「106万円の壁」撤廃で知らないと困る「社会保険・人件費」の注意点を社労士に聞いてみた
中小企業の負担はどうなる?知っておきたい「106万円の壁」撤廃と社会保険適用拡大への備え

2026年10月には『106万円の壁』と呼ばれる賃金要件の撤廃が予定され、社会保険の適用対象も段階的に広がります。「パート・アルバイトの社会保険加入が増えるらしいが、自社にいつ影響が出るのか分からない」「保険料の負担がどのくらい増えるのか計算できていない」——そんな不安を抱える中小企業の経営者は少なくありません。
103万円・130万円など他の「年収の壁」との違い、企業規模ごとの適用スケジュール、負担額の具体的なイメージ、そして今から準備しておくべきことまで、制度の内容だけでなく実務対応まで押さえておきたいポイントがいくつもあります。
中小企業の労務相談を数多く手がけてきた社会保険労務士法人 増田事務所の増田将信氏に、社労士だからこそ見えてきた注意点と、経営者が2026年10月までに準備しておくべきことを伺いました。
社会保険労務士法人 増田事務所 代表社員
社会保険労務士・中小企業診断士・産業カウンセラー。経営コンサルティング会社で人事コンサルタント・取締役を務めた後に独立。その後、両親が営む増田事務所を事業承継し、代表に就任した。人事制度構築・人材育成・労務相談業務を得意とし、スタートアップの労務支援などにも力を入れている。
この記事の目次
「106万円の壁」とは?2026年10月から何が変わるのか
増田:まず押さえていただきたいのは、「106万円の壁」は、年収そのものだけで社会保険の加入・非加入が決まる線ではないということです。短時間労働者が勤務先の健康保険・厚生年金に加入する際の「所定内賃金が月額8.8万円以上」という要件を年収に換算すると約106万円になることから、一般にそう呼ばれています。
現在、正社員の4分の3未満の働き方をするパート・アルバイトについては、原則として次の5つの条件で加入対象を判断します。
- ①勤務先が企業規模要件を満たす
- ②週の所定労働時間が20時間以上
- ③所定内賃金が月額8.8万円以上
- ④学生ではない
- ⑤2か月を超えて雇用される見込みがある
なお、正社員の所定労働時間・日数の4分の3以上働く方は、企業規模にかかわらず、すでに加入対象となっています。
増田:撤廃されるのは、先ほどの条件のうち③の「月額8.8万円」という賃金要件です。以後は、通常の最低賃金が適用される方であれば、年収額を意識するのではなく、まず「週20時間」という働き方で判断する制度になります。
ただし、企業規模要件まで2026年10月に一斉撤廃されるわけではありません。2027年9月までは、原則として厚生年金保険の被保険者が51人以上の企業が対象です。また、全国の最低賃金がすでに時給1,016円を超えているため、週20時間働けば月額8.8万円以上になるのが通常です。
そういう意味では、2026年10月の改正は実務上の対象者を急増させるというより、制度を実態に合わせて分かりやすくする意味合いが強いと見ています。
増田:「103万円の壁」は所得税に関する従来の呼称で、社会保険とは別の制度です。税制改正によって基準額自体も変わっており、2026年分は一定の給与所得者について所得税の課税最低限が178万円まで引き上げられています。税の基準と社会保険の基準を同じものとして考えないことが大切です。
「130万円の壁」は、配偶者などの健康保険の扶養や国民年金第3号被保険者でいられるかという基準です。勤務先の社会保険の加入要件を満たせば、年収130万円未満でも勤務先の社会保険に加入します。一方、週20時間未満などで勤務先の加入対象にならなくても、今後1年間の収入見込みが原則130万円以上になれば扶養から外れる可能性があります。
会社側は「年収だけ」を見るのではなく、企業規模、週所定労働時間、雇用見込み、学生区分、実際の勤務状況を一人ずつ確認する必要があります。
今回の改正で影響を受ける企業・従業員とは?

増田:2026年10月の改正で直接確認が必要なのは、現在の特定適用事業所、つまり原則として厚生年金保険の被保険者が51人以上の企業と、労使合意により任意で短時間労働者を加入対象としている事業所です。
ただ、先述のとおり、最低賃金の水準から見て、通常は週20時間以上働けばすでに月額8.8万円以上になります。したがって、2026年10月だけを見て「突然、全パートが加入する」と考えるのは正確ではありません。
増田:企業規模要件の改定スケジュールは、次のとおりです。
- 51人以上:すでに対象(2027年9月までの基準)
- 36〜50人:2027年10月から
- 21〜35人:2029年10月から
- 11〜20人:2032年10月から
- 10人以下:2035年10月から
従業員50人以下の企業は、2026年10月の賃金要件撤廃だけで直ちに強制適用になるわけではありません。ただし、36〜50人の企業は1年後の2027年10月に対象となりますので、今の段階から対象者とコストを把握しておくべきです。
増田:賃金要件撤廃後は、正社員の4分の3未満の短時間労働者について、原則として「週所定労働時間20時間以上」「学生ではない」「2か月を超える雇用の見込み」という条件を確認します。学生でも休学中、定時制・通信制など例外的に対象となる場合があります。
また、企業規模を数えるときの「従業員数」は、単純な在籍人数ではなく、現在の厚生年金保険の被保険者数が基本です。法人の場合は店舗・支店ごとではなく、同一法人全体で判定します。原則として、1年のうち6か月以上、基準を上回ることが見込まれるかを確認します。
増田:2029年10月からは、常時5人以上を使用する個人事業所について、現在の法定17業種という限定がなくなり、原則として全業種へ適用が広がります。ただし、施行時点ですでに存在する事業所は当分の間対象外とされています。法人の企業規模要件とは別の論点として確認が必要です。
社会保険の適用拡大で中小企業の負担はどう変わる?
増田:経営への影響は、大きく「保険料」「人員配置・賃金」「実務負担」の三つに分けて考えると整理しやすいです。
最も分かりやすいのは保険料で、健康保険と厚生年金は原則として労使折半です。地域や年齢、加入する健康保険によって異なりますが、会社負担は標準報酬月額のおおむね14〜15%程度を見込むと、概算をつかみやすいでしょう。40〜64歳の方には介護保険料も加わり、賞与にも保険料がかかります。
増田:例えば愛知県の協会けんぽに加入し、40歳未満、月額賃金10万円程度のパート5人が新たに加入するケースでは、会社負担は1人当たり月約1万4,000円、5人で月約7万円、年間では約85万円が一つの目安です。実際には標準報酬月額、健康保険料率、子ども・子育て拠出金、賞与、年齢などで変わるため、必ず個別に試算します。
資金繰りの面では、給与の支払いだけでなく、翌月に納付する社会保険料まで含めて月次予算へ反映する必要があります。粗利の薄い業種では、年間合計額だけでなく、繁忙期・閑散期のキャッシュフローも確認した方がよいでしょう。
増田:資格取得届、給与からの控除、算定基礎届、随時改定、賞与支払届、扶養異動などの事務が増えます。雇用契約上は週20時間未満でも、実労働時間が恒常的に増えている方がいれば勤怠データの確認も欠かせません。
一方で、社会保険加入は単なるコスト増ではありません。保障の充実は採用力や定着率の向上につながり得ます。私たちは、制度対応を人件費の問題だけで終わらせず、人員配置、役割設計、賃金、評価、人材育成まで含めた人事戦略として考えることが大切だとお伝えしています。仕組みを作るだけでなく、現場で運用できる状態まで伴走することが重要です。
増田:まず、キャリアアップ助成金「短時間労働者労働時間延長支援コース」があります。新たに社会保険へ加入させ、週所定労働時間の延長や賃上げを行う事業主を対象に、要件を満たせば1人当たり最大75万円の助成があります。原則として社会保険加入日の前日までにキャリアアップ計画書を提出する必要があります。
また、2026年10月以降の任意適用事業所や、2027年10月以降に適用拡大の対象となる事業所では、一定の低賃金の短時間労働者について、事業主が本人の保険料の一部を一時的に負担し、3年間、本人負担を軽くする「保険料調整制度」も選択肢になります。事業主の追加負担分は後に調整される仕組みで、最終的な事業主の保険料負担は増えないとされています。
このほか、年金事務所を通じた専門家派遣や、働き方改革推進支援センターの無料相談もあります。助成金・支援制度は対象者、取組時期、事前手続きが細かいため、採用やシフト変更を決める前に確認することがポイントです。
実際に経営が厳しくなる企業・そうでない企業の違いとは?

増田:影響の大きさは、単純な従業員数よりも、「新たに加入する人が何人いるか」「その人たちが事業運営上どれだけ重要な役割を担っているか」「増加コストを生産性や価格へ反映できるか」で決まります。ですから、業種だけで一律に危険度を判断するのではなく、自社の雇用構成と収益構造を重ねて見る必要があります。
増田:いくつか挙げると、次のような企業は影響が大きくなりやすい傾向があります。
- ・飲食、小売、宿泊、介護・福祉、生活関連サービスなど、週20〜30時間働くパート・アルバイトの比率が高い
- ・厚生年金の被保険者が36〜50人で、2027年10月から新たに企業規模要件の対象となる
- ・人件費率が高く利益率が低い、または価格転嫁が難しい
- ・複数店舗を運営し、法人全体の人数や実労働時間を一元管理できていない
- ・「扶養内で働きたい」という従業員が多く、勤務時間の短縮が重なるとシフトが成立しにくい
- ・雇用契約は週20時間未満でも、欠員対応などで実際には恒常的に20時間以上働いている人が多い
増田:対象となり得る従業員の多くがすでに社会保険へ加入している企業、20時間未満の勤務が契約・実態とも明確な企業、勤怠・給与・社会保険手続きをデジタルで一元管理している企業は、追加負担や混乱を抑えやすい傾向があります。
また、単に勤務時間を短くするのではなく、希望者には時間を延ばして役割と賃金を高めてもらい、教育や業務改善とセットで生産性を上げられる企業は、社会保険料を「人材確保のための投資」に変えやすいです。社会保険に入れる安心感が採用や定着の強みになるケースもあります。
増田:対象候補者数 × 1人当たり年間会社負担額を出したうえで、売上総利益・営業利益・月次資金繰りに対する比率を確認します。同時に、対象者が勤務時間を減らした場合に何時間の労働力が失われ、採用や残業でいくら補うことになるかも試算してください。保険料だけを見て判断すると、採用難や現場負担という別のコストを見落とします。
私たちが重視しているのは、表面に出ている「保険料が増える」という課題だけでなく、背景にある人員配置、管理職の説明力、業務の属人化といった潜在課題まで構造化することです。そこまで見ると、取るべき対策の優先順位が明確になります。
中小企業が2026年10月までに準備すべきこと
増田:準備は「対象者を数える」だけでは足りません。現状分析、方針決定、従業員との対話、制度・業務の整備、実行後のレビューまでを一つのプロジェクトとして進めることをお勧めします。特に36〜50人の企業は2027年10月の適用まで時間が限られていますので、2026年中に試算と方針決定まで進めておくと安心です。
具体的には、次の5つのステップで進めていただくとよいと思います。
ステップ①:対象者の棚卸し
法人全体の厚生年金被保険者数を確認し、雇用契約書、週所定労働時間、所定内賃金、学生区分、雇用見込みを一覧化します。直近2〜6か月の勤怠実績も重ね、契約と実態のずれを把握します。正社員の4分の3以上となる方は別ルートですでに対象となるため、併せて点検します。
ステップ②:企業負担と人員配置の試算
候補者ごとに標準報酬月額を見込み、健康保険・厚生年金・介護保険・子ども子育て拠出金・賞与まで含めて月額、年額を試算します。「現状維持」「加入して時間を延ばす」「本人希望により20時間未満へ変更する」など複数のシナリオを作り、必要採用数や残業への影響も比べます。
ステップ③:会社としての人材方針を決める
法令対応だけでなく、どの仕事を誰に任せ、どのように処遇し、育成するのかを決めます。希望者には勤務時間の延長、職務拡大、賃上げ、正社員転換などの選択肢を示し、短時間勤務を希望する方にも無理のない働き方を用意します。人事制度や役割設計と連動させることで、負担増を組織力の向上につなげられます。
ステップ④:従業員への個別説明
手取りが一時的に減る点だけでなく、保険料が労使折半になること、将来の厚生年金が増えること、健康保険の傷病手当金・出産手当金など保障が充実することを説明します。税、配偶者の扶養、家族手当への影響は人によって違うため、一律の説明会だけで終わらせず、本人の希望を聞く個別面談を設けるのが望ましいです。
ステップ⑤:契約・規程・業務フローを整える
合意した働き方を雇用契約書へ反映し、必要に応じて就業規則、賃金規程、社会保険適用促進に関する取扱いを見直します。給与控除の開始月、資格取得届、扶養異動、本人への通知をチェックリスト化し、勤怠・給与・社会保険データを連携させます。私たちは、ITやクラウドの導入だけでなく、担当者が自社で運用できるようになるまでの内製化支援も重要だと考えています。
増田:まず理由と家計への影響を丁寧に聞き、本人の手取り、扶養、将来保障を個別に試算したうえで選択肢を提示します。会社が加入回避を目的に一方的に時間を削る、雇止めを示唆する、といった対応は避けるべきです。契約変更は本人との合意を基本とし、業務分担やシフトへの影響も説明します。
なお、契約上は週20時間未満でも、実労働時間が2か月連続で週20時間以上となり、その後も続く見込みであれば、3か月目から加入対象となります。書面だけ19時間台にして実態が変わらない、という運用は通用しません。
増田:手取りへの対策としては、労働時間の延長と賃上げ、キャリアアップ助成金の活用、対象となる事業所での保険料調整制度などを検討できます。助成金には事前計画が必要なため、方針決定と同時に確認してください。
経営者が誤解しやすいポイントと実際の相談事例

増田:誤解が起きやすいのは、制度を「年収の数字だけ」で捉えてしまうことです。
2026年10月以降、通常のケースでは106万円未満なら加入しなくてよい、とは言えません。一方で、週20時間を一度でも超えたら直ちに加入、という理解も正しくありません。基本は雇用契約上の所定労働時間で判断し、一時的な残業だけなら直ちに対象にはなりません。ただし、実労働時間が2か月連続で週20時間以上となり、その状態が続く見込みなら、3か月目から対象になります。
増田:特に多いのは、次のような誤解です。
- 「従業員数」はパートを含む在籍者の総数だと思う:企業規模要件は、原則として現在の厚生年金保険の被保険者数で見ます。法人は全事業所を合算します。
- 50人以下なら今後も関係ない:36〜50人は2027年10月、21〜35人は2029年10月と段階的に対象が広がります。
- 106万円の壁がなくなれば130万円の壁もなくなる:130万円の扶養認定は別制度として残ります。
- 本人が入りたくないと言えば加入させなくてよい:法定要件を満たせば、本人や会社の希望で外すことはできません。
- 学生は全員対象外:休学中、定時制、通信制など、学生除外が適用されない場合があります。
- 店舗ごとに51人未満なら対象外:法人は原則として法人全体で判定します。
増田:典型的なのは、会社が十分に説明しないまま給与から保険料を控除し、従業員が「聞いていた手取りと違う」と不信感を持つケースです。また、店舗単位で人数を数えて対象外と判断していた、契約は週19.5時間でも欠員対応で毎週20時間を超えていた、助成金が必ずもらえる前提で賃上げを決めた、といった行き違いも起こり得ます。
相談を受ける中では、「全員の時間を20時間未満にすべきでしょうか」という質問も出ます。しかし、機械的な時間短縮は、従業員の収入やキャリアを損ねるだけでなく、採用難、現場の人手不足、残業増加を招き、結果として会社の負担が増えることがあります。まず事実と数字を確認し、本人の希望と事業上の必要性を両立させることが先です。
増田:してはいけない対応として、次のようなものが挙げられます。
- 加入を避けるためだけに一方的に勤務時間を削る、雇止めや退職を迫る
- 契約書だけ20時間未満にし、実態として恒常的に20時間以上働かせる
- 対象者の確認を店舗任せにして、法人全体で管理しない
- 本人への説明や同意確認をせず、突然保険料を控除する
- 助成金の要件・事前申請を確認せずに処遇変更を実施する
- 資格取得を遅らせる、または本人の希望だけを理由に届出をしない
こうしたトラブルを防ぐには、現状分析、課題の構造化、優先順位づけ、解決策の立案、実行支援、レビューという順で進めることです。これは私たちが労務支援で大切にしている進め方でもあります。
制度を知るだけでなく、勤怠・契約・給与のデータをつなぎ、管理職と担当者が同じ基準で判断できる状態を作ることが、トラブル防止につながります。
中小企業の経営者へメッセージ
増田:社会保険の適用拡大は、企業にとって確かにコストと事務が増える改正です。ただ、これを「負担が増える制度」とだけ捉えると、取れる選択肢が狭くなります。従業員にとっては、老後の年金だけでなく、病気やけが、出産で働けないときの保障が厚くなるという大きな意味があります。会社にとっても、安心して長く働ける環境は採用・定着の土台になります。
大切なのは、直前に対象者だけを拾って手続きをするのではなく、自社の人員構成と将来の事業を見据え、「誰に、どの役割で、どのくらい働いてもらいたいか」を考えることです。必要であれば、賃金・評価制度、管理職教育、業務改善、HRテクノロジーまで一体で見直す。制度を作って終わりではなく、現場で運用し、人が育ち、組織が自走できるところまで取り組むことが重要です。
正解は会社ごと、従業員ごとに異なります。だからこそ、早めに数字を出し、従業員と対話し、小さく準備を始めてください。今回の改正を、会社の文化と働き方を次の世代へつなぐ機会に変えることは十分に可能です。
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