あなたはどの理論に賛同?ビジネスコーチングに応用されるスポーツ心理学のノウハウとは【若林氏連載その5】
北米アイスホッケーのプロコーチが教える起業家向けスキルとは?
人を行動させるにはまず心を動かす必要があります。頭の理解と心の納得。この2つをしっかりと機能させることで、チームの雰囲気が変わりパフォーマンス向上につながります。
そのために心理学を利用している経営者の方も多いのではないでしょうか。チーム運営であるスポーツ界においても心理学が利用され、多くの功績を導き出しています。
世界のプロスポーツチームが行う戦略としての心理学にはどのようなものがあり、どのような結果をもたらしているのでしょうか。
様々な事例をもとに、ビジネスにも役立つ組織作りのためのスポーツ心理学を詳しく解説していきます。
World Hockey Lab 主宰/DYHA Jr. Sun Devils ゴールテンディングディレクター
日本人で唯一、北米とアジアでプロ・アイスホッケーコーチとして20年以上指導。アジアリーグ日光アイスバックス・テクニカルコーチ、香港代表チーム監督などプロ及びナショナルチームからユースホッケーまで幅広く指導。現在はアメリカ・アリゾナ州フェニックスでNCAAアリゾナ州立大学と提携するユースホッケークラブDYHA Jr. Sun Devilsでゴールテンディングディレクターを務める傍ら、世界各地でアイスホッケーキャンプを指導。
現場でのコーチングの他、香港では青少年のアイスホッケープログラムマネージメントを担当。2013~2015年に担当したアイスホッケー未経験の青少年80人にアイスホッケープログラムを提供するHong Kong Youth Ice Hockey Campaignは、その後2倍以上の規模に発展。香港アイスホッケーの未来を支えるプログラムとして継続中。その他、アイスホッケーにおける統計データ活用について、アメリカのアイスホッケー統括団体USA Hockeyの管理者向け講義も行なっている。
また、スポーツ組織論として、欧米、アジアと日本のスポーツチーム、組織、コーチング、育成環境の比較解説。スポーツチーム、組織のマネージメント全般。チーム、組織が継続的に成長するために必要な競技構造の構築等を研究している。
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この記事の目次
メンタルが組織作りに与える影響はどれほどか
結果を残したスポーツ選手や関係者の多くが、メンタルが勝利に与える影響の大きさを語っています。
「チャンピオンは技術と意志を兼ね備えているものだ。しかし、意志は必ず技術よりも強くなければならない」
(モハメド・アリ:ボクシング選手)
「成功は、勝利を信じて、そのために準備出来る人に訪れる。誰でも勝ちたいとは言うが、実際、勝つために準備できる人は何人居る?」
(ハーブ・ブルックス:アイスホッケーコーチ)
番狂わせはミラクルなのか?緻密な計算に基づくものなのか?
1980年のレークプラシッド冬季オリンピックで、学生選抜で構成されたアメリカ代表アイスホッケーチームが、ステートアマ、つまり実質プロの当時世界最強チームで優勝候補のソビエト代表を破る大金星を挙げて金メダルを獲得しました。
冷戦時代の敵国をスポーツの大舞台で破る快挙はアメリカを熱狂させ、ミネソタやマサチューセッツ等、北部の州の人気スポーツに過ぎなかったアイスホッケー人気を全国区にする契機になったと言われています。
このストーリーは、スポーツ界の歴史的大番狂わせとして映画化されているだけでなく、「氷上の奇跡(Miracle On Ice)」と呼ばれたジャイアントキリングの原因を探るため、戦術、戦略、コンディショニング、コーチング等、様々な角度から研究されています。
研究の結果、アメリカ代表の勝利は、もちろん運の要素もありますが、決して単なる「ミラクル」ではなく、周到な準備によってもたらされた結果であることが分かっています。大舞台で実力以上と言えるパフォーマンスを発揮したアメリカ代表と、逆に圧倒的実力を誇りながら試合の主導権を握ることなく敗れてしまったソビエト代表。
この勝敗に影響を与えた要因はメンタル面によるものが大きいと考えられており、スポーツ心理学研究の格好の材料になっています。
勝敗を分ける要因はどこにあった?結果に至るプロセスの違い
事実、アメリカ代表を率いた名将ハーブ・ブルックス監督は心理学の学位を持っており、チームの選抜に際し、300問に及ぶ心理テストを課して、彼が求める心理的特性を持つプレーヤーを選りすぐりました。
さらに、チームを結束させるために自らが嫌われ役になる行動をしたり、チームに徹底的に 「under dog(格下の挑戦者)」の意識を植え付けることで奮起を促したりと、幾多の心理的仕掛けを張り巡らせた上での勝利であったことが知られています。
逆に、優勝を義務付けられた舞台で格下にまさかの敗北を喫したソビエト代表選手たちは、帰国後に心理学者によるカウンセリングを受け、このような分析結果をもたらしました。「今まで圧倒的に試合を支配する展開が多すぎたため、リードされる展開でパニック状態になり、本来のパフォーマンスが発揮できなかった」ソビエト代表はその後見事に復活し、オリンピック三連覇を果たしました。
日々変化し続ける環境の中を生き残り、時には圧倒的格上に勝負を挑まなければいけない状況で、個人として、そしてチームとして最高のパフォーマンスを発揮するために、技術だけでなく心理面のトレーニングが重要であるのは、ビジネスもスポーツと同様です。スポーツ心理学のノウハウは、1990年代からビジネスコーチングに応用されています。
心理とパフォーマンスの関係を解く「メンタルタフネス」
「勝負強さは努力して手に入れるスキルであって、生まれつきの才能ではない」
(クリス・エバート:テニス選手)
テニスのマルチナ・ナブラチロワ、モニカ・セレシュ、スピードスケートのダン・ジャンセン、アイスホッケーのマイク・リクター等を指導したことで知られるジム・レーヤー。
彼は著書「スポーツマンのためのメンタル・タフネス」で「メンタルタフネス」という概念とそのトレーニング法を開発しました。レーヤーはその後メンタルタフネス理論を一般的ビジネスにも応用、普及させました。
科学的根拠に基づくメンタルトレーニング
レーヤー理論の特徴は、アスリートの心理とパフォーマンスという曖昧に見える関係を科学的に、最終的には医学的、生理学的要素にまで還元してしまう、徹底した合理・実証主義にあります。
アスリートが到達する理想の精神状態IPS、いわゆる「ゾーンに入った」時の脳波の状態はどうか、逆にストレスを感じているときのホルモンの分泌はどうか、等を分析し、最終的には意志で筋肉をコントロールするように、思考で感情をコントロールすることで、メンタルタフネスを得られると述べています。
彼はまた、理想の精神状態IPSでプレーすることを説きながら、実際にはもっと現実的に、なるべくコンスタントな精神状態を保つことを重要視しています。これは特にピークパフォーマンスや、ゾーンに頼って一発逆転の勝利を求めるタイプのメンタルトレーニングとは一線を画します。
大舞台で1回チャンピオンになるよりも、長年トップクラスで活躍し続けるほうが難しいし、価値があるという考え方からでしょう。また、肉体面の確固とした基礎なしに、メンタル面だけでピークパフォーマンスなんて有り得ない、という意味でもあります。
レーヤーの理論がビジネスと親和性が高い理由もまさしくそこにあり、瞬間的な大成功ではなく、中長期で成功を収めるためのメンタリティを育むために適した理論だからです。
レーヤーのビジネスマン向けのメンタルタフネス書籍は、ビジネスマンに必要なメンタルスキルと、それを引き出すための食事、休息に及ぶまで幅広くカバーしており、非常に有益な内容です。
細かい技術指導よりも重要なこと?!「インナーゲーム」
レーヤーの著書の約10年前に、全く異なるアプローチのアスリートのメンタルコーチングを提唱してきたティモシー・ガルウェイ。
彼の理論はレーヤーのように「身体を科学的に鍛え、同様にメンタルも科学的に鍛える」のではなく「心と身体を一体と見なし、プレーヤーは自分が描くイメージに近づくような動きを、自然と身体から引き出す。コーチはその手助けをする」というものでした。これは、教える側と学ぶ側の意識改革とも言えるものです。
例えば、彼は 「技術を細々と教えるから下手になる」と、技術戦術を細分化して段階的に教えていく従来の技術指導をバッサリ切り捨てています。「こうするべきだ」 「これをしなければだめだ」 という言葉による細かい指導は、悪循環に陥るだけだと言います。
彼は、自分の望む結果をイメージして、それに近づくように、自分の身体自身に自由にプレーさせなさい、と教えます。例えば、シュートを狙ったところに飛ばすためには、自分のシュートに対して「良かった」「悪かった」などという価値判断をせずに、「体をどう動かしたら、どこに飛んだ」 という純粋な観察と実践を繰り返すことで上達する、と言います。
教える側教わる側、双方の意識改革で見えてくるものが変わる
実際、私たちは「自分自身」の技術について、人に言われるばかりで、自分で観察することがほとんどありません。自分でビデオを見たとしても、純粋な観察ではなく、そこにはいつも「良い」「悪い」という価値判断ばかりが優先し、身体の動きそのものと結果との関連は見出せないままです。
ガルウェイは「自分の身体のことは自分が一番知っている。身体に言葉で命じるのを止めて、イメージで命じなさい。」と説いているのです。
ガルウェイの理論は「生徒や部下に命ずるのではなく、問いかけ、自分自身の行動の変化の結果を観察することにより、自発的な進歩と自律を促す」という現代的なスポーツコーチングとビジネスコーチング、更には一般的な教育論に受け継がれています。
メンタルスキルを教育で鍛え、チームで最大限に活かすには?
「自信は伝染する。そして、自信のなさも伝染する」
(ヴィンス・ロンパルディ:アメリカンフットボールコーチ)
メンタルスキルは、個人だけでなくチームにも応用可能なスキルとして研究されています。先述したレーヤー、ガルウェイらの個人レベルのメンタルスキルが、方法論に違いはあっても、本質的には「感情を論理的にコントロールする科学」であるならば、チームのメンタルスキルは「感情の連鎖反応を論理的にコントロールする科学」だと言えます。
逆境に陥ったチームが、一つのファインプレーから息を吹き返したり、逆に好調だったチームが、一つのミスからあっという間に劣勢になる様子は、スポーツでもビジネスでも日常的に見られます。ファインプレーやミスは究極的には個人レベルの出来事であるはずなのに、その影響はチーム全員に及び、結果的に試合の流れを決定的に左右する可能性があるのです。
「感情の連鎖反応」を、チームが成功する方法に導くためには、まずチームとしてメンタルトレーニングを行い「全員がポジティブに考える習慣をつける」必要があります。
メンタルを鍛えるためのネガティブイメージトレーニング
「勝つことで強くなるわけじゃない。もがき苦しむことで強さを養うんだ。困難に直面しながら、降参しないと決意する、それが強さになるんだ」
(アーノルド・シュワルツェネッガー:俳優・ボディビルダー)
スポーツでも一般的なビジネスでも、物事が順調に進んでいる時、ポジティブに考えるのは簡単なことです。問題はチームが困難に直面した時にネガティブな感情をコントロールして、ポジティブに行動し、問題を解決していけるか? ということです。
そこでお勧めしたいのが「ネガティブイメージトレーニング」です。一般的なイメージトレーニングは「自分の成功をイメージして、それに近づけるように行動を変えていく」ものです。ネガティブイメージトレーニングはその逆に「この先起こり得る悪い状況を想定し、その時の自分の気持ちやチームメイトとの感情の衝突」等を想像します。
例えば、アスリートなら以下のようなネガティブな状況が予想できます。
「絶好調のシーズンだったのに、怪我をしてしまった」
「レギュラーとしてシーズンをスタートしたのに、新人選手にポジションを奪われてしまった」
「試合中に感情的になり悪質な反則をしてしまい、それ以来コーチやチームメイトとの関係が悪くなってしまった」
このようなネガティブな状況でどのような気持ちになるか? そして、どのように感情をコントロールして問題を解決していくか? というシミュレーションを行います。これは個人レベルだけでなく、チームとしても行うべきトレーニングです。
スポーツでも一般的なビジネスでも、1年間全てが順調に進むことはほぼあり得ません。毎年ありがちで予想可能な問題から、このコロナ禍のように、めったに起こらないけれど、可能性としては準備すべきだと痛感させられる大問題も、できる限りシミュレーションしておくことで、パニックにならないように対策ができます。
日々の実践あってのメンタルスキル強化
スポーツ心理学の一般的ビジネスへの応用例を紹介しましたが、どれも理論と継続的な実践が伴ってはじめて効果が表れるということを忘れてはいけません。
メンタルスキルや自己啓発の書籍やSNSに溢れる名言格言は、たしかに人の心を揺さぶり、刺激を与えてくれるものです。しかし、どんな立派な理論も格言も、日々の実践と評価が伴わなければ、ただ耳障りの良い人生訓に過ぎず、実質的な効果はほとんど見込めないでしょう。
同様に、話を聞くだけ、聞いてもらうだけ、問いかけるだけで、具体的な思考の枠組みと問題解決の方法論に言及しないメンタルコーチングは、その効果が客観的に評価できないだけでなく、再現性が低いので、あまり良い投資とは言えません。
スキルを磨くことを忘れずに
「敵に優る技術がないから勝てないんで、勝つためには技量で上回る以外ない。要は、テクニックを身につけて行けば結果に繋がるんだと思うけど。」
(中田英寿:サッカー選手)
「野球は90%はメンタル、残りの半分はフィジカルだ。」
(ヨギ・ベラ:野球選手)
「メンタル」という言葉は、「サイズ」「体力」「身体能力」「経験」等と共に、スポーツの敗戦の言い訳として最も多用される言葉です。勝負の場において精神面、心理面が重要なことは間違いありませんが、そもそも技術力に大きな差がある戦いを「気持ち」や「根性」で勝つのは、可能性が極めて低い願望であって、有効な戦略ではありません。
スポーツにおいても一般的なビジネスにおいても、まずは個人スキルとチーム戦術を高め、商品そのものの質を高めることが勝率を上げる王道であることを念頭に置きましょう。メンタルスキルはその土台を作り、僅差の勝負をものにしたり、長期にわたるパフォーマンスの安定に寄与するものではあっても、決して魔法の薬ではないということを忘れてはいけません。
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(執筆:
World Hockey Lab / 主宰 若林 弘紀)
(編集: 創業手帳編集部)