インターコム 須藤 美奈子|時代の変化に合わせたソフトウェアを提供し日本企業の「元気」に貢献
変化の激しいソフトウェア業界で40年以上成長し続けるインターコムの成功の秘訣とは
1980年代にパソコンが登場したり、1990年代にインターネットが普及したりと、時代の変化に合わせて、世の中のニーズも大きく変化しています。しかし、パソコンやインターネットに関わる業界は特に変化が激しいため、時代の変化の「本質」と捉えた上で、新製品を開発する必要があります。
このような変化の激しい業界で、インターネットやクラウドなど、様々な時代の移り変わりを経験し、適切なソリューションを提供し続けているのが、インターコムの須藤さんです。
そこで今回の記事では、須藤さんが社長に就任するまでの経緯や、ソフトウェア業界で起きた変化とその変化をチャンスに変えた施策について、創業手帳の大久保が聞きました。
株式会社インターコム 代表取締役COO
1962年、東京都板橋区生まれ。埼玉県戸田市育ち。81年、市立浦和南高等学校卒業後、証券会社、ソフトウェア会社勤務を経て、84年9月、インターコム入社。96年、台湾インターコムに赴任し、マネージャーとして製品開発に従事する。2001年、帰任。07年、取締役就任。20年6月、代表取締役社長に就任。
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計250万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら
※この記事を書いている「創業手帳」ではさらに充実した情報を分厚い「創業手帳・印刷版」でも解説しています。無料でもらえるので取り寄せしてみてください
この記事の目次
創業3年目のインターコムに入社
大久保:インターコムで社長に就任するまでの経緯についてお話しいただけますか?
須藤:インターコムは今年で創業41年目を迎える会社ですが、私は創業3年目の時に入社しました。
最初の10年間は開発を担当していました。当時は、各社が色々なパソコンを発売し始めたタイミングで、インターコムはパソコンと何かをつなぐ通信ソフトを開発してました。
当時のパソコンはインターネットにつなぐことが当たり前ではなく、ワープロや年賀状作成ソフトを使ったり、カメラで撮影した写真をパソコンに移して保管したりと、オフラインの環境で使うことが一般的でした。
その当時から、パソコンで使う通信ソフトの開発と販売がインターコムの業務でした。
大久保:インターコムの創業3年目というと、今とは雰囲気が大きく違うと思いますが、入社当時のインターコムはどのような会社でしたか?
須藤:創業3年目のインターコムはまだ小さかったのですが、自分たちが作っているソフトに大きな自信を持っている会社という印象でした。
今と違ってパソコンの性能も低く、通信環境もほぼなかったので、当時の環境でも問題なく動かすために、今以上に緻密なプログラムが必要だったのです。
大久保:インターコムに入社した当時は、どのような思いで働かれていましたか?
須藤:まず受託開発ではなく、自社ソフトを開発・販売しているというビジネスモデルにやりがいを感じていました。
先輩方が他社には作れないソフトを作っているという自信を持たれていたように、私も開発者としてインターコムが作るソフトには大きな自信を持っていましたね。
創業期のインターコムは小規模ながらも自信に満ち溢れていた
大久保:インターコムの創業者で、今は代表取締役会長の高橋啓介様は、DEC社(ディジタル・イクイップメント・コーポレーション)でオフコンのシステム開発をされていましたよね?
須藤:インターコムの創業が1982年ですので、パソコンが一般に普及する前で、オフコンと呼ばれるオフィスの業務を処理するコンピュータしかない時代でした。
大久保:インターコムに入社された際には、創業者の高橋様や会社のどのような所を魅力的に感じたのでしょうか?
須藤:創業者の高橋をはじめ社員全員が「インターコムはもっと大きくなる」と信じて突き進んでいる姿が魅力的でした。
実際に、私が入社した頃には、大きな案件がいくつも決まっており、勢いを感じましたね。
大久保:会社の規模に限らず、自分たちがやっていることに自信を持っているチームは魅力的ですよね。
須藤:当時は、今のSaaSやアプリのようにある程度形が決まったものではなく、インターコムオリジナルのソフトを各種メーカーのパソコンで動くようにハード周りの調整などが必要でした。
そのため、日本国内だけでなく海外の事例を調べながら、必死に品質の高いシステムを作っている素晴らしいチームだったと思います。
大久保:新しいことを学ぶ意欲が高いチームだったのですね。
須藤:その通りです。全員で英語を勉強したり、海外に視察に行ったりもしました。
今は、新しいパソコンが発売されても、大きなリニューアルがないこともありますが、当時はどんどん新しい機能や機種が発売されていました。
それに合わせて、インターコムで作るシステムもどんどん進化させる必要があったので、常に学び続けていました。
インターコムが事業規模を拡大できたきっかけ
大久保:創業期から現在まで、インターコムが成長してきた経緯を教えていただけますか?
須藤:創業期得意分野をさらに追求したアイデアが次々と出て、新しいソフトを怒涛のように作り続けました。
次に、パッケージソフトが登場した頃には、インターコムからも「まいと~く」という通信ソフトを発売しました。
当時、パソコンを買った多くの方が入れるパッケージソフトが3つありました。1つ目がハガキ作成ソフトの「筆まめ」、2つ目がワープロソフトの「一太郎」、そして、3つ目がインターコムの通信ソフト「まいと~く」でした。
まいと~くで「通信ソフトと言えばインターコム」というポジションを築けたのは、大きく成長した要因だったと思います。
この頃から会社がどんどん大きくなりました。
しかし、ある時から競合が増えてきたり、パッケージソフトではなく、ダウンロードソフトが増えたりして、会社の成長が鈍化しそうになった時期もありましたね。
大久保:その停滞期をどのように乗り越えたのですか?
須藤:とにかくユーザーが迷わない、わかりやすいシステムを作ることに注力しました。
大久保:インターコムが創業して40年以上経たれていますが、大変だった出来事とそれを乗り越えた方法を教えていただけますか?
須藤:インターネットが出てきたことで、インターコムの主力製品だった通信ソフトの「まいと~く」の売上が急減したことがありました。
インターコムはこの40年間で1度しか赤字を出していませんが、まいと~くの売上が激減した時は赤字になってしまい、大変でしたね。
しかし、その当時から時代に合わせて、他にも色々な製品を開発していたので、その後は、売上を安定させられました。
時代の変化の本質を捉えた新サービスを出すことが大切
大久保:通信ソフトの需要がなくなっても、別の需要が生まれるので、時代の変化に合わせて、新しい製品を開発されたのですね。
須藤:通信ソフトを応用したら、FAXのソフトを作れるとわかっていました。そこで、FAXが出始めたタイミングで、FAXソフトを販売して、今でもベストセラーの製品になっています。
大久保:インターネットが普及し始めて、クラウドの波が来た時はどうでしたか?
須藤:クラウドという言葉がまだ普及する前から、インターコムでも試行錯誤しながらクラウドシステムの構築は進めていました。
その後は、お客様のシステム環境にシステムを構築するオンプレミス型とクラウド型の両輪で進めています。
大久保:かなり早い段階からクラウドにも着手されていたのですね。
須藤:クラウドがで始めた当初は、クラウドと言いつつ、実際にはオンプレミスとほとんど変わらないようなシステムも多くありました。
なぜそんなことが起きていたかというと、本当の意味でのクラウドシステムを構築することは、難しくて、時間もかかることだったからです。
しかし、インターコムでは、クラウドの本質を捉えて、クラウドの機能を最大限に発揮できるシステムにこだわりました。
大久保:最近では、ブロックチェーン(※1)やNFT(※2)などの流行りに乗りたがる人もいますが、大切なのは本質を捉えることなのですね。
須藤:新製品を開発して販売することよりも、一度リリースしたサービスから撤退する方が難しいんですよ。
なので、製品開発の段階から、なぜ自社がこの分野で勝負するのか?他者との違いは何か?と徹底的に調べることを大切に考えています。
※1:ブロックチェーン・・・複数のコンピューターが共同でデータを管理する分散型の台帳技術
※2:NFT・・・特別なデジタルアイテムを表すトークンで、個々の作品やコンテンツに独自の価値を与えるもの
創業者からプロパー社員出身社長への事業承継
大久保:システム業界で女性社長は珍しいと思いますが、良かった点や苦労した点などあれば教えていただけますか?
須藤:私の場合は、女性だからということは特になくて、たまたま私のアイデアや実績が会社に認められて、社長というポジションを任せていただいただけだと思っています。
しかし、開発やシステムエンジニア、営業など、様々な経験をさせていただいたり、多くのチャンスを与えてくれたりしている会社にはとても感謝しています。
最近は女性社員が増えていることは確かにありますね。
大久保:女性社員はどのような部署に配属されることが多いですか?
須藤:能力によって様々ですが、特に営業職についた女性は、女性ならではの感性なのか、お客様に寄り添うのが上手だなという印象はありますね。
大久保:創業者の高橋会長からプロパー(生え抜き)社員の須藤社長に社長職が移ったことは、ある種の「事業承継」とも言えると思いますが、須藤さんから見て高橋会長はどのような存在でしょうか?
須藤:私を含めた社員から見て、創業者は唯一無二な存在であることに変わりはありません。いくら社長職が他に移っても、創業者にしかできない役割や業務はあると思います。
これは弊社だけでなく、他の企業を見ていても同じだと感じます。
大久保:今後の展望について教えていただけますか?
須藤:今後はさらに大きく飛躍したいと考えています。そのためには、大きな目標を掲げるだけでなく、細かな計画を綿密に立てる必要があります。
その先には「100年企業になる」ことを目標に掲げています。
大久保:最後に読者に向けてメッセージをお願いします。
須藤:ビジネスにおいて「0を1にする」ことが最も難しいことです。インターコムでは会長しか0から1を作ったことはありません。
起業したばかりの方や今後起業する方は、0からスタートして、1を作り上げるまでには時間がかかるかもしれませんが、ぜひ頑張っていただきたいと思います。
創業手帳は、起業の成功率を上げる経営ガイドブックとして、毎月アップデートをし、今知っておいてほしい情報を起業家・経営者の方々にお届けしています。無料でお取り寄せ可能です。
(取材協力:
株式会社インターコム 代表取締役COO 須藤 美奈子)
(編集: 創業手帳編集部)