freecracy 国本 和基|HRプラットフォームにて「自由主義」で働けるIT人材を世界中で育成
時間、場所、一緒に働く人を自由に選びたいというニーズが高まっている
少し前までは仕事をするためには、1つのオフィスに決められた時間に出社する必要がありましたが、今では働く時の時間、場所、一緒に働く人を自由に選びたいというニーズが高まっています。
これは日本国内だけでなく世界中のトレンドであるため、国境を跨いだ仕事の受発注も活発化しています。
この新しい時代の働き方を推進するために、HR領域のプラットフォームを運営しているのがfreecracy 国本さんです。
そこで今回の記事では、国本さんがfreecracyを創業した背景や、拠点としているベトナムのエンジニア事情について、創業手帳の大久保が聞きました。
freecracy株式会社 代表取締役社長兼CEO
米国オクラホマ州立大学を卒業と同時に米国公認会計士資格取得。
世界各国に4,000人を超えるコンサルタントを擁するアビームコンサルティングにてERPやスクラッチを含むITシステム導入プロジェクトに参画。ロッテホールディングス海外事業部へ転職後、ヨーロッパや東南アジアで様々なM&AやERPシステム導入プロジェクトを牽引。
現在、独立後2社目のスタートアップであるfreecracyを運営、これまでに企業と候補者、40,000名以上のマッチングを実現。これまでの人材業界をDisruptすべく、ベトナムホーチミンにて120名の社員と日々奮闘中。
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計250万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら
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この記事の目次
大阪からオクラホマ州の大学への進学を決意した「2つの理由」
大久保:まずは生い立ちのところから教えてください。
国本:生まれは大阪です。
そこでは祖父も父も事業をやっていて、どちらも自己破産していた過去があるため、母親からは起業を止められていました。
18歳まで大阪にいたのですが、ずっと海外への憧れがありました。
私の地元は繊維メーカーが強いエリアで、1990年代から中国企業から押されてしまっており、海外の資本を使える人が勝つと父親が言ってました。とはいえ、当時の父親の会社は大きくなく、中国に工場を作ることはできませんでした。
そのため、私は大学から海外に行くことを決意しました。日本の大学に入り、1年間留学することも考えましたが、近所に海外留学を経験しても、全然英語が喋れなかったという方がいたので、意味がないことはしたくないと思い、最初から海外の大学に入学しました。
大久保:オクラホマの大学に行かれたとのことですが、なぜそこにしたのでしょうか?
国本:2つ理由があります。
1つ目は、他のアメリカの地域と比べ、あまりお金がかかりません。もちろん、カリフォルニア、ワシントン、ニューヨークなどに行きたかったのですが、お金がかかりすぎます。
2つ目は、日本人コミュニティが強くないところに行きたかったからです。
大きい街には日本人がいる割合が多くなり、英語力が伸びないことになりかねません。アウェイ感を求めて行きました。
入学から2年ほど経つと、留学資金が尽きてきたため、大学を辞めて日本に戻り、アルバイトと紹介予定派遣として働くことにしました。
その時は通関という海外とやり取りができる仕事に就きましたが、ルーティンワークで面白くなかったので、2年間働いて貯めたお金を持って、アメリカに戻り、大学をちゃんと卒業しようと思いました。
アメリカや東南アジアで、ITコンサルやM&Aプロジェクトマネージャーを経験
大久保:何が面白くないと感じたのでしょうか?
国本:大きな理由としては、大卒以外の人が面白い仕事ができる機会は少ないと感じたからです。
アメリカで大学を卒業後、自由度がありつつも、IT業界で仕事ができるという軸で就職活動をした結果、ITコンサルティングの会社に就職できました。
そこでは、上下関係なくロジカルな意見のやり取りができ、やる必要のないものはやらない、といった判断が通る環境でした。
私は2008年に入社したのですが、その後すぐにリーマンショックが起き、グローバルに展開するプロジェクトがゼロになってしまいました。
結果として、3年弱ほど勤めていましたが、海外との仕事がしたいと思い、M&Aのプロジェクトマネージャーとして別会社に入り、1年ほど働きました。
大久保:順調にステップアップされたのですね。
国本:その後、東南アジアの会社で、売り上げはあるのにずっと黒字化できていない原因を探ることになり、現地に行きました。
在庫管理が紙で行われている、あるべき場所に商品がない、といった状況だったため、在庫をITで見える化できるシステムを導入し、黒字化へと改善させていきました。
このタイミングで、会社から一旦日本に帰ってこいと言われましたが、サラリーマンは限界だと思っていたため、退社して29歳の時に起業しました。
1社目の起業はベトナムでの幼児教育事業
大久保:起業前後で心境の変化はありましたか?
国本:起業当初は幼児教育事業をやろうと思っていました。
会社を辞めて3ヶ月、ベトナムのバランスが取れていないところはどこか、考えました。
ベトナムの文部科学省にあたる政府機関が、3〜5歳の向けの教育のマニュアルを作っておらず、さらにホーチミンやハノイにおいては少子化が始まっていました。
ただし共働きで世帯収入も上がり、1人当たりにかけるお金の割合が大きくなってきました。そこで日本の企業とパートナーを組んで、幼児教育事業に取り組みました。
大久保:起業後の伸びはいかがでしたか?
国本:1年くらいは全然仕事がありませんでした。
親日ではあるものの、日本人なのにアメリカの大学を出て、教育の研究をしていたわけでもない。さらには実績もないので、なかなかうまく行きませんでした。
そのため、現地のベトナムで優秀な人材を採用して、彼らとチームを作っていきました。チームビルディングに関しては私の得意分野です。彼らの方がマーケットを知っていて、現地のお母様とも意思疎通が取れるため、2年目以降売り上げを伸ばしていったという流れになります。
最初の年は生徒が3人だけで、2年目に30人、3年目に100人、4年目に200名くらいまで伸びてきた時に、埼玉の学習塾グループが声をかけてくれました。その会社は、小学生以上のメソッドを持っているところで、コンサルティングをやってほしいということで、コンサルをし始めました。
私の事業も伸びていたものの、足し算方式でしか伸びていませんでした。
そこから一緒にやろうと言っていただきましたが、もっとスケールするビジネスを作りたいと考え、その会社さんに事業を売却しました。
2社目の起業としてHR領域で「freecracy」を創業
大久保:そこから今のHR事業に繋がると思いますが、なぜその事業を選びましたか?
国本:HR領域を選んだ理由は2つあります。
1つ目は、業界外からすると、ものすごく非効率的な上、人依存なビジネスだと感じたからです。HR業界の人ほど、ITに弱い印象だったため、ビジネスチャンスがあると感じました。
2つ目は、グローバルな社会において、もっと自由に働きたいという思いを持っていたからです。多くの人たちが働く時の時間、場所、人といったものを自由にできるプラットフォームを作りたいと思い、自由主義という意味合いで社名を「freecracy(フリークラシー)」にしました。
大久保:改めて事業内容を教えてください。
国本:freecracyには大きく3つの事業があります。
1つ目は、創業時からある「Hiring Tech」です。人材紹介や人材広告などではなく、もっと大きなプラットフォームを作って、1秒単位でトラッキングしたデータを元に、適切な仕事と結びつけるサービスです。
トラッキングできる行動としては、どういう仕事を見ているか、どのくらいページに滞在しているのか、プラットフォーム内で作成した履歴書の更新頻度などです。
2つ目に、現状55万人ほど登録していただいている中で、トップ5%の超優秀エンジニアをシンガポールや日本にリソースとして提供する「DX Studio」です。
これまで約2.5万社にプラットフォームにおける採用フローをご利用いただいていますが、そのデータから学習して本当に使いやすい採用ツール「ATS/HRIS SaaS」を3つ目の事業として2023年の秋にリリースします。
そして将来的にやりたいこととしては、この3つの事業をかけ合わせて、さらなる人材ソリューションを提供することです。
大久保:具体的にどのようなイメージですか?
国本:例えば、1ヶ月以上人が集まっていない企業がいた時に、ベトナム・タイ・インドネシアのIT人材でその企業の求人要件に合致する優秀な方々と面接してみませんか?と提案します。
リソースの使い方に関しても、直接採用でも良いですし、海外のエンジニアリソースをよりカジュアルに活用するラボ型開発や開発請負という様々な選択肢を提供したいです。
さらに人材候補者としても、社名である「freecracy」という自由な働き方が実現できると考えています。
IT業界において、プロダクトを作ることがゴールになるため、リソースは社内外どちらを使おうが関係ないんですよね。
大久保:一言でいうと、どういった会社になりますか?
国本:候補者、企業それぞれにプラットフォームを提供し、リソースを見える化、世界約55万人の優秀エンジニアと企業を結びつけることにより世界のDX化を支援する会社です。
海外人材を活用するコツは「シニア人材の確保」
大久保:海外人材を活用するコツがあれば教えてください。
国本:日本においてのオフショア開発(※1)は、コストにフォーカスしすぎて、コミュニケーションに時間かかったり、出来上がったものにバグが出たりして、失敗することが多いです。
実際、ジュニアの人材よりシニアの人材の方が集めるのが難しいんです。そのため、我々が提供している人材は優秀なシニアにフォーカスしており、これまでの失敗で多かったコミュニケーションや成果物の質は問題ありません。
大久保:コミュニケーションの部分もとても大事で、先回りして「こう言うことですよね」という意図を汲み取ることが、プロジェクトを事故なく進めるためには必要です。
さらに、日本でもジュニアだけでやろうとすると、バグも起きたりしますので、海外人材を活用するメリットがとてもわかりました。
国本:オフショアはプロダクトが出来上がったら解散して、次に依頼する時には再度チームを組み直すのですが、我々のラボ型は、海外にいる同じチームに制作を頼むような組成を心がけています。
私もトータル20年以上海外に住んでいますが、日本人なのでプロジェクトの最初は私もしっかり入らせていただきます。
お客様からヒアリングして、スキルを鑑みた上で、約55万人のリソースからチームを組むため、ミスマッチはありません。
※1:オフショア開発・・・海外のITエンジニアにインフラ構築、システム開発、運用保守などの作業を委託する開発手法
ベトナム人エンジニアの特徴と最新事情
大久保:ベトナムのエンジニアの特徴や最新事情などを教えてください。
国本:ベトナムは国をあげて、ソフトウェアエンジニアを育成しています。
もちろん言葉だけでなく、学ぶための学費を0円にしたりもしています。
そこから10年くらい経ち、ジュニアエンジニアが多かった時代から、シニアエンジニアも増えて、綺麗なピラミッド構造になってきました。もちろんテスターやUI/UXデザイナーもいます。
ベトナム人エンジニアが普段から意識しているものとしては、ヨーロッパやアメリカのプロダクトが多いため、日本より洗練されているデザインが多いと思っています。
そしてベトナムのエンジニアの特徴としては、世界のエンジニアに近い位置にいると思っています。
例えば、ベトナムは良くも悪くも世界のオフショアの拠点になっています。そうするといろんな会社の最大小約数的な働き方になってきます。
自ずと、時間内に成果を出して帰ることはもちろん、彼らのスタンダードができて、会社依存のプロセスがなくなります。
大久保:世界を知っているからこそ、良いものも知っているということですね。
ガラパゴス化した日本が世界市場で勝ち残るために必要なこと
大久保:海外にずっといて、日本人1人で仕事をするというのはどうですか?
国本:実は最初、日本人もいました。ですが、ベトナムにおいては、コストとパフォーマンスのバランスが悪く、うまくいきませんでした。
例えば、日本での平均給与額で、ベトナム人エンジニアを探すと、とても優秀な人材を雇うことができます。
日本はプロジェクトの進め方も含め、閉鎖的に進めているため、成り立っていることなのですが、我々のようなインターナショナルなスタートアップに行くと、そこの整合性を合理的に説明できなくなります。
そのため、フェアに見ないといけなく、その感覚は私にとって心地よくもあります。
大久保:日本人のエンジニアが、アメリカのエンジニアと比べて劣っているとは感じないのですが、無駄が多かったり、日本独特の風習があったりしますよね。
国本:これは、ITエンジニアではなく、社長に原因があると思っています。
日本はガラパゴスと言われますが、日本のITサービスは世界で受けているものはゼロなんです。
すると、TAM(※2)が日本だけになってしまいます。
アメリカや韓国など、日本以外は海外に向けてプロダクトを作っているため、1行のコードがどれくらいのバリューを生むかという仕事になってきます。
大久保:世界標準の働き方ができるということですね。
国本:おっしゃる通りです。日本で、オフショアやラボでスムーズに仕事ができているところは、海外でもできます。
日本でなんとなく無理やり回している会社というのは、海外でもうまくいきません。そこで改善させられると日本に持って来ることは可能だと思います。
大久保:昔のオフショアリングとは逆転の使い方が今後は主流になってくるということですね。
※2:TAM・・・総需要=Total Addressable Market
日本人起業家でも世界で戦える可能性は十分にある
大久保:最後に読者へのメッセージをお願いします。
国本:私は小さい頃から、日本のための海援隊になりたいと思っていました。今でも、自分の強みはそこにあります。
日本の起業家もエンジニアもビジネスマンも、みんな海外のマーケットを取りに行く気持ちを持っていてほしいと思います。一歩踏み込んでしまえば、意外と大したことはありません。
もちろん、我々が全力でサポートさせていただきたいと思っています。
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(取材協力:
freecracy株式会社 代表取締役社長兼CEO 国本 和基)
(編集: 創業手帳編集部)