実現したい夢があれば、行動は起こせる。「障がいという言葉と概念をなくす」という夢に向かって進むミンナのミカタ兼子氏にインタビュー
各地にある支援施設と企業を仕事でつなぐマッチングサービスを展開
障がいという言葉を使うのが嫌で、障がい者のことを「ミンナ」と呼び、企業とのマッチングで仕事を紹介するサービスを展開している会社が栃木県鹿沼にあります。代表の兼子氏は、かつて自分も就労支援継続事業所に通う予定だったことがある人物。
どのような思いがあって起業をしたのかという今までの道のりと、障がい者を取り巻く今の環境について、編集部がインタビューしました。
株式会社ミンナのミカタ代表取締役
中学高校大学と国士館に在学。新卒でジャパン建材に入社し、バリバリの営業マンに。結婚し子どもが産まれ、妻の実家がある鹿沼に移住して妻の実家の会社に入社。順調に日々を送っていたが、あるきっかけで心を病み、うつ病になってしまった。その時の苦しい体験と、障がい者のための就労継続支援事業所をもっと増やさなければという使命感で、2013年に株式会社未来福祉人材センターを創業、2016年に株式会社ミンナのミカタを設立。
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この記事の目次
「日本一」というキーワードがいつも頭にあった
兼子:こちらこそよろしくお願いします。少し長くなりますが、お話ししますね。
中高大と国士館に在籍していましたが、中高と打ち込んでいたのが柔道です。鈴木桂治(2004年アテネ金メダリスト)などと一緒に、日本一を目指して練習していました。怪我をしてきっぱりと高校で引退しましたが、どこかでその日本一という言葉は自分の中での永遠のテーマとして残っていたんでしょうね。就職活動をするときも、新卒で営業として勤務が始まったときも、日本一の会社に行くぞ、自分が入った会社を日本一にするぞという思いで日々頑張っていました。
3年半営業をやって、自分が一番売っているなという自負もありましたが、配属された仙台で、私の帰りは毎日遅く、友達がひとりもいない中で子育てに奮闘している妻を見ていたら、義理の父親から「自分の会社を手伝ってくれないか」と言われたんです。妻のためにも妻の実家がある鹿沼に移住し、妻の実家の会社で働こうという気持ちになりました。ちょうど同じ建材業だったということも偶然ですがラッキーでしたね。
最初は順調に売上を伸ばし、営業本部長になりました。このままいけばいつかはこの会社を継いで社長かな、なんて思っていたある日、妻の弟が入社したんです。社長に「やっぱりこいつは実の息子だから。兼子はもういいよ」と言われ、みるみるうちに立場が変わり、最終的には倉庫番になってしまったんですよね。
兼子:そうなんです。何のために鹿沼に移住し、何のために生きているのか分からなくなってしまいました。体が動かなくなり、会社も辞めてしまった。その頃の自分は、家に帰ったらお酒を飲んで、妻に「お前のおやじのせいでこうなったんだ!」と言うような日々で。それでまた自分が嫌になり、もういやだ、死んじゃえというところまで行きました。
ただその時に両親のことをふと思ったんです。中学受験で国士館に入り、いい経験をさせてもらった。そんな親よりも先に死んではいけない、やっぱり生きよう。そう思って、初めて病院に予約を入れました。そこまで体調を崩してから1年ちょっとかかりましたね。
ただ、精神科の予約って受診するまでにすごく時間がかかるんです。3か月待ちというところがザラでしたね。
兼子:こんなにも精神科にかかりたい人が多いんだと衝撃でした。そんなに待ってられないとあちこち電話して、やっとのことで3週間後の予約が取れるところを見つけ、受診してみたらやはりうつ病でした。薬を出してもらって半年ぐらい通ったところで、先生にそろそろ仕事に復帰してみたら?と言われまして、就労継続支援事業所A型というところに初めて行ったんです。
まず、障がい者就労継続支援事業というのは、一般企業に雇用されることが難しいとされる障がいや難病を持った方が、一定の支援の元に継続して働けるようになることを目指しています。その中で、A型については事業所と契約を結び、最低賃金が保証されるという特徴があり、比較的障がいが軽度である方が所属しているといえます。一般的な就労に比べると1日のうち働く時間が短いため、月の収入としては7~8万円ぐらいが平均でしょうか。そのため、最初に行ったときは誰がスタッフで、誰が利用者なのか全くわかりませんでした。
兼子:そうですね。やはり雇用契約を結ばないので、最低賃金は下回ってしまうことが多いです。ただ2つの中で明確な線引きはないんですよ。
鹿沼の人口は約10万人なのですが、そのうち4,000人が障がい者手帳を持っています。でも当時、A型事業所はひとつしかなかったんです。これが何を意味するかというと、20人から25人しか就労支援のサービスを受けられないということなんです。これを知ったとき、すぐに「足りないじゃん。じゃあ、自分で始めよう」と思いましたね。いつか社長になりたいという夢もありましたし。
当時はまだ体も思うように動かなくて、1日に2~3時間しかまともに動けない中で、事業計画書を作ったり銀行を回ったりしていました。
データ入力、動画編集…彼らにできないことって実はそんなにない
兼子:ありがとうございます。いえ、今まで何度も危機があったんですよ。忘れられないのは、事業拡大に向けて資金調達に動いていたとき、あるVCさんから出資しようという申し出があり、既に決まりかけていた他のVCさんを蹴ってくれというのでそちらはお断りしたら、結局約束とまったく違う金額しかいただけなかったという事件ですね。3年前ぐらいの話なんですが、出資を見込んで人材採用や、事務所を拡大してしまっていたこともあり、パニック障害になってしまったぐらい辛かったです。
兼子:最近はIT関係の仕事が多いですね。データ入力や取り込みだったり、動画の編集だったり。大きく分けて事業所内でやる仕事と、外に行く仕事があるので、こちらで適性を見たり、本人にどんなことがやりたいかも聞いて仕事をマッチングしています。外に行く仕事としては、農作業や工場での作業などがあります。いろいろな方がいて、好みや適性もそれぞれ違うので、こちらも幅広い仕事を受けようというのは意識しているところです。
兼子:そうなんですよ。彼らは本当に優秀で、できないことなんてほとんどないと私は思っています。弊社のYoutubeチャンネルも、彼らが始めたい!というので私はすぐに出かけて行って「GoPro買ってきたよ!」って笑。企画も撮影も編集も彼らがやっています。
まだまだ世の中の「障がい者」のイメージはステレオタイプなので、こんなにもITを使いこなしているというのは驚きかもしれませんね。
兼子:そうですね。まずは仕事を発注する企業側で言うと、まだまだ「障がい者は単純作業しかできないよね。やっぱりパンやアクセサリーを作ってるの?」とか「安く頼めるんだよね?」といった意識が根強いことです。
就労継続支援事務所側にも問題はあって、障がい者さんたちに対して「可哀想ね、守ってあげるから」というスタンスの方が多いんですよね。ただ、仕事をする上で守ってあげるだけじゃだめだと僕は思っています。仕事があれば安い賃金でもけっこうです、と二つ返事で引き受けるのではなく、きちんとした対価で仕事を取ってくる。これは営業をやっていた自分の強みでもあると思っています。
無理に拡大はしない。理念を共有できる人材を育てたい
事業所の外での仕事例。オークションサイト用のタイヤを撮影しているところ。
兼子:そうですね。無理に直営の事業所を増やそうとは思っていなくて、もうこの事業を始めて9年が経ったところですので、内部で人を育てて、理念が伝わっていて資格を取った人が出たら事業所を増やしていけたらと思っています。
また、鹿沼だけではなく全国の障がい者の方々のためになるようなことができないかと考え、「ミンナのシゴト」というネット上のプラットフォームを運営しています。仕事を必要としている方と、仕事をしたい障がい者の方をつなぐ、簡単に言うとクラウドワークスのようなサイトですね。
兼子:はい。ライティングから動画編集など、本当にいろいろなタイプの仕事があります。
兼子:事業所に所属している方が、一般企業に就職するときですね。そして就職した人たちが「今がんばって仕事してます!」って満面の笑みで事業所に遊びに来てくれたときは本当に嬉しいです。既にその会社から仕事を請け負っていて、問題なくその仕事ができている状態でこの方はどうですか?とお勧めするので、企業の方にも心配なく受け入れてもらえることが多いです。
兼子:実務面で非常に参考になったのは『起業のファイナンス』ですね。1冊持っておくと役に立つと思います。メンタル面でいうと、『覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰』は刺さる言葉だらけで、初心を忘れそうなときなどに何度も読んでいますよ。また、今読んでいるのはシリコンバレーの有名企業のアドバイザーが書いた『爆速成長マネジメント』という本ですが、なかなか参考になります。読書は移動時間や、寝る前などによくしていますね。
兼子:半分ぐらいはリモートですね。東京に、祖父母が住んでいた家をリフォームしたオフィスがありまして、東京で仕事があるときはそちらに行ったりもしています。メディアの取材があるときなどにも便利なんですよ。
兼子:思ったことは必ず実現します。実現させるためには、まず行動することが必要です。どうやったら行動できるのか? 夢を持つことです。今まで何度もピンチがありましたが、夢があるから続けて来られました。皆さん、実現させたい夢を心に描いて、そのために行動を始めましょう!
(取材協力:
ミンナのミカタ代表取締役 兼子文晴)
(編集: 創業手帳編集部)