渋谷区長 長谷部 健|【第一回】博報堂出身の新区長、ベンチャーの街渋谷からの挑戦

創業手帳
※このインタビュー内容は2015年06月に行われた取材時点のものです。

博報堂出身敏腕プロデューサー長谷部健氏インタビュー

(2015/05/24更新)

新渋谷区長・長谷部健氏に、区長になるまでのいきさつと渋谷区の創業支援のビジョンについてお話を伺いました。従来の政治家のイメージが180度覆される様な、自然体でフランクな印象を受ける長谷部氏ですが、渋谷区から日本を変えていきたいという思いは並大抵ではない。そんな熱い思いを持つ長谷部健氏のこれからのビジョンと創業者へのメッセージをお届けします。

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長谷部健(はせべけん)
長谷部健(渋谷区議会議員/NPO法人グリーンバード代表理事)
1972年東京都渋谷区生まれ。大学卒業後、株式会社博報堂に入社。LAWSON、JT、TOWER RECORDなどを担当した後、2002年に博報堂を退社。2003年1月、ゴミ問題に関するNPO法人グリーンバードを設立。原宿・表参道を中心にゴミのポイ捨て対策プロモーション活動を開始。同年4月、渋谷区議会議員選挙でトップ当選を果たし、計3期区議をつとめ渋谷区長に。

強いメッセージを持った広告を創るために、博報堂へ

ー博報堂時代から将来独立しようと考えていたのですか?

長谷部:私自身、起業や独立にネガティブな印象はなかったですね。むしろ、30代位で独立して何かやりたいと自然に思うようになっていました。

広告マン時代はローソンを担当していて、高嶋政伸が店長をやっていた「それいけローソン物語」シリーズを企画したりして、毎日馬車馬のように働いていました。

不思議と僕たちの世代って、慶応大学卒の人たちが起業の口火を切っていて、転職とか起業が割と身近に起きていた世代だと思います。

同期でご飯を食べているときとか、ポジティブに「次、将来何する?」とか「独立して何したい?」とか、会社や仕事が嫌な訳ではなく、ステップアップとしてそんな話をしていました。

ーなるほど。博報堂に入ったきっかけは何だったのでしょうか?

長谷部:元々、「強いメッセージを持った広告」を創ることに携わりたいと思って博報堂に入りました。

その頃の世界的な賞を取る広告の潮流は、社会貢献メッセージが強い広告だったんですよ。

その頃いいなと思ったのは、アパレルメーカーのベネトンがエイズ予防を訴えるコンドームの広告でした。

その当時、ちょうどエイズが社会問題になっている頃で、色んな政府がキャンペーンをやっていたけど、全く刺さらなくて。

そんな広告の中で一番ドキっとしたのが、よりによってアパレルメーカーのベネトンかと。それくらい強いメッセージでハッとしたのを覚えています。

その少し前にオーストラリアでやっていた飲酒運転のキャンペーンでは、グロテスクな事故の映像を広告に使っていて、「飲酒運転をするやつなんか大馬鹿野郎だ!」なんてラフなコピーが添えられていたのが凄く衝撃的でした。

その広告はアジアで賞を取っていたと思います。

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広告マンと政治家の共通項は「プロデュース」

ー「強いメッセージ」を持った刺さる広告の共通点はどこにあるのでしょうか?

長谷部:新商品とか、車をリニューアルしたとか、そういう広告より、より生活に身近な広告の方がエモーショナルなんですよね。

強いメッセージを持った広告って、そういうような社会貢献メッセージを持った広告なんじゃないかと思います。

日本の広告って、割とおとなしめだと思うのですけれど、海外では民間企業が痛烈な刺さる広告を打ち出しているんですよね。

やはり私はクリエイティブが好きだったので、社会貢献メッセージを訴えるエッジの効いたクリエイティブエージェンシーが日本に無かったのが残念ではありました。

そういう企業を立ち上げたいなと28歳位の時に思っていました。

ー博報堂で広告マンをしつつ転職も考えていた20代後半から、どのようにして政治の世界に入ることになったのでしょうか?

長谷部:先程お話しした28歳の頃からが自分の転機で、「区議会議員をやらないか?」と地元の商店街の方々からお誘いを頂いたりしていました。

でも、自分にとって区議会議員はかっこいい仕事のように思えなくて、なかなか踏み切れずにいて、最初の方は断っていました。

色々悩んでいるうちに、ある方から「政治もソーシャルプロデュースなのではないか」という意見を聞いて、確かに上手いことを言うなと思って、政治に対する考え方が変わったのを覚えています。

本来区議会議員がやるべきなのは、渋谷のプロデュースだったり表参道のプロデュースなのだと思ったときに、少しイメージが湧いたんですよね。

その当時、表参道をバレンタインのときに歩行者天国にして、「こんな日だから手を繋いで歩こう」という広告を、あえて自動車会社が車に乗るなという意味で広告を打ち出したら面白そうだとなんて考えたりもしていました。

賞を取っちゃいそうですよね(笑)

ー凄く面白いと思います(笑)

長谷部:表参道とか渋谷ってメディア発信力がある街だなと感じています。

そこで何かできるのは面白いし、自分の慣れ親しんだ地元であるからこそのアドバンテージもあるこの街で、ソーシャルプロデュースをしていくというキャリアも良いなと思うようになりました。

色んな政治家と会う中で、プロデューサーっぽい人は1人も居ないし、選挙の話をしている方が多いのですよ。

あまり、「こういう街にしていきたい」というビジョンを語る人が居なくて、こういう状況だからこそ自分が変えてやろうという意欲も湧いてきました。

そんなことがあり、ソーシャルプロデュースというキャリアで勝負していこうと思ったのが、30代半ばです。

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街のプロデュース第一弾がNPO化

ーその様ないきさつがあったのですね。覚悟を決めてからは、すぐに選挙に出馬したのですか?

長谷部:博報堂を辞めてから選挙に出るまでの半年間に時間があったので、商店街のごみ拾いの活動に参加していました。

ボランティア活動自体は大変だと感じることもありましたが、街の方との交流をしていくうちにやりがいを感じるようになり、何か大きなキャンペーンとして企画できないかと考えるようになりました。

そこで、商店街に企画書を書こうと思ってできたのが、表参道のゴミ拾いプロジェクトのgreen birdです。

スポンサーを上手く集めたり、ロゴを考えたりする中で、商店街も徐々に盛り上がっていきました。

NPO法人の認可もおりて、協力してくれる人も増えて、ひょっとしたらこれで食べていけるんじゃないかと思うこともあり、選挙に出ることを悩んだ時期もありました。

ーやはりプロデューサー業に専念したい気持ちもあったのですね。

長谷部:その通りです。表舞台に出ることのデメリットも感じていたし、こうやって街のプロデューサーだけをやっていたい気持ちもありましたが、今思う区長になって良かったと思うことが多いです。

区長になって今まで考えられなかった様な色々なことが実現していった時、区長としての肩書がないと実現できなかったことが多くあったことに気が付きました。

【続きの記事】【第二回】博報堂出身新渋谷区長・長谷部健、ベンチャーの街渋谷からの挑戦

(編集:創業手帳編集部)

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