サッカー選手から酒屋さんへ。「純米酒専門YATA」山本将守氏が実践する「プロの仕事と経営者の本質」(インタビュー前編)

飲食開業手帳

会社の方針は「大人を困らせろ」

(2017/09/12更新)

Jリーグのサッカー練習生から、25歳で実家の酒屋を継ぎ、日本酒を楽しむ立ち飲みバー「純米酒専門YATA」出店と、異色の経歴の持ち主の山本将守氏。前編ではその経緯と、アスリート的情熱で突き進む経営哲学についてうかがいます。

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代表取締役 山本 将守
株式会社マグネティックフィールド代表取締役
元サッカー選手という経歴の持ち主。25歳で家業の酒屋を継ぐと、酒販業の傍ら山本自身が「第4回世界 きき酒師コンクール」でファイナリストに選出されるなど日本酒業界内でも注目を集めている。

当時から感じていた「日本酒の可能性」

ー山本さんは10代でブラジルにサッカー留学した後、24歳までJリーグの練習生をされていたんですね。

山本:そうですね。帰国してからは4年くらい全国を回っていました。最終的にはとあるチームに所属することになったのですが、首脳陣の不祥事などの影響で白紙になってしまいました。24歳のときです。

サッカーを諦めてどこかで働こうと思っていたときに、当時お世話になっていた方と話したんですね。その方からの助言もあって、「じゃあ、実家の酒屋を継ごう」と、地元の名古屋に帰る決心をしたんです。

当時はディスカウントショップにお客さんが流れていて、昔ながらの酒屋はずっと下火になっていました。両親も「もう継いでほしくない、東京に帰ってくれ」と言っていたぐらいです。

ですが、僕のなかでは「日本酒と焼酎に関しては絶対に勝てる」っていう根拠の無い自信があったんです。
周りは、「なんでそんなことやるの?酒屋なんて儲からないよ。」って言っていましたが、自分はあまのじゃくな性格なので「それだったらやってやる!」っていう気持ちになったんですね。そこから日本酒の勉強をスタートしていきました。

最初は日本酒の良さも分からず、説明できずに売れないという悔しい思いもしました。
そういう悔しさをなんとかしなければ、と思っていたときに、SSI(日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会)が「唎酒師」という認定資格を出していることを知りました。

日本酒唎酒師と焼酎唎酒師の2種類を申し込んだんですが、それが僕の中で革命的に面白い授業だったんです。日本酒を多少知った時から知識に飢えていたのもあって、この授業にすごい影響を受けました。

個人の趣向が入ってしまう雑誌とは違って、SSIでは平等に日本酒の知識を教えてくれました。「その上に載せるのはみんなの個性ですよ」といった感じですね。そこで猛勉強して、母親に頼み込んで借りた100万円を握りしめて日本中の蔵を回りました。

すると、今度は「最高の造りというものは蔵ごとに違う」ということがわかったんです。こんなにも奥深い世界なのか、と感動しました。「この奥深さを伝えれば売れる」と思って、店頭でお酒を売る際に「お酒それぞれのストーリー性」を伝えていく、ということを、いち早く愛知県でやり始めました。

ーなるほど。店に並べているだけだった当時からすると、革新的じゃないですか。

山本:革新的でしたね。
同時期に当時はやっている人が少なかったブログを始めて、ブロガーを100人くらい集めて秋田のお店でイベントを開催しました。そんな活動の成果もあって、名古屋で店舗を始めることができ、日本酒が売れていきました。酒屋での店頭で1日100万円売ることができていたので、ありがたいことに結構話題になってくれました。

ー1日100万円っていうのは驚異的な売上ですね。その後はどのような経緯で現在の業務形態になっていったのですか?

山本:初めて社員を採ったのが6年前で、僕が社長になったときから、その社員と2人で始めました。
まずやったのは、配達とビール販売を辞めたこと。当時は約2億円弱の売り上げがありましたが、利益が少なかったんです。それを同時期に、今の「純米専門YATA」のさきがけとなるお店を1軒始めました。そこから現在の業態になっていきました。

ー単なる販売だけだと売上があっても利益があまりなかったんですね。それを打破するために、今の業態に繋がるような付加価値をつけることにした、ということですね。

山本:そうですね。
お店を回っていた当時は、自分が良いと思って提案しても「飲食店をやっていないのに、何がわかるの?」ってよく言われました。
なので、「それだったら他とは違う新しい飲食店をやってやる!」と決意してスタートしたのですが、今思い返すと理にかなっていたと思います。

もう一つ、飲食店開業を決意した理由は、人との出会いでした。
当時仲良くさせてもらっていた外食産業の方に、ある蕎麦屋さんに連れて行ってもらったことがありました。
そこは挨拶もしないし、注文も聞きに来ない。サービスとしては決して良くないところだったんですが、そこで食べた蕎麦がものすごく美味しかったんです。

その時に「サービスはあくまで美味しさという基礎の上に成り立つんだ。だから、本当に美味しければ、黙っていても人が来るんだよ」って言われたことが、ものすごい衝撃的でした。
ずっと自分が考えていたことでしたし、それを自分の手で実現したいと思いました。この出来事も、大事なきっかけです。

オシム監督から教わった「経営者の本質」。個性的なように見えて王道を行く

ーお話を聞いていますと、山本さんはアスリート的な情熱を持っていますね。

山本:よく言われます。自分でも、経営者というよりはアスリートだと思っています。
スタッフは、社長としてではなく「山本将守」という個人を気に入って付いてきてもらっているし、僕は自分の背中を見せて、彼らの前を歩かなきゃいけません。経営者というのは、こういうものなんだと思います。

ー社名もマグネティックフィールド(※magnetic:磁石の、磁気の、魅力のある、人を引きつける)って名付けているのも面白いですね。そのように集まってくれたスタッフに対して、山本さんはどのような言葉をかけているんですか?

山本僕がスタッフにいつも「僕は一切の個性を評価しない」と言っています。

これは、サッカーで言う「トータルフットボール」っていう戦術で、レジ打ちが早かろうが、営業がバンバン取れようが、求められた仕事が完璧でなかったら何の意味もないんです。求められた仕事を完璧にやった上で個性を出せるのがレギュラー。それが日本一なら代表、だということです。

この考え方はサッカー選手だったときにオシム監督(※2003-2005ジェフユナイテッド市原・千葉監督)に教わったもので、プロとアマの違いはそこにあると考えています。

なので、求められた仕事をちゃんとやってくれれば、僕は何をやってくれてもいいと思っています。
変に自分の個性を出そうとする人は「カリスマ」にはなりますが、それは「一個人」であって、チームではありません。

ー個性的なように見えて、王道な考え方ですよね。

山本:そうですね。
例えば、弊社の場合は「唎酒師」の資格が最低限の知識です。ですが、これが全てではありません。
そのうえに会社の方針を教えていきます。

ちなみに、会社の方針は「大人を困らせろ」です。

酒税法ってとても複雑なんですね。現場にいるだけでは、どうしても法律の細かいところはわからないので、自分たちがやりたいと思うことは税務署などの関係各所に行って、質問しまくるんです。ここまで熱心に質問してくる酒屋さんもそうそういないので、対応する各所の大人たちはだいたい困っています(笑)。

これがすごく勉強になります。コツコツとそういう経験をしてきたから、おかしいところはおかしいと言えるし、提案もできるんです。

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スポーツバーで誰もが働ける場所を作る!障がい者雇用を切り開く社会起業家・神一世子氏インタビュー(前編)

(取材協力:株式会社マグネティックフィールド/山本将守)
(編集:創業手帳編集部)

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