富山銀行 中沖 雄|「ドラえもんのような銀行」を目指して富山県に貢献する
富山県内のスタートアップから社会人アスリートまで、富山銀行にしかできない形で支援する
富山銀行が本店を置く富山県高岡市は、銅器などの伝統産業で古くから栄えた富山県第二の都市として知られていますが、この高岡市は「ドラえもん」の作者である「藤子・F・不二雄」さんの出身地でもあります。
「多くの人に愛されて感謝される“ドラえもんのような銀行”を目指したい」そう話すのは富山銀行の中沖頭取です。
2020年に頭取に就任した経緯や、富山銀行ならではの富山県の盛り上げ方について、創業手帳の大久保が聞きました。
富山銀行 頭取
1986年、東大経済学部卒。日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行し、みずほ証券執行役員などを経て2019年6月に富山銀行に入行。2020年5月に現職。富山市出身。
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計250万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら
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この記事の目次
日本興業銀行、みずほ銀行、みずほ証券を経て「富山銀行」の頭取に就任
大久保:富山銀行に入るまでの経緯を教えてください。中沖:日本興業銀行からキャリアをスタートしまして、途中でみずほ銀行に変わり、その後みずほ証券に移りました。
富山銀行に入った経緯としては、齊藤栄吉という前任の頭取との出会いがきっかけでした。
齊藤は自分で歌を作ってそれをさらにCDにするような面白い人で、そんな彼が富山銀行に来る前にいた日銀時代の部下が、私の大学時代の親友でした。
その親友から「面白い先輩がいるから一緒に飲もう」と誘いを受けて、3人で飲むようになったのがご縁の始まりです。
みずほ銀行には2018年までいたのですが、その頃に富山銀行で頭取をしていた齊藤から「うちに来ないか?」と誘いを受け、みずほ証券を辞めて富山銀行に来ました。
大久保:元々、富山県にはどのようなご縁があったんですか?
中沖:私は富山県出身なんですよ。だから声をかけやすかったと言うのもあると思います。
大久保:他銀行から入って、違和感はありませんでしたか?
中沖:それは特にありませんでした。
2002年に日本興業銀行が統合によりみずほ銀行になった当時、私は電力会社の担当でしたが、統合に伴いシステム障害が起き、半年ほどその対応に追われました。
システム障害がひと段落ついたところで、みずほ証券に移って不動産証券化を約10年担当し、その後、自動車・鉄・素材・化学などいろんな業界でM&Aを中心に担当しました。
不動産証券化やM&Aを通じて、地方銀行の運用担当者と接する機会が増えていたので、富山銀行に来ても違和感はありませんでした。
富山銀行を「ドラえもんのような銀行」にしたい
大久保:富山銀行ならではの富山県への関わり方で意識していることはありますか?
中沖:富山市には北陸銀行の本店があり、富山第一銀行もあります。
富山銀行が本店を置く高岡市は藤子・F・不二雄さんの出身で、ドラえもん発祥の地なので、「ドラえもんのような銀行」を意識してがんばっています。
小さい銀行ですが高岡市生まれの銀行として、行員一丸となって色々なアイディアやネットワークを駆使して、多くの方々に便利だと思ってもらえて、感謝される地方銀行を目指しています。
大久保:ネットワークを広げるコツを教えてください。
中沖:部署や会社が異動になった後も、それまでの担当者や取引先との繋がりは継続していました。金融の世界って広いようで狭いんですよ。
このような長年の繋がりを大切にしてきたことが、結果的にいろんな方との人脈やネットワークに繋がったんだと思います。
富山銀行が注目する富山県発のスタートアップとは
大久保:中沖さんから見た富山県の良さを教えてください。
中沖:富山県は夏は暑くて、冬は雪が多いので、我慢強く、頑張り屋な人が多いんです。このような気候なので、屋外でのスポーツなどがしにくい分、勉強熱心な人が多くて進学率が高いという特徴もあります。
この県民性も影響して、富山県はベンチャー企業が育ちにくい地域だと言われています。
真面目で、失敗は許されないと思っている人が多く、何か新しいことに挑戦しようとする人が出てきにくい雰囲気がありますね。
大久保:富山県発のスタートアップで注目している企業はありますか?
中沖:トナミホールディングスがベースとなっている「アルハイテック」という企業に注目しています。
アルハイテックは去年環境大臣賞を受賞した企業で、廃アルミ材循環物から、有用な資源エネルギーを回収するシステムを構築しています。この技術を使うと、色々な場所に水素ステーションが作りやすくなります。
今は補助金を使って、試験的に水素ステーションを県内にいくつか作る計画を進めています。
大久保:アルミで水素を作るとは面白いですね。
中沖:私も良いところに目をつけたなと思いました。富山県は元々水力発電が盛んで、それを利用したアルミ産業が発達した土地なんです。
アルハイテックは低コストで分散型の水素ステーションを作ることができるため、今後の水素社会に向けてさらに注目が集まると思っています。
富山県の地場産業であるアルミ関連事業をさらに盛り上げたい
大久保:富山県は元々アルミ関連ビジネスが盛んな土地なんですね。
中沖:富山県はアルミとの関係が深い県です。三協立山アルミやYKKも富山県にありますし、富山県高岡市には、金属加工の成形技術や精錬技術にも長い歴史があります。
多くの富山県民にも「アルミ」は地元の産業だという意識が根付いています。アルミ関連ビジネスは海外にも競合が多くいるので、決して楽なビジネスではないですが、もう一度、富山県発の新しい事業として盛り上がって行ってほしいと思っています。
大久保:アルハイテックさんにも創業手帳で取材させていただきたいです。
中沖:是非お願いします。
アルハイテックは環境大臣賞も取っていますし、財務省や金融庁が出している地方の注目企業にも選ばれているので、お話を聞いていただくと面白いと思いますよ。
世の中では水素が新しいエネルギーだと盛り上がっていますが、トヨタが出した水素で走る車「MIRAI」ですらまだまだ十分普及していません。でも、水素ビジネスは10年20年後には絶対必要になると思っています。
大久保:自動車産業はEVの方に進んでますが、水素はこれから絶対に社会に必要になりますね。
中沖:自動車だけでなく、家庭で使うエネルギーや発電も水素で賄えるようになると可能性が一気に拡がりますよね。
北陸新幹線の開通により富山県の可能性が広がった
大久保:北陸新幹線が通った影響はありますか?
中沖:大きいですね。富山県と首都圏の距離がグッと縮まりました。
北陸新幹線が開通する前は、富山県と東京都を行き来する交通手段は飛行機が主流でした。しかし、1度のフライトで乗れる人数は200〜300名ほどですが、新幹線の場合はその4〜5倍も乗れるんです。
1回に乗れる人数も、1日の本数も飛行機よりも新幹線の方が格段に多いです。さらに、飛行機は天候に左右されやすいですが、新幹線は天候が多少悪くても走行できますよね。
北陸新幹線が開通したことで、人の移動とともに、情報も一緒に富山県内に入ってくるようになりました。
それから、富山県の美味しいお魚やお酒を楽しみたいという人が増えたのも、嬉しい変化でした。
また、我々富山県民も東京に行きやすくなりました。
富山銀行が富山県外に置いている拠点は金沢営業部だけで、東京にも名古屋にもないのですが、今は新幹線で2時間で行けるので拠点を出す必要がないんです。
融資の審査をモバイルで申請するシステムも作っているので、県外に拠点がなくても、営業マンが新幹線ですぐに訪問して、出先でそのまま融資案件の申請もできます。
大久保:富山県内の一般企業にとっても良い影響が多そうですね。
中沖:首都圏の大企業の方々にも、富山県内にある協力業者との関係を築きやすくなったり、アルハイテックのように面白い地方企業との繋がりは喜ばれます。
富山県内の企業が首都圏の大企業と取引をする際には、取引先の調達部門の担当者としか接点がないことが一般的です。取引先の経営層や企画・財務部門の担当者が考えている事を知る機会がないんです。
そんな時に、富山銀行が媒体になって、富山県内の企業と首都圏の大企業を繋いで、新たなビジネスに発展することも増えています。
富山銀行として融資先を関東や関西に広げるという単純な話ではなく、そこでできたネットワークを富山県内の企業にも還元していきたいと思っています。
ハンドボールの名監督を起用した「アスリート採用×地域活性化」の取り組み
大久保:アスリート採用されていると思いますが、どのようなきっかけで始めましたか?
中沖:「ひみ寒ぶり」で有名な氷見高校は、ハンドボールで国内有数の強豪校なんです。教頭の徳前先生という人がいて、サッカーでいうと、帝京高校の古沼前監督、島原商業、国見高校の小嶺前監督のような名監督です。
その徳前先生が中心となって、今年富山県にハンドボールのプロチーム「富山ドリームス」が設立されました。私もチームの組織運営や監督招聘などの面でアドバイスをさせていただきました。
その中で、選手がハンドボールだけで生計を立てられない可能性があると言われて、富山銀行で銀行員をやりながら競技活動ができると考え、一部の選手を採用することになったんです。
このような流れで、昼間は銀行員として働き、夕方になったらハンドボールの練習に行くという「アスリート枠」が誕生しました。
大久保:スポーツ選手のセカンドキャリアとしても可能性がありそうですね。
中沖:そうですね。
ハンドボール以外の競技でも、将来性のある選手で働きながらでも競技にチャレンジし続けたいという選手を受け入れて、働きながらでもスポーツに打ち込める環境を整えています。
社会人として働きながらでも、プロのアスリートになった事例は多々あります。
ひと昔前の企業アスリートは、本当にスポーツしかしないことが多かったので、現役から引退した後の扱いに困ることが多くありました。
しかし、富山銀行でやっているようなアスリート枠としての採用であれば、仮にスポーツでうまくいかなかったとしても、銀行員として活躍する可能性が残されています。
地元で活躍できるようなスポットライトが当たっている選手に、銀行員として働きながらスポーツ選手としての活動を続けられるように今後も支援を続けていきます。
(取材協力:
富山銀行 頭取 中沖 雄)
(編集: 創業手帳編集部)