ELEMENTS 長谷川 敬起|生体認証技術で急成長するスタートアップが目指す「滑らかな世界」とは
個人認証(eKYC)サービスで国内シェアNo1(※)。苦しい時に事業ピボットを繰り返したから今がある
指紋や顔などで個人を認証する生体認証の分野で、今最も勢いのあるスタートアップのひとつが株式会社ELEMENTSです。同社は2013年の創業後に急成長を遂げ、現在オンライン個人認証(eKYC)サービスの国内シェアNo.1(※)を誇ります。また2022年12月には東証グロース市場への上場を果たしました。
※ ITR「ITR Market View:アイデンティティ・アクセス管理/個人認証型セキュリティ市場2024」eKYC市場:ベンダー別売上金額シェア(2019年度~2023年度予測)
2024年4月、同社の代表取締役社長に就任したのが長谷川敬起さんです。理系出身ながら、コンサルファームやITベンチャーを経てジョインした長谷川さん。今回は長谷川さんがスタートアップで挑戦しようと思ったきっかけや成長の背景、今後の展望について創業手帳代表の大久保がインタビューしました。
株式会社ELEMENTS 代表取締役社長
慶応大学大学院卒業後、2002年外資系コンサルティングファームへ入社後、2005年ITベンチャーの株式会社ドリコムへ入社。2016年株式会社Liquid(現在の株式会社ELEMENTS)に入社、事業推進部長に就任。その後子会社の株式会社PASS(現在の株式会社Liquid)代表取締役に就任。2024年4月、株式会社ELEMENTSの代表取締役社長に就任。
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計250万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら
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この記事の目次
ものを作るより、それを生み出す仕組みを作る仕事がしたかった
大久保:御社は現在代表取締役会長の久田康弘さんが創業し、途中から長谷川さんがジョインされた形ですよね。まずはジョインするまでの長谷川さんご自身のキャリアについて伺えますか。
長谷川:簡単に言いますと、慶応大学大学院を卒業後コンサルファームに入りまして、その後ドリコムへ転職しました。それからELEMENTS社に入ったという流れです。
大久保:理系の方がコンサルファームへ進み、さらにベンチャーへ転職するというのは、当時珍しかったと思います。どんな思いがあったのでしょうか?
長谷川:子どもの頃から未来の社会が好きで、スターウォーズなどのSFも大好きでした。そういうものを生み出していくのはやはりテクノロジーですから、自然と理系を選んだ感じです。当時は大学を出たら普通に電機メーカーに入って、ハードウェアを作ろうかなと思っていました。
転機になったのは大学院生の時に「ベンチャー企業経営論」という授業を受けたことです。授業では実際に起業家の方から話を聞く機会があって、これがすごく面白かったんです。当時周りにスタートアップを立ち上げる人なんていませんでしたから、とても新鮮でした。
これをきっかけにメーカーでハードを作るより、価値あるプロダクトを生み出す仕組みやエコシステムを作る方が、よりダイナミックなことができると思うようになりました。ただ当時はインターンも今ほどなかったですし、自分が起業するイメージが持てませんでした。
そこでまずコンサルファームへ入って、ビジネスの基本を一通り学ぼうと考えたわけです。その後コンサルファーム3年目の途中で、ドリコム社に転職しました。
大久保:コンサルファームとはまた違った学びがあったのではないでしょうか。
長谷川:ドリコムではソーシャルゲームを立ち上げ、売り上げを10倍にするという経験ができました。その一方で、会社が潰れかけたこともありました。この2つはどちらもベンチャーに入ったからこそ得られた経験だったと思います。
大久保:私もGMOメイクショップにいた時、実際に事業を作らないとわからない部分があるなと感じました。そういう意味では、ベンチャーに移って実際に事業に関わるというのは、いい選択肢だったのではないでしょうか。
長谷川:そうですね。スタートアップの創業者と一緒に事業を経験して、それを積み上げてから起業するのはいい選択肢だと思います。例えばnewmoを立ち上げた青柳直樹さんも、グリーに行って次にメルカリへ行き、そこから自分で創業されています。
大久保:その後長谷川さんがELEMENTS社に入られたきっかけは何でしたか?
長谷川:まずドリコムを辞めたのは、子どもができたことが影響しています。将来子どもが大きくなって、「お父さんはこんなことをやっているんだよ」と話すことを想像した時、ゲームは自分にとって生業ではないなと感じました。
もちろんゲームは好きですし、人の人生を大きく変えるくらいのパワーがあります。でもお話ししたように、僕はもともと未来の社会を作るようなことが好きでしたから、あったらいいなというものではなく「未来の社会になくてはならないもの」を作ろうと決意しました。
ドリコムを辞めて起業したものの、実は何をやるか決めていなかったんです。そこで大学の研究室を回ってシーズを探していたところ、人を介して久田と出会い、ジョインすることになりました。
決済サービスは失敗。でも何度もピボットしたから今がある
大久保:あらためて、ELEMENTS社の成り立ちについてお聞かせいただけますか。
長谷川:もともとはELMENTS社を創業した久田と数人のエンジニアが生体認証、特に指紋認証の研究をしていたのがルーツです。久田たちは、大量の指紋データから高速で特定の指紋を探し出すアルゴリズムの特許を取っていました。
大学の先生からもサポートしてもらっていたのですが、たまたまある先生から総務省を紹介していただきました。それがきっかけで、総務省がICT分野におけるイノベーション創出に向けて、民間の事業化ノウハウ等の活用による事業育成支援と研究開発支援を一体的に推進する「I-Challenge!」(ICTイノベーション創出チャレンジプログラム)に採択され、これがきっかけで本格稼働したという会社です。
大久保:大学発ベンチャーっぽい一面もあるわけですね。日本では大学発のスタートアップはまだ少ないように感じます。
長谷川:そうですね。僕らは特定の大学研究室から生まれたわけではなく完全な民間企業ですが、多くの先生に支援していただきました。
大学発のベンチャーが難しいのは、おそらく研究している技術に固執してしまうからではないでしょうか。弊社も技術で起した会社ではありますが、自社技術に固執しません。もしマーケットに対して自社技術がマッチしなかったら、他にも触手を伸ばします。
今でこそeKYCアプリケーション事業は国内で高いシェアですが、最初から自社技術を全面的に使ったわけではないんです。まずデータ集めを重視して、アプリケーションで勝負しながら、データを使ってエンジンの性能を上げる。それから自社技術の要素をどんどん上げていくという戦い方でした。もし最初から自社技術に固執していたら、うまくいっていなかったと思います。
大久保:スタートアップでは、事業をピボットするケースも多いと思います。御社も現在に至るまで、何度かピボットしたということですね。
長谷川:何度もピボットしています。今のメイン技術は顔認証ですが、そもそも弊社は指紋認証で始まった会社です。つまりコア技術自体をピボットしているんです。またeKYCにたどり着く前の5年間ぐらいは、いろいろチャレンジしたもののヒットを出せず、試行錯誤していました。この頃はきつかったですね。
大久保:読者にとって参考になると思うのであえてお聞きするのですが、試行錯誤していた当時を振り返って、やめておけばよかったなと思うことはありますか?
長谷川:実は指紋認証を使った決済サービスを手掛けたことがあるのですが、うまくいきませんでした。まだPayPayさんも出てきていない時期です。
この分野では、やはり資金がものを言います。メガプラットフォームが大量に資金を投入すると、僕らに勝ち目はありません。最初は、指紋という強みがあるから差別化できると考えていました。でも実際はそうではなく、生体認証だけで決済サービスに参入するのは無理がありました。
メガプラットフォーマーが完全に来ていないとか、もしくは来ているけれどかなり独自性があって勝負できるという形でないと難しいことを学びました。また参入したタイミングがちょっと早すぎたというのもありますね。そういう意味では、事業を始めるタイミングについても学びがありました。
重要なのは、他人や自分ではなく「こと」に向かう気持ち
大久保:現在は創業者の久田さんが会長となり、久田さんと長谷川さんのツートップ体制ですね。おふたりはどのような役割分担なのでしょうか?
長谷川:基本的に僕が経営全般と、既存事業を含めたソフトウェア事業を見ています。久田はインフラに関わる新規事業とM&Aですね。
大久保:創業者の久田さんより長谷川さんの方が年上ですが、うまくやるポイントがあれば教えていただけますか。
長谷川:確かに僕の方が8歳ぐらい上ですが、そもそも年齢を気にしたことはありません。僕は「ことに向かう」人間なので、年齢に関係なくこういうことができるなら一緒にやりたいという感じです。
あとは僕と久田で得意なことが違っているのも、うまくいったポイントですね。ツートップ体制で、2人の得意領域が重なっているとやりづらいかもしれません。
大久保:「ことに向かう」というのは、他人や自分ではなく、顧客やサービスに向き合うという意味ですよね。これは長谷川さんにとって大きなものですか?
長谷川:すごく大きいですね。会社全体においても「ことに向かう」はものすごく大事にしています。これができない人は会社を去った方がいいと僕は思っています。
組織にとってもこれは重要なんですよ。僕はいくつかの会社に出資していて顧問もやっていますので、いろいろな会社を見ています。そういう中で「ことに向かわない」人が増えると、どうしてもポジションの奪い合いなど時間の浪費が起きます。ですからそこに対してはすごく注視をしていて、そういう芽が出てきてないか常に気にしています。
弊社にいるメンバーはみんな、未来にワクワクしていて、目指す社会の実現に邁進しているような、まさに「ことに向かう」人たちです。これは上場する前も今も、全く変わっていません。
認証の煩わしさが全くない「滑らかな世界」を目指して
大久保:今後の展望について教えていただけますか?
長谷川:僕らは個人認証事業と個人最適化事業という2つのドメインを手掛けています。この2つにまたがる概念として重要と考えているのが「IDウォレット」です。IDウォレットについて詳しくお話すると相当な時間がかかってしまうので、ここでは省略して説明します。
最近「web3ウォレット」が台頭していますが、これはブロックチェーン技術を利用して、銀行などを介さず暗号資産などのデータを自分で管理できるものです。これと同じような仕組みで、資産だけではなく多くの情報を管理するのがIDウォレットです。
例えば運転免許証やマイナンバーカードといった個人情報、自分のアレルギーや体形に関する情報などもIDウォレットでは扱うことができます。これらの情報はサーバーや端末、もしくはブロックチェーンなどに格納され、自身の属性情報をさまざまなサービスへつなぐことができます。
現在は、自分に関するデータでもサービスごとに保存されていますよね。例えば金融機関やECサイトなど、多くのサービスに住所を登録している方は多いと思います。もし引っ越しをしたら、サービスごとにひとつひとつ住所を変更する必要があるため、面倒に感じる方も多いのではないでしょうか。
IDウォレットがあれば、ユーザーはウォレット上の住所情報を変更して、情報提供するサービスを選択するだけです。あとは自動で各サービスの住所変更手続きができますから、すごく便利ですよね。どのサービスへ情報提供するかという選択権はユーザー自身が持っていますので、勝手に情報を使われることはありません。
僕らは、このIDウォレットの仕組みを作っていきたいと考えています。ただIDウォレットには課題もあります。ユーザーが自分のデータを管理してコントロールするのがすごく面倒という点です。
そこで必要なのがAIエージェントです。例えばユーザーが摂取した栄養を把握するため、料理の写真をスマホで撮って送る仕組みが今もありますよね。文章で送るより楽ですが、それでもユーザーが能動的に写真を撮る必要があります。
でもAIエージェントがあれば「今この情報を取れば、このサービスを受けるときに使えますが、どうしますか?」とAIが自動で聞いてくれて、ユーザーはYesかNoか答えるだけ。あとはAIが勝手に情報を取得したり、サービスに連携して情報提供をしたりと、全部やってくれるわけです。
つまりIDウォレットとAIエージェントがつながることで、初めてIDウォレットが普及すると思っています。僕らはこういう仕組みを作っていきたいんです。
大久保:御社が手掛けている顔認証の仕組みから見ると、かなり広い概念ということですね。
長谷川:そうですね。顔認証は、自分を識別してもらうために有益です。実際に石川県加賀市の病院では、すでに僕らの仕組みを導入しています。この病院では診察券がなくても受付で顔をかざせばいいんですよ。自動でカルテが用意され、何番の窓口へ行ってくださいという案内が出ます。
これはこれですごく便利ですが、まだAIエージェントとの連動はできていません。将来的にはより進化させて、いろいろな病院のデータがIDウォレットに入り、AIエージェントにYesと言えば自分の医療情報が各病院へ連携される。それによって、もっと適切な医療を受けられる。こういう「滑らかな世界」を目指しています。
大久保:最後に、読者である起業家の方へメッセージをいただけますか。
長谷川:自分が大事にしているのは「You can’t make the right choice, You can make your choice right.」という言葉です。これは「絶対に正しい選択はできないけれど、その選択を正しくすることはできる」という意味です。
僕はドリコムからELEMENTSまで、10~20くらいの事業を立ち上げてきました。当然うまくいったものもあれば、うまくいかなかったものもあります。
そういう経験をして思うのは、唯一無二の解は存在しないということです。「これは明らかに失敗する」という選択肢は無数にあるんですが、「これで成功する」という選択肢が唯一無二、というわけでもない。ある程度の失敗ルートを回避した上では、どの選択肢がBestかをうだうだ悩むよりも、自分が選んだ選択肢を正しくするために、覚悟をもって突き進めるか。これが大事だと感じています。
どうしても死に筋はありますから、何でもやり続けることがいいとは限りません。その見極めはまた別の話になりますが、基本的に死に筋100%でなければ、ぐるぐる考えるより覚悟を決めて、選んだ選択肢を正しくするために努力する。こういう発想が重要だと思っていますし、いつもこう思いながら生きています。
大久保の感想
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(取材協力:
株式会社ELEMENTS 代表取締役社長 長谷川 敬起 )
(編集: 創業手帳編集部)
また長谷川さんの「コトに向かう」、つまり顧客、具体的なサービスなど現実に向き合う視点が組織の課題を解決していくヒントになると思いました。
今後の長谷川さん・久田さん・ELEMENTSの「滑らかな世界」の実現が楽しみです。