元日産社長 西川廣人|V字回復とゴーン事件の実際「社長の引き際」とは?【前編】

創業手帳
※このインタビュー内容は2023年08月に行われた取材時点のものです。

主流派ではないところにいたからこそ組織がよく見えた


ゴーン事件を覚えているでしょうか。カルロス・ゴーン氏は、2000年当時7000億円近い巨額赤字を計上していた日産自動車を、社長就任後たった1年で黒字に転換。世界から賞賛され、その後会長となりましたが、2018年に金融商品取引法違反容疑で逮捕。2019年、日本をひそかに出国しレバノンに逃亡したため、現在に至るまで公判を開くことができていないというそれまでに類を見ない事件でした。

2017年に日産の代表取締役社長兼CEOに就任した西川さんは、ゴーン氏が逮捕された際に記者会見をしたその人です。

今は社長を退任し、個人事務所でベンチャーの顧問などをしています。そんな西川さんに、ゴーン改革やグローバル企業でのリーダーの在り方などについて、創業手帳代表の大久保がお聞きしました。

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西川 廣人(さいかわ ひろと)
株式会社西川事務所代表 
1953年生まれ。1977年東京大学経済学部卒業後、日産自動車株式会社入社。米国留学、米国、欧州駐在、ルノー日産共同購買等を経て、2005年日産自動車、取締役副社長、欧州事業統括、北米事業統括、アジア、日本事業統括、モノづくり機能統括を歴任。2017年4月同代表取締役社長兼CEOに就任。
2019年9月同代表執行役、社長兼CEO退任。2020年2月同取締役退任。
他にRenault SA. 取締役、東風汽車有限公司、董事、日本自動車工業会会長歴任。
現在、株式会社アイディーエス(本社:東京都港区)等ベンチャー企業数社の顧問として活動。

インタビュアー 大久保幸世
創業手帳 株式会社 代表取締役
大手ITベンチャー役員で、多くの起業家を見た中で「創業後に困ることが共通している」ことに気づき会社のガイドブック「創業手帳」を考案。現:創業手帳を創業。ユニークなビジネスモデルを成功させた。印刷版は累計200万部、月間のWEB訪問数は起業分野では日本一の100万人を超え、“起業コンシェルジェ“創業手帳アプリの開発や起業無料相談や、内閣府会社設立ワンストップ検討会の常任委員や大学での授業も行っている。毎日創業Tシャツの人としても話題に。 創業手帳 代表取締役 大久保幸世のプロフィールはこちら

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ゴーン事件とは何だったのか?

大久保:西川さんは、カルロス・ゴーン氏が来る以前と以後の日産の両方を体験するという、貴重な体験をされていますよね。振り返ってみて、ゴーン氏が来る前の日産自動車はなぜ巨額の損失を出す経営危機に陥っていたのでしょうか。

西川:1970年代までの日産自動車は、メイドインジャパンでいい物を作れば売れるという状態で、1980年代はバブル景気に乗り、輸出型の企業として成長してきました。

ただ、このままでは続かないというのは見えていて、日本で作って海外へ輸出するのではなく、海外で作って海外で売るための構造に変えていかなければならないということで、1980年代後半にアメリカ・イギリス・メキシコに大きな投資をしました。

1990年代はその投資を踏まえて国際化を進め、事業を運営していくべきだったのですが、体裁だけ整えるばかりで実際にはうまく機能せず、海外で車を作れば作るほど赤字になるということがわかってきたのです。

当時はアメリカ・イギリス・メキシコの事業運営、つまり事業会社経営を現地化し、トップを置き、車の図面を渡して後はそれぞれの拠点にまかせ、単体の事業体の収益を連結するということしかしていませんでした。

世界中で同じ基準で管理をするという必要があったんですね。バブルがはじけた後、急速に収益が悪化しました。輸出型のビジネスから多国籍型のビジネスへの急激な変化に、仕組みや人材が追いつかなかったということです。

大久保:ゴーン改革とはどのようなものだったのですか。

西川:1990年代の形だけの国際化に息を吹きこみ、事業運営のPDCAが回る本質的なグローバル組織、プロセスに変化させました。

話題になった言葉としては次のようなものがあります。

  • 「コミットメント」最終的に会社の収益目標につながる各自の目標設定
  • 「クロスファンクショナルチーム」機能部門ごとの最適化ではなく、ボトムの収益につながる横断的改善の推進
  • 「系列破壊」発注先選定のプロセスを系列前提ではなく世界各地で通用する業務プロセスへと改編

それまでに蓄えた商品力、技術力をベースに、新たな多国籍型の事業経営で業績をV字回復させました。高度なマネージメントや多様な構成のグループを引っ張るリーダーシップが必要ですが、世界各国でハイクオリティな人材を獲得し、競争力を上げることが可能となりました。

大久保:自動車業界の中で、多国籍型のグローバル化というのは珍しいものなのでしょうか。

西川:ベースはひと昔前のアメリカの会社のグローバル化のケースが雛形です。

トヨタ自動車やフォルクスワーゲンのように、あくまでセンターは日本やドイツに置き、放射状のマネージメントで進める形態、ホンダのようにあくまでも日本人中心でリーダーを固め、海外人材は現地で補完するというやり方もあります。

広がりを持とうとすると限界があるので、多様性を取り込みながら成長するのが大事です。キーになるのは事業感覚で、そういった事業感覚を持っているミニ社長のような人材が組織の中に10人20人いるということが必要になってきます。

大久保:ゴーン事件についてお聞かせください。

西川:ゴーン元会長が私利私欲のために不正をしたというのは紛れもない事実です。

本人が密かに収入を確定させながら、開示・公表を免れるために有価証券報告書の虚偽記載を行ったという金融取引法違反の事案での逮捕に始まり、その後の中東を舞台とした背任横領罪でも逮捕、起訴されました。

本人逃亡のため、共犯の罪に問われた元代表取締役グレッグ・ケリーの金融商品取引法違反罪の裁判だけが行われ、ケリーは有罪となりましたが、この事案は報酬が確定していたのかなどの点では専門家の中で意見が分かれたようです。

ただし捜査、調査の結果ではゴーン氏本人が、所得を確定させながら開示せず隠ぺいしようとした事は紛れもない事実です。またその後の事案は背任横領であり、もし公判が行われていたら、更に思い罪に問われることになったはずです。

当時、日産内にはゴーン会長主導でのルノーとの経営統合、合併が進むことへの恐れが高まっていたため、それに反対していた社長である私がゴーン会長の追放を狙ってしかけたクーデターだという説が海外で出回ってしまいました。

ルノーとの経営統合をめぐる意見の相違は事業戦略上の問題なので、まったく次元の違う話です。ゴーン氏個人が不正を行っていた、という事実がなければ私は彼の解任には動きませんでした。

会社の仕組みや資金から一歩外に出てみることの重要さ

大久保:日産のように巨大なグローバル企業でリーダーを務められていたわけですが、意識されていたことはどんなことでしょうか。

西川:例えば会議の中に日本人がひとりふたりいるとします。会議が終わって「日本人だけで昼めしでも行きましょう」ということになりがちですが、それは日本人だけで固まる事、絶対にやってはいけないことです。

一度でもそれをやったら信頼がなくなります。日本人からは「あの人は人間嫌い」ぐらいのことは言われるでしょうが、そのぐらいの覚悟を決めて初めて、世界中の優秀な人材が集まってきます。

世界で通用する経営能力を身につけて「あの人はすごい」と日本人以外からも尊敬されることがグローバル企業のリーダーには必要だと思います。

大久保:西川さんは東大を出て日産に入られて、保守のど真ん中という印象を持っていましたが、そうではないんですね。

西川私はエリートではなかったんです。会社の中で主流派というのがあるとすると、私は反対でした。

事務職だったら人事、技術職であれば工場や開発にいる人材が出世していくというのが普通でしたが、私はそのどちらでもなく、末端の購買部門系列にいて、系列会社が指示通りに動いているかを管理するだけの仕事でした。ただその分、会社や業界の変化はよく見えていたという実感はあります。

1960年代から70年代にかけての高度成長時代、政府系金融機関である日本長期信用銀行や日本興業銀行が長期にわたって安定的な金額を造船・電機・商社などの各社に供給し、生産機能を強化、輸出を通じて規模を拡大して、グループ、系列を支える規模の小さな企業からも世界に通用する企業が生まれました。

これは先人が作った素晴らしい天才的と言っても良いシステムでしたが、残念ながら永遠には続かないものでした。事業環境の変化に対応し変化する必要があったわけであり、日産の場合も、このままの状態は続かない、変化が必要だと若い頃から感じていたのです。

そんな高度成長の末期に、海外を見てきなさいということでアメリカに留学を命じられました。

当時20代でしたが、結婚が早かったので子どももいて、正直困りました。留学だったので家族は連れて行かないという設定だったんです。

置いていくわけにもいかないので私費で連れて行きました。1人目の子どもは大学の施設の一番安いナーサリースクールに入れて、当時妻が妊娠中だったので現地の病院に行き、保険がないので自分でかけました。そういった手続きなどを通して、外国で暮らすとはこういうことかというのを体験として知ることができたことはよかったですね。

会社の仕組みや資金の中で生きていると、表面的なことしか見えないだろうなというのも理解できました。

その後しばらくして駐在員として再びアメリカに行ったんです。車を与えられて運転し、PRも兼ねているから年に1回変えると会社からは言われました。私は留学の時代からから当時2000ドルもしない中古車を自分で買って乗り、また売るという事をやっていたので、駐在員の生活は恵まれているものだと思いました。

車は新車だけではなく2次流通の世界もありますよね。どこで買ってどこで整備するのかを知ったり、下取り価格を上げるというのも大事な仕事です。でも自分で買ったり売ったりしないとなかなか実態を知ることができません。そういったこともせずに議論している人たちを見て、浅い議論をしているなと思ったこともありました。

日本車は壊れないから高いんです。当時中古で3000ドルぐらいしましたね。クライスラーの中古車が一番安くて、1000ドルで買って2年使ったらいい、そんなことをやっていました。

アメリカで、日本の事業のピラミッド構造の下に何があるのかを考えたり、アメリカの現場に日本人がいかにタッチしていないかを実感したりしたことが後のキャリアで役に立ったと思っています。

大久保:西川さんは決して会社の携帯電話を私用に使わなかったと聞いています。会社に依存しないというところが一貫していらっしゃるのかなと感じました。

西川:そうですね。給料の範囲で生活するのが当然で、自分が贅沢をしたくて経費を使うということは一切なかったですね。

見られていないと思うかもしれないけれど、周囲は見てるんですね。周囲の日本人から見たら「もっと楽しくやりましょうよ」という感じだったのかもしれないですし、社内では敵が多かったかもしれません。

難しいトップの引き際


大久保:トップは引き際が難しいと感じます。ゴーン氏は10年早く辞めたらよかったのかもしれないですし、西川さんの退任時には何人かと共に辞めたというのもすごいですよね。

西川:ゴーン氏が社長を勤めていた後半はルノーとの連携がうまくいかず、業績もあまりよくありませんでした。前半は欧米から来た熱意ある若者たちに囲まれ、切磋琢磨しながら先進的なグローバル企業を作ろうとしていましたが、V字回復を成し遂げると「カリスマ経営者」ということで変な取り巻きが寄ってきて、経営者として輝きを失ったと感じましたね。

ですから私が社長になってから立て直すのは大変でした。でもそれが自分の使命でしたし、引き受けたからにはやるしかないと思っていました。

早い段階から後継者のことは考えていて、候補として欧米人はいるけど、日本人がいないのは問題ですよねということはゴーン氏とも共通の課題として持っていました。

そこでゴーン事件が起きて、カリスマ的な人がいなくなったショックもあり、バタバタとしている中で後始末や整理をしてから次世代に引き継いで辞めようと思っていましたが、社内の混乱の責任を取る形でそれができずに辞めることになってしまったのは今でも申し訳なく思っています。

その頃、ゴーン事件を受けて「日本人主導の会社に戻そう」という声が出ていろいろともめていたので、悪い影響が残らないようにと数人に一緒に辞めてもらいました。

大久保:EVの話もあり、一回業績は上向きになりましたが、ゆくゆくは再び経営判断が必要な状態になるかもしれませんね。

西川会社には常に変化が必要ですし、さまざまな変化に対応を怠っていると生き残れないと感じています。今からでも変化していってほしいですね。

大久保写真大久保の感想

今回の取材先は元日産社長の西川さん。
ゴーン改革を実質的に日本側で進めた人として評価されている人ですが、内情を色々と聞くことができました。

今回印象に残ったのは「社長の引き際」です。
カルロス・ゴーンもV字回復後に辞めていれば良かったのにと思います。

後半惰性になってしまったことを指して西川さんは「ある時から輝きを失った」を言っていましたが、目標を達成、あるいは見失うと経営者は堕落してしまいます。ゴーンの場合は極端な例ですが、こうした「目標と輝きを失った」経営者は多いと思います。

後を引き継いだ西川さんですが、辞任の際に、古い役員を何人か退任してもらい若返りを図ったなどは引き際としては見事と言えるかもしれません。社長が辞める際には「お前も一緒に」ということで、人事を一新するチャンスかも知れませんね。

日産の場合はあまりにも大きな会社なので、どうしても派閥力苦学のようなものがありますので、こうした人事の一新もトップの最後の大きな仕事と言えそうです。

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(取材協力: 株式会社西川事務所代表 西川廣人
(編集: 創業手帳編集部)



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