大勝軒 坂口 善洋|中野からアメリカへ!日本のラーメンとつけ麺を通じて、世界の食文化に貢献する
70年以上続く大勝軒の味をアメリカへ
日本食文化が世界で受け入れられる中でも、ラーメンはその象徴的存在です。
1951年に東京・中野で誕生し、つけ麺文化を確立した「大勝軒」は、暖簾分けによって日本各地へ広がりました。
大勝軒の創業者の孫にあたる坂口善洋さんは、創業地の中野大勝軒の直系として、アメリカ一号店となる「Taishoken San Mateo」をオープン。70年以上続く味をアメリカに伝えています。
そこで今回の記事では、日本発の食文化を全米へ展開する戦略、アメリカでラーメン屋を経営する現実、そしてアメリカならではのビジネスチャンスについて、創業手帳の大久保が聞きました。
アメリカ大勝軒 3代目社長
1951年、中野の屋台から始まった「大勝軒」を創業した祖父の志を受け継ぐ3代目社長。大学卒業後、サラリーマンやイタリアンレストラン勤務など異業種で多角的な経験を積み、やがてラーメン業界へと転身。サンフランシスコ出店時には初代店長を務めた後、独立してアメリカで「大勝軒」を展開。現在3店舗を運営し、多民族・多文化の地で祖父の味を新しい形に進化させながら、つけ麺・ラーメンという日本の味を世界中に届けている。
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計250万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら
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この記事の目次
サラリーマンからイタリアン、そしてラーメン界へ
大久保:私自身、小さい頃から大勝軒に食べに行っているのですが、それがアメリカに展開されているということで、大変驚きました。
まずは大勝軒の歴史について教えてください。
坂口:大勝軒は1951年、長野から上京した私の祖父にあたる坂口正安が27歳の時に開店したのが始まりで、当初はベニヤとバラックで出来た小さな屋台からスタートしました。その後、東京の中野に最初の店舗を構えました。
大勝軒というと東池袋の大勝軒をイメージする方が多いですが、その店舗の創業者の山岸さんは、元々、中野大勝軒で祖父と一緒に働いていた方です。
山岸さんがつけ麺を世に広めたことや、お弟子さんをたくさん取るという心の広い方だったので、大勝軒の知名度は広がっていきました。
大勝軒の多くは、暖簾分けをする形で店舗数が増えていったので、それぞれの大勝軒はホールディングスでつながっているわけではなく、別の店舗として経営されています。
大久保:坂口さんはどのような経緯で大勝軒で働き始めたのですか?
坂口:私は大学卒業後はサラリーマンをやっていましたが、自分には向いていないと思い半年で辞めたんです。
ラーメン屋はいつかやりたいと思いつつ、飲食で他の畑も見てみたかったので、学生時代にアルバイトをしていたイタリアンの店で出戻り社員として再就職しました。そこでは3年ほど働かせていただきました。
次にラーメンの道に進みたいと思い、他のお店で修行していたのですが、その店がサンフランシスコに出店することになり、初代店長として2〜3年ほどやらせていただきました。
その後、家族も増えて、そろそろ独立しようと思い、5〜6年ほど前に独立して「アメリカ大勝軒」をオープンさせました。
大久保:サラリーマン時代の経験の中で、どんなことが今に活きていると思いますか?
坂口:接客業はある意味で特殊な業界ですが、サラリーマンをしたことで一般的なビジネスマナーが身に付いたのは大きかったですね。
店舗面積もスタッフ数も段違い!アメリカ進出で求められた規模拡大
大久保:日本で店舗を出すのも大変だと思いますが、アメリカに出店するのはもっと大変だったのではないでしょうか?
坂口:アメリカのラーメン屋は規模が違いましたね。店舗面積が広くなるため、その分スタッフや備品など準備しないといけないものも多かったです。
それに合わせて、お金の工面も必要でしたし、許可申請周りもやることが多く、とにかく大変でした。
1店舗目は70席ほどあるので、日本のラーメン屋さんと比較すると、非常に大きな店舗だということがおわかりいただけると思います。
大久保:従業員の採用はどうされたのでしょうか?
坂口:最初は私1人だったので、大変でした。
マネージャー、パートという順番で人を増やしていきましたが、今では1店舗でマネージャーが3人、従業員が30名ほどいます。
大久保:日本のラーメン屋さんの規模では何人くらいなのでしょうか?
坂口:日本のラーメン屋では、5名くらいでお店を回しているところが多いと思います。
大久保:アメリカでの出店に関しては、許可申請や各種手続きも大変でしたか?
坂口:アメリカでラーメン屋を立ち上げるためのプロセスを理解していなかったので、終わりがない状況に陥ってしまっていました。
アメリカでは客単価が約4,500円!日本とはラーメンの立ち位置が異なる
大久保:内装も気になったのですが、本当に日本のお店のようにこだわっているように思えます。こちらはどのように再現したのでしょうか?
坂口:本物の日本のラーメン屋というコンセプトで訴求したかったので、全てにこだわってデザイナーさんと0から作り上げました。
大久保:食材はどうされているのですか?
坂口:乾物は日系業者から取り寄せていまして、豚骨はローカルのお店から仕入れています。
仕入れ先の開拓としては、前の店で働いていた時からのつながりで、スムーズに取引させていただきました。
大久保:日本とアメリカとでは、ラーメン屋に来る客層も目的も違うのではないでしょうか?
坂口:マーケティングの観点では、アメリカはダイバーシティなので、様々な人種の方がいます。
例えば、インド系の人は豚肉を食べない習慣なので、チキンのみで作ったラーメンを召し上がることが多いです。アジア系の人は、朝にあっさりとしたお粥を食べる方が多いので、塩味が強くしょっぱいとクレームを受けることがあります。
さらに、ヴィーガンやグルテンフリーにも対応できるようにしています。
あとは、ラーメン店に来る人の時間の使い方も大きく違いますね。
日本ではラーメン屋で食べたらすぐにお店を出ることが多いですが、アメリカの人たちは、お店の空間まで楽しんでいる方が多いです。例えば家族で食べに来て、会話を楽しんで帰っていただくとかですね。ラーメンレストランとしてのアプローチは、イタリアンでの経験が生かされてると思います。
大久保:客単価も違うと思いますが、いかがですか?
坂口:特製つけ麺21ドルとTAX、チップ、お酒やデザートも注文されることもあるので、客単価は30ドルちょっとくらいはあると思います。
大久保:日本円にすると約4,500円なので、サクッと食べるジャンクフードというよりも、和食レストランのような金額感ですね。
アメリカ人は美味しくないとお金を払わない!?
大久保:その他、文化の違いで驚いたことなどありますか?
坂口:一番驚いたことは、ラーメンが美味しくなかったから代金を払いたくないと言われることです。日本では考えられませんが、アメリカのリテールなどでは店舗によって返金対応をする文化があるらしく、最初は驚きましたね。
大久保:ラーメンに馴染みがない方もいると思うので、そのギャップにも原因があるのでしょうか?
坂口:おっしゃる通りです。特に我々はつけ麺を提供しているので、注文を取る際には、つけ麺を食べたことがあるのか、当店に来たことはあるのかとヒアリングした上で、認識の齟齬がないように料理を提供するよう徹底しています。
大久保:日本とアメリカでの好みの違いもあるのでしょうか?
坂口:私の主観として、見た目のインパクトやわかりやすい味がアメリカ人に好まれると思っています。
例えば、ダシの効いた醤油ラーメンは日本で好まれていますが、アメリカではパンチのあるとんこつラーメンが好まれます。
大久保:つけ麺自体はアメリカでも珍しい立ち位置だったのでしょうか?
坂口:オープンした時は、新しいラーメンという感じでした。食べ方がわからず、つけ麺のスープを麺にかけて召し上がる方もいたほどです。
言語から法律まで。異国での挑戦に必要なこと
大久保:店舗を拡大されていると伺いましたが、今何店舗やられているのでしょうか?
坂口:3店舗を展開しており、現在4店舗目を準備しています。
大久保:多店舗展開において、何が一番大変ですか?
やはり1番大変なのは、従業員の管理です。キッチンスタッフにラテン系の方を採用した際、英語でコミュニケーションが取れないという状況が多々あり、そういった時は抽象的な表現を避けるようにしています。
例えばラーメンの盛り付けをきれいにしてくれと指示しても、全く違うものが出てきてしまいます。そのため、調味料や具材はグラム単位で指示を出し、盛り付けは写真で盛り付けの例を見せながら、乗せる位置を正確に伝えています。細かいニュアンスが通じない場合には、翻訳機能で伝えたりしています。
はっきり言わないと一向に仕事が進まないですし、スタッフも上達しないので、その点は日本のマネジメントとは大きな違いがあります。
大久保:4店舗だとフタッフさんの数もものすごい人数だと思いますが、どのような方がいらっしゃるのでしょうか?
坂口:キッチンスタッフは、ほとんどがラテン系です。フロントスタッフは、アジア系、アメリカ系、ラテン系など、いろんな人がいますね。
マネージャーは全員で9名いまして、7人がビザを持った日本人で、残り2人は現地の人です。
大久保:法律面での違いもありますか?
坂口:ここカリフォルニア州は労務関係の法律が大変厳しいです。1店舗目でやっていたことをやり直して、コンプライアンス的にも見直すことになった経緯もあります。
大久保:特に気をつけていた部分などはありますか?
坂口:残業代を正確に支払う、休憩をきっちり取ってもらう点については、グレーな部分が少しもないように、法令遵守を徹底するようにしています。
例えば、1日に8時間以上働いた場合は給料を1.5倍支払わなければいけない、5時間以内に30分の休憩を1回取らなければいけない、4時間以内に10分の休憩を1回取らなければいけない、という風に、カリフォルニアにはかなり厳しいルールがあります。
あとは従業員との関係性を構築していくことも大事にしており、トラブルにならないように従業員との取り決めを書面に残し、契約書にサインをもらうことも徹底しています。
アメリカンドリーム!10年で約60億企業を目指す
大久保:今後の夢や展望などを教えていただけますか?
坂口:まず売上で言うと、10年で40 Millionドル(約60億円)の企業にすることを目指しています。
日本の食文化を広めることにももっと取り組みたいので、自分自身で出店を増やしつつ、海外に日本の食文化を広めようとしている人をサポートできる存在になりたいです。
昨年はStonemill Matchaというカフェ事業もスタートしました。
大久保:そうすると、ベイエリア以外にも展開を検討されているのでしょうか?
坂口:LAやニューヨーク、テキサスなどにも出店を考えています。
大久保:アメリカを制覇できたら、その先、どの国でも出店できそうですね。
最後に読者へのメッセージをお願いします。
坂口:私がアメリカでラーメン屋をやっていることで、どこかの起業家が勇気付けられるような、そのような存在になれたらと思っています。
ただし、アメリカでの事業展開は簡単ではありません。
アメリカと日本は物価の違いもあって、たくさんお金を稼げるイメージがあると思いますが、簡単に良い暮らしはできません。私も幾度となく失敗しながらも今の事業を築いてきました。
渡米して起業するのであれば、骨を埋めるくらいの覚悟を持ってアメリカ進出をした方がいいと思います。リスクもありますが、得られるものはたくさんあるのではないでしょうか。日本からやる気のある人が、どんどん海外で勝負していく風潮になればいいと思います。
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(取材協力:
アメリカ大勝軒 3代目社長 坂口 善洋)
(編集: 創業手帳編集部)