【第1話】退職手続きと社会保険 -連続起業Web小説 「社労士、あなたに会えてよかった」-
(連載)独立起業前に読んで納得!退職手続きの注意点は?退職後の社会保険は?
資格試験予備校の講師を経て大手IT企業に転職した竹田裕二は、これまでの経験から新しいビジネスモデルを思いつき、起業への思いが日に日に高まっていた。しかし、会社の円滑な退職の仕方や、退職後の社会保険についてどうすれば良いのか分からず思い悩んでいた。そんなとき、ふとしたきっかけで竹田は社会保険労務士(社労士)の榊原葵と出会い、彼女のアドバイスを受けて独立への確かな一歩を踏み出すこととなる。
※この記事を書いている「創業手帳」ではさらに充実した情報を分厚い「創業手帳・印刷版」でも解説しています。無料でもらえるので取り寄せしてみてください
【登場人物】
竹田 裕二(35) 起業家 ((将来の)リンク・エデュケーション社長)
資格試験予備校「キャリアセミナー」の講師を経て、IT企業「イーデザイン」へ転職。現在は、オンラインスクール「リンク・エデュケーション」を起業するために奮闘している。
榊原 葵(32) 社会保険労務士(社労士) あおい労務管理事務所 代表
「トヨサン自動車」に勤務し、海外事業部や経営企画室など会社の中枢部門で活躍していたキャリアウーマンであったが、様々な仕事をこなしていく中で「企業は人なり」という言葉を実感し、社会保険労務士へ転進。持ち前のバイタリティで事務所経営を軌道にのせ、現在はスタッフ10名、顧問先200社を抱えている。
目次
起業への想い
退職後の手続きがわからない
榊原社労士との出会い
起業への決意
独立・起業への想い
竹田裕二はもどかしい毎日を過ごしていた。
彼は都内の大手IT企業「イーデザイン」に勤めるサラリーマンである。社内では若くして法務担当の執行役員という責任ある立場を任され、充実した職場生活を送っていることは間違いない。会社に対して積極的な不満がないのも事実だ。
だが、数ヶ月前から「独立してやってみたいこと」が頭の中をチラつくようになり、その思いが日々大きくなってきていたのだ。
竹田の経歴をさかのぼると、現在の勤務先であるイーデザインに勤める前は、資格試験の予備校「キャリアセミナー」で講師をしていた。宅地建物取引主任者やマンション管理業務主任者、ファイナンシャルプランナーなど、不動産系・財務系の資格が、竹田の主な指導科目であった。
キャリアセミナーで学ぶ多くの受講生が社会人であり、忙しい仕事の合間を縫って学校に通ってくれていた。皆キャリアアップを目指して、限られた時間の中で熱心に勉強していたので、自分の教えた受講生が目標としていた資格試験に合格すると、自分のことのように嬉しかった。
しかし、その一方で、残業が増えたり、転勤を命じられたりして、学校に通うことや資格取得を途中で断念した受講生も少なくなかった。竹田は、それが残念でならなかった。
その後、竹田は縁あってイーデザイン社に転職し、ここ3年は目の前の仕事をこなすことで精一杯だったのだが、半年前にイーデザイン社が無事に東証ジャスダックへの上場を果たしたことで、上場関連の仕事から解放され、ようやく一息つくことができた。その瞬間、ふと、予備校講師時代の思い出が頭によみがえってきたのだ。
イーデザインは、金融系のITシステムを開発することが主なビジネスである。銀行や証券会社を顧客とし、業務のオンライン化を助けてきた。具体的には、いつでもどこでも金融取引ができるネットバンキングやネットトレードが想像しやすいだろう。
竹田は、それと同様に考えれば、教育分野においてもITの仕組みを活用できる可能性はあり、予備校のオンライン化が実現できるのではないかということを思いついたのだ。
オンライン上でリアルの予備校に近い環境を再現できれば、受講生は通学時間を気にしなくて良いし、残業や転勤があったとしても、「いつでもどこでも」自分のペースで学習を続けることができる。mixiやfacbookのようなSNS機能も装備すれば、講師と生徒が掲示板やチャット、WEBカメラなどを通じて質疑応答など双方向コミュニケーションも取ることもでき、従来の通信教育と差別化を図ることも可能だ。
さらには、オンラインに特化すれば「校舎」という固定資産を持たないので、初期投資や月々の固定費も抑えることができ、ビジネスモデルとしても魅力的であった。固定費が安くなれば、授業料もリーズナブルに設定することができ、より多くの人に学びのチャンスを提供することもできる。
そのようなことを考えていくうちに、「オンラインで資格試験の勉強ができる予備校を作りたい」という思いは、竹田の中で確定的なものになっていったのだ。
退職後の手続きがわからない
竹田は少しずつビジネスプランを煮詰め、具体化していったが、いよいよ退職を決意する段階になり、困ったことがいくつか出てきた。
一番の困り事は、竹田がイーデザインで若手のエースとして期待されていただけに、社長から強い慰留を受け、なかなか退職に同意をもらえないということだ。「あと1年は続けてほしい」とか「どうしても辞めるなら退職届を受け取るのは後任者のスカウトと引き換えだ」とか注文を付けられ、退職予定日がなかなか決まらない状況に陥ってしまった。
それよりも困ったのは、退職が実現できたとしても、社会保険をどうすべきかなどの退職後の手続きについても知識がないことだった。「国保は高いらしい」といったような漠然とした知識しかなく、モヤモヤしたままの状態であった。
竹田の家族は、妻と息子1人。扶養も含め、どうするのが良いのか思い悩んでいた。
朝夕がめっきり冷え込むようになり、師走も差し迫ったある週末、竹田はインターネットであるバナー広告を見つけた。
竹田は、これも何かの縁だと思い、そのバナーをクリックしてみた。
12月10日(金)19:00開催 あおい労務管理事務所 起業家応援セミナー
起業家の方が安心して起業できるよう、現職の円滑な退職や起業前後の社会保険について、社労士が詳しく説明をします
まさに、今の竹田にとって「渡りに船」だった。
ブラウザをスクロールしてセミナーの詳細を確認する。講師を務めるのは、事務所の代表者である榊原葵という女性の社労士ようだ。
オンラインのフォームで参加手続を済ませたときには、ズバリ自分が悩んでいたことについて話が聞けそうだという喜びと、榊原社労士はどんな女性なのだろうという若干の淡い期待で、竹田の心は躍っていた。
榊原社労士との出会い
金曜日の夕刻、竹田は地下鉄銀座駅の階段を上っていた。セミナーの会場は、銀座に所在する榊原社労士の事務所の会議室である。
クリスマスを前に、銀座の街は華やかにライトアップされていた。ミキモトブティック名物の巨大クリスマスツリーの前を通り、一段とライトアップが目を引くブルガリやカルティエなどの立ち並ぶ、銀座2丁目の交差点を渡ったところに、榊原の事務所が入居するビルがあった。
エントランスの社名板で「あおい労務管理事務所」を確認して、エレベータで7階に上がる。受付を済ませ会議室へ入ると、室内には長机と30脚ほどの椅子が並べられ、ほぼ満席に近い盛況であった。
会議室はビルの窓側に設けられており、ライトアップされた銀座中央通りの夜景が美しく、しばし見ほれていたが、ほどなく定刻となり、社労士の榊原が登壇した。
榊原は白いスーツをクールに着こなし、ショートカットで、竹田は活動的な印象を受けた。
だが、竹田が驚いたのは榊原の年齢であった。女性の年齢をあれこれ考えるのは野暮とは思ったが、竹田が想像していたよりもずっと若い。自分と同じか、むしろ自分より若いと思われるこの女性が、10人のスタッフをまとめ、堂々と社労士事務所を経営していることに驚きと敬意を覚えた。
榊原のセミナーは大変素晴らしかった。竹田が聞いた話の要点をまとめると、次のような内容であった。
1.退職時には就業規則をよく読むこと
(1)退職届を出すべき時期はどのように定められているか?
就業規則は会社のルールブックであるから、その内容には会社自身も拘束される。退職の手続に定められた期限、手順を守って退職届を出したならば、会社はそれを拒否することはできない。
どうしても会社が退職届を受け取ってくれない場合は、民法627条の規定によって、労働者側からの意思表示のみで雇用契約を終了させることができる。
(2)退職金はいつ、いくら受給できるのか?
退職金はどのようなタイミングでいくらもらえるのかを確認しておきたい。
特に気をつけたいのは近年増えている「確定拠出年金」。会社がこの制度に加入している場合は60歳になるまで原則として退職金を引き出すことができない。退職金を元に起業を検討している場合は、自社の加入している退職金制度の種類を確認して頂きたい。
(3)賞与の支給、有給休暇の付与のタイミングも確認しよう
賞与の支給日が決まっていると思うので、退職日予定日と賞与の支給日が近いならば、賞与をもらってから辞めたほうが金銭的にはメリットがあるのは当然。
会社によっては、賞与日前に退職をさせようとしたり、退職予定者には賞与は支払わないと言ったりするかもしれないが、前者については本人が同意しなければ退職日の前倒しは不可であるし(一方的に前倒しで退職させたら単なる解雇)、後者については就業規則にそのような明文がない限り、多少の減額はともかく、賞与を不支給とすることは許されない。
また、有給休暇については、極端な話、40日残っている人の場合は、退職届の提出と同時に、退職日まで有給消化を申請することも理論上は可能であるが、いくら権利があるとはいえ、そのような乱暴な退職の仕方はやめたほうがよい。元の会社や同僚が取引先やお客様になってくれることもあるので、「立つ鳥跡を濁さず」で退職すべき。
引継ぎをきちんと行った上で有給休暇が消化できるような日程で退職日を決定するのが良い。
2.退職後の社会保険の選択肢
(1)国民健康保険の被保険者になる
最もオーソドックスな方法であるが、国民健康保険の保険料は前年の所得ベースで決まるので、サラリーマン時代に稼ぎが良かった人の場合は保険料が高額になってしまう。また、国民健康保険には「被扶養者」の制度がないので、配偶者や子どもの分の保険料も発生する。
(2)元の会社の健康保険の任意継続被保険者になる
退職前2ヶ月以上の被保険者期間があれば、退職前の会社の健康保険に任意継続被保険者として最大で2年間継続加入することができる。
ただし、会社が保険料の半額を負担してくれなくなるので、一定の上限はあるものの、自己負担すべき保険料は原則として2倍になる。国民健康保険とどっちが得かはケースバイケース。
(3)親が現役ならば親の扶養に戻る
親が現役のサラリーマンや公務員としてまだ働いているならば、しばらく事業による収入が見込めない場合には、学生時代のように親の扶養に入るのも一手。この場合は、保険料は1円も発生しない。
ただし、本人に配偶者や子がいる場合、子(親から見たら孫)は生計維持要件さえ満たせば被扶養者に加えることができるが、配偶者については同一世帯に属する要件が求められるので、親と子夫婦が同居しているようなケースでなければ、配偶者を被扶養者に加えることはできない(配偶者は国保に加入するか、自分の親の扶養に戻る形になる)。
(4)配偶者が働いているならば配偶者の被扶養者になる
共働きの世帯で、夫が起業を目指し、妻はOLを続けるという家族ならば、夫の収入が少ないうちは妻の健康保険の被扶養者になることができる。手続きをして夫の扶養に入っていた子を、妻の健康保険の被扶養者に移すことも可能である。
(5)法人を設立し、自分の会社で被保険者になる
元の会社を退職した後、個人事業主としてではなく法人として独立をスタートするならば、自分の会社で健康保険に加入することができる。
このとき保険料は、前職の収入がいくらであれ、自分の会社からもらう役員報酬によってのみ決まる。独立直後は役員報酬も10万円とか15万とか低めに設定することが多いと思うので、それに比例して保険料の負担も少額で済ませることができる。もちろん、手続きをして配偶者や子を、追加負担なしで被扶養者に加えることもできる。
セミナーを聞いて、竹田は色々な悩み事が氷解する思いであった。セミナー終了後、竹田は榊原のところへ向かい、名刺交換と、社会保険の手続きについてさらに具体的なアドバイスを申し出た。
榊原は、竹田はすでにビジネスプランを固めていることと、竹田の1000万円を超える現在の年収を考えると、退職後、直ちに法人を設立して、法人の役員として社会保険に加入するのが得なのではないかと提案を行った。
竹田の場合、前年の年収に基づいて国保料を計算すると、おそらく上限の年間67万円に達するが、自分の会社を設立して、仮に役員報酬を月15万とするならば、会社負担分・本人負担分を合わせても健康保険の保険料は年間18万程度におさまるので、損得は歴然としているというわけだ。個人事業主では享受できないメリットである。
竹田は、大いに納得し、榊原にお礼を言って事務所を後にした。
起業への決意
竹田は晴れ晴れとする思いで帰路を急いでいた。
これで余計な心配をすることなく起業に邁進できそうだ。やる気もみなぎってきた。銀座のクリスマスのライトアップの輝きが、往路よりも美しく思えるのは決して気のせいではないであろう。
現職の退職交渉についても、決してケンカ別れをするつもりはないが、榊原社労士から教わった法的な前提を知った上で交渉すれば、心理的な意味で気が楽になりそうだった。
銀座からの帰り道、竹田はJRの高架橋を挟んで向かいにある、帝国ホテルのオールドインペリアルバーに立ち寄った。30代になってから、ゆっくりと物思いにふけりたいときに、たびたび訪れている場所だ。
格式あるホテルのメインバーに相応しく、レンガの壁や、ブラウンベースで統一された重厚な調度品に落ち着きを感じる。
カウンター席に座り、戦前の時代から提供されていたというジンをベースにした名物カクテル「マウント・フジ」のグラスを傾けながら、竹田は決意を固めた。
年明けから現職の退職準備を進め、退職と同時に法人を設立し、来年の4月1日を起業日とするのだ。
【第2話】退職と会社設立、社会保険への加入 -連続起業Web小説 「社労士、あなたに会えてよかった」-
(監修:あおいヒューマンリソースコンサルティング 代表 榊 裕葵)
(編集:創業手帳編集部)