生姜のお酒「ジンジャービア」で2社目の起業 しょうがのむし代表・周東孝一の挑戦
翻訳事業・酒造業の2社の代表を務める周東氏に、起業エピソードを聞きました
(2020/04/03更新)
株式会社しょうがのむしは、生姜から作ったお酒「ジンジャービア」を製造・販売する事業を展開しています。2019年に開催された「世界を変える起業家 ビジコンinさいたま2019(以下、ビジコンinさいたま)」でグランプリを獲得。県の産業への高い貢献が期待されている事業です。
代表の周東孝一氏は、2015年に翻訳事業を手掛ける訳国株式会社を立ち上げた起業家です。今回、訳国株式会社の代表を務めながら、新たにジンジャービアで2社目の起業をした形になります。周東氏はなぜ、全く違う領域の新規事業に漕ぎ出したのでしょうか。ユニークな起業エピソードと、事業への想いを聞きました。
大学卒業後、大手酒類販売店に3年務めたのち退社し、台湾へ渡る。中国語を習得し、現地の日本料理会社で専属利き酒師として勤務する傍ら、副業で翻訳を開始。2015年に帰国し、訳国(やっこく)株式会社を設立。翻訳事業を展開する傍ら、新規事業として地元産クラフトジンジャービアの企画を立案し、「世界を変える起業家 ビジコンinさいたま2019」に応募。グランプリと6つの協賛企業賞を受賞し、本格的にクラフトジンジャービアを事業化するため「株式会社しょうがのむし」を設立する。
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この記事の目次
1社目の起業から、畑違いのジンジャービア事業にのりだすまで
周東:埼玉県内で生産した生姜を使った「ジンジャービア」の製造・販売を行います。今はまだ、自社醸造所を持っていないので、川口市でクラフトビールを製造している醸造所にご協力いただき製品を作っています。お酒としてのジンジャービアに加えて、お酒が飲めない人のためにノンアルコール商品販売も検討しています。まずは、世界一美味しい、嗜好品としてのジンジャービアを復活させたいと思っています。
18世紀にはイギリス中のパブで飲まれるほど普及し、最盛期にはイギリス国内で3000件!もの醸造所が操業していた。しかし、150年ほど前に起こった禁酒運動の影響を受けて、アルコールを含有するものは次第に造られなくなり、ノンアルコールの「ジンジャーエール」に取って代わられたと考えられる。現在でもジンジャービアという商品名で販売されているものはあるが、そのほぼ全てがアルコールを含まず、発酵さえ伴わないものも多い。
周東:大学卒業後、お酒好きが高じて大手酒類販売会社に入社しました。その後、会社員としての将来への不安と、世界への好奇心から台湾へ渡ることに。言葉が話せるようになってからは、台湾で利き酒師として働く傍ら、仲間と中国語の翻訳業務も行っていました。
そんな中、台湾の大手クラフトビールメーカーから日本法人設立の相談があり、設立をサポートするために帰国しました。ところが、彼らの日本法人は設立までに予想以上の時間を要することがわかりました。
その間、ただ待機しているわけにもいかず、副業として行っていた翻訳業務を事業化するために、訳国株式会社を設立しました。正直、自分にとっては苦肉の策での開業となりましたが、業績は好調でした。コスパの高いサービスが好評を得たこともありますが、立ち上げたのが、ちょうど爆買いを目的とした中国観光客が増加している時期と重なったこともあるでしょう。
周東:ジンジャービア事業誕生のきっかけは、台湾人である妻の実家への帰省でした。
妻の実家にはその年、たまたまご近所からいただいた生姜が山積みになっていました。使い切れなくて困っているということだったので、大量の生姜を消費するためにジンジャービアを作り、義父母に振る舞いました。すると、「おいしい!身体も温まる!」と大変喜んでくれて、ご近所にも配り始めてしまったのですが、そこでもやはり大好評。それを見て、「ジンジャービアは、国や文化を超えて人を笑顔にする力を持っている」という強烈な印象が残りました。
日本に戻ってから1年ほどして、行きつけの農家に新鮮な野菜や卵を買いに行く道中、多くの休耕地の存在に気付きました。そういえば、この辺りの畑は一年中何も植えていなかったな、と。この時思い出したのがジンジャービアです。休耕地を使って市内の農家の皆様に生姜を生産していただき、それを買い取りジンジャービアとして販売することで地域の活性化につながるのでは、と思いました。
そこから「世界を変える起業家 ビジコンinさいたま2019」に参加し、具体的な事業化を進めていき、2020年2月5日に登記が完了しました。
1社目の起業経験で役立ったことと、新たな苦労について
周東:1度目の起業は、副業の延長で、既存顧客がいたことと、開業にはパソコン一台とインターネット環境さえあれば良かったので、大きなハードルは有りませんでした。幸い生活も成り立っています。この経験があったからこそ、新たにジンジャービア事業に挑戦するにあたって、心的ハードルも低く始められたと感じています。マインド部分で、大きなアドバンテージがありました。
周東:何よりも大変だと感じているのは、商品開発です。私が造ろうとしている本格的なジンジャービアは、日本では製造している会社がまだなく、周りにノウハウを持っている人もいません。委託製造先の醸造長と、ほとんど1から開発を行わなくてはならないのです。醸造には時間もかかるので、すぐにはおいしいものができません。味わいに一切妥協をしたくないという想いもあり、この点は一番苦心しています。
翻訳会社を起業する前、私はもともと酒の販売に携わっていたので、個人的には「全く異なる領域」とは思っていませんでした。しかし、程なくして同じ酒類業界でも「販売」と「製造」は全く違う、と思い知らされました。そういう意味では、やはり「全く異なる領域で事業を立ち上げる」という言葉は正しいですね。
実務面では、許認可の取得が大変です。酒類製造は免許が必要な事業なので、訳国株式会社の時に比べて手続きがより複雑だと覚悟していました。実際にやってみると、酒類だけでなく、清涼飲料水や副産物の加工食品製造等にもそれぞれ異なる許認可が必要だということが分かり、予想以上に大変ですね。今はひたすら勉強中です。
ジンジャービアに世界的ブームが沸き起こる未来を見越して、先手を打つ
周東:まずは、国内で安定して事業を行える体制づくりが最優先です。ジンジャービア作りだけでなく、一般向けの醸造体験サービスも提供する予定です。
特に醸造体験に関しては、自分のライフワークにしたいと考えています。生姜の植え付けや、副原料となる果実や蜂蜜の採集、加工、醸造といった過程を全て体験してもらい、最後はお世話になった地元農家の皆様を交えての試飲会を開く。単発の醸造体験で終わるのではなく、ツアー型のプログラムにすることで、商品の啓蒙だけでなく、参加者と地元農家を繋げるきっかけをも作ることが可能です。
ジンジャービア作りで休耕地を生姜畑に変えたり、醸造体験で食育や誘客もできるといった、地域・社会に貢献できる形で事業を進めたいです。
周東:ジンジャービアは、日本を始めアジアではまだほとんど認知されていない飲み物です。一方、欧米では流行の兆しがあります。
別のケースに目を向けると、リンゴから作ったお酒「シードル」が、最近日本で※大人気ですが、このシードルも数年前までは日本では認知度が低く、欧米で流行ったことをきっかけに日本でも話題になり、流行に火が付きました。今ではコンビニでも販売されていますよね。
※国内のシードル市場はここ5年で約2.5倍に拡大している。(メルシャン調べ)
ジンジャービアも、シードルと同じように今後大きなブームが起こり、世界中で当たり前に飲めるものになると確信しています。しかも、シードルよりも更に大きな波が来ると考えています。その時のためにも、「アジアでジンジャービアといえば、しょうがのむし」というポジションを取りたいです。幸い、翻訳会社のノウハウがあるので、商品の多言語化は得意ですし、スタッフも世界中にいますので、実現は十分可能と考えています。
「ビジコンinさいたま」出場が、事業実現の大きなきっかけになった
周東:しょうがのむしの事業は、副業の延長で翻訳会社を起業した時と違って、何も無いところから立案しなければいけませんでした。その中で、事業の道筋をつけるヒントとなったのが「世界を変える起業家 ビジコンinさいたま」でした。
このビジコンは、最初に提出する書類が事業計画書のような構成になっていました。これを期限内に作成し、提出するだけでも相当な勉強になりました。
ビジコンinさいたまの参加を通じて自分の気持ちや思いを発信することで、事業のアイディアはより具体的になりました。担当者や審査員からアドバイスを頂くことで、プランのブラッシュアップもできました。ここでいろいろな経営者に会うチャンスを得たことも大きいですね。
周東:「まず自分が動き出すこと」。起業にハードルがあるとすれば、これだけだと思っています。そもそも起業しようと考えた時点で、その領域についてある程度の興味や知識が備わっていることが多いと思います。足りない知識や経験は、必要な時に必要な分だけ身に着けていけば良いので、まずは動き出す、アクションを起こすことが最善だと考えます。