「スタートアップでよくあるお悩みとその解決法」現役社労士が教えます

創業手帳

自社の成長段階に合わせて、注意するべきこと

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(2018/05/10更新)

一口にベンチャー企業・スタートアップといっても、そのビジネスフェーズによって抱えている労務問題は全く異なります。

社員・役員数が10名未満の創業期(シードステージ)のベンチャー企業。数千万円から1億円という資金調達を行い社員数が急激に伸び、50名程度になった成長期(アーリーステージ)のベンチャー企業。また社員が100名を超えいよいよIPOのための準備期に入るというベンチャー企業では、その組織の形態はもちろん、労務問題の質・量ともに異なります。

そんなステージ別のよくあるお悩みを、寺島戦略社会保険労務士事務所の所長であり、社会保険労務士の寺島 有紀さんに、自身が実際に相談を受けた内容を交えて解説していただきました。

創業期(シードステージ)は守るべきルールを押さえよう

創業期のスタートアップは社員数も10名未満程度と人数も少なく、社員も創業者の昔の同僚、友人、その紹介者などで構成されていることがあります。創業者の理念や目指すべき目標などが適切に共有され、共通の目標に向かう「同志型・理念共有型」の組織であることが多いため、労使トラブルなどの問題が(潜在的にあったとしても)目に見える形で出ないことが特徴です。労務上の問題は、今後のアーリーステージやIPO準備期と比べても一般的に少ないのです。

とはいえ、創業者や社員の紹介だけで社内に必要な人材を集めることは限界があるため知人等ではない外部の人材を雇用するタイミングがやっています。

この時に初めて「労働条件通知書をください」、「社会保険加入できますよね?」と言われ、「労働条件通知書ってなに?社会保険って強制的に加入しないといけないの?これまではこんなこと誰も言わなかったのにどうしよう!」といった具合で、これまでの「同志型・理念共有型」の組織の中ではあまり深く考えることのなかった労働基準法や社会保険のルールなどに目を向けなければならなくなります。

創業期のベンチャー企業からのご相談は、「人数が少なくても、労働基準法などで守らなければならないルールってなんですか?」というざっくりとしたものが多いです。

下記にスタートアップでも1名以上雇用したら守るべきルールをまとめましたので、ご参照ください。

(社員数10名未満の創業期のスタートアップ・ベンチャー企業でも最低限整備すべきもの)

整備すべきルール 対象従業員数 根拠条文 詳細
1 36協定を締結・労働基準監督署に提出する 1名~ 労働基準法36条 時間外労働をさせる労働者がいる場合、社員が1名しかいなかったとしても締結・労働基準監督署への提出は義務です!

36協定を締結・届出していない場合時間外労働をさせると、6か月以下の懲役または30万円以下の罰金に処せられます。

2 必要な労使協定の締結 1名~ 労働基準法18条、24条、32条、34条等 36協定以外にもフレックスタイムや専門業務型裁量労働制などの該当制度を入れる場合には必要な協定があるほか、忘れがちですが、休憩時間を各自バラバラに付与する場合には、

「休憩時間の一斉付与の例外の労使協定」が必要です。

3 労働条件通知書の策定・労働者へ通知 1名~ 労働基準法15条

パートタイム労働法6条

労働者に対して労働条件を明示することは義務です!

必ず明示しなければならないことは下記のとおりです。

(※賞与や休職に関する定めをする場合等は、さらに明示する必要あり。)

①労働契約の期間

②有期労働契約の場合は更新する基準

③就業の場所及び従事する業務

④始業・終業の時刻、所定労働時間を超える労働の有無、休憩時間、休日、休暇等

⑤賃金・昇給に関する事項

⑥退職に関する事項

(短時間労働者を雇う場合)

パートタイム労働法において、パートタイム労働者を雇い入れたときは、「昇給の有無」、 「退職手当の有無」、「賞与の有無」、「相談窓口」の4つの事項を文書の交付などにより明示することが義務付けられています。

 

4 必要な報告・書類の作成 1名~ 労働基準法第104条の2、労基則57、労基則53、労基則55 労働者を雇い、労働基準法が適用されることになると、労働基準監督署に適用事業場報告の提出が必要です。また、労働者名簿、賃金台帳の作成も作成が必要です。
5 労働保険(雇用保険・労災)への加入 1名~※農林水産業等を除く 労働者災害補償保険法第3条、雇用保険法第5条、 農林水産業などを除き、労働者を1名でも雇用している場合労働保険への加入が義務です。新規適用届などの書類提出が必要です。
6 社会保険(健康保険・厚生年金)への加入 法人:1名~

個人経営:5名~

健康保険法第3条、厚生年金保険法第6条

 

法人の場合は労働者を1名でも雇用している場合社会保険への加入が義務です。新規適用届などの書類提出が必要です。

 

また、厚生労働省でもスタートアップが36協定などを策定できるようなツールを用意していますので、参考にしてみてください。
https://www.startup-roudou.mhlw.go.jp/index.html

労働環境の整備が必要になる成長期(アーリーステージ)

事業を好調に展開し、資金調達などによって急速に社員数が伸び、50名程度になった成長期(アーリーステージ)のベンチャー企業は、これまで顕在化してこなかった労務問題が一気に明るみにでる場合があります。

労働基準監督署が調査に来たりと企業にとってはややネガティブな労務問題が発生する一方で、「育児休業を取る社員が出てきたので、柔軟な労働環境を整備したい」、「フレックスタイムや裁量労働制、テレワークを導入したい」といったポジティブな人事労務制度設計を検討する時期でもあります。

担当者にとっては、かなり忙しい局面を迎えるフェーズですが、50名程度の組織の場合、ひとりの担当者が総務・経理・労務を全て担当しているということも珍しくありません。そのため、本格的に社会保険労務士の顧問を検討するといった企業が多い印象を受けます。

この時期で最近多い相談内容としては、「社員に副業を認めたいが、どのような制度設計にすればよいか悩んでいる、労務管理上何に気を付ければいいのでしょうか?」というのがあります。

副業に関しては、2017年に政府により働き方改革実行計画が決定されて以降積極的に有識者会議等で議論がされており、2018年1月に副業・兼業の促進に関するガイドラインが発表されました。

加えて、保守的な大企業に比べ、経営陣が若く先進的で固定観念にとらわれない方が多いベンチャー企業は、副業などに対して寛容な風土があります。また、採用競争力が大企業に劣ることもあり、「優秀な人材確保策として副業を認めて柔軟な労働環境を売りにしたい」というニーズが多くあるようにも感じます。

副業を導入する際にポイントとなるのが、「自社雇用・他社雇用型」と「自社雇用・自営業型」の違いです。

副業には、自社に雇用されつつ、他社に雇用される形でも認める「自社雇用・他社雇用型」と、自社に雇用されつつ、フリーランス・個人事業主として他社の業務を請け負うような「自社雇用・自営業型」があります。この2つのどちらになるかによって、労務管理は全く異なります。

実は、「自社雇用・他社雇用型」だと、企業にとってややリスクがあります。例えば、下記の点がそれにあたります。

1.労働時間の通算による割増賃金の発生

労働基準法では、労働時間は会社が異なっている場合でも通算すると規定されています。
労働時間を通算した結果、1日8時間、週40時間の法定労働時間を超えて労働させる場合、自社で発生した時間外労働について割増賃金を支払わなければならないとされています。

例えば、自社で雇用している労働者Aさんが自社で8時間働いたのち、B社で2時間勤務した場合、B社は、Aさんに2時間しか働かせていないのにも関わらず2時間分の割増賃金の支払いが必要となるのです。この場合、B社に支払い義務があるので自社には関係ないかもしれませんが、このAさんが先にB社で働いたのちに自社に出勤した場合には自社に割増賃金の支払い義務が生じてしまいます。

2.労災保険について

労災についても注意が必要です。例えば、AさんがB社で勤務している最中にケガなどをした場合、労災保険の給付はB社で支払われている給与分のみが算定基礎とされるため非常に低額な休業給付となる可能性があります。自社とB社の給与を合算して補償される訳ではないのです。

もし、AさんがB社でケガをして経済的に生活が立ち行かなくなってしまったら、自社として何らかのサポートをする必要があるかもしれません。また、そもそもこの仕組みをAさんが知らない可能性もあるので、自社として副業する社員に対しては周知しておくほうが余計なトラブルとならないでしょう。

3.会社の安全配慮義務

会社には、従業員が生命・身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう必要な配慮をする、という義務があります。これは「労働契約法」という法律によって決められています。

例えば、AさんがB社で勤務している結果として過労状態となっている場合において、どのように安全配慮義務を履行していくのかは難しいところですし、これはB社にとっても同じ懸念点です。
もし、適切にAさんの安全配慮義務をそれぞれの企業が果たそうとした場合、自社からB社に労働時間状況について報告をする必要が出てきますし、逆もまたしかりです。

副業を導入する場合、現時点では労働法制の対象外となる自営業型の副業「自社雇用・自営業型」から導入して、段階的に「自社雇用・他社雇用型」を検討していく方が、導入へのハードルは低いと考えます。

IPO準備期はコンプライアンス体制構築が必須

IPO(※1)のための準備期に入るというベンチャー企業では、もっぱら労務コンプライアンス体制構築に対しての質問が多くなります。

※1
IPO:「Initial Public Offering」の略で、「新規公開株」や「新規上場株式」を指す。具体的には、株を投資家に売り出して、証券取引所に上場し、誰でも株取引ができるようにすること。

IPOにあたっては、主幹事証券会社による引受審査と証券取引所による上場審査において「上場企業として適切な経営体制が整っているか」が審査されます。なかでも、労務コンプライアンスは昨今頻繁に過労死の問題やハラスメントの問題がニュースでも取り上げられていることもあり、重要視されています。

労務コンプライアンスは「企業の中で働く従業員」の事柄であり、潜在的な労務問題や、未払い残業代等の発覚はIPOに重大な影響を与えます。IPO準備期に入ると、人事担当者は「うちの労務コンプライアンスは大丈夫だろうか・・・」と不安になってしまうのです。

よくある質問としては、

「裁量労働制(※2)を導入しているが、みなし時間を超えた分の割増賃金を払っていないことが判明した」

「36協定(※3)の特別条項を超えて労働している従業員がいる。」
など残業代未払いや長時間労働への懸念に関連したものが多くなっています。

※2
裁量労働制:労働時間制度のひとつで、労働時間を実労働時間ではなく一定の時間とみなす制度のこと。出退勤時間の制限が無くなり、実労働時間に応じた残業代は発生しないことが特徴。同制度は全ての業種に適用できるものではなく、適用対象は設計者や技術者など法律が認めた業種に限られる専門業務型裁量労働制のほか、企業の経営の中枢部門で企画・立案・調査・分析業務に従事する労働者に適用可能な企画業務型裁量労働制がある。

※3
36協定:時間外労働に関する労使協定。労働基準法36条に基づき、会社は法定労働時間(主な場合、1日8時間、週40時間)を超える時間外労働を命じる場合、労組などと書面による協定を結び、労働基準監督署に届け出ることが義務づけられている。

特に、裁量労働制を導入している企業においては「裁量労働制なら割増賃金が発生しない」と誤った認識を持っているところも多く、未払い残業代が発生している可能性が高いです。
裁量労働制は深夜・休日には適用されないため、深夜割増手当、休日割増手当がそれぞれ必要です。

また、みなし時間を10時間と設定しているにもかかわらず、2時間分の割増賃金を支給していなかったという基本的な部分ができていない企業も見受けられます。このようなことが発生した場合には、裁量労働制のみなし時間を超えた時間について割増賃金を計算し、支払っていない分を過去2年分に溯って支給する必要があります。

IPOの審査において、未払残業代を精算する場合は、従業員との間で未払い残業代支給によってそれ以外に債権債務がない旨を合意書で締結しておくのが通例です。

36協定違反についても、特別条項を超えて労働している従業員がいる場合、特別条項自体の労働時間を延長するか、長時間労働の社員の労働時間を削減するような対策が早急に必要です。IPO審査時には直近3年間の労基署の指導状況を確認されるため、IPO準備期には労働基準法違反が発生することはできる限り避ける必要があります。

なお、36協定に関連してですが、現在、働き方改革関連法案が審議されています。そこでは、残業時間の上限は原則月45時間、年360時間、繁忙期などの特例でも、単月100時間未満(休日労働含む)、2~6カ月平均80時間(同)、年720時間に規制という法律案となっています。

もし、これらが可決された場合には、特別条項自体が無くなります。長時間労働が常態化している企業は、今のうちから是正が必要となるでしょう。

事業の展開スピードに合わせて、柔軟に対応しよう

いかがでしたか?一口にスタートアップといってもその事業フェーズは多岐にわたります。抱えている労務問題も全く異なることが分かったと思います。

組織が成熟していけばいくほど、従業員も増え、多様なバックグラウンドを持つ人材が企業内部に存在することになります。すると、抱える労務問題もどんどん複雑になります。
労働法制においても、従業員数が増えれば増えるほどやらなければならない義務が増えていきますし、労働法制自体も変わっていきます。

スタートアップは事業の展開スピードが速く、特にITベンチャーなどはその市場や競合などの外部環境の変化も著しい。企業組織も柔軟にこれらの変化に対応して、経営していきましょう。

(監修:寺島戦略社会保険労務士事務所 所長 寺島 有紀
(編集:創業手帳編集部)

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