出会いもあったとのことですが、感銘を受けたものの中から何かご紹介いただけますか?

髙岡:ずっと心に残っている本は、組織をバスに例えた『ビジョナリーカンパニー2』や、『ティール型組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』などですね。
『ティール型組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』は、まさに「経営を手放し、一人ひとりが自由に意思決定できる組織を作りましょう」という内容で、非常に共感しました。

大久保:経営者として、幼少期にお父様から受けた影響があれば教えてください。

髙岡:父はレストランや高級ホテルに行くのが好きだったのですが、小さいときに連れて行ってもらった際、ドアマンがサっとドアを開けてくれたり、レストランでウェイターがスマートに説明しながらサーブしてくれる姿がすごくカッコよく感じて、幼いながらに「いいなあ。これをやりたいなぁ」と思ったんです

大久保:いい教育でしたね。

髙岡:そうですね。幼少時代に受けた高級レストランやホテルでの経験は、非常に経営に役立っていますね。

継ぎたくなる会社を作ることが大切


大久保:髙岡さんご自身は、お子様に対しどのような経営者教育をされているのでしょうか。

髙岡:私が幼少時代、父からずっと跡を継げと言われ続けたのがすごく嫌だったので、子どもにはあまり「継いでほしい」ということを言わず、会社の良いところばかりを見せています。
そのおかげで、子どもが3人とも会社に入りたいと言ってくれていますが、極力強制はせず、自ら「入ってみたいな」と思えるような会社を作ることが大事だと考えています。
仮にうちの子どもが誰も継がなくても、人形町今半に愛着を持ってくれている社員は多いので、大丈夫だと思います。
自分の子どもであっても個の人間ですので、どう考え、どう行動するのか、親がコントロールすることはできないですからね。

大久保:現在、日本では後継者不足が問題となっていますが、まずは継ぎたくなる会社を作ることが大事なのですね。

髙岡:そうだと思います。
「自分の代で本当にいい会社にする」という意識がないと、やはり跡を継ぎたくはないと思います。
また、人それぞれだとは思いますが、個人的にはサラリーマンをやるよりは、小さな店でも経営者をやった方が楽しいのかなと。

もちろん、サラリーマンとして組織の中で輝きたいという方もいると思いますし、人それぞれだと思いますが、大企業にいるだけがすべてではないと思います。
たしかに大企業はブランドがあって「○○商事に勤めています」と言うとカッコよくて、親も「うちの子は○○商事に勤めているのよ」って言いたくなる気持ちも分からないではないです。
でも、それは日本の残念なところでもあるのかなという気もします。やはりこれだけ多様性の時代ですから、企業での差があるような社会がなくならないと寂しいなという感じはしますね。

大久保:海外では、起業している人の方が憧れの的となりますが、日本は逆ですからね。

髙岡:そうですね。日本は起業していると「大丈夫!?」といわれる世界ですからね。これは非常にもったいないですよね。
日本は新卒で入ることがすごく重要視されますが、海外は学校を卒業してから経験を踏まえて就職するのが当たり前ですし、学校を卒業してフリーランスで働き、その中で良い会社と出会ったら就職するという人も多いです。
他にも、学校の授業としてインターンシップを行い、3カ月~半年ほどの期間をかけて様々な会社を見た上で、自分の方向性を決めるなど、いろんな方法があります。
日本は大学3年生のときに一斉に就活を始めますが、この制度を変えていかないと後継者問題も解決しないんじゃないかなと思いますね。

大久保:それでは最後に、この記事を読まれている方に向けてメッセージをお願いします。

髙岡:若い社長さんに会ってよく言うのは「とにかく社員を大事にしてくださいね」ということです。
実際に現場を動かしているのは、経営者ではなく社員ですので、やはり社員を大事にしないと組織は上手く回らないですし、会社を成長させることは難しいと思います。
あとは「あまり自分を人と比較しないでください」ということですね。周りを見てしまうと、どうしても自分のダメなところが気になってしまうので、「人と比較せず、自分の信じたことをしっかりやれば、必ずお客様は来てくれます」ということをよくお伝えしています。
また、飲食店に関しては、やはり「食べ物へのこだわり」や「どういうレストランにしたいのか」「どういう料理を出したいのか」ということを明確にした上で、メニュー作りをしてほしいということですね。

例えば「あの店でこれが流行ってるからやってみよう」と、他店の真似をしてしまうと、どんどん自分の店のコンセプトがなくなってしまうので、売上が悪いときは、自分の店だけを見て極力他社を見ないことが大切です。
他店舗を見てしまうと軸がブレてしまいます。どうしても他社を見に行くなら、自分の店の景気が良いときですね。自分の店の売上が好調なときに「お客様が経験されていることを自分も経験したい」と思って行くのは良いのですが「何とか他社から取り入れられるものはないか」と探しに行くと、確実に失敗するのでしない方が良いかなと思います。

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(取材協力: 株式会社人形町今半 代表取締役社長 髙岡 慎一郎
(編集: 創業手帳編集部)

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