サイボウズ 青野 慶久|【第1回】社長独占インタビュー!今だから語れるサイボウズ誕生の裏側
社内が大荒れ!?グループウェアNo1サイボウズの創業ストーリー
(2015/08/21更新)
3人の若者によって1997年に創業されたサイボウズ株式会社は、創業以来「世界で一番使われるグループウェアメーカー」を目指し、あらゆるチームのチームワーク向上に貢献するグループウェアを開発・提供してきました。国内のグループウェア市場でシェアNo.1を誇る同社は、どのような過程を経て成長を遂げてきたのでしょうか。
創業メンバーの1人である代表取締役社長の青野慶久氏に、創業のきっかけ、創業時の想いについて話を伺いました。
サイボウズ株式会社代表取締役社長。大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工株式会社(現パナソニック株式会社)に入社。BA・セキュリティシステム事業部営業企画部での勤務経験を経て、1997年に愛媛県松山市にサイボウズ株式会社を設立、取締役副社長に就任。2005年4月より現任。社内制度においてもグループウェア活用によるワークスタイル変革を推進し、多様な働き方を実現している。自身も3児の父として3度の育児休暇を取得。
大企業でのんびり働こうと思っていた……
青野:当時会社勤めをしていた頃、パソコンが広く普及しはじめ、Webという技術が出てきました。その時、このWeb技術で人の働き方を変えられるんじゃないか、そう思ったらいても立ってもいられなくなったんです。
青野:考えていなかったですね。会社員時代は大企業で一生のんびり働こうかなと思っていました(笑)
ただ、ソフトウェアが好きだったんでしょうね。Webを見て時代が変わるぞと思って、「ソフトウェアの力で世界を変えたい」という青臭いことを思ったんです。
当時はアメリカで第一次ネットバブルが起きていました。ネットスケープコミュニケーションズという会社を立ち上げて、23歳で上場したマーク・アンドリーセン氏が一躍スターになってカッコいいなという憧れもありました。それで気付いたら起業していました。
青野:高須賀さんは経営に興味があって、畑さんはプログラムを作る技術者、僕はどちらかと言うと販売を得意としていたので、得意分野の違う3人が集まっていい感じで役割分担ができました。
社長は高須賀さんでしたが、物作りに関しては畑さん、売り方については僕に任されていたので、高須賀さんが全てを決めるというわけではなかったんです。ボウズマンなんかは、高須賀さんは最初「誰がこんなの使うの?」と言っていましたから(笑)
役割分担ができたこと以外に3人という数が良かったと思うのは、意見が割れた時には多数決で決められたことでした。
採用ができず、荒れた社内
青野:Webという新しいテクノロジーを見たときに衝撃を受けて、ブラウザという窓を通して世界中どこでもアクセスできることによって、世の中がガラリと変わると思いました。
それと同時に、そのテクノロジーを情報共有に使えるなと思ったんです。テクノロジーの変化によって市場が変わるという自信はありました。ただ僕たちはベンチャーなので、隙間ができないと入り込めない。
1強の時代では、ベンチャーはどこかに付いていくことはできたとしても、発展するようなベンチャーを創るのは難しいんです。
だから市場が活発に動いているところに参入する。そんなイメージでした。
青野:20年近く前のことなので記憶が定かではありませんが(笑)人の採用が一番苦労しました。地方でソフトウェアを作ってネットで販売できるので、ビジネスとしては効率が良かったんです。初年度から20%以上利益が出ていました。
ただ、ソフトウェアが売れてもそれに見合った顧客対応ができなかったんです。急激に注文が増えて処理が追いつかなくなったり、お問い合わせが増加して一件一件のお客様に丁寧なサポートができなかったり。
嬉しい悲鳴ではありましたが、当時はそんなことも言っていられないほど社員一人ひとりにかかる負担が大きい状態でした。
結局1年半ほど経っても松山ではなかなか人が採用できなかったので、大阪に移転したんです。
創業から約3年という早さで東証マザーズに上場も果たしましたが、社内は相変わらず荒れまくっていました。上場してワーっと騒ぐような雰囲気じゃないんですよ。
会社の成長バランスが悪いとそうなってしまうんですね。人の採用は本当に苦労しました。
【関連記事】サイボウズ株式会社 製品統括責任者が語るスタートアップの社内の情報共有方法
【関連記事】スタートアップにおすすめ!サイボウズのコミュニケーションツール2選
(取材協力:サイボウズ株式会社)
(編集:創業手帳編集部)