VCスタートアップ健康保険組合 吉澤 美弥子|「スタートアップ特化の新たな健康保険」を通じて、働く人とご家族の健康維持に貢献したい

創業手帳
※このインタビュー内容は2024年08月に行われた取材時点のものです。

スタートアップが続々と加入する注目の健康保険。立ち上げた背景や加入条件、保険料率が低い理由とは


スタートアップ業界はビジネスモデルや売上高、社員数、働き方など多種多様な「変化」があります。社員に安心して働き続けてもらうためには健康への配慮が必要ですが、加入できる健康保険組合がなく保険料が割高と感じたり、社員の健康に積極的に介入できていないという課題を抱えている企業が少なくありません。

この課題を解決するために、スタートアップ業界で働く人を支援するための「新しい健康保険組合」を設立したのが一般社団法人VCスタートアップ労働衛生推進協会(以下、VCスタートアップ健康保険組合)の吉澤さんです。

そこで今回は吉澤さんがスタートアップ向けの健康保険組合に着目した背景やその必要性について、創業手帳の大久保が聞きました。

吉澤 美弥子(よしざわ みやこ)
VCスタートアップ健康保険組合 理事長
一般社団法人VCスタートアップ労働衛生推進協会 代表理事
慶應義塾大学看護医療学部卒業。大学在学中に海外のヘルステック企業に関して取り上げるオンラインメディア、HealthTechNewsを立ち上げ、2016年M Stageに売却。Coral Capital参画以降はヘルスケア関連のスタートアップを中心に投資業務に従事。スタートアップ業界の健康増進や労働環境改善にも深い関心があり、2021年6月には2万人以上のスタートアップ従業員に対し、新型コロナワクチン職域接種をリードした。2022年12月に投資担当からEIRになり、2023年3月より現職で健康保険組合の新設・運営業務を行っている。

インタビュアー 大久保幸世
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計250万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら

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看護実習中に気づいた医療業界の問題点

大久保:これまでのご経歴から教えてください。

吉澤:高校2年生の時に進路を考え始めるタイミングで、リーマンショックが起きてしまいました。

私の親や親戚は工業地帯で中小企業を営んでいたのですが、リーマンショックの影響で状況が劇的に変わった記憶があります。

今後も経済危機が起きることは考えられるのですが、そのような時でも人に必要とされる仕事に就きたいと考え、看護師を目指しました。

初めて実習に行った際に私が一番気になったのは、電子カルテが導入されていないことでした。

それについて書いたレポートを読んだ先生から、医療システムやお金の流れなどをもう少し勉強してもよいのでは?と勧めていただき、大学院で国内外の医療保険制度、医療財源についてなど幅広く勉強しました。

今の健康保険組合を立ち上げたきっかけも、大学時代に学んだことがつながってきていると思っています。

このようにして、現場の非効率、電子化というところに興味を持って、スタートアップ業界に進んで行きました。

医療業界で更なる業務効率化が必要な理由

大久保:どの産業を選ぶのかというのは非常に重要で、面白い考え方だと思いました。

吉澤100年後も続く仕事に就きたいと思い、医療業界を選びました。

大久保:医療や看護は絶対に必要な業種ですからね。

吉澤:一般的に人々は医療に対して惜しまずお金を使っていると思いますが、必要とされているのに対して全ての医療現場の方々が十分稼げているかというと、そうではありません。

十分な投資が集まり、業務を効率化しないと、医療従事者の方々の給料を上げることは難しいと思います。

そこで、なぜ医療現場の効率化分野に十分な投資が集まらないのか?という点に着目し、医療保険制度を勉強するに至りました。

大久保:医療分野で働く方々は稼げているイメージですが、必ずしもそうではないんですね。

吉澤:高度医療の分野に携わる一部の医療従事者の方々は特に忙しく、不健康な生活だと言われています。

医療従事者が不健康な生活を余儀なくされている現状では、今後の医療業界がもたないのではと懸念されています。

このような日本全体の医療情勢の状況をなんとか変えていきたいと考えて、健康保険への関心につながります。

海外では行政や医療機関が対応できない問題に「スタートアップ」が取り組んでいる

大久保:日本だけでなく海外でも同じような状況なのでしょうか?

吉澤:医療保険制度で抱える課題は日本だけでなく、イギリス、アメリカ、ドイツなど様々な場所で議論されています。

2010年にはアメリカで通称「オバマケア」という医療保険制度の改革と合わせて、様々なヘルスケアスタートアップが出てきました。

この流れに強い興味を持ち、アメリカのヘルスケアスタートアップについて調べていくうちに、アメリカでは行政や医療現場では解決できない領域でスタートアップや中小企業が新しいサービスを開発していることを知りました。

この時に受けた衝撃が私をスタートアップやVC業界に引き入れたといっても過言ではありません。

医療業界への資金供給を増やすために新卒でVCに入社

大久保:今でこそVCについて一般の方々にも普通に知られつつありますが、吉澤さんが就職活動をされていた当時はまだあまり知られていませんでしたか?

吉澤:母校の看護学部、医学部、薬学部出身者の中には、アメリカの起業の流れを汲んで起業している先輩方は当時からいました。一方で先にお話したように、医療業界では必要とされる仕事をしたとしても、それが適切な収益につながらないという構造的な問題もあり、やりたいと思う事業自体はまだ見つかっていませんでした。

起業家は増えつつあることを当時から感じていましたが、それに対して資金供給サイドのVCについては少なかったと思います。さらにヘルスケアの分野に関心がある投資家となると、稀でした。

ヘルスケア領域に投資してくれる人がいればスタートアップも増えるのにという思いから、新卒でVCのCoral Capitalに入社することを決意しました。

大久保:吉澤さんが所属されていたCoral Capitalでは、採用の支援もされていますよね?

吉澤:はい。スタートアップの多くは資金調達してもグロースフェースまでは、資金の大半は人件費に使われます。

最近でこそ「スタートアップへの転職」が一つの選択肢として認められつつありますが、大企業と比べると小さなスタートアップが単独で採用をするのは難しいのが実態です。

Coral Capitalではスタートアップが採用力をつけるよう支援したり、スタートアップへの転職に関心があるタレントのプールを構築しマッチングするような支援をしています。

今私たちが健保組合として目指しているのも、より多くの優秀なタレントがスタートアップへ流入することを待遇面を改善することで支援することと、スタートアップにとって重要な人件費の最適化を支援することです。

あまり知られていませんが、人件費(給与や賞与)の約10%を健康保険料として払う必要があり、これは一般に大企業に比較すると高い保険料率であるという実態があります。

スタートアップは人も大事ですが資金も大事なので、どれだけ資金を有効活用できるかを考えた時に、社会保険料の無駄を無くしていきたいと考えています。

大久保:社会保険料のどのような点が無駄なのでしょうか?

吉澤:社会保険料のうち、健康保険料は医療費の増大の影響を受けて、年々増加傾向です。医療費は高齢化や医療技術の高度化に伴い上がること自体は当然ですが、運営者の努力でそのほかのコストを最適化する余地はあると考えています。

例えば、健康保険の場合は保険資格の管理や医療費の支払いといったオペレーションが肝となりますが、一般の企業と比べると作業の電子化が進んでなく、印刷や郵送、パンチングといった業務が多く残っています。

もちろん効率化が進んだとしても、医療費自体は今後も増大傾向のため、保険料が下げられないかもしれません。

それでも加入するスタートアップ企業の人事労務担当や加入する従業員が煩雑な手続きがなくなり、ユーザビリティが改善することや事務費用に割いていた費用をより加入者に還元できるよう、福利厚生を充実することはできると考えています。

大久保:VCスタートアップ健康保険組合さんのホームページを見ていると、そもそもの保険料率が安いですよね?

吉澤:弊社は2024年度は8.98%で運営いただいていまして、他の健康保険より低い保険料率となっています。

VCスタートアップ健康保険組合が保険料を低く抑えられている理由

大久保:VCスタートアップ健康保険組合さんが保険料を安く抑えられている理由を教えていただけますか?

吉澤:構造的に恵まれているからという要素はあります。基本的には健康保険料を計算する上で「支出としての医療費」と「収入としての給与水準」が大きく影響します。つまり、医療費があまりかからない健康な人が多く、かつ年収が高い人が多い業界ほど保険料を下げられる可能性が高いという仕組みです。

我々はスタートアップを対象にした健康保険ですので、若くて年収が高い方々が加入する傾向が高く、保険料を下げやすくなっています。

また、運営上は加入企業との申請書や書類の授受はほぼ100%電子化をしていることで、事務コストは削減できています。今は加入者とのやりとりの電子化を進めている投資フェーズではありますが、完全な電子化が実現すれば中長期では大きなインパクトになるとみています。

大久保:スタートアップは給料が低いイメージでしたが、今はそうではないんですね。

吉澤:最近の傾向として、スタートアップと言いつつも人材としては、数社の経験を経て入社した方が多くなっています。スタートアップ人材の平均年齢も35歳前後に上がってきており、自ずと給料も上がってきます。

あとは、スタートアップにはITエンジニアも多く在籍しているため、平均年収が底上げされているイメージです。

VCスタートアップ健康保険組合の健康保険に加入する条件

大久保:VCスタートアップ健康保険組合の健康保険に加入できる会社の条件について教えてください。

吉澤スタートアップ向けの健康保険を作りたくCoral Capitalから独立し、行政機関へ相談をして回りました。

新しく健康保険組合を作る際には「同じ業種」もしくは「同じ資本関係」で保険に加入できる会社の範囲を決める必要あると法令で定められており、スタートアップは業種的に絞ることができず、苦戦していました。

しかし、VCとVCが投資をしているスタートアップをセットにすることで、スタートアップ向けの健康保険組合を実現できました。

そんな中、VCもまた、スタートアップと同様に多くの会社が協会けんぽに加入しており、入れる健康保険組合がないということが明らかになりました。そのため、まずVCを業種として定義し、そのVCが投資していることという形で資本関係を定義することで、スタートアップも加入できる健康保険組合を実現できました。

そのため、通常の健康保険組合が断っている赤字の会社や創業まもない会社でも加入できるものとなっています。

大久保:保険料率が他社より1%以上低いという点が何よりのメリットですよね。

吉澤保険料率を下げられれば、会社の負担軽減だけでなく従業員の手取り給与も増えます。浮いた会社負担を活用して事業成長に投資したり、その分給与をあげたり自社で福利厚生を拡充させることもできると思います。

大久保:VCスタートアップ健康保険組合の社内業務を効率化することにより、保険料率が下げられている側面もありますか?

吉澤:おっしゃる通りです。業界的に作業の電子化が進んでいるところもあります。健康保険組合自体のITリテラシーの問題もありますし、組合単独では電子化は進められず加入事務所や社労士も電子化を推進する必要があるという構造的な問題もあります。

私たちの場合、加入事務所が労務管理のクラウドサービスを利用されている企業が大半で、従業員の入社、退社、給与形態の変更等をそのまま電子上で申請していただき、弊社側で処理を進めることができるため、あらゆるコストを抑えれています。

資金調達の選択肢がない中で人材採用や事業拡大に取り組む

大久保:一般社団法人は特殊な組合の一つだと思いますが、立ち上げ方なども特殊だったのでしょうか?

吉澤まず一般社団法人を立ち上げて、そこが母体となって健康保険組合が立ち上がったという経緯です。

厳密には「一般社団法人」と「健康保険組合」の2つの法人があり、それぞれ公益性の高い組織になるため、スタートアップとは全く異なるものになります。

大久保:どのような点に苦労しましたか?

吉澤:一番苦労したことは、社団法人にはエクイティでの資金調達の選択肢がないことです。そのため、私たちのような業種で集まる健康保険組合の立ち上げには3年以上かかることも聞いていましたが、最短期間で新設を行うことが必要でした。

また、採用面でも、スタートアップ業界にいるような優秀なエンジニアやビジネスサイドの方を「社団法人」や「健保組合」として採用するのは、まず説明が必要だったりとハードルは多少あったと思います。

大久保:組合なのにエンジニアを採用しているというのが他になさそうですね。

吉澤:珍しいかもしれませんね。ただし、社内にエンジニアがいることで、電子化やシステム開発を短期間で進められています。

今後、人を増やしていくとすれば、オペレーションのメンバーもですが、エンジニアを増やすことが重要になってくると考えています。

大久保:行政との交渉はスムーズに進められましたか?

吉澤:行政との調整も大変でした。

スタートアップ向けの健康保険を作りたいと通常のプロセスで相談をしても、当然「できません」という回答からスタートします。そして先ほどお話しした業種の問題もあります。

そんな中、大きく動いたのは、この健康保険組合の必要性を自民党のスタートアップ議連に相談したことだったと思います。必要性が伝わった後は多くの方にご協力いただき、「既存のルールの中でどう最短で実現するか」という点を調整をしてくださったことだったと思います。

私たちだけで急いで作れるものではないため、この実現する方法が見えない時期は資金繰りを考えて進めていくことが非常に大変でした。

調整が大変だった一方で、加入したいという企業や従業員の方のニーズは明確だったため、設立時に協力してくださる初期の加入スタートアップやVCを集めることはとてもスムーズに進められました。

電子化やデータ活用を進めてスタートアップの業績に貢献できる健康保険制度を実現したい

大久保:今後の展望を教えてください。

吉澤:今後やっていきたいことは、20〜30年と今の医療保険の制度が続き、スタートアップの方々が医療が受けられて健康に働ける状況を作ることです。

そのため現状で満足するのではなく、どんどん投資をしていく必要があると思っています。

まずはオペレーションが重要なビジネスの業務で、電子化を進めていくことを短期目標として掲げています。

さらに今後はよりデータ活用にも力を入れて、その人にあった健康サービスを提供し、働く人のパフォーマンスの向上に貢献することで、スタートアップの業績に反映される状況を実現したいです。

大久保:読者へのメッセージをお願いします。

吉澤:VCスタートアップ健康保険組合は、全ての会社に当てはまるものではありませんが、経営者様が「保険料をもっと安くできないか、他にも選択肢はないのか」と考えていただくことは、健康保険全体にも良い影響を与えると思っています。

健康保険を選ぶ力を持つ経営者様が増えることで、健康保険側も選んでもらうために保険料率を変えたり、サービス内容を変えたりという努力につながると考えています。

健康保険の経営努力は表に出にくいのですが、経営者様の興味関心が業界全体が盛り上がることにつながると思っていますので、これを機に興味を持っていただけるとありがたいです。

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(取材協力: VCスタートアップ健康保険組合 理事長 吉澤 美弥子
(編集: 創業手帳編集部)



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