DDグループ 松村厚久|100店舗100業態を達成、飲食業界に革命を起こした起業家が最も大切にするもの

飲食開業手帳
※このインタビュー内容は2024年03月に行われた取材時点のものです。

人間の可能性は無限大!難病と闘いながら人を楽しませる店を作るため自分を奮い立たせる


エンターテイメント性の高い個性的な飲食店を次々とオープンさせ、現在300店舗以上も展開する東証プライム上場企業・DDグループ。同社を起業し、現在グループCEOを務めるのが松村厚久さんです。

業界の常識にとらわれることなく、何事にも全身全霊で取り組む松村さん。「飲食業界の革命児」とも呼ばれ、2010年には業界初となる「100店舗100業態」を達成して大きな注目を浴びました。

松村さんは、2015年に出版された書籍「熱狂宣言」の中で難病の若年性パーキンソン病であることを公表。のちに「熱狂宣言」は、映画監督の奥山和由さんによって映画化されました。

今回は松村さんの起業までの道のりや成功の秘訣、経営者として大切にしていることについて、創業手帳の大久保がインタビューしました。

松村 厚久(まつむら あつひさ)
株式会社DDグループ代表取締役社長・グループ CEO
1967年生まれ、高知県出身。サイゼリヤでのアルバイト経験をきっかけに飲食業界へ進むことを決意。日本大学理工学部卒業後は日拓エンタープライズへ入社、ディスコの企画運営に携わる。1995年に独立、日焼けサロン経営を経て2001年「VAMPIRE CAFE」を銀座にオープン、念願の飲食業界へ参入する。2010年には業界初の「100店舗100業態」を達成、アミューズメント事業やホテル・不動産事業も手掛ける。

2015年小松成美氏のノンフィクション『熱狂宣言』(幻冬舎刊)の中で、若年性パーキンソン病と闘病中であることを公表。現在は東証プライム上場企業である株式会社DDグループにおいて、代表取締役社長・グループ CEO を務める。

インタビュアー 大久保幸世
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計250万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら

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飲食店をやるなら最初は銀座と決めていた。しかし独立後に思わぬハードルが…

創業当時の「VAMPIRE CAFE」

大久保:先日、映画監督の奥山和由さんに取材(※)したのをきっかけに、松村さんのドキュメンタリー映画「熱狂宣言」を拝見しまして、こんな方がいらっしゃるのかと衝撃を受けました。そこで松村さんにぜひお話を伺いたいと思い、今回お時間をいただきました。

※参考:映画プロデューサー 奥山 和由|100本以上の映画を作ってきた奥山流「企画実現力」

松村:そうでしたか。奥山さんはある日ふと書店で私の本を見てビビッときたそうで、突然ご連絡をいただいたんですよ。そういう出会いもあるんですよね。

大久保:映画でも触れられていましたが、あらためて松村さんのご経歴と、起業前後のエピソードについて教えていただけますか?

松村:大学卒業後は会社員として、ディスコの中では有名なところで働きまして、最後は繁盛店を任される統轄店長までいきました。その後飲食店をやりたいと思って独立したのですが、お金を借りようとしても最初は全く銀行から相手にされませんでした。

私は店を出すなら、絶対に銀座で始めたいと思っていたんです。スターバックスやマクドナルドも銀座でスタートしましたから。ただ飲食店をやるにはまとまった資金が要りますし、特に銀座に店を出すとなると高額な保証金が必要でした。でも当時の私には担保もないし、実績もありませんでしたから、銀行はお金を全く貸してくれませんでした。

そこでまずお金を貯めようと思いまして。当時通っていた日焼けサロンのサービスがイマイチだったので、もっとサービスが良ければ人気が出るはずと考え、日焼けサロンを開業しました。1995年に独立して、会社を作ったのが1996年ですね。

この日焼けサロンはすごくヒットしました。でも24時間営業でしたから、すごく大変でしたね。私は独立と同じ時期に結婚しまして、昼は妻に店に入ってもらい、夜は私が店に入るという感じで。二人とも全く休みをとらず店を回していたので、妻からは「騙された」って文句を言われていましたね。ただお客様の反応は良く、日焼けサロンは4店舗まで拡大できました。

大久保:松村さんはその後、念願の飲食業界に入り「VAMPIRE CAFE」をオープンされました。飲食店を始めてみて、いかがでしたか?

松村:私はディスコで働いていた経験があるので、メディアの重要性をすごく感じていたんですよ。「VAMPIRE CAFE」をオープンした2001年頃は今ほどネットが普及していなかったので、メディアと言うと雑誌かテレビでした。そこでまず雑誌に載せてもらう必要があるなと思い、社員に雑誌社を回らせて、「プレス向けイベントに参加してもらう約束を取り付けるまで、帰ってくるなよ!」と言ったんですよ。

結局全ての雑誌社がイベントに来てくれまして。雑誌で取り上げてもらえたおかげで店はすごく繁盛しました。当時は「VAMPIRE CAFE」のようなコンセプトカフェが流行っていた時期でしたが、すぐ閉まってしまう店も多かったですね。「VAMPIRE CAFE」は途中でブラッシュアップはしていますが、現在もなお続いていて23年目になります。

周りがびっくりするワードにこそ資金が集まる。だから「100店舗100業態」を掲げた

上場時の様子

大久保:1社で複数の業態を作るのも大変なことですが、松村さんは「100店舗100業種」を掲げ、実際に達成されています。なぜ実現できたのか、またアイデアをどう生み出したのか、教えていただけますか?

松村最初から「100店舗100業種」を目指していたというより、店を作っていったらそれぞれ違うものになっていったという感じでした。新しい店を作る時、やはり場所や時期によって、お客様が求めるものは違ってきます。ですから毎回同じ店を作るのではなくて、その場その時に合わせたものを作っていくことが大事だと思っていました。

それに、毎回違う店を作る方が絶対楽しい。チェーンストアを1つ作って大きくしていくことも大切ですが、私は店ごとに全く違うコンセプトや内装を考えるのが好きだったんです。

「100店舗100業態」というのは、実は会社が上場する時にわかりやすくてインパクトのあるワードとして掲げたんです。「本当にできるの?」というような、周りをびっくりさせることほど、資金が集まるじゃないですか。

当然店ごとに業態を変えるとなるとアイデアが必要です。新しいアイデアを生むには、まずいろいろな店を見ること、行くことが大事だと思いました。当時はもうとにかく、いろいろな店へ足を運んでいましたね。飲食業界には「100軒のぞき」という言葉があって、100店舗も見れば、おのずと成功のポイントが見えてくるんです。

あとは情報のインプット、これが大事です。当時はとにかく本や雑誌でトレンド情報を集めて、言葉のシャワーを浴びることを意識していました。お店づくりの際、ターゲットを28歳女性としていた時は、女性ファッション雑誌をかなりチェックしていましたね。

大久保:最終的にヒットするかどうかは、何がポイントなのでしょうか?

松村:お客様です。ヒットするかを決めるのはお客様ですから、いかにお客様のニーズを取り込んだ店を作れるかが大事です。実際「100 店舗100業態」を達成するまで1店舗も閉店は出していませんが、業態変更などブラッシュアップしたところはたくさんあります。ただしベースにあるのは立地。立地が良ければやり直しもできますから。これは新卒で入った会社にいる時、たたきこまれました。

店舗のブラッシュアップと言えば、オープン翌日に店名を変えたこともあるんですよ。当時はどんどん新しい店を出していたので、全ての案件に直接関われなくなっていました。ある時オープンしたもつ鍋店を見に行ったら「一〆煮太郎」という名前だったんです。でもこれでは何の店か全然わからないじゃないですか。結局オープンした次の日には「博多もつ美人」という店名に変えて、看板も全部付け替えました。

店名はお店を作る上ですごく重要です。長い横文字ではよくわからないし、覚えられない。わかりやすくて、なおかつ「なんだそれ?」と言われるようなインパクトのある店名が必要です。周りが「え?」という反応になれば、もうこっちの勝ちだと思っていました。

もちろん料理やサービスも重要ですが、店を作る時は店名やコンセプトが先に出てくることも多かったですね。娘が「ベルサイユのばら」を見ている姿を見て、「ベルサイユの豚」という店名がひらめいたこともありました。

大久保:ネーミングの大切さというのは、飲食店だけではなく、あらゆるサービスに通じるところがありそうですね。

常にエンターテイナーでいたい。人を楽しませたいという想いは、経営理念にもつながっている

映画化された「熱狂宣言」

大久保:映画「熱狂宣言」を拝見して、松村さんは人を楽しませようというエンターテイナーの気質をすごくお持ちで、それが成功につながったのではないかと感じました。その気質というか性格は、どのように生まれたのでしょうか?

松村:私は高知県出身ですが、生まれは実は大阪なんです。母の里帰り出産で生まれてすぐに高知に戻ったので記憶はありませんが、血筋から関西人のノリがあるのかもしれません。子どもの頃からクラスのムードメーカーで、人を笑わせることが好きでしたね。現在56歳ですが、今もベートーベンのかつらをかぶったり、金色の全身タイツを着てスターウォーズのC-3POになったりしているんですよ。

人を楽しませたいというのは、創業当時からの経営理念である「お客様歓喜」にもつながっています。お客様に喜んでもらうことが、起業のベースにあります。仕事でもそれ以外でも、人が喜ぶ顔が好きですし、ワーとかキャーとか言われたら勝ちだなと思っています。

大久保:なるほど。起業してから今までの中で一番嬉しかったことは何ですか?

松村:たくさんありますが、会いたい人に会えた時ですね。例えば幻冬舎の見城徹さん、秋元康さん、エイベックスの松浦勝人さん、GMOインターネットグループの熊谷正寿さん、楽天グループの三木谷浩史さんなど、日本のビジネスやエンターテイメントのトップにいらっしゃる方々と会えたことは、すごく嬉しかったです。やはり自分より上の方々とご一緒できると、大きな刺激を受けます。

そうした先輩方の他にも、同じ年齢であり親友でもあるNEXYZ.Group(ネクシーズグループ)の近藤太香巳さんと会えたことも大きな財産ですね。

やはり経営者として大切なのは「人」だと思っています。私には支えてくれる方がたくさんいますので、もう感謝しかありません。周りを信頼して感謝することは、起業家にとって必要だと思います。

起業家の中には、他の人に任せることができず、何でも自分でやろうとする方もいますよね。でも私は権限委譲するべきだと思っています。会社が大きくなればなるほど、全てを自分でこなすことはできません。DDグループという会社も、自分ひとりでやっていたら、このスピードで、この大きさにはなっていないはずです。

ただ「信頼しても信用するな」ということはよく言っています。最後の決断はやはり社長の仕事。社長の仕事って、決断の連続ですよね。私の場合、迷った時は「カッコ良いか」「カッコ悪いか」、これだけです。

起業家の皆さんには、仕事も遊びも本気で頑張ってほしい。人間の可能性は無限大!


大久保:長く飲食業界にいらっしゃる中で、大きな時代の変化があったと思います。コロナ禍は飲食店に大きな影響がありましたし、最近では若者の人口が減ってきています。松村さんは、こうした時代の変化をどう感じていらっしゃいますか?

松村:おっしゃる通り、コロナ禍によってお客様の行動は大きく変わりました。飲食業界への風当たりも強くて、大変な時期でした。ただ私たちも生き延びる方法を模索しながらやってきて、2024年2月期第3四半期では、完全復活の過去最高益を出すことができました。

常に思っているのは「日々変化」ですね。例えば昔は一家に1台車があるのが普通でしたが、今はカーシェアリングなども広がって、都市部では車を持たない人が増えています。時代の変化にどう合わせていくか。これが大事だといつも感じています。お客様に何を求められているかをよく知って、ニーズをとらえた店作りをこれからも心掛けていきたいですね。

大久保:上場企業の社長となると、やはりそれだけ責任も大きいと思います。そうした中で、体調が優れない時もあると思いますが、どのようにカバーされているのでしょうか?

松村:やるしかない、という感じですよね。映画「熱狂宣言」のポスターにあった「止まったら死ぬぞ!」という言葉は、私が若年性パーキンソン病になる前からずっと言っていたんですよ。どんどんペースを上げて店を増やしていった時期も、「止まったら死ぬんだから、走り続けないとダメなんだよ」と周りによく言っていました。

もうひとつ、病になってから大切にしているのは「神様は乗り越えられない試練は与えない」という言葉です。私の場合は病によって身体は思うようになりませんが、頭はクリアなので、その分集中できたり発想の転換ができたりする面もあります。

もちろん辛い時はたくさんあります。それでもハンディキャップとは思わず、乗り越えていこうという想いで、自分を奮い立たせています。

大久保:これからやりたいことを伺えますか?

松村:もっともっと店を作っていきたい。今でも現役ですから。思い描いているものはたくさんありますから、ぜひ期待していてください。

大久保:すでに膨大な数の店舗を作り成功されている松村さんが、まだまだ次の店のことを考えていらっしゃるというのは驚きです。

それでは最後に、起業家の方に向けてメッセージをお願いできますか?

松村:遊びの中に仕事があり、仕事の中に遊びがあります。起業は大変なことですが、仕事も遊びも、本気で頑張ってほしいですね。夢は大きく、有言実行。人間の可能性は無限大です!

あとは先ほどお伝えした通り、「人」を大切にしてほしいと思います。私が理事を務めている経営者団体もそうですが学びや交流の場を提供するコミュニティも多くあります。こうしたところも、ぜひうまく活用してみてください。

「熱狂宣言」小松成美著(幻冬舎)
「私は、若年性パーキンソン病です」「外食業界のファンタジスタ」の異名をとる、ダイヤモンドダイニング社長・松村厚久。熱い情熱と才気迸る男を襲った過酷な運命は、彼をさらなる熱狂へ駆り立てる。小松成美、渾身の書き下ろしノンフィクション。2015年出版。

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