旭酒造 桜井一宏|「獺祭」の世界展開に成功した4代目が挑戦する新たな酒造りとは
小さな会社でも、トライ&エラーを繰り返しベーシックなことを泥臭く続けていけば世界で勝負できる
純米大吟醸酒の代表格とも言える「獺祭(だっさい)」。国内のみならず海外での評価も高く、世界30か国以上に展開しています。
この「獺祭」を手掛ける旭酒造株式会社で、4代目として代表取締役を務めるのが桜井一宏さんです。桜井さんは大学卒業後日本酒と関係のない業界に就職したものの、実家である旭酒造に戻り、ニューヨークを起点に海外展開にチャレンジしています。
また最近では、杜氏(いわゆる伝統的な酒造りの職人)を置かず、若いメンバーを中心に行う新たな酒造りに取り組んでいることでも注目される同社。今回は桜井さんが家業を継承した経緯や海外展開に成功したポイント、組織作りなどについて創業手帳代表の大久保がインタビューしました。
旭酒造株式会社 代表取締役社長
1976年生まれ、山口県周東町(現岩国市)出身。早稲田大学卒業後、酒造とは関係のない東京のメーカーに就職。東京の居酒屋で「獺祭」のおいしさに気づき、2006年実家に戻る形で旭酒造に入社。その後ニューヨークに赴任し海外進出の礎を築き、常務取締役となる。2010年より取締役副社長として海外マーケティングを担当。2016年9月代表取締役社長に就任、四代目蔵元となる。
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計250万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら
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この記事の目次
「うまい酒でお客様の幸せに貢献できる」という価値に気づき、実家を継ぐ決意をした
大久保:ご経歴を拝見しましたが、日本酒とは別の業界にいらっしゃった桜井さんが、ご実家に戻って社長になるまでの経緯をあらためて教えていただけますか?
桜井:早稲田大学を卒業した後は日本酒と関係のない会社に入りまして、人事関連の部署に配属されました。その会社は群馬に本社があったのですが、その後東京の六本木ヒルズにもオフィスを構えまして、それから東京で飲みに行く機会が少しずつ増えて、そこで実家のお酒のおいしさに気づいたんです。
それまでも実家からお酒を送ってもらうことはありましたし、実家に帰省した際にもお酒を飲んでいました。とはいえお金を払って飲むわけではないので、それほどリスペクトしていなかったんです。ところが社会人になって自分のお金で飲むようになると、本気度が違う。その中で、同じ価格帯の他のお酒より、実家のお酒の方がうまいと気づかされました。
うまい酒で、お客様の幸せに貢献できるという価値に気づいて、実家に戻る決意をしました。
ただ私が実家に戻った頃は現在の30分の1くらいの規模の会社でしたから、いわば個人商店に戻るような形でしたね。最初は製造の見習いとして入り、とにかく何でもやりました。ごみ処理場に廃棄物を運ぶとか、お客様向けのDMを用意するためにコンビニでひたすらコピーをするとか、そういうこともやっていました。
大久保:いずれは桜井さんが後を継ぐ、というお話がもともとあったのでしょうか?
桜井:明確に言われたことはなかったんです。弊社は私が4代目で、父は3代目にあたります。父の代になる前から売り上げが落ちてきていて、そんな中で父が継ぎ、必死にやっていたという状況でした。ですから私に後を継いでほしいと言いづらかったのかもしれません。
また、私の父も2代目と合わず会社を飛び出したことがありました。父にもそういう経験があったので、本当に覚悟がないとやめてしまうのではという思いもあったと思います。
大久保:お父様が継いだ頃は、獺祭が存在せずに普通酒がほとんどの頃ですよね。
桜井:そうですね。弊社は獺祭というブランドを作り上げて、それから一気に伸びたというイメージをお持ちの方が多いと思うのですが、実際はそうではないんです。
小さな会社で、しかも業績もそれほどいいわけでもない状況でした。もう本当に何でもやらなければいけないという中で生き残りのために試行錯誤し、可能性を感じた道を追求していったという感じなんですよ。
海外担当として単身ニューヨークへ。「獺祭」の人気が出たのは、お客様の口コミのお陰
大久保:その後ニューヨークに行かれたそうですが、そのあたりの経緯を伺えますか?
桜井:父から、ニューヨークを担当しろという話があったんです。私が戻る一年ほど前からニューヨークと香港に輸出を開始していましたので、父としてもしっかり海外に力を入れていかなければいけない、という思いがあったのではないでしょうか。もう一つは、私は製造ではあまり役に立たず、それより市場を伸ばす方が役に立つのではないかと父が考えたのかなと思います。
私がニューヨークへ行った時は、まだ数十件の飲食店や酒屋にしか置いていただけていないというタイミングでした。最初は卸の方に同行して営業をして、飲食店や酒店などを回りました。飛び込みで営業もしたんですよ。でもなかなかうまくいかなかったですね。味見すらしてもらえないこともありましたね。
いろいろなことをしている中で、BtoBではなくBtoC、つまりお客様に対してのアプローチに可能性を感じるようになりました。そこでまずはお客様に品質を知っていただこうと、お客様向けのイベントなどを繰り返し行いました。品質は自信がありましたから。それからお客様が口コミで獺祭の良さを広げてくださって、売れるようになっていった感じです。
特にニューヨークは金融都市なので出張でいろいろな国や地域へ行く方が多く、口コミが広がりやすかったということもあったと思います。
大久保:ニューヨークの拠点は、情報発信と生産を兼ねているようなところなのでしょうか?
桜井:実は情報発信はそれほど意識していません。「情報を発信していればお酒が売れなくてもいい」という甘えが、どうしても出てきてしまいます。そうではなく、あくまで私たちのお酒を飲んでくれるお客様を増やしたいと考えました。
もちろん日本の文化や日本酒の文化を伝え広めるということは、すごく大切です。でもそれはあくまでいいお酒を造り、売って、しっかり市場を作っていくことで実現できることです。
まずはどのようにお酒を売って、どのように保管してもらうか。そういったベーシックなことを泥臭くやっていくことが大事だと考えました。
大久保:今はいろいろな国や地域に展開されていると思いますが、海外で地域ごとの傾向などがあれば教えていただけますか?
桜井:やはりアジアはわかりやすいですね。日本からの流れがそのまま伝わっていきます。日本で発信した情報が、数時間後にはもうアジアのお客様が知っているということもよくあります。そういう意味では、アジアは日本市場に対してすごく感度が高いと思います。
逆にヨーロッパは日本から離れていますので、ヨーロッパはまた頭を切り替えてやっていかないと難しいと感じています。
大久保:かつて日本酒市場が衰退していって、その後御社の獺祭をはじめ日本酒の良さが見直され盛り返してきている印象があるのですが、そのあたりはどうお考えですか?
桜井:実を言うと、まだ盛り返していないんです。日本酒は昭和49年にピークを迎え、それ以降は東日本大震災の時だけわずかに上がりましたが、ずっと下降している業界なんです。
現在は私たちも含めて、まだ日本酒業界全体の衰退を止めるところまでには至っていないという状況です。とはいえ今は勢いのある酒蔵さんも増えてきていますので、全体的な衰退は続いていくでしょうが、業界自体の新たな可能性は見えてきていると考えています。
杜氏を置かずデータを活用する酒造りを選んだのは、合理化や省人化とは全く違う理由
大久保:さきほど酒蔵を見学させていただきました。杜氏を置かずデータを分析しながら酒造りを行うというのは、すごく新しいですよね。また若い方がとても多いなという印象を受けました。
桜井:実は取材のお話をいただく際には、酒蔵を見学していただくようにお願いしているんです。
私たちがデータを活用しているというと、どうしても省人化というイメージを持たれてしまいます。杜氏がいないことも、そこで合理化、小コスト化してその分のコストを広告などに回しているのではないかと思われがちです。でも実際はそうではなく、製造メンバーは210名もいます。これは日本で一番多いと思いますよ。
杜氏を置かずデータを使う酒造りというのは、むしろ非合理的な作り方なんです。なぜこういうやり方を選んだかと言うと、まず杜氏は伝統的には季節雇用のスペシャリストという立ち位置の場合が多いので、どうしてもノウハウがブラックボックス化してしまいやすい。そうではなく、データによって見える化し、ダメならその理由を調べていこう、ということをやるために人を増やしていったわけです。
酒造りの技術をブラックボックス化させず、データを合理化や省人化ではなく品質のために使う。これが弊社の酒造りの大きな特徴です。
大久保:現場でデータが紙で張り出されていて、それを見ながらみなさん議論しているんですよね。デジタルとアナログを組み合わせて、品質を高めているということがすごくよくわかりました。
桜井:これも杜氏が1人で酒造りをするよりも、プロが集まってみんなで作っていく方が、いいものができるのではないかという考えに基づいています。
「紙を使わず全部タブレットで見ればいいのでは」と言われたこともありますが、そうなるとデータを解析する人がブラックボックス化させてしまう恐れがあります。ですから、誰でもデータにアクセスできるように、あえて手書きも残しています。それに紙のほうが、視認性がいいというメリットもあります。
大久保:人を多く雇用するだけではなく、昇給もしているとお聞きしました。
桜井:ものづくりの会社ですので、付加価値は人がつくるところが大きいと考えています。いいものを作るには、やはりいいメンバーが必要です。
営業メインの会社でしたら、営業に投資するのがやはり最も効率がいいと思います。弊社はお酒を造る会社ですので、やはり味に関わる原材料の価格や人に投資することが一番必要です。
そこでスタッフの給料を今後5年間で倍にする目標をコロナ禍の中で立て、そこに向けて昇給をしています。
ただ給料を上げていくことで、安定志向になりやすいところはあると思います。会社がぐっと伸びる時には、何でもやるという気持ちが必要です。ですから待遇をよくしながらも、どうハングリー精神を育てるかが今後の課題になっていくのではと思っています。
まずやってみてダメならすぐ引く。この「逃げ足の速さ」があるからチャレンジできる
大久保:社長になった当初、今思えばこうすればよかったと思うことがあれば、教えていただけますか?
桜井:海外の現場へ足を運ぶ機会が減った時期がありまして、そういうときは担当者からの報告が頼りになります。ただそういう報告はどうしても良いことばかりになってしまい、良くないことが出てこなくなります。そうなると、どうしてもずれた判断になってしまう。そういう経験はありました。
大久保:フィルターを通すメリットもありますが、フィルターを通すことで重要なものが見えづらくなるわけですね。
桜井:そうですね。ですから担当者から報告をもらう時に、まずは良くない意見をしっかり言ってもらう仕組みが必要だなと思いました。そういう仕組みがないと、いつまでたっても自分で行かなければいけないことになってしまいますから。
大久保:なるほど。また桜井さんはいろいろなメディアで「逃げ足の速さ」が大事と語っていらっしゃいますよね。
桜井:まずやってみて、うまくいかなかったらすぐ引くことがすごく大事だと思っています。やってみて、ダメだったら傷が浅いうちに引く。これを繰り返していくと、うまくいったポイントが見つかりやすいですよね。
その方が社員にとってチャレンジしやすくなるというメリットもあります。1回始めたら失敗しても続けなければいけない、失敗したら責任が大きくて出世はもう見込めないという状況では、社員もチャレンジしづらいですから。
大久保:最後に起業直前・直後の方に向けて、経営者の先輩としてメッセージをいただけますか?
桜井:獺祭を海外に展開できたお話をすると、「獺祭さんくらいの規模だったからできた」と言われることも多いんです。でも先ほどお話ししたように、私たちが海外へ行き始めたのは現在の30分の1くらいの規模で、本当に小さな会社の頃でした。そういう中でもいろいろやってみてダメだったということを繰り返して、ベタなことを泥臭く続けて、今に至ります。
つまり、こういうことができる可能性は誰にでもあるわけです。海外に行くにしても、規模が大きくないとダメとか、英語ができなければダメとか、そういう話ではないということを、ぜひ多くの方に知っていただきたいですね。
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(取材協力:
旭酒造株式会社 代表取締役社長 桜井一宏)
(編集: 創業手帳編集部)