日本医療支援研究所 松岡 達也|起業を経て、負債数十億円の事業を承継し、V字回復! 波乱万丈な経営ストーリー

事業承継手帳
※このインタビュー内容は2019年04月に行われた取材時点のものです。

起業・承継どちらも経験した松岡達也氏から、課題解決と成功の秘訣を聞きました

起業と承継は日本の経済の2つの大きな課題です。松岡達也氏は、その両方を経験した異色の経営者。特に承継では、恵那金属製作所の養子ではないが娘婿として、事業と同時に数十億円もの負債を引き継いでスタートし、見事立て直しました。その過程はドラマのような難題の連続。松岡氏は、次々と直面する課題をどう解決し、成功したのでしょうか?創業手帳代表の大久保が核心に迫ります。

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松岡 達也(まつおか たつや)プロフィール
株式会社日本医療支援研究所 代表取締役社長
株式会社恵那金属製作所 元代表取締役社長

2003年に大学卒業後、空間プロデュースベンチャー、ファイザー株式会社、株式会社ドリコムを経て、2008年1月に株式会社レイディーバグを設立。2011年から事業承継のため、株式会社恵那金属製作所入社。2014年2月に専務取締役、2016年2月に代表取締役社長就任。 2018年12月末に代表取締役社長を退任し、現在は㈱日本医療支援研究所代表取締役として中国内モンゴル自治区にて健康診断センターの運営とエンジェルとして投資も行う。

インタビュアー 大久保幸世
創業手帳 株式会社 代表取締役

大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計100万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。

起業で鍛えられた「会社を継ぐ」覚悟

大久保:松岡さんは承継で再建してすごいな、と思うんですが、もともと起業されていたんですよね。起業から承継、起業とすごいなと。そういう人はなかなかいないですよね。最初に起業しようと思ったきっかけを教えてください。

松岡:もともと漠然と大企業に就職できたらいいなと考えていましたが、大学4年の1年間を休学してカナダのバンクーバーに行き、様々な国の人の生き方に触れ、もっと自由に生きていいのだと感じました。気がついたら「就職して3年以内に起業したい」と周りの友人に話すようになっていました。

大久保:いったいどんな事業を立ち上げたんでしょう?

松岡:2008年に前職で一緒に仕事をしていた仲間と二人で会社をつくりました。IT分野で営業代行から始め、販売代理なども行い、その後マーケティングと顧客管理を併せ持った自社システムの開発と販売を行ったりしました。

大久保:起業当時はランチ代がほとんど無いという時代もあったとか。起業は承継と違ってゼロからスタートなので、土台ができるまで大変ですよね。そこからどうやって軌道に乗せることができたのでしょう。

松岡:私にとって一番大きな出来事は、あと3か月で会社が倒産する、という切羽詰まった局面で自分の間違いに気付いたことです。自分が出来ていないことが原因なのに、会社が上手くいかないことを心の中でリーマンショックや社員等責任にしていました。具体的には、売上があがらない時にイライラしている自分がいて、なんでこんなにイライラしているのか考えた時、以下のような思考が始まりました。

なぜイライラしているのか?
→お金がなく、倒産したら借り入れの個人保証もしなければいけないから
→お金があればいいのか?
→お金が潤沢にあれば、今のイライラは起こらない
→お金が無いことがイライラの原因だ
→では、なぜお金がない?
→稼げていないから
→お金が必要なら自分でもっと稼げば良い
→自分が稼げず、お金がないからイライラしている。逆に自分が稼げたらすべて解決する。
→原因の全ては自分の能力不足。そもそも起業したくてしたのも自分の意思決定だし、その思いに社員もついてきてくれた。自分の能力不足で陥った今の状況を社員のせいにするな!

これがきっかけで自分の行動を変え、ひたすら仕事に集中するようになったことで、倒産の危機を回避し、事業を軌道に乗せることが出来ました。

資金的、精神的に追い詰められたり余裕がなくなると、人のせいにしてしまいがちです。でも、そんな後ろ向きなことに時間を使うのは最大の無駄ですよね。視野も狭くなるし、物事が良い方向に行かない。でも、なぜそうなったのかを突き詰めて考えると、結局自分に行き着く。すべて自責ということです。そうなると視野も広がりますし、自然と良い方向に物事が進みます。人の責任や人の行動が変わることを期待する前に、自分自身の考え方、行動を変える、できることに集中することが一番大事だと思います。

格言

全ては自責。
「今の苦境を社員のせいにするな!」
と気持ちを切り替えたら行動が変わった。

大久保:会社を立ち上げてから、起業の前後にやっておけば良かったなと思うことはありますか?

松岡関わる相手に説明できる、わかりやすい仕事の実績をつくっておくことです。起業だと信用力が不足しているのでこれだと言う実績があること、そしてわかりやすく伝えられる言葉なり、資料なりになっていることです。実績があっても伝えられないと無いのと同じですよね。

あとは、当然ですが、お金を貯めておくことですね。今は資金調達しやすいですが、自分自身でしっかり資金面での準備をしておくことが大事です。私はどちらもありませんでしたが(笑)

格言

実績を作る!
実績を伝えられるように整理する。

大久保ーなぜ事業を引き継ぐことになったのですか?自分で作った会社を辞めた上で引き継いだので、大変な決断だったと思います。その時の心境も興味があります。

松岡:妻と結婚する前、がんを患い余命宣告されていた義理の父から、「会社を継いでもらえないか」という話を3度ほど受けていました。当時は今思えば未熟な考え方をしていて、起業をしたい一心だったので丁重にお断りをさせて頂き、結婚後に起業を反対されるのを避けるため、起業をしてから結婚しました。

その1年半後、義理の父は他界しました。私は起業した会社が倒産しかけたところから、なんとか軌道に乗せることが出来て初めて、「会社を守りたい、社員を守りたい」という経営者の気持ちが身にしみるほど解りました。同時に、自分の余命が解り、多くの社員がいるのに後継ぎがいなくて困っていた義理の父の言葉の重さを知りました。
そして義理の父が命をかけて守りたかったものが壊れかけているのをみて、見て見ぬふりが出来ず、大切な社員をもし自分が守ることが出来るなら、と思い承継を決断しました。

何を言っても、何も言わなくても上手くいかない状態から抜け出す

大久保:会社を引き継いでどうでした?連帯保証や銀行との交渉とか、大変なことがたくさんありますよね。起業とはまた違う次元の大変さだと思います。そして、起業は良くも悪くも白紙ですが、古くからある会社だと、いろいろなしがらみもありそうですね。

松岡:渋谷でスーツを着てパソコンを使う仕事から一転、中津川で作業着を着て工場で油まみれになる日々からスタートしました。その後古参社員からの罵声を浴びさせられる日々が始まりましたが、自分の目指すべき方向性からブレることなく冷静にやるべき仕事をしてきました。金融機関も、当時は8行も取引がありましたので、交渉が大変でした。連帯保証にサインしてからは、深く眠れない日々が始まりました。

大久保:既存の役員、社員との信頼関係はどうやって築いていったのでしょう?新参者という見られ方もあったかと思いますが、変わるきっかけはありましたか?

松岡:最初は何を言っても、何も言わなくてもうまくいきませんでした。時には自分が間違っているのか、と何度も自問自答しました。そんな中、幹部社員で1泊2日の事業計画合宿を行い、夜中まで徹底的に議論をしたり、自分の思いを何度も伝える機会がありました。そこで話したことが、事業の改善に繋がる結果として出始めた頃から、少しずつ組織が変わりはじめたと思います。

大久保:読者の参考のためにも伺いたいのですが、赤字の会社を立て直す際に、何が一番要だと思いますか?また、どこから手を付けるのが良いでしょう。

松岡:企業のタイプにもよりますが、特に地方で社歴のある製造業においては、今いる社員の能力を最大化することが一番の要だと思います
外から来た新しいリーダーは、今いる人特に自分より年上の人を大事にして力を引き出すことを軽視してしまいがちですが、それでは上手くいきません。会社は人によって成り立っているからです。

格言

今いる社員の能力を最大化しよう。
人が一番の要。

大久保:株を買い集めたり、銀行からの調達など、資本面ではどういう施策を取りましたか?

松岡:分散している株を買い集めたりしましたが、一番重要と感じたのは、入社前から株式取得の計画を立てて、主要株主から方向性について同意を得ていたことです。話しにくいことを一番先に決めておきました。一方で方向性が決まっていても、資金が必要であり、給料の殆どをそれに当てても足りないので個人で借り入れを行い、支払いを続けてきました。会社の連帯保証だけでなく、個人でも借金まみれでした。

大久保:承継した会社を立て直して、最終的に社長を退任されたとのことですが、その経緯を伺えますか。

松岡:入社から2年半で専務になりました。そこから本格的に改革を始め、専務になった2年後に社長になりました。社長になる4年ぐらい前から代表変更の日にちを決めていましたので、ポジション変更は計画通りで、会社は社員のおかげで順調に再建し、負債の処理もめどが立ちました。
再建し、業績も過去最高の状況で社長を退任した一番の理由は、今後数十年先をみた時に、「どうすれば今の社員が今のような事業で雇用継続ができるのか」を何年も考えた結果、今回の手段にたどり着いたからです。
せっかく会社がうまく行ったのだから、社長として多少のんびりと私腹を肥やそうという考えが無かった訳でもありませんが、もともと前社長から地元中津川で今いる社員の数十年単位での雇用継続を託されましたので、そこは状況が良くなってもブレずにおこなっていきたいと考えていました。

全体として景況が良いときには理解され難いですが、企業は良いときもあれば悪い時もあることを、何度も経験してきました。行っているビジネスによりますが、日本の製造業は、「今までの悪い時」と「これからの悪い時」とでは、生き残るために求められる資本力と経営力のレベルが全然違ってくると考えています。

ですから製造業の知識と経験と実力があり、経営能力がある人に経営をお願いすることが、会社にとって一番だという考えに変化はありませんでした。
死ぬ気でやってきた分、退任については自分の中でも相当な心の葛藤があったことも事実です。ただ、先代の社長たちが目をかけてきた、社歴25年の実力ある社員が個人保証などのリスクを取らずに社長になれたことは、会社にとってとても価値のあることだと感じています。

承継では「一番大事な価値観」を考える

大久保:事業が成功するために、いちばん大事な鍵になる要素はなんでしょうか。

松岡人の気持を考えることだと思います。組織のマネジメントでも営業でも、マーケティングでもとても重要な要素だと考えています。

大久保:承継は日本全体にとって深刻な問題ですよね。松岡さんから見て、承継の現状をどう思われますか?

松岡:複雑な心境です。事業承継について考える時、まずは承継が本当に必要なのか?という問いから始まると思います。

承継しようとしている事業が、今後も日本にとって必要とされる分野のものなのか。そうでなければ、社員はどうやって生き抜いていくのか。同族経営を続けていくべきなのかどうか。それはその事業に携わっている社員にとっていいことなのかどうか。いろいろな要素や考え方が混ざっているのが承継だと考えています。

私の場合は、会社の方向性はもともと創業家がつくった企業理念である『社員への貢献、取引先への貢献、社会への貢献』に沿って意思決定を行いました。「社員にとって何が大切か」を最も大事なポイントとして「経営理念ではなく企業理念」で考えました。

社会の課題も日々変化してきていると感じています。雇用は社会貢献という企業の大義名分が人手不足により徐々に変化をしてきているように感じます。また、今後日本の雇用状況が、海外人材やロボット、システムによって変わっていく中、社員が終身雇用で安心して生活できる社会も変わりつつあります。一方で、安定に甘んじて成長に向けて努力しようという考えが薄まるよりは、「日々頑張らないと次がない」という危機感が社員の能力向上に繋がり、結果としてこれからの社員の雇用安定や日本の強さにつながるという考え方もあると思っています。

大久保:この記事を読まれる、事業を承継する方(先代)、承継される方(次の代)、に言いたいこと、これだけはやってほしい、ということはありますか?

松岡:企業は良いときもあれば悪いときもあると思います。そういった時に「何が一番大事なのかというお互いの価値観の共有」をすることが承継で一番大切ではないかと感じています。例えば、同族、社員、既存事業、地域等の守るべき優先順位が一致しているか、一致していないところについては議論をしっかりしておかないと、承継後に問題になると考えています。

同族を守るためにリストラはありか?
社員を守るために同族の全資産をつぎ込むか?
社名を残すためなら違う場所で違う事業を可とするのか?
社員を残すために今の社員が継続雇用出来ない事業を行うのか?

といったポイントですね。

タイトル

承継では一番大事な価値観が何かを考えよう

大久保:起業と承継どちらが大変でした?

松岡組織を創るのは起業のほうが圧倒的に楽、ビジネスをつくるのは承継のほうが圧倒的に楽。時期もあるので一概には言えませんが、私にとっては起業の方が100倍ぐらい大変でした。

大久保:グロービスの卒業生として賞を取られたり、名古屋の事業承継の会など色々なコミュニティに属していると思いますが、起業や、承継を志す経営者、もしくは経営者予備軍に有益なネットワークやコミュニティ、学校などがあれば教えて下さい。こういうところに行くと、勉強になる、仲間がいるよ、というようなことですね。

松岡:何かにチャレンジしたい、現状を変えなければいけないという志高い仲間がほしければ、私はグロービス経営大学院(MBA)をおすすめします。私自身がグロービスを「卒業」することで得た仲間は、一生の仲間だと感じています。またグロービスの全国事業承継者の会の中には、事業承継の様々なパターンが存在し、その特殊性から秘匿性を保って議論が行われるので、他にはあまりない承継者の知見を得ることができる会だと思います。

大久保:今後はどういうチャレンジをしていきたいですか?

松岡:現在は中国の企業と組んで、内モンゴルで健康診断を提供する事業に携わっています。もともと恵那金属製作所の社員から新規事業の提案をきっかけに発進した事業で、私が代表を交代するタイミングで独立させて引き取りました。こちらは数年以内に出資額を回収して、その後社員に株を渡すつもりです。

これから新たに何をやるかについては未定ですが、自分だからこそできる、自分にしかできない、存在対効果が高いことが出来ればと考えています。恵那金属製作所の承継では、会社を救いたいという使命感で仕事を頑張ってきました。この熱い感覚をまた感じられる仕事に出会えたらいいなと考えています。

大久保:これから起業や承継を考えている人に向けて、一言メッセージをお願いします

松岡:良いビジネスプランで失敗する人もいれば、悪いビジネスプランでも成功する人もいます。要はプランよりも自分の能力や努力次第の部分が大きいと考えています。確率を高めるために準備に時間をかけることは重要ですが、それよりも具体的に行動し、経験し、出てくる問題を解決し続けることで成長することのほうがより成功確率を高められると思います。

また事業はいつか承継、倒産、清算等の選択肢を求められます。経営者として何を成し遂げたいかはもちろんのこと、社員や取引先に迷惑をかけないように事業が自分の手を離れるタイミングや方法もある程度イメージして準備しておく責任があると私は考えています。

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(取材協力:株式会社恵那金属製作所/松岡達也

(編集:創業手帳編集部)



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